愛を穏やかに
貴女のお名前
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その数刻後、二人は早くも、自分たちの考えが甘かった事を知る。
用意した朝食を食べる事すら、ままならなかったのだ。
いざ、食べようと箸を持った所で、腕の中の赤ん坊がその小さな手で夏侯惇の髭を思いっ切り引っ張った。
「おい!髭を・・・引っ張るな!飯が食えんだろう!」
「夏侯惇様、私が預かりますからその内に・・・」
「だが、こいつが髭から手を離さん!名無しさん、先に食え!」
おろおろとする名無しさんを、夏侯惇はもう一度促す。
「俺の事は気にするな、良いから食え!」
「わ、分かりました!」
恐らく、それが最善だ。
さっさと食べて、夏侯惇様と代わらなくちゃ。
名無しさんは箸を持つと、生まれて初めて、飯を掻き込んだ。
いまだかつて、こんな風に食事を摂った事などない。
行儀が悪いとは思ったが、そうも言ってられなかった。
その様子に、夏侯惇は驚き、髭を引っ張られている事も忘れて彼女を見る。
あの名無しさんが・・・飯を掻き込んでいる。
淑やかな彼女が作法をそっちのけに、一心不乱に食事を摂る光景は中々に衝撃的で、
「ゆ、ゆっくり食えよ?」
と、夏侯惇は思わず言っていた。
名無しさんが口に一杯に入れたまま、力強く頷く。
「ふぁい!」
咀嚼を繰り返し、時には茶で流し込んで食事を終えた名無しさんは、胃を押さえながら夏侯惇に言った。
「お、お待たせしました・・・」
「・・・大丈夫か?」
「だ、大丈夫・・・です」
込み上げるものを飲み込む彼女に赤ん坊を預けて、箸を取りながら夏侯惇は思う。
俺が先に飯を食えば良かった。
それから暫くは平和だった。
名無しさんが歌を歌ったり、庭に連れ出したりしていれば、赤ん坊はご機嫌に手を叩いている。
朝は大変だったが、こう言うのも悪くない。
それを縁側で眺めながら、夏侯惇は手遊びに碁を打っていた。
その口元が緩んでいる事に本人は気付いていない。
「ご機嫌ですねぇ」
と、名無しさんが話し掛けると、赤ん坊が笑い声を上げる。
良い。
夏侯惇は意味もなく、ぱちりと石を置いた。
庭をゆっくりと一回りした後に、名無しさんが縁側に静かに腰を下ろして言う。
「夏侯惇様。そろそろお昼にしましょうか」
「もうそんな時間か」
「あー」
彼女の代わりに赤ん坊が答え、二人はくすくすと笑った。
「そうか、お前も腹が減ったか」
「では、夏侯惇様、また・・・」
「ああ、任せておけ」
夏侯惇は名無しさんから赤ん坊を受け取る。
その動きは、朝よりも少しだけ慣れていた。
「こいつは何を食べるんだ?」
「お粥か、何か柔らかいものなら大丈夫でしょう」
名無しさんはそう言って立ち上がり、厨房へと歩き出す。
何となく、夏侯惇もその後を追った。
「直ぐに用意しますからね」
「あー!」
ぱちぱちと手を叩く赤ん坊の頬を、名無しさんが楽しそうに突付く。
「ふふっ、ちょっと待っててね」
良い。
非常に良い。
赤ん坊が腕の中にいなければ、夏侯惇はがばりと名無しさんに抱き着いていただろう。
それ程までに、良かった。
自分たちは後で、朝のように交代して食べた方が良いだろうと、名無しさんは先に手早く粥を用意した。
「これ位なら大丈夫かしら」
「まあ、大丈夫ではないか」
二人で鍋を覗き込み、具合を確かめる。
粒は残っているが、そこまでの固さはない。
「嫌なら吐き出すだろう」
「夏侯惇様ったら・・・」
名無しさんは困ったように微笑み、粥を椀に移し変えた。
赤ん坊と言えども、それが食べ物であるのが分かるのか、言葉にならない声を発して催促するように手足をばたばたと動かす。
「待て、ここで食う奴があるか」
夏侯惇は腕の中で動く赤ん坊をそのままに、食卓へと向かった。
名無しさんが椀を乗せた盆を持って、くすくすと笑いながら付いて来る。
夏侯惇様ったら、またお髭を引っ張られてるわ。
二人並んで椅子に腰掛け、名無しさんは匙に掬った粥を少し冷ましてから赤ん坊の口元に運んだ。
「はい、あーんして下さい」
その言葉に、何故か夏侯惇が応える。
「夏侯惇様ではありませんよ?」
「・・・済まん」
夏侯惇は頬を赤らめて視線を逸らした。
赤ん坊が素直に口を開け、粥を含む。
「あ、食べたわ!」
