後悔しても前を向いて。
……どれくらいそうしていただろう。
ぼう…っと何か過去の記憶でも懐かし見るようなガイストの様子がなんだか声をかけ辛くて、しばらくの間診察室に静寂が訪れる。そんな時間が何分たったのか、ふっと自分を見つめる視線に気が付いた彼が少し気恥ずかしそうに笑みを零すとゆっくりと立ち上がった
「……ごめん、ちょっと話がずれちゃったね。ちょっと長くなるし気分転換にコーヒーでも入れようか。」
普段あまり来ないからよく知らなかったけどこの診察室には奥の方に簡易キッチンが併設されているらしい。
『病人が寝る事もあるし、何かあった時に薬を飲ませたり食事をとらせる必要がある時便利なんだ。流石に上の食堂までいちいちとりに行くわけにもいかないから。』と説明してくれた。
小窓から入る風から香る緑と消毒液の匂いだった部屋に、数分もするとコーヒーの香ばしくいい香りが漂ってくる。
奥の方から顔だけ出して『お砂糖はいくついるかい?』と聞いてくる彼に思い思いの数字を伝えるべく一斉に口を開いた。
「お砂糖はどうする?いくついるかい?」
「私は三個!」
「俺はお砂糖なしで。」
「俺は一個で。」
「じゃあ僕は五個…と。」
なんだろう。今凄い数を聞いた気がする。
ぽつりと呟くように漏らした彼の声は思ったよりもしっかりと届いてきて、それを聞いたジュンがぐっと眉をひそめる。
医者志望で医学を学んでいる身としてはその異常な糖分接種は見過ごせないのだろう。
…というかその小さなコーヒーカップに左藤五個なんて入れたらコーヒー注げないんじゃないのか…と思ってしまう。
「……いくら天使だからって、糖分取りすぎたら糖尿病になるぞ?」
「…っな、ならないよ!!ていうか僕そんなに砂糖取ってないし!」
「現在進行形で過剰摂取になりそうだと思うんだけど。」
「……。」
「とにかく気を付けなよ。」
「……3個にしとこう。」
トレーに乗せてきたコーヒーと砂糖をそれぞれの前の机に置いていく。
先程の言葉で踏みとどまったのかガイスト先生のソーサーには角砂糖が三つ乗せられていた。
「…さてと、本題に戻ろうか。」
「はい。」
「それじゃぁ…『天使と悪魔の戦争』の話を少し説明させてもらうね。」
「天使と悪魔の戦争…、」
なんだか大きな話になってきた。
そんな歴史本が出るほどの過去話が一体今の俺らの話に関係があるのだろうかと訝しんでいると自分の淹れたコーヒーを一口飲んだガイストはゆっくりと口を開いた。
「僕たち天使はそれぞれ役割をもって生まれてくるんだ。例えば僕『ガイスト』は癒す為。ハウルは裁く為。ガブリエルは守る為、そしてミカエルは導く為…とかね。」
俺達にも分かりやすいように説明に合わせて彼の指が一つ一つと立てられていく。
天使というのは各自が役割を持っている事くらいは知っている。
全員の名前と役割を一致させながら聞いていると五本目の指を立てる瞬間一瞬だけが声が硬くなったような気がした。
「そしてその中にはサタン……いや、『ルシフェル』という天使もいた。」
天使というのはそれぞれの役割を全うするのが当たり前であり使命だと思ってる。そこに疑問も不満も感じた事はなかった。1人で全てこなせと言われたらそりゃあ不満もあったかもしれないけれど僕たちは全員で一つだ。同じような仲間もいたし僕は自分の使命に誇りも持っていたからね、不満なんて考えた事もなかった。
でもそこに唯一不満を持つ奴が一人だけいた。それが『ルシフェル』だった。
僕たちは自分の役割を果たす為に動いていたけどルシフェルだけは違った。
ルシフェルは誰よりも美しく、誰よりも頭が良くて、愛される為にいた。
…でもルシフェルは頭がよかったからかな。
こんな全てが決まった未来、『ただの世界』というシナリオに嫌気がさしたのか、彼を慕う天使と共にこの世界を変えようとしたんだよ。
「…この世界を変えようとした?」
「うん、そうさ。頭がいい分いろんな事に気が付いて色んな事に悩んだのかもしれない。それも今となっては憶測でしかないけれど、少なくともあの時彼が反旗を翻す瞬間までは僕たちは『この役割をもつ世界』についてなんの疑問も持っていなかった。」
