心からお前を愛する
貴女のお名前
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かつん、と曹操が卓を指先で小突く音に、夏侯淵がはっと口を開く。
「何だよ、惇兄。水臭ぇじゃねぇか!」
隣の夏侯惇の肩を豪快に抱いて笑って言った。
「うっし!そんじゃあ根掘り葉掘り、酒の肴に聞かせてもらわねぇとな!」
「うむ。何はともあれ、めでたい話だ。先ずは二人を祝うとしよう」
曹仁が名無しさんに向かって杯を掲げる。
名無しさんはほっとしたように微笑むと、曹仁に小さく礼を言って頷いた。
夏侯淵がにやにやと夏侯惇の顔を覗き込む。
「そいで?惇兄はいつから名無しさんをそう言う風に見てたんだ?」
そこで初めて、夏侯惇が困ったような表情を見せた。
「・・・いつからと言われてもな」
名無しさんがそっと顔を上げる。
それを彼の口から聞いた事はなかった。
好きだとも、愛しているとも、妻に迎えるとも聞いたけれど、それを聞いた事はない。
夏侯惇様は、いつから私をそう言う風に見始めたのかしら。
不意に夏侯惇の視線が名無しさんに向けられ、彼女は胸を高鳴らせた。
その視線は二人きりで過ごす時と同じ、甘さを含んでいる。
それも一瞬の事、夏侯惇は目を閉じてゆっくりと酒を口に運んだ。
「もう昔の事だ、覚えておらん」
「何だよ、つまんねぇなあ。折角なんだからよ、こう、何て言うか名無しさんのここが好き!とか聞かせてくれよ」
夏侯淵の言葉はすっかり、酔っ払いの絡みである。
夏侯惇は迷惑そうな表情で溜め息を吐いた。
「無茶を言うな、淵。全部が良いのだから、ここと言われても特に上げられんわ」
「全部っ!?全部かぁ!」
夏侯淵がけらけらと笑いながら、夏侯惇の背中をばしばしと叩く。
曹操が誂うような口振りで言った。
「全部とは、随分な惚れ込みようだな、夏侯惇。して、名無しさんよ。お主はどうなのだ?」
自分に回って来たお鉢に、名無しさんは頬を染める。
「あ、あの・・・はい」
妻にと請われ、受け入れたのだから色々と察して欲しい。
名無しさんは小さくなって俯いてしまった。
その様子に、周りは益々、興味津々と二人に言葉を投げかける。
「しかし、夏侯惇殿。御身の立場もあれば、忙しい時もあっただろう」
「その時は書簡で遣り取りをしていたが・・・あれは面倒しかないな。会いに行った方が断然早い」
「いやいやいや、惇兄!忙しいんじゃねぇのかよ!」
「俺が忙しいのは大抵、孟徳が原因だ」
「あの程度で何を言う。夏侯惇が名無しさんに会いに行っていると知っていれば、もう少し増やしておったものを」
進む酒と盛り上がる会話、居た堪れないのは名無しさん一人。
大して飲んでもいないのに自棄に頬が熱かった。
「名無しさん」
と、夏侯惇に呼ばれて顔を上げる。
自分を優しく見つめる夏侯惇の視線が名無しさんの瞳に映った。
夏侯惇は名無しさんの杯を自分の方に寄せると、
「少し、飲み過ぎだ。もう止めておけ」
それを軽々と干し、席を立って言う。
「孟徳、名無しさんには客間を用意しているのだろう」
「しておるが・・・」
客間よりお主の家に連れ帰るのではないのかと、言い掛けた言葉を、曹操は飲み込んだ。
各々の住まいは何れも数刻分程離れている上、この四人の中で自宅が一番大きいのは当然ながら曹操の屋敷だ。
必然的に酒を飲む場として思い浮かび場所であり、申し分のない客間もあれば、抱える使用人の数も多い。
加えて、その使用人たちに幼い頃から名無しさんは懐いていたのだ。
彼女にとっては懐かしく、安心する場所であり、同時に長旅の疲れのままにこの席を過ごした後で休むには、この屋敷以上に相応しい場所はないように思えた。