名無しさんに手ずから食べさせて貰えるのが羨ましい。
「・・・良かったな」
そう言った夏侯惇の声は何処となく、低かった。
赤ん坊は粥の味が気に入ったのか、次を催促して名無しさんに手を振る。
「はいはい、待ってね」
息を吹きかけて粥を冷まし、名無しさんは再び、匙を赤ん坊の口元に寄せた。
その瞬間、赤ん坊が何を思ったか腕を激しく振り回し、
「あぅっ!」
見事な掛け声と共に、匙を弾く。
所詮は赤ん坊の力、名無しさんが匙を手放す事はなかったが、その上の粥が飛んだ。
べちゃっと音を立てて名無しさんの服に落ちる。
「まあ・・・!」
と、驚いた声を上げるが、ほぼ想定内、名無しさんは新たな粥を掬った。
「今度はちゃんと食べてね」
「あぁっ!」
またも良い返事で赤ん坊が匙を弾く。
「・・・おい」
今度は夏侯惇の顔面に粥が直撃した。
名無しさんが慌てて布を渡す。
「か、夏侯惇様、大丈夫ですか!?」
「・・・大丈夫だ」
粥は冷めている、大事はない。
夏侯惇は布で顔に付いた粥を拭い取った。
「全く、何が気に入らんのだ」
「もう・・・!食べ物を粗末にしちゃ駄目でしょう?めっ!」
名無しさんが赤ん坊に向けて叱ってみせるが、何故か夏侯惇が息を詰める。
めっ、って何だ。
めっ、って可愛過ぎるだろう。
そんな夏侯惇を他所に、赤ん坊は楽しそうな声を上げ、名無しさんが持っている椀に手を伸ばした。
「あっ、駄目よ!もうっ・・・めっ!」
頼むから名無しさん、めっ、は止めてくれ。
俺の心が保たない。
「・・・名無しさん、一先ず粥を片付けろ」
「あ、そうですわね」
目の前からなくなれば、大人しくなるかもしれないと言う、その二人の考えは甘かった。
名無しさんが椀を持って立ち上がるなり、赤ん坊は火が着いたように泣き出した。
「えっ・・・あっ、嫌なのね。ごめんね」
名無しさんは直ぐ様、座り直して困ったように言う。
「でも、ちゃんと食べてくれないし・・・」
「なら、俺がやろう」
「夏侯惇様が?」
夏侯惇は目を細め、僅かに凄んで言った。
「戦場では食料は貴重だ。況してや名無しさんの手作りとなれば尚の事。それを無駄にする意味、こいつの骨の髄まで刻み込んでやる。名無しさん、匙を寄越せ」
大丈夫かしら、名無しさんは不安に思いながらも、匙を夏侯惇の手に渡す。
用意した朝食を食べる事すら、ままならなかったのだ。
いざ、食べようと箸を持った所で、腕の中の赤ん坊がその小さな手で夏侯惇の髭を思いっ切り引っ張った。
「おい!髭を・・・引っ張るな!飯が食えんだろう!」
「夏侯惇様、私が預かりますからその内に・・・」
「だが、こいつが髭から手を離さん!名無しさん、先に食え!」
おろおろとする名無しさんを、夏侯惇はもう一度促す。
「俺の事は気にするな、良いから食え!」
「わ、分かりました!」
恐らく、それが最善だ。
さっさと食べて、夏侯惇様と代わらなくちゃ。
名無しさんは箸を持つと、生まれて初めて、飯を掻き込んだ。
いまだかつて、こんな風に食事を摂った事などない。
行儀が悪いとは思ったが、そうも言ってられなかった。
その様子に、夏侯惇は驚き、髭を引っ張られている事も忘れて彼女を見る。
あの名無しさんが・・・飯を掻き込んでいる。
淑やかな彼女が作法をそっちのけに、一心不乱に食事を摂る光景は中々に衝撃的で、
「ゆ、ゆっくり食えよ?」
と、夏侯惇は思わず言っていた。
名無しさんが口に一杯に入れたまま、力強く頷く。
「ふぁい!」
咀嚼を繰り返し、時には茶で流し込んで食事を終えた名無しさんは、胃を押さえながら夏侯惇に言った。
「お、お待たせしました・・・」
「・・・大丈夫か?」
「だ、大丈夫・・・です」
込み上げるものを飲み込む彼女に赤ん坊を預けて、箸を取りながら夏侯惇は思う。
俺が先に飯を食えば良かった。
それから暫くは平和だった。
名無しさんが歌を歌ったり、庭に連れ出したりしていれば、赤ん坊はご機嫌に手を叩いている。
朝は大変だったが、こう言うのも悪くない。
それを縁側で眺めながら、夏侯惇は手遊びに碁を打っていた。
その口元が緩んでいる事に本人は気付いていない。
「ご機嫌ですねぇ」
と、名無しさんが話し掛けると、赤ん坊が笑い声を上げる。
良い。
夏侯惇は意味もなく、ぱちりと石を置いた。
庭をゆっくりと一回りした後に、名無しさんが縁側に静かに腰を下ろして言う。