「その…ルシフェルはどうしたの?」
「彼は自分を知る天使たちと共に立ち上がった。ルシフェルのカリスマ性は僕らが思っていたよりもずっと強くて、僕たちに従っていた天使の半分近く持っていかれた。
そしてその中に『サマエル』って天使がいたんだけど、何を血走ったのか近くにいたガブリエルを背後から攻撃して殺した。」
「…っ!」
「ガブリエルは『守る為』に動いていたけど、自分を守る事や疑う事を知らなかったからね……。」
そこまで話すと時間が経って温くなったコーヒーを一口含みふっと息を吐いた。
話してくれたのはガイスト先生からとはいえ、自分と元仲間の殺し合いの話なんて言っていて気分のいいものではないだろう。大丈夫なのかと様子を伺うが、その視線に気が付いたらしくうっすらと笑みを浮かべて頷いた。
「…続きを話そうか。サマエルはガブリエルを殺した後、ついでにと反撃する力もない丸腰の僕を狙ってきた。咄嗟にハウルが守ってくれたおかげで死にはしなかったんだけど、詰めが甘くてね。サマエルの攻撃は躱せたけど結局逃がしてしまったんだ。」
先程話にも上げたね、『死の呪い』について。
普通なら一度でもその呪いに縛られてしまうと、精神が耐えきれず壊れてしまう。けどそれをサマエルは逆に喜んで受け入れ次々と器を変えてルシフェルをサポートした。
ルシフェルはミカエルが命も、熾天使という立場も捨てて封印したんだけど……。
彼の…『サタン』のカリスマ性は異常でね、ルシフェル側についていった天使達は死の呪いという狂気に狂って……正直あれはトラウマ並みの地獄絵図だったよ。
結局はのちに共和国のオオ様となる『アムール』がほとんど堕天した天使達を殺すことで話は終わるんだけど…。
サマエルはさっきも話したように器の入れ替えを繰り返すことでアムールの手からも逃してしまった。
「…なるほど。で、その『サマエル』が王国の裏に居た…という訳か。」
「そういうことさ。…全く本当に困った子だ。何時までサタンに縛られているのやら。」
「…………ガイスト先生。今のサマエルは誰になっているか分かるのか?」
何度も何度も器を入れ替え生き延びてる元天使。
もしまだいるとするなら何か情報がないのかと問いかけると案外あっさりとガイスト先生は「それなら知ってるよ。」と返してきた。
「今の彼は『パトリオット』。異国から来た神父だと言ってるみたいだ。」
「異国の神父?」
「うん。そのパトリオット君の前の器だった魂から聞いたんだけど。」
「聞いた……っ!?」
聞いたって…待ってくれ。聞いたってなんだ?
その『サマエル』ってやつが王国の裏に居た。そんな奴がいるという事を器の前の魂から聞いていたという事は…ガイスト先生はそいつが王国の裏に潜り込んでいることを知っていたってことで。
つまり……。
「…っ、じゃあ貴方はその神父の正体を知っていながら知らないフリをしていたんですか!??」
感情を抑えきれず勢いのままに立ち上がると、その勢いのまま机にぶつかってしまう。半分程残っていたコーヒーが倒れたカップから零れ落ちていく。
俺のガイスト先生もその様子を気にも留めないままお互いじっと見つめ合う。
「…そうだよ。僕もフリウ君も知っていて放置していた。下手に関わると僕たちも巻き込まれていたからね。流石にハウルやトラリス君には言ってなかったけど。」
「そんな……っ、」
「僕に文句を言うのも恨むのも好きにしていい。でもフリウ君の事は責めないであげて。彼も君たちを守るために必死なんだよ。危険に晒さないように色々手を尽くしたり調べたりして彼なりに守ろうと頑張ってる。」
…確かに俺がフリウさんの立場ならこの状況でどうすべきかきっと悩むだろう。
だからこの二人を責めるのはお門違いだ。
分かってる…分かってるけど……っ
俺は感情のままに話してしまったことを謝罪すると勢いよく立ち上がったせいで後ろにずれていた椅子へと座り直す。その横でユリエは零れたコーヒーを拭いてくれていた。
