恋はくせもの
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進軍あるのみ。
それは戦のない、束の間の麗らかな昼下がり。
軍議らしい軍議はなく、それでも体を鈍らせてはいけないと鍛錬は続いているものの、曹魏の城内は長閑な空気に満ちている。
廊下を行き交う武将たちの表情も、心なしか柔らかい。
その廊下を軽い足取りで行く一人の女性が、前方に見えた李典の姿に声を上げた。
「李典様!」
立ち止まって振り向けば、愛らしい女性がこちらに駆け寄って来るのが見える。
将の一人、シンだ。
小柄ながらもその腕前は確かで、数多の戦場を共に駆け抜けた戦友。
同時に、李典が少なからずの好意を寄せる相手でもあった。
戦場では武具に身を包む彼女だが、そうでない今、ふわりと揺れた下裾に李典は胸を高鳴らせる。
まるで恋人を見付けて嬉しそうに駆け寄って来るような姿、そんな勘違いをしてしまいそうだった。
李典は上がる心拍数を抑え、遣って来た彼女に笑顔を見せる。
「シン、どうしたんだ?」
シンは珍しく、恥ずかしそうに体を揺らすと、李典に両手で木簡を差し出した。
「あの・・・これ、受け取って貰えませんか?」
「うん?何だ、これ」
日頃から目にする代わり映えのない木簡、しかし何故か今回は可愛らしく紐が巻かれている。
軍務でない事は一目瞭然。
受け取ったまま、木簡を矯めつ眇めつする李典に、シンがもじもじとして言った。
「李典様には色々とお世話になってるから。その・・・日頃のお礼にと思って、食事に・・・」
「食事?」
「はい。料理には少し自信があるので、良かったら・・・ちょっと急なんですけど、三日後に」
彼女はそう言って、李典を上目遣いに見上げる。
「来て・・・くれますか?」
その仕草に、李典は胸を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
可愛い。
いつも可愛いけど、上目遣いとか卑怯過ぎる。
しかも、料理に自信あるって、来てくれますかって、つまりシンの家でシンが手料理を振る舞うって事だよな。
そんなの、俺の身が保たない。
「都合、悪いですか?」
と、不安そうな彼女の声に李典は我に返り、慌てて言った。
「いや、全然!って言うか、何があっても絶対行くぜ、俺!」
それを聞いたシンの表情が、ぱあっと晴れる。
「良かった!」
その笑顔もまた、李典には致死量に等しく、彼は言葉を詰まらせた。
「じゃあ、三日後。お待ちしてますね!」
満面の笑顔で行ってしまうシンの後ろ姿に、李典は持ち前の勘を働かせていたが、素知らぬ振りをする。
シンが誘ってくれたんだ。
嫌な予感とか、ありえないだろ。
三日後、李典はシンの自宅の前に居た。
手には小さな包みを、懐には城下で求めた秘密の薬を忍ばせていた。
怪しい薬ではない、ちょっと蕩けちゃったり、気持ち良くなっちゃたりする程度のものだ。
彼女とは未だそう言う関係ではないが、良い雰囲気にならないとも限らない。
と言うか、なりたい。
健全な男なら、想像しても致し方ないと、いっそ開き直ってすらいた。
李典は包みを持ち直すと、いざ、と気合いを入れる。
しかし、その気合いは直ぐに呆気なく砕かれた。
「李典様、お待ちしてました」
と、出迎えてくれたのは良い。
「今日はありがとな。これ、シンに」
「わあ!嬉しい!」
渡した手土産に顔を輝かせるシンも最高に可愛かった。
しかし、
「皆さん、お揃いですよ」
「うん?」
彼女のその言葉に、李典は違和感を覚える。
皆さん・・・皆さんって何だ。
聞きたくないが、聞かない訳にはいかない。
「あー・・・シン。俺の他にも誰か呼んでんのか?」
シンはきょとんとした後、にっこりと言った。
「はい。日頃、お世話になってる皆さんをお招きしました」
眩しい位の笑顔、李典は内心でがっくりと肩を落とす。
「そっか・・・」
二人きりじゃなかったのか、と残念には思うが、シンのそう言う所も好きだ。
それに、今は二人きりでなくても未だ昼間、夜まで粘れば、もしかしたらと淡い期待を胸に抱く。
李典は軽く息を吐くと、案内する彼女に連れられて、先客が待つ部屋へと入った。
その瞬間、錚々たる顔ぶれが李典の目に映る。
楽進に張遼、徐晃や曹仁、曹休ら武将たちを始め、荀彧、荀攸と言った軍師たちまでもが一つの卓を囲んでいた。
「これはまた・・・随分な顔ぶれで」
「夏侯惇様と于禁様と満寵様と龐徳様もいらしてますよ」
李典は、
「あ、そう」
