慎ましい娘
貴女のお名前
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一方、その隣で名無しさんの心臓は先程から落ち着きなく鳴り続けていた。
花を髪へ挿された、ただ、それだけの事だ。
けれど、名無しさんにとっては、それだけでは済まなかった。
彼女の中では花は畑や山に咲くものだ。
季節が来れば実を付け、時には腹を満たし、時には薬にもなる。
そうと過ごして来ていながらも、袁紹がしたように、男の人が女の人の髪に花を飾って居る所を、見た事がなかった訳ではない。
大抵、それは思いを伝える時の事で、まさか自分の身に降りかかるとは思ってもみなかったのだ。
名無しさんは手を伸ばし、そっと髪へ触れる。
指先に当たる山茱萸は柔らかく、微かに甘い香りが鼻先を擽った。
その香りに花を挿した時の、袁紹の指が髪に触れた感覚を思い出してしまい、名無しさんは再び顔を熱くする。
袁紹にとっては、何気ない事だったのかもしれない。
名族の間では、これが普通なのかもしれない。
けれど、自分には初めてだった。
花を贈られた事も、 似合うと言われた事も。
何より、自分の為に花を選んでくれた事が、どうしようもなく嬉しかった。
胸の奥が擽ったくて、何だかじっとしていられない、こんな気持ちは初めてで、名無しさんは困ったように唇を引き結ぶ。
嬉しいでいっぱいになりそう。
名無しさんは小さく息を吸うと、隣に座る袁紹を見上げた。
「あの、袁紹様」
「何だ」
「その・・・」
口にしようとすると、途端にまた恥ずかしくなる。
けれど、言わなければと思った。
名無しさんは胸の前でぎゅっと指を組み、震えそうになる声で言う。
「わ、私・・・嬉しかったです」
「何?」
「お花、です。あんな風にして頂いたの、初めてだったから・・・」
袁紹は、直ぐに言葉を返せなかった。
嬉しいと言われた事自体は、決して初めてではない。
名族としての立場上、礼として頭を下げられる事も、感謝を述べられる事も、これまで幾度となくあった。
だが、目の前の娘が口にしたそれは、それらとはまるで質が違っていた。
高価な玉を用いた簪でもなければ、金糸銀糸を散りばめた豪華な衣装でもない。
幾つもある庭の内の一つの、それらを飾る、花を付けて咲く幾つもの枝の、たった一振り、それだけで、頬を染め、嬉しいと言う。
袁紹は名無しさんの向こうの山茱萸を見た。
晴れた空の下で風に揺れる黄色の花。
「・・・そうか」
袁紹は一度言葉を切り、庭を見渡す。
「ならば、この庭を名無しさんにやろう」
「え・・・?」
と、短く聞き返して来る彼女に、袁紹は呆れたように続けて言った。
「聞こえなかったか?この庭をお前にやると言ったのだ」
庭を与えるというのは、袁紹にとっては大した事ではない。
妻や息子たちはそれぞれに割り当てられた区画を持ち、そこを自分の場として過ごす。
それはこの屋敷では、当たり前の事だった。
しかし、花の一枝、そんなもので喜ぶ彼女にとっては、庭という単位そのものが過剰に映るのだろう。
名無しさんは何かとんでもない事をさらりと言われているような気がして、思わず聞き返す。
「お、お庭を・・・ですか?」
「何を驚く。名無しさんは既にこの袁本初の妻、名族の一員であるぞ。庭の一つや二つで・・・」
大袈裟なと、言いかける言葉を飲み込み、袁紹は胸の前で組んだままの、名無しさんの荒れた手に視線を移した。
官職は名ばかりで、日頃から土と水に触れて生きてきた手。
高価なものなど、そう幾つも与えられて来なかったのだろうと思えば、彼女の戸惑いも分からぬでもないが。
袁紹は視線を庭へ戻し、静かに言った。
「・・まあ、数はどうでも良い。だが、私がやると決めたのだ。拒否は認めぬ」
そうして、名無しさんの頬に髪が落ちている事に気が付くと、手を伸ばし、元の位置に戻しながら続けて言う。
「これでも未だ小さい方だ。お前のように「慎ましい娘」にはこれ位が丁度良いだろう」
「・・・はい」
名無しさんは僅かに躊躇う様子を見せたが、少しの間を置いて頷いた。
庭を与えられると言うのが、どう言う意味を持つのか分からない訳ではない。
田舎育ちで上手くやっていける自信もない。
それでも、髪に花を挿してくれた袁紹の指の感触と、胸に覚えた熱に、名無しさんは自分の意思でここに居たいと思った。
名無しさんは緩く微笑みながら言う。
