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jun

 ピ、ピ、ピピー。静かな部屋に響く無機質な機械音。汗ばむ手でペラペラと白い冊子をめくってエラーコードを確認した。思わずチッ、と舌打ちをする。
「女の子が舌打ちですかぁ〜?」
「うるさいよ」
 茶々が飛んできた方向を見向きもせずぴしゃりと言い放つと、ソファに腰掛けている彼はまた大人しくスマホのゲームを再開した。はぁ、と溜息をついて、手元にあるリモコンの電源ボタンを付けたり消したりしてみる。本体のランプが点滅するだけでまったく動かなかった。これはもう、成す術なし。お手上げだ。
「……ジュンくん。エアコン壊れちゃった」
「GODDAMN……」
 こんな真夏にエアコンが急に壊れるなんて本当についていない。業者にあとで連絡しておかないと。時期的に修理費も割増だろうし、それこそ今は繁忙期だろうからすぐに修理に来てもらえないかもしれない。
 うだうだ文句を言っていても仕方がないので、締め切っていた部屋の窓を順番に開けていく。先ほどまで静寂に包まれていた部屋が一気に耳障りな鳴き声でいっぱいになった。正直不快だったが、これも夏の風物詩だと諦めて押入れの中から扇風機を取り出す。こっちはまだ購入して日が浅いから壊れていないはずだ。コンセントを差してかちっとスイッチを押すと問題なく動いてくれた。ソファの方に風が届くように角度を調節する。
 部屋着の袖を肩まで捲って、彼の隣へ腰掛けた。さすがに扇風機一台で部屋が涼しくなるはずもなく、数十分後には二人ともだいぶグロッキーになっていた。
「あづい」
「……すねぇ」
「……ジュンくん」
「…………なんすかぁ」
「暑い、何とかしてジュンくん」
「オレに言われても……」
 あんた、たまにおひいさんみたいなこと言いますよねぇ〜? 苦虫を噛み潰したような顔で彼は言った。その発言で思い出したことがあった。
「あ! そのおひいさんから貰った高そうなアイス、一個だけ余ってるんだった」
 つい先ほどまで暑さでどろどろに溶けそうになっていたはずなのにアイスのことを思い出した途端、急に身体が軽くなった。駆け足で冷凍庫からいかにも高そうなパッケージのアイスを取り出してリビングへ戻る。ローテーブルの上にカップを置いて、床に座る。
「ジュンくんも食べる? 一個しかないから半分こだけど」
 そう言って彼の方を見上げると、彼はこくりと頷いた。市販のものより幾分か色の濃いアイスクリームをスプーンで掬い取る。さすがの高級アイス。まず、スプーンの通りがめちゃくちゃ良い。そして、見ただけで舌触りがなめらかなのが分かる。
「はい、あーん」
 ソファに片肘をついてアイスの乗ったスプーンを差し出す。彼は前屈みになって口を開けた。ぱくり。暑さにやられてずっと仏頂面をしていた彼の頬が少し緩んだ。わぁ、可愛い。「美味しい?」と聞くと「…………ッス」と小さい声が返ってきた。その姿があまりにも愛らしく、わしゃわしゃと彼のコバルトブルーの頭を目一杯撫でたらちょっと怒られた。
 至福の時間もそう長くは続かず、数分後には冷たいアイスも食べ終わり、下がった体温も再び上昇し始めていた。彼の隣に腰掛けてテレビのリモコンを無意味に弄る。惰性で流しているテレビ番組はどの局もあまり興味を惹かれないし、暑いし、なんだか眠くなってきたし、ジュンくんは相変わらずスマホでゲームしてるし、暑いし、構ってくれないし、暑いし。
 誰も見ていないテレビの電源を落とした。彼の太ももに倒れ込むようにして頭を乗せ、足をソファの外へ投げ出した。彼は一言も発さず、小さな画面から目を逸らさないままわたしを受け入れた。時折、ノールックで頭を撫でられる。わたしは特にやることもないから、筋肉質な枕の上で暫く彼の真剣な表情を見つめていた。彼の汗がツーっとこめかみから頬を伝って顎に辿り着き、間もなくそれは耐えきれず、わたしの着ているTシャツに小さなシミを作った。
 そのくらい、“この部屋”は暑かった。
 
 数分後、漸く彼がやっとこっちをちらっと見たかと思うと「もぉ〜」と呆れたような顔をして、スマホをテーブルの上に置いた。
「ジュンくん、暑い」
「こんな密着してりゃあ、そりゃ暑いでしょうよ」
「でも意外と二の腕とかひんやりしてるんだよね」
 袖の捲られている腕を差し出すと彼ははぁ、とため息を吐いてからわたしの二の腕をふにふにと触って「本当っすねー」と明らかに棒読みの台詞を吐いた。そしてその手は流れるようにうなじから後頭部へと差し込まれ、わたしの頭を支える。彼の頭が徐々に降りてきたので目を瞑ると予想通りの優しい衝撃がやって来て思わず口角が上がった。彼はいつだってわたしの求めることをしてくれるのだ。
「ジュンくんすごい! どうして分かったの?」
「あんたの考えてることなんて、手に取るように分かりますよぉ〜」
 ふふん、と誇らしげに笑った彼に「わたしもジュンくんの今考えてること分かるよ」と伝えると「へぇ」と彼のトパーズの瞳が炯々と輝いて、細められた。まだ明るい時間だけど、わたしだってエアコンが生きているあっちの部屋に行きたいのだ。
 一度身体を起こし、向かい合うようにして彼の腿の上に跨る。片腕を首元へ回し、もう片方の手を彼の頬へ添えた。触れた肌はだいぶ熱を持っているようだった。
 顔を近付けて、お互いの吐息がかかる距離で見つめ合う。「どう?」と尋ねると、彼は「正解」と満足そうな顔で呟いた後、わたしの唇に噛み付いた。
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