あなたが愛情を込めて
貴女のお名前
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もう知っても良い頃合い。
娘の様子がおかしいと気付いたのは、矢張と言うべきか、母親だった。
年頃の女性らしく、それなりに着飾る事や流行り物に興味を持っていた娘だったが、それが最近は特に際立って見える。
「やっぱり、もう一回見直してくるわ」
今日も家を出る直前にそう言って鏡の前に走り出す始末、張春華はやれやれと溜め息を吐いた。
「可愛いわよ」
と、言っても中々納得しようとしないのが常で、
「この服だと子供っぽく見えないかしら」
だの、
「こっちの簪の方が良いかしら」
だのと、身支度に余念がない。
「名無しさん、早くしないと。出てしまわれるわよ」
そう言って漸く、名無しさんが鏡に背を向ける。
「全く・・毎回毎回」
呆れたように頭に手をやる張春華を、用意を済ませた司馬懿が宥めて言った。
「まあ良いではないか。名無しさんも年頃だ、色々気になるのだろう。見た目で判断する者も居る、身綺麗にしておくに越した事はない」
「そうやって旦那様が甘やかすから」
張春華は今度は司馬懿に向かって溜め息を吐いて見せる。
「それに、名無しさんのあれは年頃と言うだけではありませんわ」
「うん?ならば何だと言うのだ」
「・・・旦那様はもう少し女心を勉強なさいませ。どう見ても恋をしている顔ではありませんか」
「何・・・?」
司馬懿は見るからに狼狽え、妻に尋ねて言った。
「い、一体誰にだ!?春華は知っているのか!?」
「私が知る筈がないでしょう。寧ろ、旦那様の方がご存知なのでは?」
「いや、知らん。知らんぞ、私は・・・そんな素振りを見た覚えはない」
「ですが、名無しさんがああなるのは旦那様のお手伝いをする時だけですわ」
そう言われても思い当たる事がない、司馬懿は低く唸る。
今日は目を光らせておくとしよう。
恋だの、何だの、名無しさんには未だ早い!
月に数回、名無しさんは司馬懿の手伝いで城に上がる。
手伝いと言っても、蝶よ花よと育てて来た彼女に大した事ができる訳ではない。
言われたものを取りに行く、或いは届けに行くだけの、子どものお使いみたいなものだ。
それ位が丁度良いだろうとやらせてみたは良いものの、知らぬ内に余計なものを拾って来るとは想像もしていなかったが。
父親としては、愛娘の成長が嬉しくもあり、寂しくもありと言った所か。
「お父様、次は?何をしたら良いですか?」
と、名無しさんが数冊の書を机に置き、身を乗り出すようにして言った。
「うむ・・・これを」
司馬懿は書き終わったばかりの書簡を差し出す。
届ける相手の名前を伝えると、名無しさんは直ぐ様出て行った。
その足取りが軽やかに見えたのは、司馬懿の気の所為か。
追い掛けて行きたいが、生憎と暇ではない身の上が恨めしい。
何処のどいつだ、可愛い名無しさんを誑かしたのは。
司馬懿は筆を握る手に、ぐっと力を込めた。
さて、当の名無しさんである。
司馬懿に言われた通り、書簡を届けた彼女は歩き慣れた廊下を戻る。
来た時もそうしたように、その場所が近付くに連れて、名無しさんは前髪をそっと撫で付けた。
胸に手を宛て、ゆっくりと息を整える。
やがて、男たちの掛け声が耳に届いた。
名無しさんは歩みを緩める事なく、通りすがりにさり気なく視線をそちらへ向ける。
大柄なその姿は何処に居ても目を引く、探すまでもなかった。
そこに彼の姿を見付けた瞬間、名無しさんの胸が大きく跳ねる。
一方で、鍛錬中の彼がこちらに気付く筈もなければ、挨拶は疎か、会釈の一つもない。
それでも、ただ見掛けるだけで胸が高鳴ってしまう。
