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営業の長船さんはバリキャリちゃんに恋をする

春は嫌いだ。
まずにっくき花粉が蔓延する。
薬を飲み忘れると仕事にもならないし、本当に困る。
わたしにもっとお金があれば日本中の、いや世界中のスギを切り倒しにいくのに。
それからうちの会社は春に年度末と年度始めがある。
これはもう忙しくて本当に嫌だ。
年度末はほとんど終電で帰る日々だし、4月になれば新人の教育をしながら、採用活動をする人事にも駆り出されることがある。休日返上のときもあるから本当に嫌だ。

そして何よりもお花見があるから春は嫌だ。
どうして日本の企業はこうもお花見をしたがるのか。
別にいつも通りの飲み会でいいじゃないか。
場所取りだって、食事の準備だって、愛想よくしているのだって疲れるのに。
なんだってこんな激務の中でお花見までしなくちゃいけないんだ。

「わあ!長船さんのお弁当、すっごーい!」

イライラしながらビールを呷っていると、うちの社で敷いたシートの端のほうから黄色い声が聞こえた。ちらっと見てみると事務職の女の子たちが何やらキャイキャイと盛り上がっている。

「いやあ、さすがは長船さんだよなあ。女の子みーんな持っていかれちゃうもん」
「ちょっとぉ、女の子ならここにいるじゃないですかあ」

隣に座っていた同期の男が呟くと、すかさずわたしの後輩ちゃんが声をかけた。
さすがだ。
「企画でバリバリ働くお前みたいなやつに女の子って言葉は似合わない!」なんて失礼なことを言うこの同期になぜ猫なで声を使うのかは理解できないけれど、女子としては完璧な後輩だ。

長船さん。
どうやら“女の子”たちの中心にいるのはその人らしい。
ちゃんと話したことはないけれど、噂にはよく聞いている。
営業のエースで、人間離れした綺麗な顔とホストのようなコミュ力の高さで周りを惹き込む人。
当然モテまくりで、彼女が途切れることがないとかなんとか。
まあ、なんていうか“女の子”が好きそうな男だ。
今日もこうして独り勝ちみたいだし、遊びがうまく行く男は仕事もうまく行くとかいう古臭い言葉は、案外的を射ているのかもしれない。

目の前で繰り広げられる後輩ちゃんと同期の男の攻防戦を眺めながらビールを飲んでいたら、後ろからさっきの黄色い声が聞こえた。

「企画のみなさんもお弁当どうぞー」

振り向くと、長船さんと事務の女の子が数人。
女の子たちは手にお重を持って、私たちにも料理を配ってくれている。
こういう気の使えるところがすごいよなあ、と感心しながらお重をのぞき込んで、たまげた。

「…え、これ全部手作りですか?」
「うん。僕が作ったんだ」

でろでろに甘い声で長船さんが答えた。
声までもイケメンって、もはや嫌味なくらいだ。
お重には、プロが作ったのかと思うような料理の数々。
見栄えも華やかだけれど、素人目に見ても手間がかかっていそうなものばかりだ。
例えばこの…なんだろう、おしゃれすぎて料理名は分からないけれど魚が良い感じに焼かれた何かとか。
わたしは料理を全くしないからこういうときにおいしそうな表現ができない。
とりあえずとてもおしゃれで美味しそう。

「すごいですよね!長船さん料理が趣味とは聞いてましたけど、ここまですごいなんてー!」
「ついつい凝っちゃうだけだよ」
「凝っちゃうのはいいですけど、女の子の面子つぶさないでくださいよー」

あはは、と笑いながら事務の子が言う。
テンプレート通りの会話だなあ、なんて思いながらビールをぐびりと飲んだ。
そうだそうだ。女子の面子つぶすんじゃねえぞ。
なんて思いながら事務の子と一緒になって愛想笑いをしていたら、ほろ酔いだったこともあってうっかり本音が出てしまった。

「そうですよ。伊達男なのにそこらへんの女心もわからないんですか?」

あ、やってしまった。
愛想が全くないせいで辛辣なだけになってしまった。
そう思ったときには場がシーンと静まり返っていた。
どうしたものかと思ったけれど、即座に隣で一部始終を見ていた同期の失礼な男が「そうだそうだあ!長船さんは女の子独占しすぎですよお!」と割り込んできた。
いつの間にか相当に酔っぱらっていたのか、同期の男はそのまま長船さんに絡んでいく。
長船さんがいなくなったことで、事務の子もそっとその場を離れ、その場をなんとなく収まった。
今回ばかりは同期のあいつに感謝しよう。酔っぱらいが生んだ奇跡みたいなものだけど。

