過ぎた時間
貴女のお名前
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店を出た後、昼餉を済ませた二人は、日の高い内に早くも帰路に着いた。
来た道のりを遡る、その途中で名無しさんは掴んでいた程普の袖をそっと引く。
「あの、程普様・・・」
振り向き、視線だけでどうしたと尋ねて来る彼に、彼女は続けて言った。
「少し、寄り道をしても宜しいでしょうか?」
遠慮がちな物言いだが、自分から何処かに寄りたいと言い出すとは、幾分か外に慣れたからか。
「構わん、何処に行きたいのだ」
と、程普は頷いて名無しさんに先を促す。
「この先に姫様の好きな焼き菓子を売っているお店があるので・・・そちらに寄りたいのです」
「そうか。ならば寄るとしよう」
彼女が示す方角に暫く進むと、菓子屋の暖簾を下げた小ぢんまりとした店が見えて来た。
「姫様のお使いで、時々来るんです」
名無しさんはそう言って店に入り、早速、棚に並んだ焼き菓子に視線を走らせる。
姫様のお好きなお菓子はあるかしら。
甘いお菓子は女子供の喜ぶ所、目を輝かせて一つ一つ吟味して選ぶ彼女の隣で、程普が口を開いた。
「ふむ、姫様から頂く菓子はこの店のものだったか」
それを聞いて、名無しさんが不思議そうに首を傾げる。
孫尚香が程普に菓子を渡している場面など見た事がない。
「姫様から、ですか?」
「うむ、時々、稽古を付けた礼にと頂く」
そう言う事かと、納得する一方で意外にも思い、名無しさんはぱちぱちと目を瞬かせた。
「・・・程普様も甘いものを召し上がるんですね」
「お主は我輩を何だと思っておるのだ」
程普は呆れたように苦笑する。
「い、いえ・・・そう言う意味では・・・」
慌てたように否定する名無しさんに、程普は小さく息を吐いた。
「甘いものくらいは食う。姫様から頂いた菓子も、ありがたく頂戴しておるぞ」
「そうだったのですね」
思いがけない事を知り、名無しさんの表情が少し明るくなる。
「では、程普様もこちらのお菓子をお好きなのですか?」
「うむ。特に胡桃が入っているのは歯触りも良く、好む所だ」
そう答えた程普に、名無しさんは微笑んだ。
程普様の好みが知れて嬉しい。
名無しさんは買うものを決めると、店員で顔馴染みの老婦人に声を掛けた。
「あの、胡桃のを三つと胡麻のを二つ、それから・・・」
棚に並ぶ菓子をてきぱきと取って詰める彼女に、名無しさんは最後にこっそりと耳打ちして言う。
「済みませんけど、胡桃のを一個だけ別に包んで貰えませんか?」
にっこりと笑って頷いた老婦人は、別の棚を見ている程普に視線を走らせてから、今度は彼女の方から名無しさんに顔を寄せて言った。
「あの人、名無しさんちゃんの好い人かい?」
「えっ!?」
そう言われて、名無しさんは忽ち頬を真っ赤に染める。
「ち、違います・・・!」
「そうなのかい?名無しさんちゃんが随分と楽しそうな顔してたから、てっきりそうだと思ったよ」
「そんな・・・」
好い人だなんて・・・確かに、程普様の事は好ましくは思っているけれど。
危ない所を助けて頂いたし。
沢山、優しくして頂いたし。
一緒に居ると安心するし。
今日も私の為に道を変えて下さったし。
お好きなものも知れて嬉しかったし。
好い人って言うより、程普様が良い人だから。
「・・・そう言うのじゃないです」
「そうかい?」
老婦人は相変わらずにこにことしていたが、それ以上は言わず、名無しさんに包み終えた菓子を差し出す。
会計を済ませ、程普と共に店を出ても未だ、名無しさんの頬はほんのりと熱を持っていた。
「荷物は我輩が持とう」
と、程普が名無しさんの腕の中の包みをひょいと取り上げる。
「え、ですが・・・」
「言ったであろう、姫様の大切な女官を見失ったとあれば、我輩の面目が立たぬ。お主は我輩の袖を握っておれ」