今日も素敵、名無しさんは緩みそうになる歩みを努めて堪えながら廊下を進んだ。
髪に挿した簪が、彼女の歩みに合わせて小さく弾む。
午前中いっぱい、手伝いに駆け回っていた名無しさんは父親から報酬という名のお小遣いを受け取ると、いそいそと懐にしまい込んだ。
司馬懿は何気なくそれを見ていたが、今朝の春華の言葉を思い出す。
「どう見ても恋をしている顔ではありませんか」
改めて見てみれば、ちょっと襟や裾を直したりする仕草が落ち着かないようにも見える。
司馬懿は態とらしく咳払いをして言った。
「その・・・名無しさんよ、いつも真っ直ぐ帰っているのか?」
そんな事を聞いたのは初めてだった。
気にもならなかったのだ、今朝までは。
「・・・どうして、そんな事聞くの?」
と、質問に質問で返して来る彼女に、司馬懿は微かに眉間に皺を寄せた。
矢張り、春華の言う通りか。
「いや、深い意味はない。ただ、一人で帰らせてお前の身に何かあったらと心配になっただけだ」
「平気よ、もう子どもじゃないもの」
未だ子どもだと言いかける言葉を、司馬懿は寸での所で飲み込む。
下手な事を言って名無しさんに嫌われるなぞ、死んでも御免だ。
「そうか・・・。ならば良い、気を付けて帰れ」
「はぁい」
名無しさんは礼を執ると踵を返して出て行った。
その跳ねるような足取りと、何やら浮ついた後ろ姿に、司馬懿は思う。
礼の執る所作も申し分ない。
・・・親の知らぬ内に少しずつ大人になっていくのは当然か。
いつかは嫁に出さねばならんのだ。
不意に、目の奥が熱を持った気がした。
名無しさんは敢えて遠回りをして城門に向かう。
上手くいけば、もう一度見かけられるかもしれない。
その為に、名無しさんは日頃から彼の行動をそれとなく目で追っていた。
残念ながら、思った所では見かけなかったが、その少し先で彼の背中を見付ける。
「鄧艾様!」
呼び掛けに応えて振り向いた彼は足を止め、名無しさんの姿を認めると、軽く会釈をしてみせた。
駆け寄って来た彼女に尋ねる。
「名無しさん殿。今日はもうお帰りか」
「はい、鄧艾様は・・・」
と、見遣る鄧艾は鍛錬の時の具足姿ではなく、平服だった。
「自分はこれから城下へ。宜しければ、途中までお送りしましょう」
名無しさんは思わぬ偶然に表情を緩める。
礼を言って、隣に並ぶ鄧艾に尋ねて言った。
「鄧艾様、城下へはどのようなご用事で?」
「いえ、用事と言うものでは。食事に行くだけです」
鄧艾はそう言うと、人には余り理解されないのですがと、前置きをして言う。
「自分は地図作りを得意としております。何の役にも立たないでしょうが、料理を出す店の地図を作ってみるのも面白そうだと思って始めた所・・・気付けば、のめり込んでいました」
苦笑いを浮かべる彼に、名無しさんは瞳を輝かせた。
「まあ!とても楽しそうです。そう言った地図があるときっと便利でしょうね」
鄧艾は意外な返答に、少し驚いたように目を瞬かせる。
「そう思われますか?」
「はい、とっても。だって、美味しかったからまた行きたいなぁって思ってても、辿り着けなかったら残念ですもの」
にこにことした笑顔で言われ、鄧艾は僅かに頬を緩めた。
名無しさんは窺うように彼を見上げると、
「あの、鄧艾様。ご迷惑でなければ・・・今日は私もご一緒しても宜しいですか?」
「一緒に、ですか?」
「私も未だ、お昼食べてないんです」
そう言って、長い睫毛を伏せる。
「お邪魔でなければ、ですけど・・・」
「いえ、そのような事はありません」
鄧艾はきっぱりと言い切った後で、少し間を置いてから続けた。
「ですが、名無しさん殿の口に合うか・・・」
「私、何でも食べます!」
即座に返して来る彼女に、鄧艾は喉の奥でくつくつと笑う。