と、しか言えなかった。
魏軍の殆どが参加って、どんだけ暇なんだよ。
まるで軍議でも始まりそうだ。
「一応、皆さんに声を掛けたんですけど、曹操様は出掛けるご用事があるとかで。曹丕様と甄姫様もご一緒に。許褚様と典韋様はその護衛でしょ。夏侯淵様は御子息とお約束されてたって。蔡文姫様は詩を編纂するって仰ってて、王異様は復讐にお忙しいんですって。賈詡様は普通に都合が悪かったみたい。張郃様は舞踏愛好会?みたいなのに参加されるみたいで、郭嘉様は二日酔いのご予定があるんですって」
「二日酔いに予定があるのかよ!」
「ねぇ?変ですよねぇ」
くすくすと笑いながら言うシンに、特に気にした様子はなく、彼女は李典に空いている席を勧めた。
李典は素直に腰を下ろしかけ、不意に思い付いたように言う。
「シン、何か手伝おうか?」
これだけの人数分を、招待した方とは言え、一人で用意するのは大変だろう、と言うのは建前。
本心は、単純に格好をつけたかった。
好きな相手の前で、少しくらい頼りになる所を見せたい、それくらいは男として当然だろう。
しかし、それはここに遣って来た他の男たちも同じ、李典の質問に返したのは張遼だった。
「既に夏侯惇殿たちが手伝いに居られる。貴殿の出る幕はない」
「何っ・・・で、お前が答えるんだよ!」
「落ち着いて下さい、李典殿!」
と、楽進が止めに入ろうとするが、李典と張遼は犬猿の仲。
それを止められるのは唯一、シンだけだろうが、そうとも知らず、彼女は李典の袖をそっと引いて言う。
「李典様、ありがとうございます。優しいんですね」
それだけで、彼の噴火は半分程にまで落ち着き、
「私、李典様のそう言う所、素敵だと思います」
笑顔付きの、その言葉に李典は完全に鎮火した。
「一生懸命作りますから、待ってて下さいね」
止めの一言、彼女は無自覚に、そう言ってはここに居並ぶ男たちを大人しくさせていたのだった。
席が落ち着いた所で、シンは厨房に戻ろうと歩き出したが、何かを思い出したように李典を振り返った。
懐を探り、彼の手に薬包を乗せる。
「李典様にもこれ、お渡ししますね」
「何だ、これ?」
「賈詡様から皆さんにって。食べ過ぎに効くお薬ですって」
「あ、そう」
この時も、李典の勘は確かに働いていた。
それは食べ過ぎに効く薬ではない、とまでは分からなかったが。
それは戦のない、束の間の麗らかな昼下がり。
軍議らしい軍議はなく、それでも体を鈍らせてはいけないと鍛錬は続いているものの、曹魏の城内は長閑な空気に満ちている。
廊下を行き交う武将たちの表情も、心なしか柔らかい。
その廊下を軽い足取りで行く一人の女性が、前方に見えた李典の姿に声を上げた。
「李典様!」
立ち止まって振り向けば、愛らしい女性がこちらに駆け寄って来るのが見える。
将の一人、シンだ。
小柄ながらもその腕前は確かで、数多の戦場を共に駆け抜けた戦友。
同時に、李典が少なからずの好意を寄せる相手でもあった。
戦場では武具に身を包む彼女だが、そうでない今、ふわりと揺れた下裾に李典は胸を高鳴らせる。
まるで恋人を見付けて嬉しそうに駆け寄って来るような姿、そんな勘違いをしてしまいそうだった。
李典は上がる心拍数を抑え、遣って来た彼女に笑顔を見せる。
「シン、どうしたんだ?」
シンは珍しく、恥ずかしそうに体を揺らすと、李典に両手で木簡を差し出した。
「あの・・・これ、受け取って貰えませんか?」
「うん?何だ、これ」
日頃から目にする代わり映えのない木簡、しかし何故か今回は可愛らしく紐が巻かれている。
軍務でない事は一目瞭然。
受け取ったまま、木簡を矯めつ眇めつする李典に、シンがもじもじとして言った。
「李典様には色々とお世話になってるから。その・・・日頃のお礼にと思って、食事に・・・」
「食事?」
「はい。料理には少し自信があるので、良かったら・・・ちょっと急なんですけど、三日後に」
彼女はそう言って、李典を上目遣いに見上げる。
「来て・・・くれますか?」
その仕草に、李典は胸を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
可愛い。
いつも可愛いけど、上目遣いとか卑怯過ぎる。
しかも、料理に自信あるって、来てくれますかって、つまりシンの家でシンが手料理を振る舞うって事だよな。
そんなの、俺の身が保たない。
「都合、悪いですか?」
と、不安そうな彼女の声に李典は我に返り、慌てて言った。
「いや、全然!って言うか、何があっても絶対行くぜ、俺!」
