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あなたは私の鏡

 福本にとっての小田切は、鏡そのものだった。
 蝉の輪唱がこぼれてしまいそうな八月の縁側で、小田切がラムネの瓶を傾けた。彼の手首の動きに釣られ、ビー玉がガラスに跳ねる涼やかな音が弾ける。
 小田切の手の中で波打つガラス瓶が、彼の隣で涼をとる福本の姿をゆらゆらと映した。福本は、不恰好なその像をじっと見つめる。

「何を見ている?」
「お前が見ている俺の姿を」

 例えそれがいかなる姿であろうとも、小田切の瞳を通して結ばれる『福本』という人間の存在を、福本はどんな己の姿よりも一番に好いていた。

「お前はたまに、俺の理解の上をいく」

 小田切はそう小さくこぼして、再びラムネの瓶をあおった。数多の炭酸の気泡が、次々に浮かんでは消えいく。

 「それでも俺は、お前に映して見る『福本』が一番好きだ」

 福本がそう告げれば、小田切は一瞬面食らったように目を瞬かせて、夕立を連れてくる空のようにふ、と破顔した。
 それきり二人は黙り、辺りには蝉達が短いいのちに火をつける声と、ガラスとビー玉のかち合う音だけが残った。
 空になった瓶は、今もなお小田切の指に包まれている。その表面には縦に伸びた一人の男の顔が変わらずに写っていたので、福本はさらりと笑った。
 彼の鏡は、今日も健やかに磨かれている。
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