名無しさんから訪問の書簡が曹操宛に届いた時も、彼女が実際に屋敷に遣って来た時も何も思わなかったが、その全てを夏侯惇は整えていたのか。
・・・夏侯惇め、中々やりおるわ。
曹操は軽く息を吐いた。
「使用人に声を掛けて行け。良いように取り計らう」
「分かった」
夏侯惇は名無しさんを椅子から立たせると、その体を軽々と横に掬い上げる。
腕の中で名無しさんが恥ずかしそうに胸を押し返した。
「夏侯惇様・・・っ!一人で、自分で歩けますから・・・!」
「途中で転ぶだろう」
「転・・・びませんっ!」
その遣り取りを、三人が笑って誂う。
「名無しさん、素直に惇兄の言う事を聞いとけ」
「うむ、名無しさんはよく転ぶからな」
「儂の屋敷で怪我人など出ては困る」
口々に子ども扱いされて、名無しさんは唇を尖らせた。
「皆さんまで・・・私はもう子どもではありません!」
それに返って来たのは、三人からの誂いの言葉ではなく、夏侯惇の酷く愛しげな声だった。
「知っている」
誰よりも知っていると、夏侯惇は腕の中の名無しさんを見下ろす。
「ずっと昔から、俺はお前だけを見て来たのだからな。・・・「心からお前を愛する」と決めたのはそれこそ、ずっと前だ」
一瞬の沈黙、誰もが夏侯惇の言葉に反応できなかった。
一番、困惑しているのは名無しさんだろうが、既に本人の容量を大幅に超えている。
代わりに、夏侯淵が言った。
「惇兄、今のは反則だわ・・・」
「何がだ。本当の事を言っただけだろう」
「夏侯惇殿。その口、もう閉じられよ」
曹仁の言葉に、夏侯惇は納得しないように眉を寄せる。
おかしな事を言ったつもりはないのに何故、責められるような視線を向けられなければならないのか。
「・・・まあ良い。名無しさんを運んで来る」
深々と息を吐いて夏侯惇はくるりと背中を向けると、にやりと続けて言った。
「直ぐに戻って来るとは限らんがな」
→あとがき
「何だよ、惇兄。水臭ぇじゃねぇか!」
隣の夏侯惇の肩を豪快に抱いて笑って言った。
「うっし!そんじゃあ根掘り葉掘り、酒の肴に聞かせてもらわねぇとな!」
「うむ。何はともあれ、めでたい話だ。先ずは二人を祝うとしよう」
曹仁が名無しさんに向かって杯を掲げる。
名無しさんはほっとしたように微笑むと、曹仁に小さく礼を言って頷いた。
夏侯淵がにやにやと夏侯惇の顔を覗き込む。
「そいで?惇兄はいつから名無しさんをそう言う風に見てたんだ?」
そこで初めて、夏侯惇が困ったような表情を見せた。
「・・・いつからと言われてもな」
名無しさんがそっと顔を上げる。
それを彼の口から聞いた事はなかった。
好きだとも、愛しているとも、妻に迎えるとも聞いたけれど、それを聞いた事はない。
夏侯惇様は、いつから私をそう言う風に見始めたのかしら。
不意に夏侯惇の視線が名無しさんに向けられ、彼女は胸を高鳴らせた。
その視線は二人きりで過ごす時と同じ、甘さを含んでいる。
それも一瞬の事、夏侯惇は目を閉じてゆっくりと酒を口に運んだ。
「もう昔の事だ、覚えておらん」
「何だよ、つまんねぇなあ。折角なんだからよ、こう、何て言うか名無しさんのここが好き!とか聞かせてくれよ」
夏侯淵の言葉はすっかり、酔っ払いの絡みである。
夏侯惇は迷惑そうな表情で溜め息を吐いた。
「無茶を言うな、淵。全部が良いのだから、ここと言われても特に上げられんわ」
「全部っ!?全部かぁ!」
夏侯淵がけらけらと笑いながら、夏侯惇の背中をばしばしと叩く。
曹操が誂うような口振りで言った。
「全部とは、随分な惚れ込みようだな、夏侯惇。して、名無しさんよ。お主はどうなのだ?」