言われて、名無しさんは程普の袖を空いた手できゅっと握る。
程普様はどうしてこんなに親切にして下さるのかしら。
誰にでも、こんな風に親切なのかしら。
そう考えて、胸がちくりと痛んだような気がした。
胸が痛んだ理由も分からないまま、名無しさんは程普の大きな背中を見上げて歩く。
何故かしら、帰るのが勿体なく感じるわ。
城門が近付くに連れ、彼女の足取りが重くなっているのを察した程普は疲れたのだろうと、然りげ無く歩みを緩めていた。
城門の丁度真下で、二人は足を止めた。
もう着いてしまったなんて、名無しさんは名残惜しそうに掴んでいた袖を離す。
「程普様」
「うむ」
「お荷物、ありがとうございます」
程普は抱えていた菓子の包みを名無しさんの両手に静かに渡した。
「落とさぬよう、気を付けよ」
「はい」
名無しさんは大切そうに包みを抱えると、その中から別に包んで貰っていた菓子を取り出し、程普におずおずと差し出す。
「程普様・・・宜しければ受け取って頂けますか?」
「うむ、何だ?」
差し出されたものを見て、程普が首を傾げた。
「胡桃のお菓子です」
「我輩にか?」
「はい。先程、お好きだと仰っていたので・・・」
ただの雑談に過ぎない遣り取りを覚えていたのか、程普は一瞬、驚いたように目を丸くしたが、直ぐにそれを受け取って言う。
「そうか。ありがたく頂戴しよう」
「はい」
良かった、受け取って貰えたわ、と名無しさんは嬉しそうに微笑んだ。
「では、我輩からも一つ」
と、今度は程普が懐に手を入れ、小さな包みを彼女に差し出す。
「これは・・・?」
それを受け取り、包みを開いた名無しさんは中身に小さく声を上げた。
「まあ・・・」
中に入っていたのは生成り色の結い紐。
その先には珊瑚の小さな玉と、赤い細紐で結ばれた花の飾りが添えられていた。
「紅梅・・・?」
それを見た瞬間、彼の屋敷で過ごした記憶が名無しさんの胸の奥に蘇る。
綿入れを借り、二人で歩いた庭の紅梅の木と、風に攫われて髪に落ちた赤い花びら。
それを取って貰った時に、程普に言われた言葉を思い出して、名無しさんは頬を染めた。
程普は何でもない顔で続けて言う。
「若い娘の好みは我輩には分からんが、あの店主の見立てに間違いはない。付き添いの礼もあるが、何より、久方振りの外出に気苦労も多かっただろう、その労いだ」
名無しさんは結い紐を両手で包み込んだ。
「ありがとうございます・・・大切にします」
「使ってこそのものだ。仕舞っておく必要はない」
「はい」
嬉しそうに頷く彼女を見て、程普は僅かに目を細める。
「また外へ出たくなったら、姫様に申し上げると良い」
思いがけない言葉に、名無しさんは顔を上げた。
「また?」
「うむ。今日の様子なら、もう一人でも大丈夫そうだが・・・」
程普はそこで一度言葉を切り、何でもない事のように続けて言う。
「まあ、我輩が付き合っても構わぬ」
名無しさんは目を瞬かせると、両手で持った結い紐をきゅっと握り締めた。
「・・・本当ですか?」
「嘘を言ってどうする」
程普がくつりと笑い、名無しさんの胸が少しだけ高鳴る。
どうしよう、凄く嬉しい。
「では、その時は・・・お願いしても宜しいでしょうか」
「うむ。・・・直に日が暮れよう、姫様に宜しく伝えておいてくれ」
「はい、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げて城内へ戻る名無しさんを見送り、程普も踵を返した。
数歩進んだ所で、程普は不意に足を止める。
何気なく腕を見れば、袖口には細かな皺が残っていた。
指先で袖口を軽く撫で、皺を伸ばすが、完全には消えない。
今日一日、彼女が握っていた名残に、「過ぎた時間」が何故か惜しく思えた。