「・・・この庭に相応しくなろうと思います」
「それで良い」
袁紹が満足そうに頷いた。
→あとがき
花を髪へ挿された、ただ、それだけの事だ。
けれど、名無しさんにとっては、それだけでは済まなかった。
彼女の中では花は畑や山に咲くものだ。
季節が来れば実を付け、時には腹を満たし、時には薬にもなる。
そうと過ごして来ていながらも、袁紹がしたように、男の人が女の人の髪に花を飾って居る所を、見た事がなかった訳ではない。
大抵、それは思いを伝える時の事で、まさか自分の身に降りかかるとは思ってもみなかったのだ。
名無しさんは手を伸ばし、そっと髪へ触れる。
指先に当たる山茱萸は柔らかく、微かに甘い香りが鼻先を擽った。
その香りに花を挿した時の、袁紹の指が髪に触れた感覚を思い出してしまい、名無しさんは再び顔を熱くする。
袁紹にとっては、何気ない事だったのかもしれない。
名族の間では、これが普通なのかもしれない。
けれど、自分には初めてだった。
花を贈られた事も、 似合うと言われた事も。
何より、自分の為に花を選んでくれた事が、どうしようもなく嬉しかった。
胸の奥が擽ったくて、何だかじっとしていられない、こんな気持ちは初めてで、名無しさんは困ったように唇を引き結ぶ。
嬉しいでいっぱいになりそう。
名無しさんは小さく息を吸うと、隣に座る袁紹を見上げた。
「あの、袁紹様」
「何だ」
「その・・・」
口にしようとすると、途端にまた恥ずかしくなる。
けれど、言わなければと思った。
名無しさんは胸の前でぎゅっと指を組み、震えそうになる声で言う。
「わ、私・・・嬉しかったです」
「何?」
「お花、です。あんな風にして頂いたの、初めてだったから・・・」
袁紹は、直ぐに言葉を返せなかった。
嬉しいと言われた事自体は、決して初めてではない。
名族としての立場上、礼として頭を下げられる事も、感謝を述べられる事も、これまで幾度となくあった。
だが、目の前の娘が口にしたそれは、それらとはまるで質が違っていた。
高価な玉を用いた簪でもなければ、金糸銀糸を散りばめた豪華な衣装でもない。
幾つもある庭の内の一つの、それらを飾る、花を付けて咲く幾つもの枝の、たった一振り、それだけで、頬を染め、嬉しいと言う。
袁紹は名無しさんの向こうの山茱萸を見た。
晴れた空の下で風に揺れる黄色の花。
「・・・そうか」
袁紹は一度言葉を切り、庭を見渡す。
「ならば、この庭を名無しさんにやろう」
「え・・・?」
と、短く聞き返して来る彼女に、袁紹は呆れたように続けて言った。
「聞こえなかったか?この庭をお前にやると言ったのだ」
庭を与えるというのは、袁紹にとっては大した事ではない。
妻や息子たちはそれぞれに割り当てられた区画を持ち、そこを自分の場として過ごす。
それはこの屋敷では、当たり前の事だった。
しかし、花の一枝、そんなもので喜ぶ彼女にとっては、庭という単位そのものが過剰に映るのだろう。
名無しさんは何かとんでもない事をさらりと言われているような気がして、思わず聞き返す。
「お、お庭を・・・ですか?」
「何を驚く。名無しさんは既にこの袁本初の妻、名族の一員であるぞ。庭の一つや二つで・・・」
大袈裟なと、言いかける言葉を飲み込み、袁紹は胸の前で組んだままの、名無しさんの荒れた手に視線を移した。
官職は名ばかりで、日頃から土と水に触れて生きてきた手。
高価なものなど、そう幾つも与えられて来なかったのだろうと思えば、彼女の戸惑いも分からぬでもないが。
袁紹は視線を庭へ戻し、静かに言った。
「・・まあ、数はどうでも良い。だが、私がやると決めたのだ。拒否は認めぬ」
そうして、名無しさんの頬に髪が落ちている事に気が付くと、手を伸ばし、元の位置に戻しながら続けて言う。
「これでも未だ小さい方だ。お前のように「慎ましい娘」にはこれ位が丁度良いだろう」
「・・・はい」
名無しさんは僅かに躊躇う様子を見せたが、少しの間を置いて頷いた。
庭を与えられると言うのが、どう言う意味を持つのか分からない訳ではない。
田舎育ちで上手くやっていける自信もない。
それでも、髪に花を挿してくれた袁紹の指の感触と、胸に覚えた熱に、名無しさんは自分の意思でここに居たいと思った。
名無しさんは緩く微笑みながら言う。
「・・・この庭に相応しくなろうと思います」
「それで良い」
袁紹が満足そうに頷いた。
→あとがき