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未来について

 『例えば』から始まるセンテンスが現実において為すことが出来るのは、手元にないものへの憧憬と既に手にしているものへの安堵を浮き彫りにさせるという、その至って遠回りな思考のプロセスだけだ。
 例えば、こうしてスパイなんぞとして生きることを選んでいなかったとして。例えば、誰かを愛してしまったが故にひどくつまらないことで命を落としたとして。例えば、波多野に出会っていなかったとして。
 たらればを羅列したところで、この先己に待ち受けているとされているところの「真っ黒な孤独」とやらを退けることが出来るとも思わない。

「俺、明日からフランスだって」
「それ、言っていいのか」
「はは、そんな簡単に信じていいのかよ」

 彼と過ごす時間は、言わばモラトリアムのようなもので、それは切り取られた時間の中での逢瀬に他ならない。
 最後の夜、彼は俺に孤独を教え、俺は彼に愛を知らせる。夢を見るように生きる彼のいのちが、俺のすべてになる。

「気をつけて」

 決められた筋書きを打ち壊すのは、いつだって彼の奔放で無鉄砲な行いと、それを生み出す柔軟な思考回路だ。
 ならば、自分は彼にキスを送ろう。それが、眠りにつくその前の彼を包む御守り代わりになればいい。 そして、「彼がつくる未来にどうか自分の姿がありますように」といつも祈ろう。そのための時間を、俺は決して無駄だとは思わない。
 明日の明朝、主のいなくなってしまったベッドの中で彼の好きなあの歌を口ずさめば、それできっと悲しくはないのだ。

「なあ、田崎。全部、笑い飛ばしちまえばいいのさ」

 例えば、波多野に出会っていなかったとして。
 その問いが自分に与えるのは、彼との未来を空想の中で形作ることすら叶わない、かつての己への憐憫だけだ。
 けろりと破顔する彼の瞳がぶれることなく前を向いていられるよう、俺は波多野を真正面から抱き締める。
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