「・・・まあ良い」
程普はそれ以上考える事なく、皺の残った袖口をそのままに歩き出した。
→あとがき
来た道のりを遡る、その途中で名無しさんは掴んでいた程普の袖をそっと引く。
「あの、程普様・・・」
振り向き、視線だけでどうしたと尋ねて来る彼に、彼女は続けて言った。
「少し、寄り道をしても宜しいでしょうか?」
遠慮がちな物言いだが、自分から何処かに寄りたいと言い出すとは、幾分か外に慣れたからか。
「構わん、何処に行きたいのだ」
と、程普は頷いて名無しさんに先を促す。
「この先に姫様の好きな焼き菓子を売っているお店があるので・・・そちらに寄りたいのです」
「そうか。ならば寄るとしよう」
彼女が示す方角に暫く進むと、菓子屋の暖簾を下げた小ぢんまりとした店が見えて来た。
「姫様のお使いで、時々来るんです」
名無しさんはそう言って店に入り、早速、棚に並んだ焼き菓子に視線を走らせる。
姫様のお好きなお菓子はあるかしら。
甘いお菓子は女子供の喜ぶ所、目を輝かせて一つ一つ吟味して選ぶ彼女の隣で、程普が口を開いた。
「ふむ、姫様から頂く菓子はこの店のものだったか」
それを聞いて、名無しさんが不思議そうに首を傾げる。
孫尚香が程普に菓子を渡している場面など見た事がない。
「姫様から、ですか?」
「うむ、時々、稽古を付けた礼にと頂く」
そう言う事かと、納得する一方で意外にも思い、名無しさんはぱちぱちと目を瞬かせた。
「・・・程普様も甘いものを召し上がるんですね」
「お主は我輩を何だと思っておるのだ」
程普は呆れたように苦笑する。
「い、いえ・・・そう言う意味では・・・」
慌てたように否定する名無しさんに、程普は小さく息を吐いた。
「甘いものくらいは食う。姫様から頂いた菓子も、ありがたく頂戴しておるぞ」
「そうだったのですね」
思いがけない事を知り、名無しさんの表情が少し明るくなる。
「では、程普様もこちらのお菓子をお好きなのですか?」
「うむ。特に胡桃が入っているのは歯触りも良く、好む所だ」
そう答えた程普に、名無しさんは微笑んだ。
程普様の好みが知れて嬉しい。
名無しさんは買うものを決めると、店員で顔馴染みの老婦人に声を掛けた。
「あの、胡桃のを三つと胡麻のを二つ、それから・・・」
棚に並ぶ菓子をてきぱきと取って詰める彼女に、名無しさんは最後にこっそりと耳打ちして言う。
「済みませんけど、胡桃のを一個だけ別に包んで貰えませんか?」
にっこりと笑って頷いた老婦人は、別の棚を見ている程普に視線を走らせてから、今度は彼女の方から名無しさんに顔を寄せて言った。
「あの人、名無しさんちゃんの好い人かい?」
「えっ!?」
そう言われて、名無しさんは忽ち頬を真っ赤に染める。
「ち、違います・・・!」
「そうなのかい?名無しさんちゃんが随分と楽しそうな顔してたから、てっきりそうだと思ったよ」
「そんな・・・」
好い人だなんて・・・確かに、程普様の事は好ましくは思っているけれど。
危ない所を助けて頂いたし。
沢山、優しくして頂いたし。
一緒に居ると安心するし。
今日も私の為に道を変えて下さったし。
お好きなものも知れて嬉しかったし。
好い人って言うより、程普様が良い人だから。
「・・・そう言うのじゃないです」
「そうかい?」
老婦人は相変わらずにこにことしていたが、それ以上は言わず、名無しさんに包み終えた菓子を差し出す。
会計を済ませ、程普と共に店を出ても未だ、名無しさんの頬はほんのりと熱を持っていた。
「荷物は我輩が持とう」
と、程普が名無しさんの腕の中の包みをひょいと取り上げる。
「え、ですが・・・」
「言ったであろう、姫様の大切な女官を見失ったとあれば、我輩の面目が立たぬ。お主は我輩の袖を握っておれ」
言われて、名無しさんは程普の袖を空いた手できゅっと握る。