ぼう…っと何か過去の記憶でも懐かし見るようなガイストの様子がなんだか声をかけ辛くて、しばらくの間診察室に静寂が訪れる。そんな時間が何分たったのか、ふっと自分を見つめる視線に気が付いた彼が少し気恥ずかしそうに笑みを零すとゆっくりと立ち上がった
「……ごめん、ちょっと話がずれちゃったね。ちょっと長くなるし気分転換にコーヒーでも入れようか。」
普段あまり来ないからよく知らなかったけどこの診察室には奥の方に簡易キッチンが併設されているらしい。
『病人が寝る事もあるし、何かあった時に薬を飲ませたり食事をとらせる必要がある時便利なんだ。流石に上の食堂までいちいちとりに行くわけにもいかないから。』と説明してくれた。
小窓から入る風から香る緑と消毒液の匂いだった部屋に、数分もするとコーヒーの香ばしくいい香りが漂ってくる。
奥の方から顔だけ出して『お砂糖はいくついるかい?』と聞いてくる彼に思い思いの数字を伝えるべく一斉に口を開いた。
「お砂糖はどうする?いくついるかい?」
「私は三個!」
「俺はお砂糖なしで。」
「俺は一個で。」
「じゃあ僕は五個…と。」
なんだろう。今凄い数を聞いた気がする。
ぽつりと呟くように漏らした彼の声は思ったよりもしっかりと届いてきて、それを聞いたジュンがぐっと眉をひそめる。
医者志望で医学を学んでいる身としてはその異常な糖分接種は見過ごせないのだろう。
…というかその小さなコーヒーカップに左藤五個なんて入れたらコーヒー注げないんじゃないのか…と思ってしまう。
「……いくら天使だからって、糖分取りすぎたら糖尿病になるぞ?」
「…っな、ならないよ!!ていうか僕そんなに砂糖取ってないし!」
「現在進行形で過剰摂取になりそうだと思うんだけど。」
「……。」
「とにかく気を付けなよ。」
「……3個にしとこう。」
トレーに乗せてきたコーヒーと砂糖をそれぞれの前の机に置いていく。
先程の言葉で踏みとどまったのかガイスト先生のソーサーには角砂糖が三つ乗せられていた。
「…さてと、本題に戻ろうか。」
「はい。」
「それじゃぁ…『天使と悪魔の戦争』の話を少し説明させてもらうね。」
「天使と悪魔の戦争…、」
なんだか大きな話になってきた。
そんな歴史本が出るほどの過去話が一体今の俺らの話に関係があるのだろうかと訝しんでいると自分の淹れたコーヒーを一口飲んだガイストはゆっくりと口を開いた。
「僕たち天使はそれぞれ役割をもって生まれてくるんだ。例えば僕『ガイスト』は癒す為。ハウルは裁く為。ガブリエルは守る為、そしてミカエルは導く為…とかね。」
俺達にも分かりやすいように説明に合わせて彼の指が一つ一つと立てられていく。
天使というのは各自が役割を持っている事くらいは知っている。
全員の名前と役割を一致させながら聞いていると五本目の指を立てる瞬間一瞬だけが声が硬くなったような気がした。
「そしてその中にはサタン……いや、『ルシフェル』という天使もいた。」
天使というのはそれぞれの役割を全うするのが当たり前であり使命だと思ってる。そこに疑問も不満も感じた事はなかった。1人で全てこなせと言われたらそりゃあ不満もあったかもしれないけれど僕たちは全員で一つだ。同じような仲間もいたし僕は自分の使命に誇りも持っていたからね、不満なんて考えた事もなかった。
でもそこに唯一不満を持つ奴が一人だけいた。それが『ルシフェル』だった。
僕たちは自分の役割を果たす為に動いていたけどルシフェルだけは違った。
ルシフェルは誰よりも美しく、誰よりも頭が良くて、愛される為にいた。
…でもルシフェルは頭がよかったからかな。
こんな全てが決まった未来、『ただの世界』というシナリオに嫌気がさしたのか、彼を慕う天使と共にこの世界を変えようとしたんだよ。
「…この世界を変えようとした?」
「うん、そうさ。頭がいい分いろんな事に気が付いて色んな事に悩んだのかもしれない。それも今となっては憶測でしかないけれど、少なくともあの時彼が反旗を翻す瞬間までは僕たちは『この役割をもつ世界』についてなんの疑問も持っていなかった。」
