我が心にどれほど喜ばしいことか
貴女のお名前
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至上の喜び。
柔らかい陽射しが、開け放たれた窓から穏やかに射し込んでいた。
風に揺れる木々の葉擦れの音。
遠くから聞こえる兵たちの笑い声。
戦のない城内は、今日も長閑そのものだ。
そんな平和な空気の中で、名無しさんは机に向かい、山のように積まれた木簡を整理していた。
「ええと、これは倉庫管理用。こっちは買い出し記録・・・」
一々声に出して確認しては、息を吐く。
「全く、諸葛亮様も人使いが荒いんだから・・・」
と、彼女の口から溢れてしまうのも無理はなかった。
戦はなくとも、この雑務、いや地味な仕事、いや縁の下の力持ちは常に必要なのだ。
ただ進んでやる人が居ないのよね、と名無しさんは手元の木簡を開く。
今でこそ、蜀と言う地を得たが、元々は根無し草。
頼れるのは己の腕のみで、頭を使うよりも体を動かす方が得意な者が多い。
だからこそ、この乱世を逞しく生き延びて来れたのかもしれないが。
その所為か、武一辺倒で来た者たちは木簡、或いは机作業に重度の拒否反応を示す。
逃げ腰の彼らに、横からああだこうだと口を出す手間を考えたら、結局は自分でやった方が早いと思わないでもなかった。
名無しさんは広げた木簡を前に、筆先を整える。
少し、休みたい。
そう思いながら、筆を動かし始めた時だった。
「名無しさん!名無しさん!名無しさん!」
名前を連呼する大声に、名無しさんの手がびくりと跳ねる。
その勢いで筆先が滑り、木簡の上へ無惨な墨の線を引いた。
誰だと思うまでもない、こんな馬鹿みたいに大声で人の名を連呼するのは名無しさんが知る限り、一人しか居なかった。
扉を叩き、中を窺う礼儀もなく、馬超が勢いに任せて部屋に踏み込んで来る。
その激しさに、蝶番が弾け飛んだ。
扉が傾きながら、ぎぃ・・・と情けない音を立てる。
「名無しさんっ!」
「そんな大声出さなくっても聞こえてますよ!」
両手で耳を塞ぎ、言い返す彼女の声も大きい。
馬超は名無しさんの傍まで遣って来ると、胸をどんっと叩いて誇らしげに言った。
「聞いてくれ、名無しさん!俺は今日、とうとう庭の大岩を持ち上げる事が出来たぞ!」
だから何だと、冷ややかな視線を向けるが、馬超には伝わらない。
馬超は強く拳を握り、何処か陶酔した様子で言葉を続ける。
「俺は常々思っていたのだ。あの大岩、恐らく名無しさんと同じ重さだろうと」
庭の大岩とは、あのどっしりとした大岩の事だろうと、それを思い浮かべ、名無しさんは眉をぴくりと跳ね上げた。
決して軽いとは言わない。
だが、大岩と比べるとは失礼にも程がある、と馬超を睨み付ける。
残念ながらそれも伝わらず、馬超は握った拳を、今度は頭上に突き上げた。
行動までもがうるさい。
「つまり、あの大岩を持ち上げられた今!俺はいつでも名無しさんを持ち上げられると言う事だ!これぞ正義!!」
「馬超様に持ち上げられる予定はありませんけど!?」
「そう照れるな。遠慮なくいつでも言ってくれ!さあ来い!」
いつでも言ってくれと言っておきながら、さあ来いとは何たる矛盾。
そうは思いつつも、両腕を広げ、笑顔を浮かべる馬超に、名無しさんの心がほんの少しだけ揺れた。
暑苦しいが、見た目は良いのだ。
水面に映る月の色のような髪。
その下にある顔立ちは凛々しく精悍で、彫りも深く、この辺りでは少し珍しい容姿をしている。
その姿は城下でも目を引き、聞く所に因れば、趙雲と並んで女官たち、城下の女性たちの間では人気らしい。
まあ、中身はこれだけど、一応は五虎将だし。
名無しさんはこっそりと溜め息を吐き、木簡へ視線を戻した。
心を揺らした事など知らぬ顔で、彼女は言う。
「私、馬超様の相手をしてる程、暇じゃないです。これが終わったら、城下に行かなくちゃ」
「何、城下だと!?それこそ俺の出番ではないか!護衛から荷物持ちまでこの馬孟起に任せておけ!」
と、言うなり、馬超は名無しさんの腕を強引に引っ張った。
「さあ、行くぞ名無しさん!お前は俺が守る!」
「これが終わったらって言いましたよね!?」
名無しさんの抗議など意に介した様子もなく、馬超はずんずんと廊下を進んで行く。
半ば引き摺られるようにしながら、名無しさんは深々と溜め息を吐いた。