程普様はどうしてこんなに親切にして下さるのかしら。
誰にでも、こんな風に親切なのかしら。
そう考えて、胸がちくりと痛んだような気がした。
胸が痛んだ理由も分からないまま、名無しさんは程普の大きな背中を見上げて歩く。
何故かしら、帰るのが勿体なく感じるわ。
城門が近付くに連れ、彼女の足取りが重くなっているのを察した程普は疲れたのだろうと、然りげ無く歩みを緩めていた。
城門の丁度真下で、二人は足を止めた。
もう着いてしまったなんて、名無しさんは名残惜しそうに掴んでいた袖を離す。
「程普様」
「うむ」
「お荷物、ありがとうございます」
程普は抱えていた菓子の包みを名無しさんの両手に静かに渡した。
「落とさぬよう、気を付けよ」
「はい」
名無しさんは大切そうに包みを抱えると、その中から別に包んで貰っていた菓子を取り出し、程普におずおずと差し出す。
「程普様・・・宜しければ受け取って頂けますか?」
「うむ、何だ?」
差し出されたものを見て、程普が首を傾げた。
「胡桃のお菓子です」
「我輩にか?」
「はい。先程、お好きだと仰っていたので・・・」
ただの雑談に過ぎない遣り取りを覚えていたのか、程普は一瞬、驚いたように目を丸くしたが、直ぐにそれを受け取って言う。
「そうか。ありがたく頂戴しよう」
「はい」
良かった、受け取って貰えたわ、と名無しさんは嬉しそうに微笑んだ。
「では、我輩からも一つ」
と、今度は程普が懐に手を入れ、小さな包みを彼女に差し出す。
「これは・・・?」
それを受け取り、包みを開いた名無しさんは中身に小さく声を上げた。
「まあ・・・」
中に入っていたのは生成り色の結い紐。
その先には珊瑚の小さな玉と、赤い細紐で結ばれた花の飾りが添えられていた。
「紅梅・・・?」
それを見た瞬間、彼の屋敷で過ごした記憶が名無しさんの胸の奥に蘇る。
綿入れを借り、二人で歩いた庭の紅梅の木と、風に攫われて髪に落ちた赤い花びら。
それを取って貰った時に、程普に言われた言葉を思い出して、名無しさんは頬を染めた。
程普は何でもない顔で続けて言う。
「若い娘の好みは我輩には分からんが、あの店主の見立てに間違いはない。付き添いの礼もあるが、何より、久方振りの外出に気苦労も多かっただろう、その労いだ」
名無しさんは結い紐を両手で包み込んだ。
「ありがとうございます・・・大切にします」
「使ってこそのものだ。仕舞っておく必要はない」
「はい」
嬉しそうに頷く彼女を見て、程普は僅かに目を細める。
「また外へ出たくなったら、姫様に申し上げると良い」
思いがけない言葉に、名無しさんは顔を上げた。
「また?」
「うむ。今日の様子なら、もう一人でも大丈夫そうだが・・・」
程普はそこで一度言葉を切り、何でもない事のように続けて言う。
「まあ、我輩が付き合っても構わぬ」
名無しさんは目を瞬かせると、両手で持った結い紐をきゅっと握り締めた。
「・・・本当ですか?」
「嘘を言ってどうする」
程普がくつりと笑い、名無しさんの胸が少しだけ高鳴る。
どうしよう、凄く嬉しい。
「では、その時は・・・お願いしても宜しいでしょうか」
「うむ。・・・直に日が暮れよう、姫様に宜しく伝えておいてくれ」
「はい、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げて城内へ戻る名無しさんを見送り、程普も踵を返した。
数歩進んだ所で、程普は不意に足を止める。
何気なく腕を見れば、袖口には細かな皺が残っていた。
指先で袖口を軽く撫で、皺を伸ばすが、完全には消えない。
今日一日、彼女が握っていた名残に、「過ぎた時間」が何故か惜しく思えた。
「・・・まあ良い」
程普はそれ以上考える事なく、皺の残った袖口をそのままに歩き出した。
→あとがき