我が心にどれほど喜ばしいことか
貴女のお名前
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肩を怒らせて行く名無しさんの背中を、馬超は微笑ましい思いで見る。
怒っているくせに、繋いだ手がそのままだった。
二人は店を構える通りを抜け、露店が並ぶ道へと差し掛かる。
草臥れた筵の上に並ぶ品物は、草履から薪までと幅広い。
「こんな所で何を買うんだ?」
「こんな所だからですよ」
未だ怒っているのだろう、名無しさんの口調は素っ気なく、馬超を振り向きもしなかったが、答える気がない訳ではないのだろう。
「誰とは言いませんが、宴の度に皿と言う皿を割ってくれるので直ぐに足りなくなるんです。良い物なんて高くて買えません」
「・・・済まん?」
その言葉に、名無しさんがくすりと笑って振り向いた。
「何で疑問系なんですか」
「いや・・・俺だけではないだろうし」
「まあ、否定はしませんね」
名無しさんは肩を竦めながら、前を向く。
その背中に、馬超は胸を僅かに軽くした。
どうやら、少しは機嫌が直ったらしい。
そう思った時だった。
馬超は視線の先に煌めくものを見付け、彼女の手を引いた。
「名無しさん、見ろ」
有無を言わせず、そちらに連れて行く。
筵の上に並べられた組紐を、馬超がしゃがみ込んで手に取った。
必然的に名無しさんも隣に並ぶ。
「綺麗ですね。これ、翡翠・・・かな」
何気なく零した名無しさんの言葉に、馬超は大きく頷いた。
「うむ!お前に似合いそうだ!」
「・・・え?」
「店主!これを二つ貰おう!」
「えっ!?」
止める間もなく銭が払われる。
馬超は一本を自分の腕へ結ぶと、もう一本を名無しさんへ差し出した。
「ほら!付けてやろう!」
「いえ、結構です」
即答した名無しさんに、馬超は不満そうに眉を寄せる。
「何故だ。綺麗だぞ」
「そう言う問題じゃなくってですね・・・」
言い終わる前に、馬超の手が名無しさんの手首を掴んだ。
「あっ、ちょっ・・・」
慣れない手付きながらも、馬超は器用に組紐を巻き付けた。
両端を引けば、するりと輪が締まる。
「馬超様っ!何するんですか!」
「見ろ!」
馬超は得意気に自分の手首を名無しさんの目の前に掲げた。
深い緑の組紐の先で、翡翠の玉が陽の下で揺れている。
そして、それは名無しさんの手首も同じで、
「お揃いだ!」
余りの嬉しさに、馬超は大声を上げた。
「お揃いって・・・」
名無しさんは自分の手首に巻かれた組紐を見て、溜め息を吐く。
馬超様、絶対に意味分かってない。
でも、綺麗だ。
「・・・気に入らないか?」
と、沈んだ声で言う馬超に、名無しさんははっと我に返り、態とぶっきらぼうに言った。
「気に入らないなんて、私、一言も言ってませんよね?」
それから、ちょっと持ち上げて自分の目の前に持って来ると、恩着せがましく続ける。
「まあ、仕事するのにはちょっと邪魔かもしれませんけど。・・・馬超様がどうしてもって言うなら、貰ってあげます」
馬超は忽ち破顔すると、勢い込んで言った。
「そうか!なら、どうしてもだ!」
そんな風に笑うなんて、狡い。
名無しさんは熱くなる頬を見られたくなくて、顔を逸らすと、少し怒ったように言う。
「お皿、探しますよ」
「ああ!任せておけ!」
西へ傾いた陽が、川面を茜色に染めている。
買い物でくたくたになった二人は、城に戻る前に休憩しようと川沿いの堤に腰を下ろしていた。
昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
馬超は珍しく静かに川を見詰めていた。
あれだけ騒がしかったのに、 今は何も言わない。
その横顔を、名無しさんはそっと盗み見る。
水面に映る月の色のような髪。
夕陽に照らされた顔立ちは彫刻のように整っていて、普段の暑苦しさを忘れそうになる程だった。
不意に、馬超が低く呟く。
「・・・俺は、不器用だな」
「え?」
名無しさんが目を瞬かせると、馬超は自分の手を見下ろした。
武器しか握って来なかった手だ。
「戦場なら分かるのだ。どう動けば良いか。何を守れば良いか」
ぽつり、ぽつりと続く声は、いつもよりずっと静かだった。
