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raison d'etre

 ばしっ。カシャッ。
 小気味良い破裂音の後に、神永がシャッターを切る音が続いた。

「いやー、良い絵が撮れた。やっぱり波多野の投げ技は綺麗に決まるな〜」
「いったたた……もう、波多野ったらちっとも手加減してくれないんだから」
「あぁ?自分よりでけえ相手に手加減なんているかよ。ほら、もっかいやんぞー」
「ええ〜少しは休憩しようよ。年上は敬っとくもんだよ〜?」

 道場に、つい今しがた波多野によって投げ飛ばされたばかりの甘利の悲痛な懇願が木霊する。
 神永主導のもと執り行われることもなった『春のD機関大撮影会(命名はもちろん神永である)』の記念すべき最初の一枚は、「笑顔で甘利を組み敷く波多野とその下で苦しそうにもがく甘利」という何とも物騒なものになった。
 機関員一負けん気の強い波多野と、一見のらりくらりとしていながら面倒見の良い甘利は、なかなかどうして良いコンビのように見える。体格差も相まって、こうしてじゃれている二人は歳の離れた兄弟のようにも見えて微笑ましい。
 神永は密かにくすりと小さな笑みを落とし、再び組み合っている二人に向き直った。

「よし、良い感じに撮れたことだし今度は屋上にでも行ってみるかな」
「あ、じゃあ俺も行こうかな。神永、せっかくだし田崎と三人で撮って貰おうよ」
「おっ良いな。じゃあこれは波多野に任せるか」

 神永はそう言うと、自身の手の中の写真機を隣にいた波多野に押し付けた。

「えー、俺まだ投げ足りねえんだけど」
「うーん。あ、じゃあこういうのはどう?写真さえ撮り終わったらあとは波多野の好きなようにしていいよ。田崎を」
「ぶふっ、うわっかわいそ!」

 甘利が最後に付け加えた言葉に、神永は思い切り吹き出し、波多野は「まあそれならいっか」とすぐに機嫌を戻した。
 かくして、一行は屋上へと向かうことへなったのだった。


「はーい、田崎もうちょっと左向いて。あーそうそこそこ!はい、笑って〜」

 田崎の右肩には白い鳩、そして左手にも鳩。神永からの細かいポーズ指導に苦笑しながら田崎は言われた通りに動く。

「さりげない日常の一コマというコンセプトからどんどん離れていっているような気がするんだが……」
「いーのいーの。お前の場合はこうやって撮った方が面白いんだから。それにちゃんと世話してるところも撮ってやっただろ」

 ファインダーを覗き込む神永に代わり、甘利と波多野が田崎の身体を止まり木にして次から次へと鳩を盛っていく。
 昨日洗ったばかりの白いワイシャツに埃色の足跡がぱたぱたと走った時にはさすがの田崎も「勘弁してくれ」と言いそうになったが、楽しそうにけたけたと笑う甘利と波多野を見ていたら何だか全てがどうでも良くなってしまった。

「喜べ田崎。甘利と波多野のお陰で最高の一枚が撮れたぞ」
「悲しいことに素直に礼を言う気には到底なれないんだが、まあ、一応ありがとうと言っておくよ」

 白い歯を見せて親指を立てる神永に深く溜息を吐くと、田崎に群がっていた鳩達がざわざわと羽を揺らした。
 その後田崎は二人が好き勝手に放したそれらを一羽ずつ鳩舎に戻す羽目になり、途中から諦めていたことであるとは言え少なからず切ない気持ちになる。

「よっし、じゃあ波多野頼んだ」
「おう、任しとけ」
「田崎〜神永と俺と、三人で撮ろうよ〜」
「俺たち仲良し三人組だろ?」

 田崎が最後の一羽を巣箱に戻し終えたタイミングで、甘利と神永がへらへら笑いながら近付いてくる。

「はい、じゃあ田崎が真ん中ね」
「うわ、ちょっと」

 神永は強引に田崎の左肩に腕を回し、右腕は甘利の肩へ誘導される。

「甘利もっと寄れよ。収まんないから」
「おい、これは一体どういう」
「俺たち三人でつるむことが多いでしょ。だからね、まあせっかくの機会だし、ちゃーんとこうやって撮っておこうと思ってさ」

 甘利はそう答えると、田崎に向かって軽く片目を瞑ってみせた。いや男のウインクとか何も嬉しくない、と反論する間もなく、波多野が「そろそろ撮んぞー」と間延びした声で告げる。
 神永と甘利に挟まれて、田崎は何だか一気にお調子者の兄が二人増えたみたいな、こそばゆい気持ちになる。期間限定の、それも一度離れたら次にお互い無事で会えるかも分からない、何とも薄情な近親者だ。にも拘らず、こうして二人が自分を気に掛けてくれることが、田崎の胸をくすぐった。

「ほら、笑えよー」

 波多野の声に左右を見ると、二人ともソツのない笑顔で応えていたが、田崎は自分がうまく笑えているか自信がなかった。多分、少しにやけそうになっている頬を隠すのに必死になり過ぎて、微妙な笑顔になってしまっていることだろう。
 かしゃん。
 シャッターが下りる音がして、神永と甘利は波多野の方へと駆けて行った。

「ありがとな、波多野」
「おう。約束はきっちり守って貰うぞ」

 にやりと底意地悪く微笑んだ波多野の言葉に田崎が疑問符を浮かべていると、「すまん田崎!」と揃って声を張り上げた神永と甘利が脱兎の如く一目散に階段の方へと消えていった。

「えっ、ちょっとおい、お前ら……?」

 状況が掴めず呆然と立ち尽くす田崎の肩を、波多野がぽん、と労わるように叩いた。

「もともと俺は甘利相手に昨日の訓練の復習をしてたんだけど、あいつらがお前と三人で撮ってくれって交換条件でお前を差し出してきたんだよな」
「……分かりやすく言うと、それはつまり、俺は今から波多野のサンドバッグってことかな……?」

ーーあのクソ兄貴ども。一瞬でも嬉しいとか思ったのが間違いだった。やっぱりどこまでもロクでもない奴らじゃないか。
 田崎が引き攣る顔で問い返せば、波多野は満面の笑みと共に田崎を見上げる。
 
「ま、仲良くやろーや」

 波多野のその言外の肯定に、田崎の声にならない絶叫が響いた。
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