「では、名無しさん殿をお誘いしても良いでしょうか」
名無しさんはぱっと笑顔になり、何度も頷いた。
娘の様子がおかしいと気付いたのは、矢張と言うべきか、母親だった。
年頃の女性らしく、それなりに着飾る事や流行り物に興味を持っていた娘だったが、それが最近は特に際立って見える。
「やっぱり、もう一回見直してくるわ」
今日も家を出る直前にそう言って鏡の前に走り出す始末、張春華はやれやれと溜め息を吐いた。
「可愛いわよ」
と、言っても中々納得しようとしないのが常で、
「この服だと子供っぽく見えないかしら」
だの、
「こっちの簪の方が良いかしら」
だのと、身支度に余念がない。
「名無しさん、早くしないと。出てしまわれるわよ」
そう言って漸く、名無しさんが鏡に背を向ける。
「全く・・毎回毎回」
呆れたように頭に手をやる張春華を、用意を済ませた司馬懿が宥めて言った。
「まあ良いではないか。名無しさんも年頃だ、色々気になるのだろう。見た目で判断する者も居る、身綺麗にしておくに越した事はない」
「そうやって旦那様が甘やかすから」
張春華は今度は司馬懿に向かって溜め息を吐いて見せる。
「それに、名無しさんのあれは年頃と言うだけではありませんわ」
「うん?ならば何だと言うのだ」
「・・・旦那様はもう少し女心を勉強なさいませ。どう見ても恋をしている顔ではありませんか」
「何・・・?」
司馬懿は見るからに狼狽え、妻に尋ねて言った。
「い、一体誰にだ!?春華は知っているのか!?」
「私が知る筈がないでしょう。寧ろ、旦那様の方がご存知なのでは?」
「いや、知らん。知らんぞ、私は・・・そんな素振りを見た覚えはない」
「ですが、名無しさんがああなるのは旦那様のお手伝いをする時だけですわ」
そう言われても思い当たる事がない、司馬懿は低く唸る。
今日は目を光らせておくとしよう。
恋だの、何だの、名無しさんには未だ早い!
月に数回、名無しさんは司馬懿の手伝いで城に上がる。
手伝いと言っても、蝶よ花よと育てて来た彼女に大した事ができる訳ではない。
言われたものを取りに行く、或いは届けに行くだけの、子どものお使いみたいなものだ。
それ位が丁度良いだろうとやらせてみたは良いものの、知らぬ内に余計なものを拾って来るとは想像もしていなかったが。
父親としては、愛娘の成長が嬉しくもあり、寂しくもありと言った所か。
「お父様、次は?何をしたら良いですか?」
と、名無しさんが数冊の書を机に置き、身を乗り出すようにして言った。
「うむ・・・これを」
司馬懿は書き終わったばかりの書簡を差し出す。
届ける相手の名前を伝えると、名無しさんは直ぐ様出て行った。
その足取りが軽やかに見えたのは、司馬懿の気の所為か。
追い掛けて行きたいが、生憎と暇ではない身の上が恨めしい。
何処のどいつだ、可愛い名無しさんを誑かしたのは。
司馬懿は筆を握る手に、ぐっと力を込めた。
さて、当の名無しさんである。
司馬懿に言われた通り、書簡を届けた彼女は歩き慣れた廊下を戻る。
来た時もそうしたように、その場所が近付くに連れて、名無しさんは前髪をそっと撫で付けた。
胸に手を宛て、ゆっくりと息を整える。
やがて、男たちの掛け声が耳に届いた。
名無しさんは歩みを緩める事なく、通りすがりにさり気なく視線をそちらへ向ける。
大柄なその姿は何処に居ても目を引く、探すまでもなかった。
そこに彼の姿を見付けた瞬間、名無しさんの胸が大きく跳ねる。
一方で、鍛錬中の彼がこちらに気付く筈もなければ、挨拶は疎か、会釈の一つもない。
それでも、ただ見掛けるだけで胸が高鳴ってしまう。
今日も素敵、名無しさんは緩みそうになる歩みを努めて堪えながら廊下を進んだ。
髪に挿した簪が、彼女の歩みに合わせて小さく弾む。