「だが、お前の前に立つと分からなくなる」
馬超は困ったように笑う。
「守ると言っておきながら、お前を困らせてばかりで・・・済まない」
そんな風に言うなんて、狡い。
昼間、あれほど騒がしかった男が、今はまるで叱られた子供みたいな顔をしていた。
名無しさんは少し迷ってから、口を開く。
「そうですね。・・・でも、嫌ではないですよ」
夕暮れの風が、二人の間を静かに抜けて行った。
手首で揺れる翡翠を見ながら、名無しさんは小さく続ける。
「馬超様の、その真っ直ぐな所、結構好きだなって思ってるんですよ」
名無しさんは膝を両手で抱え、そこに頭を預けて顔だけを馬超に向ける。
彼の顔が、真っ赤に染まっていた。
「名無しさん・・・!」
馬超の大きな手が名無しさんの肩に触れる。
名無しさんは緩く微笑んだ。
「・・・俺が傍に居ても良いのか?」
「どうしてもって言うなら、居させてあげても良いですよ?」
その言葉に、馬超は息を呑む。
そして次の瞬間、
「届いたぞ!!」
「きゃっ!?」
馬超は名無しさんを勢いよく抱き締め、そのままぐるぐるとその場で回り始めた。
「名無しさんが俺の腕の中に!!「我が心にどれほど喜ばしいことか」!」
「馬超様っ!目、目が回るっ!」
馬超はそのまま荷袋でも担ぐように名無しさんを肩に持ち上げる。
「よし、行くぞ!」
「行くって・・・何処に?」
嫌な予感がした。
馬超が満面の笑みで走り出す。
「薬屋だ!」
「矢っ張り!?聞くんじゃなかった!」
夕暮れの堤に、名無しさんの悲鳴が響き渡った。
「待って、馬超様!私、二月 とか無理です!」
「何を言う!その気になれば出来ない事はない!」
「その気って何!?」
名無しさんは馬超の背中の上で必死にもがく。
「せめて二日!駄目なら三日!それでも駄目なら五日で許して下さい!!」
すると、馬超の足がぴたりと止まった。
名無しさんが、しまったと思った時には遅い。
馬超は益々の笑顔を浮かべて言う。
「よし!五日は付き合ってくれるんだな!」
「あああ私とした事が!」
夕陽の中を駆けて行く二人の姿に、道行く人々は思わず振り返る。
それはまるで、誰より騒がしく、 誰より真っ直ぐで、 誰より幸せそうな恋人同士だった。
→あとがき
怒っているくせに、繋いだ手がそのままだった。
二人は店を構える通りを抜け、露店が並ぶ道へと差し掛かる。
草臥れた筵の上に並ぶ品物は、草履から薪までと幅広い。
「こんな所で何を買うんだ?」
「こんな所だからですよ」
未だ怒っているのだろう、名無しさんの口調は素っ気なく、馬超を振り向きもしなかったが、答える気がない訳ではないのだろう。
「誰とは言いませんが、宴の度に皿と言う皿を割ってくれるので直ぐに足りなくなるんです。良い物なんて高くて買えません」
「・・・済まん?」
その言葉に、名無しさんがくすりと笑って振り向いた。
「何で疑問系なんですか」
「いや・・・俺だけではないだろうし」
「まあ、否定はしませんね」
名無しさんは肩を竦めながら、前を向く。
その背中に、馬超は胸を僅かに軽くした。
どうやら、少しは機嫌が直ったらしい。
そう思った時だった。
馬超は視線の先に煌めくものを見付け、彼女の手を引いた。
「名無しさん、見ろ」
有無を言わせず、そちらに連れて行く。
筵の上に並べられた組紐を、馬超がしゃがみ込んで手に取った。
必然的に名無しさんも隣に並ぶ。
「綺麗ですね。これ、翡翠・・・かな」
何気なく零した名無しさんの言葉に、馬超は大きく頷いた。
「うむ!お前に似合いそうだ!」
「・・・え?」
「店主!これを二つ貰おう!」
「えっ!?」
止める間もなく銭が払われる。
馬超は一本を自分の腕へ結ぶと、もう一本を名無しさんへ差し出した。
「ほら!付けてやろう!」
「いえ、結構です」
即答した名無しさんに、馬超は不満そうに眉を寄せる。
「何故だ。綺麗だぞ」
「そう言う問題じゃなくってですね・・・」
言い終わる前に、馬超の手が名無しさんの手首を掴んだ。
「あっ、ちょっ・・・」
慣れない手付きながらも、馬超は器用に組紐を巻き付けた。
両端を引けば、するりと輪が締まる。
「馬超様っ!何するんですか!」
「見ろ!」
