あなたの優しいまなざしに
貴女のお名前
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その日から、関平が居る夜の時間の書庫に、名無しさんは毎日、足を運ぶようになった。
元々は残業をしていたからこそ知った彼の夜の過ごし方だ、時折、それを言い訳にも使ったが、いつの頃からかはそれすらも止めた。
純粋に、関平と学ぶのが楽しい。
始めは向かい合わせに座っていた机も、
「名無しさん、この部分・・・これはどう解釈したら良いのだろう?」
「ええと、何処ですか?」
と、広げた書物を覗き込む二人が、額をぶつけてしまった事を機に、隣に並んで座るようになった。
最初の内は、互いに少しだけ距離を意識していたものの、頁を捲る内にその境界も曖昧になっていった。
「この一文なのだが・・・」
関平が指で示すと、名無しさんは身を寄せるように覗き込む。
「これはですね、恐らく・・・」
説明の途中、肩がほんの少し触れた。
その瞬間、関平の動きが僅かに止まる。
だが名無しさんは気付かず、続けて言葉を紡いだ。
静かな書庫に、頁を捲る音だけが落ちていく。
やがて、関平の方が自然に姿勢を崩し、机の縁に肘をつくようになった。
それに合わせて、名無しさんとの距離も、ほんの少しだけ近くなる。
「・・・成る程」
そう呟く声は、どこか落ち着かない響きを含んでいた。
また別の日には、
「あ、ここ。確か、こっちに詳しく書いてあったような・・・」
「ああ、そうだったな。ええと・・・」
机に積み上げていた書物の束から、ある一冊を取ろうとして二人同時に手を伸ばす。
先に書物に触れていた名無しさんの手の上に、関平の手が重なった。
「っ・・・済まない!」
関平は反射的に手を引いた。
その勢いで書物が少しだけずれる。
「いえ、大丈夫です」
名無しさんは何事もなかったように書物を取り上げ、ぱらりと頁を開いたが、内心では触れられた関平の手に胸を高鳴らせていた。
関平様の手、大きくて、硬くて、それでいて驚く程、温かかった。
意識するつもりなどないのに、勝手に思い出してしまう。
一方で関平も、視線を落としたまま動けずにいた。
さっき触れた感触だけが、互いの中で鮮明に残っている。
「・・・続きを、頼む」
漸く絞り出した関平の声は、いつもより掠れていた。
「はい」
名無しさんは静かに頷き、説明を再開する。
そうして二人は少しずつ、本当に少しずつ、距離を縮めていった。
夜の書庫で言葉を交わし、共に書物を読み、時には意見を交わす。
分からない事があれば尋ね、知っている事があれば教える。
そんな時間を重ねる内に、気付けば二人にとって、書庫は当たり前の場所になっていた。
そして、当たり前になればなる程、関平の胸に説明の付かない感情が積もる。
最早、名無しさんが来るのが当然になりつつあった頃、
「済みません、少し城を離れる事になりそうで・・・」
任務で諸葛亮に同行し、近くの村を見て回るのだと彼女は別れ間際にそう言った。
仕事ならば仕方ない、それを止める権利も、付いて行く理由も関平にはなかった。
「そうか・・・寂しいな」
と、関平は無意識に目を伏せたが、次には気を取り直したように言う。
「・・・いや、大切な任務だ、道中気を付けて」
「はい、ありがとうございます」
名無しさんは微笑んで頷いたが、直ぐには立ち去ろうとしなかった。
関平からそっと視線を外し、言葉を溢す。
「ちょっとだけなのに、何だか寂しいです」
その言葉に、同じ気持ちなのだと、関平は胸を弾ませた。
彼女が何を思ってそう口にしたのかは分からない。
それでも、名無しさんの口から出た寂しいと言う言葉は関平にとっては特別な響きを持っていた。
そうして一人で頁を捲って過ごす夜の、何と長い事か。
関平は静かな書庫で、ぱたりと書物を閉じた。
どうにも集中できずに思考が途切れてしまい、隣の空いた席をちらりと見る。
少しとはどれ位だろう。
名無しさんが発って未だ数日しか過ぎていないにも関わらず、帰りを待って指折り数える自分に、関平は気付いたように胸に手をやった。
拙者は知らぬ内に名無しさんと過ごす夜を楽しみにしていたのだな。
そうして思い出す、彼女との遣り取りに関平は頬を緩める。
書物を挟んで交わした幾つもの言葉。
肩が触れた時の胸の鼓動。
手が重なった時の互いの温もりと、自分へ向けられる優しい眼差し。
どれもが鮮やかに思い出され、関平の胸を甘く揺らした。
・・・そうか、拙者は名無しさんに惹かれていたのか。
その感情に気付いてしまえば、関平は深く息を吐く。
名無しさんが帰って来たら、先ずは彼女の話が聞きたい。
それから、自分はいつしか、「あなたの優しいまなざしに」惹かれていたのだと伝えよう。
突然そんな事を言えば、彼女は驚くだろうか。