午前中いっぱい、手伝いに駆け回っていた名無しさんは父親から報酬という名のお小遣いを受け取ると、いそいそと懐にしまい込んだ。
司馬懿は何気なくそれを見ていたが、今朝の春華の言葉を思い出す。
「どう見ても恋をしている顔ではありませんか」
改めて見てみれば、ちょっと襟や裾を直したりする仕草が落ち着かないようにも見える。
司馬懿は態とらしく咳払いをして言った。
「その・・・名無しさんよ、いつも真っ直ぐ帰っているのか?」
そんな事を聞いたのは初めてだった。
気にもならなかったのだ、今朝までは。
「・・・どうして、そんな事聞くの?」
と、質問に質問で返して来る彼女に、司馬懿は微かに眉間に皺を寄せた。
矢張り、春華の言う通りか。
「いや、深い意味はない。ただ、一人で帰らせてお前の身に何かあったらと心配になっただけだ」
「平気よ、もう子どもじゃないもの」
未だ子どもだと言いかける言葉を、司馬懿は寸での所で飲み込む。
下手な事を言って名無しさんに嫌われるなぞ、死んでも御免だ。
「そうか・・・。ならば良い、気を付けて帰れ」
「はぁい」
名無しさんは礼を執ると踵を返して出て行った。
その跳ねるような足取りと、何やら浮ついた後ろ姿に、司馬懿は思う。
礼の執る所作も申し分ない。
・・・親の知らぬ内に少しずつ大人になっていくのは当然か。
いつかは嫁に出さねばならんのだ。
不意に、目の奥が熱を持った気がした。
名無しさんは敢えて遠回りをして城門に向かう。
上手くいけば、もう一度見かけられるかもしれない。
その為に、名無しさんは日頃から彼の行動をそれとなく目で追っていた。
残念ながら、思った所では見かけなかったが、その少し先で彼の背中を見付ける。
「鄧艾様!」
呼び掛けに応えて振り向いた彼は足を止め、名無しさんの姿を認めると、軽く会釈をしてみせた。
駆け寄って来た彼女に尋ねる。
「名無しさん殿。今日はもうお帰りか」
「はい、鄧艾様は・・・」
と、見遣る鄧艾は鍛錬の時の具足姿ではなく、平服だった。
「自分はこれから城下へ。宜しければ、途中までお送りしましょう」
名無しさんは思わぬ偶然に表情を緩める。
礼を言って、隣に並ぶ鄧艾に尋ねて言った。
「鄧艾様、城下へはどのようなご用事で?」
「いえ、用事と言うものでは。食事に行くだけです」
鄧艾はそう言うと、人には余り理解されないのですがと、前置きをして言う。
「自分は地図作りを得意としております。何の役にも立たないでしょうが、料理を出す店の地図を作ってみるのも面白そうだと思って始めた所・・・気付けば、のめり込んでいました」
苦笑いを浮かべる彼に、名無しさんは瞳を輝かせた。
「まあ!とても楽しそうです。そう言った地図があるときっと便利でしょうね」
鄧艾は意外な返答に、少し驚いたように目を瞬かせる。
「そう思われますか?」
「はい、とっても。だって、美味しかったからまた行きたいなぁって思ってても、辿り着けなかったら残念ですもの」
にこにことした笑顔で言われ、鄧艾は僅かに頬を緩めた。
名無しさんは窺うように彼を見上げると、
「あの、鄧艾様。ご迷惑でなければ・・・今日は私もご一緒しても宜しいですか?」
「一緒に、ですか?」
「私も未だ、お昼食べてないんです」
そう言って、長い睫毛を伏せる。
「お邪魔でなければ、ですけど・・・」
「いえ、そのような事はありません」
鄧艾はきっぱりと言い切った後で、少し間を置いてから続けた。
「ですが、名無しさん殿の口に合うか・・・」
「私、何でも食べます!」
即座に返して来る彼女に、鄧艾は喉の奥でくつくつと笑う。
「では、名無しさん殿をお誘いしても良いでしょうか」
名無しさんはぱっと笑顔になり、何度も頷いた。