よかったよかった。
口は慎もう…とひっそり反省していると、横からビールが注がれた。
顔を上げれば、後輩ちゃんが隣に座っていた。

「先輩良かったですねえ、上手く収まって」
「反省しました…」
「長船さん、目を見開いて先輩のことじっと見てましたよー…あのままだったら、まずかったですよー」
「うわあ…」
「でも先輩のおかげですごいすっきりしました。わたしも“女心がわかってなーい!”って思いましたもん」
「あはは、ほんと?」

そこから後輩ちゃんと女心について論じあっていると、お花見という名の宴会はあっという間にお開きになった。
昼間から始まっていたお花見だけれど、陽もそろそろ傾いてきている。
面倒くさい後片付けをしてからは、今日はその場で簡単に締めて解散になった。
どうせ飲み足りないメンバーの中でまた二次会が開かれるんだろうけど、さすがに今日は無駄に疲れたし帰りたい。
カバンを持ってそっと抜け出そうとしたら、後ろから声をかけられた。

「ねえ」
「は…い!?」

振り向くと立っていたのは、さっきまで散々話題にしていた長船さん。
ああ、そのコート高そうだけど品があっていやらしくないし、センスいいですね、なんて現実逃避をしてしまいそうになるけど、きっと用件はそんな無駄話ではない。

「ええと…これから、良かったら飲みに行かない?」
「………は?」

思わず失礼な聞き返し方をしてしまった。
いやいや、でもなんで?

「ああ、ごめん、急に言われても困るよね。僕は営業の長船光忠。さっき少しだけ話したんだけど、覚えているかな?」

ええ、そりゃもう。
しっかりと覚えております。

「えっと…はい、覚えてます。あの…先ほどは、失礼なことを言ってしまって申し訳ありませんでした」
「失礼?…いいや、そんなことないよ。むしろ僕は嬉しかったんだ」
「…は?」

また失礼な聞き返し方をしてしまった。
流石によくない。
ぽかんと目の前のイケメンを見ていると、彼は照れくさそうに微笑んだ。

「…あんな風に僕に接してくれた人はきみが初めてなんだ。だから…その、きみともう少し話したくて」
「……えっ。はあ…?え?」

どうしよう、目の前のイケメンが何を言っているのかわからない。
わたしそんなに酔っぱらってるのか?
っていうかこの人、おかしくない?
明らかにズレてるよね?
普通だったらわたしに嫌われていると受け取って近寄らないとか失礼だって怒るとかそういうところじゃないの?

頭に見えないクエスチョンマークを浮かべて呆然としていると、わたしの両手がぎゅっと何かに包まれた。
視線を落とすと、黒い革のグローブ(英国紳士にでもなったつもりか)を身に着けた長船さんの大きな手がわたしの両手を握り締めている。

「は!?」

慌てて腕を揺らして手を振り払おうとしても、長船さんの手はびくともしない。
それどころかさっきよりも強く握られた。
こ、こわいんですけど…!

「ね、だめ…かな?」

胸やけがしそうな甘い声で囁かれる。
な、なんなのこの人。
イケメン過ぎて怖い。
行動が予想できな過ぎて怖い。

「し……」
「し?」
「し、仕事あるんでっ!!!」

仕事はない。
いやあるけどこんな飲み会後に取り掛からなきゃいけないほどの急ぎの仕事はない。
無理です、とでも言えばよかったのかもしれないけど、咄嗟に出てきた断り方がこれしかなかった。
わたしの叫び声に一瞬びっくりした長船さんの隙をついて、一気にダッシュで走り去る。
背後から「待って!」と叫ぶ長船さんの声が聞こえるけど、待ってと言われて待つやつなんているか。
幸い追いかけてはこなかったので、公園を出て最寄り駅に近づいたあたりで走るのを止めた。

「はあ…っはあ…!」

公道でぜえぜえ言っている酒臭い女のそばを、通行人の皆さまがドン引きの顔をして通り過ぎていく。
すいません、善良な市民の皆さん。
でもわたし、とても怖かったんです。
イケメンに意味不明な行動をされてとっても怖かったんです。

久しぶりに全力で走ったせいか足ががくがくしている。
ヒールを履いたつま先が痛い。
両ひざに手を置いて中腰の体制で息を整えて、漸く顔を上げた。
と、同時にわたしを遠目に見ていた通行人の皆さんが気まずそうに目を逸らしていくのが見える。
ああ…違うんです…決して飲み過ぎたとかじゃないし、皆さんに絡むなんてこともしませんから……

トボトボと歩き出すと、春特有の柔らかくてぬるい風が吹いた。
風の音とともに、目の前に広がる桜吹雪。

「春は…春は嫌いだ……」

花粉が蔓延するし仕事は忙しいしお花見は面倒くさい。
そして何故かイケメンに甘い声で囁かれる。

背中を丸めて疲れた顔で歩くわたしとは対照的に、桜の花びらたちは陽気に舞っていた。
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