自分に回って来たお鉢に、名無しさんは頬を染める。
「あ、あの・・・はい」
妻にと請われ、受け入れたのだから色々と察して欲しい。
名無しさんは小さくなって俯いてしまった。
その様子に、周りは益々、興味津々と二人に言葉を投げかける。
「しかし、夏侯惇殿。御身の立場もあれば、忙しい時もあっただろう」
「その時は書簡で遣り取りをしていたが・・・あれは面倒しかないな。会いに行った方が断然早い」
「いやいやいや、惇兄!忙しいんじゃねぇのかよ!」
「俺が忙しいのは大抵、孟徳が原因だ」
「あの程度で何を言う。夏侯惇が名無しさんに会いに行っていると知っていれば、もう少し増やしておったものを」
進む酒と盛り上がる会話、居た堪れないのは名無しさん一人。
大して飲んでもいないのに自棄に頬が熱かった。
「名無しさん」
と、夏侯惇に呼ばれて顔を上げる。
自分を優しく見つめる夏侯惇の視線が名無しさんの瞳に映った。
夏侯惇は名無しさんの杯を自分の方に寄せると、
「少し、飲み過ぎだ。もう止めておけ」
それを軽々と干し、席を立って言う。
「孟徳、名無しさんには客間を用意しているのだろう」
「しておるが・・・」
客間よりお主の家に連れ帰るのではないのかと、言い掛けた言葉を、曹操は飲み込んだ。
各々の住まいは何れも数刻分程離れている上、この四人の中で自宅が一番大きいのは当然ながら曹操の屋敷だ。
必然的に酒を飲む場として思い浮かび場所であり、申し分のない客間もあれば、抱える使用人の数も多い。
加えて、その使用人たちに幼い頃から名無しさんは懐いていたのだ。
彼女にとっては懐かしく、安心する場所であり、同時に長旅の疲れのままにこの席を過ごした後で休むには、この屋敷以上に相応しい場所はないように思えた。
名無しさんから訪問の書簡が曹操宛に届いた時も、彼女が実際に屋敷に遣って来た時も何も思わなかったが、その全てを夏侯惇は整えていたのか。
・・・夏侯惇め、中々やりおるわ。
曹操は軽く息を吐いた。
「使用人に声を掛けて行け。良いように取り計らう」
「分かった」
夏侯惇は名無しさんを椅子から立たせると、その体を軽々と横に掬い上げる。
腕の中で名無しさんが恥ずかしそうに胸を押し返した。
「夏侯惇様・・・っ!一人で、自分で歩けますから・・・!」
「途中で転ぶだろう」
「転・・・びませんっ!」
その遣り取りを、三人が笑って誂う。
「名無しさん、素直に惇兄の言う事を聞いとけ」
「うむ、名無しさんはよく転ぶからな」
「儂の屋敷で怪我人など出ては困る」
口々に子ども扱いされて、名無しさんは唇を尖らせた。
「皆さんまで・・・私はもう子どもではありません!」
それに返って来たのは、三人からの誂いの言葉ではなく、夏侯惇の酷く愛しげな声だった。
「知っている」
誰よりも知っていると、夏侯惇は腕の中の名無しさんを見下ろす。
「ずっと昔から、俺はお前だけを見て来たのだからな。・・・「心からお前を愛する」と決めたのはそれこそ、ずっと前だ」
一瞬の沈黙、誰もが夏侯惇の言葉に反応できなかった。
一番、困惑しているのは名無しさんだろうが、既に本人の容量を大幅に超えている。
代わりに、夏侯淵が言った。
「惇兄、今のは反則だわ・・・」
「何がだ。本当の事を言っただけだろう」
「夏侯惇殿。その口、もう閉じられよ」
曹仁の言葉に、夏侯惇は納得しないように眉を寄せる。
おかしな事を言ったつもりはないのに何故、責められるような視線を向けられなければならないのか。
「・・・まあ良い。名無しさんを運んで来る」
深々と息を吐いて夏侯惇はくるりと背中を向けると、にやりと続けて言った。
「直ぐに戻って来るとは限らんがな」
→あとがき