「その…ルシフェルはどうしたの?」
「彼は自分を知る天使たちと共に立ち上がった。ルシフェルのカリスマ性は僕らが思っていたよりもずっと強くて、僕たちに従っていた天使の半分近く持っていかれた。
そしてその中に『サマエル』って天使がいたんだけど、何を血走ったのか近くにいたガブリエルを背後から攻撃して殺した。」
「…っ!」
「ガブリエルは『守る為』に動いていたけど、自分を守る事や疑う事を知らなかったからね……。」
そこまで話すと時間が経って温くなったコーヒーを一口含みふっと息を吐いた。
話してくれたのはガイスト先生からとはいえ、自分と元仲間の殺し合いの話なんて言っていて気分のいいものではないだろう。大丈夫なのかと様子を伺うが、その視線に気が付いたらしくうっすらと笑みを浮かべて頷いた。
「…続きを話そうか。サマエルはガブリエルを殺した後、ついでにと反撃する力もない丸腰の僕を狙ってきた。咄嗟にハウルが守ってくれたおかげで死にはしなかったんだけど、詰めが甘くてね。サマエルの攻撃は躱せたけど結局逃がしてしまったんだ。」
先程話にも上げたね、『死の呪い』について。
普通なら一度でもその呪いに縛られてしまうと、精神が耐えきれず壊れてしまう。けどそれをサマエルは逆に喜んで受け入れ次々と器を変えてルシフェルをサポートした。
ルシフェルはミカエルが命も、熾天使という立場も捨てて封印したんだけど……。
彼の…『サタン』のカリスマ性は異常でね、ルシフェル側についていった天使達は死の呪いという狂気に狂って……正直あれはトラウマ並みの地獄絵図だったよ。
結局はのちに共和国のオオ様となる『アムール』がほとんど堕天した天使達を殺すことで話は終わるんだけど…。
サマエルはさっきも話したように器の入れ替えを繰り返すことでアムールの手からも逃してしまった。
「…なるほど。で、その『サマエル』が王国の裏に居た…という訳か。」
「そういうことさ。…全く本当に困った子だ。何時までサタンに縛られているのやら。」
「…………ガイスト先生。今のサマエルは誰になっているか分かるのか?」
何度も何度も器を入れ替え生き延びてる元天使。
もしまだいるとするなら何か情報がないのかと問いかけると案外あっさりとガイスト先生は「それなら知ってるよ。」と返してきた。
「今の彼は『パトリオット』。異国から来た神父だと言ってるみたいだ。」
「異国の神父?」
「うん。そのパトリオット君の前の器だった魂から聞いたんだけど。」
「聞いた……っ!?」
聞いたって…待ってくれ。聞いたってなんだ?
その『サマエル』ってやつが王国の裏に居た。そんな奴がいるという事を器の前の魂から聞いていたという事は…ガイスト先生はそいつが王国の裏に潜り込んでいることを知っていたってことで。
つまり……。
「…っ、じゃあ貴方はその神父の正体を知っていながら知らないフリをしていたんですか!??」
感情を抑えきれず勢いのままに立ち上がると、その勢いのまま机にぶつかってしまう。半分程残っていたコーヒーが倒れたカップから零れ落ちていく。
俺のガイスト先生もその様子を気にも留めないままお互いじっと見つめ合う。
「…そうだよ。僕もフリウ君も知っていて放置していた。下手に関わると僕たちも巻き込まれていたからね。流石にハウルやトラリス君には言ってなかったけど。」
「そんな……っ、」
「僕に文句を言うのも恨むのも好きにしていい。でもフリウ君の事は責めないであげて。彼も君たちを守るために必死なんだよ。危険に晒さないように色々手を尽くしたり調べたりして彼なりに守ろうと頑張ってる。」
…確かに俺がフリウさんの立場ならこの状況でどうすべきかきっと悩むだろう。
だからこの二人を責めるのはお門違いだ。
分かってる…分かってるけど……っ
俺は感情のままに話してしまったことを謝罪すると勢いよく立ち上がったせいで後ろにずれていた椅子へと座り直す。その横でユリエは零れたコーヒーを拭いてくれていた。