静かな書庫で、関平は小さく笑った。
その想いが届くかどうかは分からない。
それでも、伝えたいと思った。
→あとがき
元々は残業をしていたからこそ知った彼の夜の過ごし方だ、時折、それを言い訳にも使ったが、いつの頃からかはそれすらも止めた。
純粋に、関平と学ぶのが楽しい。
始めは向かい合わせに座っていた机も、
「名無しさん、この部分・・・これはどう解釈したら良いのだろう?」
「ええと、何処ですか?」
と、広げた書物を覗き込む二人が、額をぶつけてしまった事を機に、隣に並んで座るようになった。
最初の内は、互いに少しだけ距離を意識していたものの、頁を捲る内にその境界も曖昧になっていった。
「この一文なのだが・・・」
関平が指で示すと、名無しさんは身を寄せるように覗き込む。
「これはですね、恐らく・・・」
説明の途中、肩がほんの少し触れた。
その瞬間、関平の動きが僅かに止まる。
だが名無しさんは気付かず、続けて言葉を紡いだ。
静かな書庫に、頁を捲る音だけが落ちていく。
やがて、関平の方が自然に姿勢を崩し、机の縁に肘をつくようになった。
それに合わせて、名無しさんとの距離も、ほんの少しだけ近くなる。
「・・・成る程」
そう呟く声は、どこか落ち着かない響きを含んでいた。
また別の日には、
「あ、ここ。確か、こっちに詳しく書いてあったような・・・」
「ああ、そうだったな。ええと・・・」
机に積み上げていた書物の束から、ある一冊を取ろうとして二人同時に手を伸ばす。
先に書物に触れていた名無しさんの手の上に、関平の手が重なった。
「っ・・・済まない!」
関平は反射的に手を引いた。
その勢いで書物が少しだけずれる。
「いえ、大丈夫です」
名無しさんは何事もなかったように書物を取り上げ、ぱらりと頁を開いたが、内心では触れられた関平の手に胸を高鳴らせていた。
関平様の手、大きくて、硬くて、それでいて驚く程、温かかった。
意識するつもりなどないのに、勝手に思い出してしまう。
一方で関平も、視線を落としたまま動けずにいた。
さっき触れた感触だけが、互いの中で鮮明に残っている。
「・・・続きを、頼む」
漸く絞り出した関平の声は、いつもより掠れていた。
「はい」
名無しさんは静かに頷き、説明を再開する。
そうして二人は少しずつ、本当に少しずつ、距離を縮めていった。
夜の書庫で言葉を交わし、共に書物を読み、時には意見を交わす。
分からない事があれば尋ね、知っている事があれば教える。
そんな時間を重ねる内に、気付けば二人にとって、書庫は当たり前の場所になっていた。
そして、当たり前になればなる程、関平の胸に説明の付かない感情が積もる。
最早、名無しさんが来るのが当然になりつつあった頃、
「済みません、少し城を離れる事になりそうで・・・」
任務で諸葛亮に同行し、近くの村を見て回るのだと彼女は別れ間際にそう言った。
仕事ならば仕方ない、それを止める権利も、付いて行く理由も関平にはなかった。
「そうか・・・寂しいな」
と、関平は無意識に目を伏せたが、次には気を取り直したように言う。
「・・・いや、大切な任務だ、道中気を付けて」
「はい、ありがとうございます」
名無しさんは微笑んで頷いたが、直ぐには立ち去ろうとしなかった。
関平からそっと視線を外し、言葉を溢す。
「ちょっとだけなのに、何だか寂しいです」
その言葉に、同じ気持ちなのだと、関平は胸を弾ませた。
彼女が何を思ってそう口にしたのかは分からない。
それでも、名無しさんの口から出た寂しいと言う言葉は関平にとっては特別な響きを持っていた。
そうして一人で頁を捲って過ごす夜の、何と長い事か。
関平は静かな書庫で、ぱたりと書物を閉じた。
どうにも集中できずに思考が途切れてしまい、隣の空いた席をちらりと見る。
少しとはどれ位だろう。
名無しさんが発って未だ数日しか過ぎていないにも関わらず、帰りを待って指折り数える自分に、関平は気付いたように胸に手をやった。
拙者は知らぬ内に名無しさんと過ごす夜を楽しみにしていたのだな。
そうして思い出す、彼女との遣り取りに関平は頬を緩める。
書物を挟んで交わした幾つもの言葉。
肩が触れた時の胸の鼓動。
手が重なった時の互いの温もりと、自分へ向けられる優しい眼差し。
どれもが鮮やかに思い出され、関平の胸を甘く揺らした。
・・・そうか、拙者は名無しさんに惹かれていたのか。
その感情に気付いてしまえば、関平は深く息を吐く。
名無しさんが帰って来たら、先ずは彼女の話が聞きたい。
それから、自分はいつしか、「あなたの優しいまなざしに」惹かれていたのだと伝えよう。
突然そんな事を言えば、彼女は驚くだろうか。
静かな書庫で、関平は小さく笑った。
その想いが届くかどうかは分からない。
それでも、伝えたいと思った。
→あとがき