それを聞いたシンの表情が、ぱあっと晴れる。
「良かった!」
その笑顔もまた、李典には致死量に等しく、彼は言葉を詰まらせた。
「じゃあ、三日後。お待ちしてますね!」
満面の笑顔で行ってしまうシンの後ろ姿に、李典は持ち前の勘を働かせていたが、素知らぬ振りをする。
シンが誘ってくれたんだ。
嫌な予感とか、ありえないだろ。
三日後、李典はシンの自宅の前に居た。
手には小さな包みを、懐には城下で求めた秘密の薬を忍ばせていた。
怪しい薬ではない、ちょっと蕩けちゃったり、気持ち良くなっちゃたりする程度のものだ。
彼女とは未だそう言う関係ではないが、良い雰囲気にならないとも限らない。
と言うか、なりたい。
健全な男なら、想像しても致し方ないと、いっそ開き直ってすらいた。
李典は包みを持ち直すと、いざ、と気合いを入れる。
しかし、その気合いは直ぐに呆気なく砕かれた。
「李典様、お待ちしてました」
と、出迎えてくれたのは良い。
「今日はありがとな。これ、シンに」
「わあ!嬉しい!」
渡した手土産に顔を輝かせるシンも最高に可愛かった。
しかし、
「皆さん、お揃いですよ」
「うん?」
彼女のその言葉に、李典は違和感を覚える。
皆さん・・・皆さんって何だ。
聞きたくないが、聞かない訳にはいかない。
「あー・・・シン。俺の他にも誰か呼んでんのか?」
シンはきょとんとした後、にっこりと言った。
「はい。日頃、お世話になってる皆さんをお招きしました」
眩しい位の笑顔、李典は内心でがっくりと肩を落とす。
「そっか・・・」
二人きりじゃなかったのか、と残念には思うが、シンのそう言う所も好きだ。
それに、今は二人きりでなくても未だ昼間、夜まで粘れば、もしかしたらと淡い期待を胸に抱く。
李典は軽く息を吐くと、案内する彼女に連れられて、先客が待つ部屋へと入った。
その瞬間、錚々たる顔ぶれが李典の目に映る。
楽進に張遼、徐晃や曹仁、曹休ら武将たちを始め、荀彧、荀攸と言った軍師たちまでもが一つの卓を囲んでいた。
「これはまた・・・随分な顔ぶれで」
「夏侯惇様と于禁様と満寵様と龐徳様もいらしてますよ」
李典は、
「あ、そう」
と、しか言えなかった。
魏軍の殆どが参加って、どんだけ暇なんだよ。
まるで軍議でも始まりそうだ。
「一応、皆さんに声を掛けたんですけど、曹操様は出掛けるご用事があるとかで。曹丕様と甄姫様もご一緒に。許褚様と典韋様はその護衛でしょ。夏侯淵様は御子息とお約束されてたって。蔡文姫様は詩を編纂するって仰ってて、王異様は復讐にお忙しいんですって。賈詡様は普通に都合が悪かったみたい。張郃様は舞踏愛好会?みたいなのに参加されるみたいで、郭嘉様は二日酔いのご予定があるんですって」
「二日酔いに予定があるのかよ!」
「ねぇ?変ですよねぇ」
くすくすと笑いながら言うシンに、特に気にした様子はなく、彼女は李典に空いている席を勧めた。
李典は素直に腰を下ろしかけ、不意に思い付いたように言う。
「シン、何か手伝おうか?」
これだけの人数分を、招待した方とは言え、一人で用意するのは大変だろう、と言うのは建前。
本心は、単純に格好をつけたかった。
好きな相手の前で、少しくらい頼りになる所を見せたい、それくらいは男として当然だろう。
しかし、それはここに遣って来た他の男たちも同じ、李典の質問に返したのは張遼だった。
「既に夏侯惇殿たちが手伝いに居られる。貴殿の出る幕はない」
「何っ・・・で、お前が答えるんだよ!」
「落ち着いて下さい、李典殿!」
と、楽進が止めに入ろうとするが、李典と張遼は犬猿の仲。
それを止められるのは唯一、シンだけだろうが、そうとも知らず、彼女は李典の袖をそっと引いて言う。
「李典様、ありがとうございます。優しいんですね」
それだけで、彼の噴火は半分程にまで落ち着き、
「私、李典様のそう言う所、素敵だと思います」
笑顔付きの、その言葉に李典は完全に鎮火した。
「一生懸命作りますから、待ってて下さいね」
止めの一言、彼女は無自覚に、そう言ってはここに居並ぶ男たちを大人しくさせていたのだった。
席が落ち着いた所で、シンは厨房に戻ろうと歩き出したが、何かを思い出したように李典を振り返った。
懐を探り、彼の手に薬包を乗せる。
「李典様にもこれ、お渡ししますね」
「何だ、これ?」
「賈詡様から皆さんにって。食べ過ぎに効くお薬ですって」
「あ、そう」
この時も、李典の勘は確かに働いていた。
それは食べ過ぎに効く薬ではない、とまでは分からなかったが。
