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あたらしいうた

「かおるくん。あのね、かのんにお歌、教えてください」
 レコーディングスタジオの脇にある革張りのソファに腰掛けている桜庭の元に、とてとてと軽快な足音を立てて、かのんが駆け寄ってくる。
「歌……?」
「うん。かおるくん、とっても歌うのが上手だから、アドバイスが欲しいなーって」
 しゅん、と項垂れるかのんの仕草を受け取り、桜庭は考えを巡らせる。
 今日は、もふもふえんとDRAMATIC STARSの初仕事となるCMソングの収録日だ。いつものようにスムーズに収録を終えた桜庭は、他愛のない会話で盛り上がっている天道と柏木から少し離れた場所で、水分補給をしながら喉を休めていた。そんな折、腰を下ろしてぺらぺらと音楽雑誌を捲っていた桜庭の視界に、ブースの中で幾度もリテイクを食らっているかのんの姿が滑り込んできたのだった。
 だからと言って、急に「上手く歌いたいからアドバイスをくれ」と言われても困るというのが本音だ。厳密に言うと、困ると言うよりも、年齢から信条など何から何まで異なる相手に自分のやり方を伝えることが適切とは思えない、というところだろうか。
「……それなら、君と年齢の近い岡村君や橘君に聞いてみたらどうだ。少なくとも、君にとっては僕の助言よりも有用だと思うが」
 あの二人は君と違ってリテイクも少なかっただろう、と声に出しかけて、すんでのところで踏み止まる。かのんよりももっと幼い非言語コミュニケーションの少ない子どもとは意思の疎通が困難だが、言葉が通じすぎるというのも考えものだ。桜庭は思わず眉間に皺を寄せる。
 ともすれば突き放したような桜庭の言葉に、かのんは少し俯き、それから再び桜庭の瞳を見つめ直した。
「うん、でもね。かのん、かおるくんに聞きたいの。かのんもいつか、かおるくんみたいにまっすぐに歌えるようになりたいから」
「まっすぐ、とは?」
「うん。かのん、かおるくんの歌声がとーっても好きだよ。かおるくんの歌声ってね、聞いてる人をぎゅーって抱きしめちゃうみたいに、まっすぐ届くから」
「……僕の歌が君にそう聞こえていることは分かった。ただ、だからと言って、僕と君では先方に求められているものが違うはずだ。そうであるならば、ただ僕の真似をすれば良いという訳でもないだろう。普段からプロ意識の高い君であれば、それくらいのことは重々承知だと思うが」
 今回担当するのは大手百貨店のバーゲンのPRソングで、テーマは「大事な人への贈り物」。大人から子どもまで楽しめる幅広い品揃えをアピールするためにもふもふえんとDRAMATIC STARSが起用されたと聞いている。
 幼いながらに自分たちの魅力をよく理解している彼らにはうってつけの仕事だと思っていたが、どうやらかのんにはかのんなりの苦悩があるらしい。
「今までのかのんはね、かわいいかのんをもっとたくさんの人に見て欲しくて、褒めて欲しくて、いっぱいいっぱい頑張ってたの。でもね、今回のCMソングは、大事な人への贈り物っていうテーマでしょ? だから、ファンのみんなとかプロデューサーさんとか、かのんの大事な人たちを思い浮かべながら歌ったんだけど……」
「結果として、なかなかOKが出なかった、と」
 薫の声にこくんと頷いて、かのんはまた視線を下げて自身のつま先をじっと見つめている。薫はそんなかのんの様子を暫く眺めーーふう、と大きく一度息を吐いた。「姫野君」と呼び掛け、通常よりもゆったりと言葉を選んでいく。
「君は、ファンやプロデューサーに、君の歌をどう思って貰いたい? 君の歌を聞いて、どうなってほしい?」
「かのんは……かのんの歌を聞いた人たちに、笑顔になってほしいな。かわいいねって思って貰いたいのもあるけど、でも、その前にみんなが笑顔じゃないとダメだよねって思うから」
「……そうか。ならば、もう答えは出ているも同然だ。相手を笑顔にするということがどういうことなのか、もう一度しっかり考えてみるといい」
 それきり再び視線を手元に戻した桜庭の隣でで、ぽふんと軽い音がなる。桜庭の左側に腰掛けたかのんは、目を閉じて腕を組みながらうんうん唸っている。
「かわいーく歌って、かわいいかのんを見せるだけじゃ足りないってことだよね……笑顔になって貰うためには、他にどうしたらいいのかなあ……」
「……心の声が全て言葉に出ているようだが」
「心の声じゃなくて、かおるくんへの相談でーす」
「…………」
 やはり子どもという生き物は度し難い、と桜庭が再び眉間を押さえたあたりで、かのんが「あ!」と高い声をあげた。
「そっか! かのんを見て貰うために歌うんじゃなくて、かのんの歌でみんなに元気なって貰えばいいんだ! 嬉しい、楽しいって気持ちを、たっくさーんプレゼントすればいいんだね!」
 すとん、と両足を地面につけて立ち上がったかのんは、くるりと桜庭に向き直った。
「かのん、分かったよ。今までは、かわいいかのんを見せればみんなが笑ってくれると思ってたけど、それだけじゃなかったんだね。かのんの歌を聞いてくれたみんなが元気になって、明日も頑張ろー!とか、毎日楽しいなー!って思って貰えるように歌わなきゃ!」
「……それが君の答えなら、すぐにブースの中で証明してくるといい。君の思う通りにやってみたらどうだ」
「はーい! ありがとう、かおるくん。かおるくんの歌声があんなにステキなのは、かおるくんがファンのみんなに元気を届けてるからなんだね」
 いってきまーす、と駆け足で去って行くかのんの背中にひどく懐かしい面影が重なったような気がして、桜庭は静かに首を振る。
「元気、か」
 かつての自分も、きっと同じだった。笑ってほしくて、褒めてほしくて――何より、元気になってほしくて。
 色褪せない記憶をそっと仕舞い込んで、桜庭はブースの中に立ったかのんの姿を一瞥する。その微かな視線に気付いたのか、かのんが振り向きざまにくいっと眼鏡を上げる仕草を見せた。
 憑き物が落ちたようなその笑顔を見て、自然と綻んだ口元を隠すように、桜庭はミネラルウォーターのボトルに口をつけた。
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