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 先方の都合でリスケせざるを得なくなってしまった撮影の候補日がすでに埋まっているので厳しいと伝えると嫌な顔をされた。相手は大手だから無碍にするわけにもいかず、無理矢理詰めて捻じ込めないかと今日一日、関係各所に頭を下げて回って何とかなったものの、弊社所属タレントには負担を掛けるわ、各方面からは遠回しに文句を言われるわで、内心自分のせいじゃないんですけど! と怒りを覚えつつも、ぐっと堪えて何とか退勤時刻まで乗り切った。
 ぼろぼろの身体で自宅マンションの前まで辿り着くと、部屋の電気がついていた。あれ、彼は今日来ると言っていただろうか。それとも今朝、電気を付けっぱなしにしたまま家を出てしまったのだろうか。疲労でほとんど回らなくなっている頭を必死に働かせながら玄関ドアを開けると自分のものではない革靴がきちんと揃えて置いてあった。
 「ただいま……」と今にも死にそうな声で呟くとリビングの方から騒がしくどたばたと足音が聞こえてきて、彼が玄関まで出迎えてくれた。そして、わたしの疲れ切った顔を見ると「わぁ! なんて覇気のない顔!」と両手を上げて大袈裟なリアクションを見せた。彼のふざけた態度にむっと口を尖らせると彼はにこにこしながら「おいで」と言って両手を広げた。
 わたしは靴を脱いで両手に持っていた荷物を足元に置くと、彼の脇腹に両手を差し込んでぎゅーっと抱き締めた。たちまち彼の手が背中と後頭部に回ってきた。そして、赤ちゃんをあやすみたいに背中を一定のリズムで叩かれる。彼はその手を止めないまま、わたしのひとつに結えられた髪をそっと解き、その細くて長い指で髪をゆっくりと梳かした。それがあまりにも心地良くて目を瞑る。彼は世界一わたしを甘やかすのが上手だ。
「……つかれた」
「うんうん、お疲れ様♡」
「何でそんなにテンション高いわけ……」
「きみが素直に甘えてくれてるからだね!」
 先ほどまで落ち着いていたはずなのに急に耳元でバカみたいに大きい声を出されたので「うるさい」と笑いながら彼の元を離れた。彼も一緒になって笑っていた。日和くんはどんな時も温かくて、わたしの凍てついた心をじわじわと溶かしてくれる。
 雲間から太陽が覗いて晴れ間が見えてきた。もうじきに仕事の疲れも吹き飛ぶだろう。
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