部屋の傾いた扉が遠ざかる。
あれ、誰が直すんだろう・・・。
柔らかい陽射しが、開け放たれた窓から穏やかに射し込んでいた。
風に揺れる木々の葉擦れの音。
遠くから聞こえる兵たちの笑い声。
戦のない城内は、今日も長閑そのものだ。
そんな平和な空気の中で、名無しさんは机に向かい、山のように積まれた木簡を整理していた。
「ええと、これは倉庫管理用。こっちは買い出し記録・・・」
一々声に出して確認しては、息を吐く。
「全く、諸葛亮様も人使いが荒いんだから・・・」
と、彼女の口から溢れてしまうのも無理はなかった。
戦はなくとも、この雑務、いや地味な仕事、いや縁の下の力持ちは常に必要なのだ。
ただ進んでやる人が居ないのよね、と名無しさんは手元の木簡を開く。
今でこそ、蜀と言う地を得たが、元々は根無し草。
頼れるのは己の腕のみで、頭を使うよりも体を動かす方が得意な者が多い。
だからこそ、この乱世を逞しく生き延びて来れたのかもしれないが。
その所為か、武一辺倒で来た者たちは木簡、或いは机作業に重度の拒否反応を示す。
逃げ腰の彼らに、横からああだこうだと口を出す手間を考えたら、結局は自分でやった方が早いと思わないでもなかった。
名無しさんは広げた木簡を前に、筆先を整える。
少し、休みたい。
そう思いながら、筆を動かし始めた時だった。
「名無しさん!名無しさん!名無しさん!」
名前を連呼する大声に、名無しさんの手がびくりと跳ねる。
その勢いで筆先が滑り、木簡の上へ無惨な墨の線を引いた。
誰だと思うまでもない、こんな馬鹿みたいに大声で人の名を連呼するのは名無しさんが知る限り、一人しか居なかった。
扉を叩き、中を窺う礼儀もなく、馬超が勢いに任せて部屋に踏み込んで来る。
その激しさに、蝶番が弾け飛んだ。
扉が傾きながら、ぎぃ・・・と情けない音を立てる。
「名無しさんっ!」
「そんな大声出さなくっても聞こえてますよ!」
両手で耳を塞ぎ、言い返す彼女の声も大きい。
馬超は名無しさんの傍まで遣って来ると、胸をどんっと叩いて誇らしげに言った。
「聞いてくれ、名無しさん!俺は今日、とうとう庭の大岩を持ち上げる事が出来たぞ!」
だから何だと、冷ややかな視線を向けるが、馬超には伝わらない。
馬超は強く拳を握り、何処か陶酔した様子で言葉を続ける。
「俺は常々思っていたのだ。あの大岩、恐らく名無しさんと同じ重さだろうと」
庭の大岩とは、あのどっしりとした大岩の事だろうと、それを思い浮かべ、名無しさんは眉をぴくりと跳ね上げた。
決して軽いとは言わない。
だが、大岩と比べるとは失礼にも程がある、と馬超を睨み付ける。
残念ながらそれも伝わらず、馬超は握った拳を、今度は頭上に突き上げた。
行動までもがうるさい。
「つまり、あの大岩を持ち上げられた今!俺はいつでも名無しさんを持ち上げられると言う事だ!これぞ正義!!」
「馬超様に持ち上げられる予定はありませんけど!?」
「そう照れるな。遠慮なくいつでも言ってくれ!さあ来い!」
いつでも言ってくれと言っておきながら、さあ来いとは何たる矛盾。
そうは思いつつも、両腕を広げ、笑顔を浮かべる馬超に、名無しさんの心がほんの少しだけ揺れた。
暑苦しいが、見た目は良いのだ。
水面に映る月の色のような髪。
その下にある顔立ちは凛々しく精悍で、彫りも深く、この辺りでは少し珍しい容姿をしている。
その姿は城下でも目を引き、聞く所に因れば、趙雲と並んで女官たち、城下の女性たちの間では人気らしい。
まあ、中身はこれだけど、一応は五虎将だし。
名無しさんはこっそりと溜め息を吐き、木簡へ視線を戻した。
心を揺らした事など知らぬ顔で、彼女は言う。
「私、馬超様の相手をしてる程、暇じゃないです。これが終わったら、城下に行かなくちゃ」
「何、城下だと!?それこそ俺の出番ではないか!護衛から荷物持ちまでこの馬孟起に任せておけ!」
と、言うなり、馬超は名無しさんの腕を強引に引っ張った。
「さあ、行くぞ名無しさん!お前は俺が守る!」
「これが終わったらって言いましたよね!?」
名無しさんの抗議など意に介した様子もなく、馬超はずんずんと廊下を進んで行く。
半ば引き摺られるようにしながら、名無しさんは深々と溜め息を吐いた。
部屋の傾いた扉が遠ざかる。
あれ、誰が直すんだろう・・・。