「夏侯惇様。そろそろお昼にしましょうか」
「もうそんな時間か」
「あー」
彼女の代わりに赤ん坊が答え、二人はくすくすと笑った。
「そうか、お前も腹が減ったか」
「では、夏侯惇様、また・・・」
「ああ、任せておけ」
夏侯惇は名無しさんから赤ん坊を受け取る。
その動きは、朝よりも少しだけ慣れていた。
「こいつは何を食べるんだ?」
「お粥か、何か柔らかいものなら大丈夫でしょう」
名無しさんはそう言って立ち上がり、厨房へと歩き出す。
何となく、夏侯惇もその後を追った。
「直ぐに用意しますからね」
「あー!」
ぱちぱちと手を叩く赤ん坊の頬を、名無しさんが楽しそうに突付く。
「ふふっ、ちょっと待っててね」
良い。
非常に良い。
赤ん坊が腕の中にいなければ、夏侯惇はがばりと名無しさんに抱き着いていただろう。
それ程までに、良かった。
自分たちは後で、朝のように交代して食べた方が良いだろうと、名無しさんは先に手早く粥を用意した。
「これ位なら大丈夫かしら」
「まあ、大丈夫ではないか」
二人で鍋を覗き込み、具合を確かめる。
粒は残っているが、そこまでの固さはない。
「嫌なら吐き出すだろう」
「夏侯惇様ったら・・・」
名無しさんは困ったように微笑み、粥を椀に移し変えた。
赤ん坊と言えども、それが食べ物であるのが分かるのか、言葉にならない声を発して催促するように手足をばたばたと動かす。
「待て、ここで食う奴があるか」
夏侯惇は腕の中で動く赤ん坊をそのままに、食卓へと向かった。
名無しさんが椀を乗せた盆を持って、くすくすと笑いながら付いて来る。
夏侯惇様ったら、またお髭を引っ張られてるわ。
二人並んで椅子に腰掛け、名無しさんは匙に掬った粥を少し冷ましてから赤ん坊の口元に運んだ。
「はい、あーんして下さい」
その言葉に、何故か夏侯惇が応える。
「夏侯惇様ではありませんよ?」
「・・・済まん」
夏侯惇は頬を赤らめて視線を逸らした。
赤ん坊が素直に口を開け、粥を含む。
「あ、食べたわ!」
名無しさんに手ずから食べさせて貰えるのが羨ましい。
「・・・良かったな」
そう言った夏侯惇の声は何処となく、低かった。
赤ん坊は粥の味が気に入ったのか、次を催促して名無しさんに手を振る。
「はいはい、待ってね」
息を吹きかけて粥を冷まし、名無しさんは再び、匙を赤ん坊の口元に寄せた。
その瞬間、赤ん坊が何を思ったか腕を激しく振り回し、
「あぅっ!」
見事な掛け声と共に、匙を弾く。
所詮は赤ん坊の力、名無しさんが匙を手放す事はなかったが、その上の粥が飛んだ。
べちゃっと音を立てて名無しさんの服に落ちる。
「まあ・・・!」
と、驚いた声を上げるが、ほぼ想定内、名無しさんは新たな粥を掬った。
「今度はちゃんと食べてね」
「あぁっ!」
またも良い返事で赤ん坊が匙を弾く。
「・・・おい」
今度は夏侯惇の顔面に粥が直撃した。
名無しさんが慌てて布を渡す。
「か、夏侯惇様、大丈夫ですか!?」
「・・・大丈夫だ」
粥は冷めている、大事はない。
夏侯惇は布で顔に付いた粥を拭い取った。
「全く、何が気に入らんのだ」
「もう・・・!食べ物を粗末にしちゃ駄目でしょう?めっ!」
名無しさんが赤ん坊に向けて叱ってみせるが、何故か夏侯惇が息を詰める。
めっ、って何だ。
めっ、って可愛過ぎるだろう。
そんな夏侯惇を他所に、赤ん坊は楽しそうな声を上げ、名無しさんが持っている椀に手を伸ばした。
「あっ、駄目よ!もうっ・・・めっ!」
頼むから名無しさん、めっ、は止めてくれ。
俺の心が保たない。
「・・・名無しさん、一先ず粥を片付けろ」
「あ、そうですわね」
目の前からなくなれば、大人しくなるかもしれないと言う、その二人の考えは甘かった。
名無しさんが椀を持って立ち上がるなり、赤ん坊は火が着いたように泣き出した。
「えっ・・・あっ、嫌なのね。ごめんね」
名無しさんは直ぐ様、座り直して困ったように言う。
「でも、ちゃんと食べてくれないし・・・」
「なら、俺がやろう」
「夏侯惇様が?」
夏侯惇は目を細め、僅かに凄んで言った。
「戦場では食料は貴重だ。況してや名無しさんの手作りとなれば尚の事。それを無駄にする意味、こいつの骨の髄まで刻み込んでやる。名無しさん、匙を寄越せ」
大丈夫かしら、名無しさんは不安に思いながらも、匙を夏侯惇の手に渡す。