ベルティナの夜
少しだけ、右腕を持ち上げてみる。シャツの半袖から、鬱血した紫色の点々模様が見え隠れしている。自身の腕に刻まれたその傷跡を暫し見つめてから、田崎はふ、と口元を緩めた。
彼にしては珍しい、分かり易すぎる所有の印だ。田崎の白い二の腕、綿の地平からぎりぎり覗くか覗かないかの瀬戸際にくっきりと刻まれた歯型。昨晩の遊戯のさなか、自身の皮膚にぴりりと走った痛みの正体を、田崎はたった今初めて知った。
田崎の身体に獣じみた痕跡を残した超本人は、呑気に隣で煙草の火を燻らせている。彼のくちびるから吐き出される煙がゆらゆらと散らばりながら空へ空へとのぼっていくのを、波多野は黙って見つめていた。
「随分と大胆なマーキングをしてくれたね」
くすくすと笑いながら言ってやれば、波多野が「ああ、ソレね」と田崎のシャツの袖を景気良く捲り上げた。
「昨日のお前、ちょっとしつこかったからな。それくらいの仕返しは許されるだろ」
「自覚はあるよ。反省もしてる。ただちょっと、昨日はさ」
じとり、とこちらに鋭い視線を寄越してくる瞳に田崎は苦笑する。波多野のその目元をするりとひと撫ですれば、生理的な涙を溜めた昨夜の目尻がフラッシュバックした。
「……いじめたい気分だったから」
「お前のそういうとこ、本当どうかと思う」
肌をなぞった指先に、波多野の前髪をくるくると巻きつけて遊んだ。何だかんだと口では文句を言いつつも田崎の好きなようにさせている辺り、波多野は今日も今日とて優しい。
それだから、波多野は気付いていない。今日の空が白む頃、下手くそな所有の証を残したのが、波多野だけではなかったことに。
「あ、そうだ」
「今度は何だよ」
「後で誰かにうなじを見てもらいなよ。実井か三好辺りがいいかな」
田崎の唇がにんまりと弧を描いたのを見て、波多野は一気に眉間の皺を深くした。聡い彼のことだ、大方見当がついたと見える。
波多野はばっと自身の首の後ろに手をやって、襟の中を弄っている。やがて彼の指先が皮膚の上のほんの僅かな凹凸に辿り着いて、「げっ」と呻き声をあげた。
「お前さあ……」
襟首を捲りでもしない限り、その印はその存在を知らせることはない。波多野のうなじに鎮座しているのは、田崎の残した余裕のない不恰好な歯列の跡だ。
自身も全く同じことをしてしまっている手前言い返せないのだろう、波多野はぐぐぐと喉を鳴らし田崎を恨めしそうに睨みつけている。
「お前、ほんっと良い性格してるよな……」
「でもさ。波多野、俺のこういうところ、好きだろ?」
事もなげに言ってやれば、波多野は鳩が豆鉄砲を食ったように目をぱちぱちと瞬かせて、「はあああ……」と一度大きく息を吐いた。そのまま両腕に顔を埋めて、それきり何も言わなくなる。腕の隙間から覗く耳朶が、陽に透かしたみたいな色に燃えていた。
「そして、俺は波多野のそういうところが好きだよ」
だんまりを決め込む恋人の髪にくちづけを降らせて、田崎は歌うように笑った。
彼にしては珍しい、分かり易すぎる所有の印だ。田崎の白い二の腕、綿の地平からぎりぎり覗くか覗かないかの瀬戸際にくっきりと刻まれた歯型。昨晩の遊戯のさなか、自身の皮膚にぴりりと走った痛みの正体を、田崎はたった今初めて知った。
田崎の身体に獣じみた痕跡を残した超本人は、呑気に隣で煙草の火を燻らせている。彼のくちびるから吐き出される煙がゆらゆらと散らばりながら空へ空へとのぼっていくのを、波多野は黙って見つめていた。
「随分と大胆なマーキングをしてくれたね」
くすくすと笑いながら言ってやれば、波多野が「ああ、ソレね」と田崎のシャツの袖を景気良く捲り上げた。
「昨日のお前、ちょっとしつこかったからな。それくらいの仕返しは許されるだろ」
「自覚はあるよ。反省もしてる。ただちょっと、昨日はさ」
じとり、とこちらに鋭い視線を寄越してくる瞳に田崎は苦笑する。波多野のその目元をするりとひと撫ですれば、生理的な涙を溜めた昨夜の目尻がフラッシュバックした。
「……いじめたい気分だったから」
「お前のそういうとこ、本当どうかと思う」
肌をなぞった指先に、波多野の前髪をくるくると巻きつけて遊んだ。何だかんだと口では文句を言いつつも田崎の好きなようにさせている辺り、波多野は今日も今日とて優しい。
それだから、波多野は気付いていない。今日の空が白む頃、下手くそな所有の証を残したのが、波多野だけではなかったことに。
「あ、そうだ」
「今度は何だよ」
「後で誰かにうなじを見てもらいなよ。実井か三好辺りがいいかな」
田崎の唇がにんまりと弧を描いたのを見て、波多野は一気に眉間の皺を深くした。聡い彼のことだ、大方見当がついたと見える。
波多野はばっと自身の首の後ろに手をやって、襟の中を弄っている。やがて彼の指先が皮膚の上のほんの僅かな凹凸に辿り着いて、「げっ」と呻き声をあげた。
「お前さあ……」
襟首を捲りでもしない限り、その印はその存在を知らせることはない。波多野のうなじに鎮座しているのは、田崎の残した余裕のない不恰好な歯列の跡だ。
自身も全く同じことをしてしまっている手前言い返せないのだろう、波多野はぐぐぐと喉を鳴らし田崎を恨めしそうに睨みつけている。
「お前、ほんっと良い性格してるよな……」
「でもさ。波多野、俺のこういうところ、好きだろ?」
事もなげに言ってやれば、波多野は鳩が豆鉄砲を食ったように目をぱちぱちと瞬かせて、「はあああ……」と一度大きく息を吐いた。そのまま両腕に顔を埋めて、それきり何も言わなくなる。腕の隙間から覗く耳朶が、陽に透かしたみたいな色に燃えていた。
「そして、俺は波多野のそういうところが好きだよ」
だんまりを決め込む恋人の髪にくちづけを降らせて、田崎は歌うように笑った。
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