馬超は得意気に自分の手首を名無しさんの目の前に掲げた。
深い緑の組紐の先で、翡翠の玉が陽の下で揺れている。
そして、それは名無しさんの手首も同じで、
「お揃いだ!」
余りの嬉しさに、馬超は大声を上げた。
「お揃いって・・・」
名無しさんは自分の手首に巻かれた組紐を見て、溜め息を吐く。
馬超様、絶対に意味分かってない。
でも、綺麗だ。
「・・・気に入らないか?」
と、沈んだ声で言う馬超に、名無しさんははっと我に返り、態とぶっきらぼうに言った。
「気に入らないなんて、私、一言も言ってませんよね?」
それから、ちょっと持ち上げて自分の目の前に持って来ると、恩着せがましく続ける。
「まあ、仕事するのにはちょっと邪魔かもしれませんけど。・・・馬超様がどうしてもって言うなら、貰ってあげます」
馬超は忽ち破顔すると、勢い込んで言った。
「そうか!なら、どうしてもだ!」
そんな風に笑うなんて、狡い。
名無しさんは熱くなる頬を見られたくなくて、顔を逸らすと、少し怒ったように言う。
「お皿、探しますよ」
「ああ!任せておけ!」
西へ傾いた陽が、川面を茜色に染めている。
買い物でくたくたになった二人は、城に戻る前に休憩しようと川沿いの堤に腰を下ろしていた。
昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
馬超は珍しく静かに川を見詰めていた。
あれだけ騒がしかったのに、 今は何も言わない。
その横顔を、名無しさんはそっと盗み見る。
水面に映る月の色のような髪。
夕陽に照らされた顔立ちは彫刻のように整っていて、普段の暑苦しさを忘れそうになる程だった。
不意に、馬超が低く呟く。
「・・・俺は、不器用だな」
「え?」
名無しさんが目を瞬かせると、馬超は自分の手を見下ろした。
武器しか握って来なかった手だ。
「戦場なら分かるのだ。どう動けば良いか。何を守れば良いか」
ぽつり、ぽつりと続く声は、いつもよりずっと静かだった。
「だが、お前の前に立つと分からなくなる」
馬超は困ったように笑う。
「守ると言っておきながら、お前を困らせてばかりで・・・済まない」
そんな風に言うなんて、狡い。
昼間、あれほど騒がしかった男が、今はまるで叱られた子供みたいな顔をしていた。
名無しさんは少し迷ってから、口を開く。
「そうですね。・・・でも、嫌ではないですよ」
夕暮れの風が、二人の間を静かに抜けて行った。
手首で揺れる翡翠を見ながら、名無しさんは小さく続ける。
「馬超様の、その真っ直ぐな所、結構好きだなって思ってるんですよ」
名無しさんは膝を両手で抱え、そこに頭を預けて顔だけを馬超に向ける。
彼の顔が、真っ赤に染まっていた。
「名無しさん・・・!」
馬超の大きな手が名無しさんの肩に触れる。
名無しさんは緩く微笑んだ。
「・・・俺が傍に居ても良いのか?」
「どうしてもって言うなら、居させてあげても良いですよ?」
その言葉に、馬超は息を呑む。
そして次の瞬間、
「届いたぞ!!」
「きゃっ!?」
馬超は名無しさんを勢いよく抱き締め、そのままぐるぐるとその場で回り始めた。
「名無しさんが俺の腕の中に!!「我が心にどれほど喜ばしいことか」!」
「馬超様っ!目、目が回るっ!」
馬超はそのまま荷袋でも担ぐように名無しさんを肩に持ち上げる。
「よし、行くぞ!」
「行くって・・・何処に?」
嫌な予感がした。
馬超が満面の笑みで走り出す。
「薬屋だ!」
「矢っ張り!?聞くんじゃなかった!」
夕暮れの堤に、名無しさんの悲鳴が響き渡った。
「待って、馬超様!私、
「何を言う!その気になれば出来ない事はない!」
「その気って何!?」
名無しさんは馬超の背中の上で必死にもがく。
「せめて二日!駄目なら三日!それでも駄目なら五日で許して下さい!!」
すると、馬超の足がぴたりと止まった。
名無しさんが、しまったと思った時には遅い。
馬超は益々の笑顔を浮かべて言う。
「よし!五日は付き合ってくれるんだな!」
「あああ私とした事が!」
夕陽の中を駆けて行く二人の姿に、道行く人々は思わず振り返る。
それはまるで、誰より騒がしく、 誰より真っ直ぐで、 誰より幸せそうな恋人同士だった。
→あとがき