私は愛されている
貴女のお名前
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愛しているとか愛していないとか、それ以前に男の人に見詰められ、触れられる事には未だ少し緊張する。
無意識に体を強張らせる名無しさんを見て取った曹操は、彼女の頬から手を離し、懐を弄って数束の刺繍糸を取り出した。
「忘れる所であった。名無しさん、これをやろう。以前に渡したものとはまた違う、趣のある色であろう」
小さな掌に渡して寄越すと、名無しさんの表情に瞬く間に喜色が浮かぶ。
「まあ・・・素敵な色」
色だけではない、手触りから上質なものだとも分かり、その瞳を輝かせた。
これで何を描こうかしら、この色を引き立てるには、どの花が良いかしらと、考えるだけで心が躍る。
「ありがとうございます、曹操様」
満開の花のような笑顔で礼を言う名無しさんに、曹操はくつくつと喉の奥で笑った。
分かっていたとは言え、糸の一つや二つでこんなに変わるとは。
何やら難しい顔をしておったが、心配する程でもなかったか。
「礼を言われる程でもない。いや、寧ろ儂の方が言わねばならん」
笑い声を納め、曹操は彼女の手元を見て言った。
「それは儂のであろう?」
名無しさんが肯定して短く頷く。
無言で手を差し出され、曹操の手に衣を渡した。
「針を刺したままですから」
「うむ」
曹操は受け取った衣に丁寧に目を通す。
今着ているものもそうだが、相変わらず見事な縫製と刺繍だ。
手元の茉莉花の柄を指先でなぞりながら言った。
「名無しさんよ。これはまた異なる柄だな?」
気付いてもらえた、と名無しさんは嬉しそうな表情で頷く。
今日にも仕上げようと思っていた衣と、今、曹操が着ている衣とで、名無しさんは図柄を変えていた。
よく見なければ分からないが、そこに気付いてもらえたのが嬉しい。
「はい。今回は少しだけ花弁の形を変えてみました」
「ほう」
曹操は手元の衣を改めて眺める。
「確かに違うな」
「未だ咲き始めの頃を刺してます」
名無しさんはそう言うと、曹操の襟元に視線を移した。
「そちらは満開の頃です」
「そうか。随分と凝った事をする」
感心したような息を吐く曹操に、名無しさんはにっこりと微笑む。
「その方が袖を通すのが楽しくなるでしょう?」
そこまで考えているのか、曹操は少し驚き、それから口元を綻ばせた。
儂を楽しませる為か。
恐らく、そこに深い意図はないのだろう。
それでも、自分の為に思案を巡らせた時間があったのだと思えば悪い気はしない。
曹操は衣を丁寧に畳み、名無しさんの手元に戻した。
「うむ、仕上がりが楽しみよ」
その言葉に彼女が本当に嬉しそうに微笑む。
然りげ無く、曹操は名無しさんの腰に手を伸ばしてこちらへと引き寄せた。
名無しさんは一瞬、頬を染めて体を強張らせたが、素直に少しだけ寄り添う。
妻としての役目だもの。
その緊張した様子を、曹操は内心で笑った。
未だ慣れぬか。
彼女に茉莉花を仕立てるように言ってから何度となくその体に触れて来たつもりだが、今ひとつ、名無しさんは響いていないように思う。
政治的な縁だ、致し方ない所もあるだろう。
それでも、刺繍の話の時だけに限るが、嬉しそうに笑う顔を見れば十分か。
曹操は軽く息を吐いて言った。
「名無しさんよ。当然、次の柄も考えていような」
「次、ですか・・・?」
名無しさんはきょとんとして聞き返す。
一枚目は仕上がった、二枚目はもう仕上がろうとしている、そんなに続けて必要なのかしら。
不思議そうに首を傾げる彼女に、曹操はくつりと笑って言った。
「言ったであろう。毎日のように着るのだから草臥れてしまうのも早いと」
そう言えば、そんな事を仰っていたわ、と名無しさんはそれを思い出して、ついでに以前言われた事も含めて色々と思い出す。
曹操が茉莉花を刺繍を施した衣に袖を通す日は、会いたいと言う代わりだったが、その夜は決まって長くなるのだ。
当然、今夜もそうなるのだろうと、考えただけで頬が熱くなり、名無しさんは誤魔化すように視線を伏せる。
妻の勤めだとは分かっているけれど、未だ恥ずかしい。
曹操に腰を更に引き寄せられ、名無しさんは小さく声を上げた。
「そ、曹操様・・・」
「どうした?」
と、尋ねる曹操の声は楽しそうで、その視線は甘く優しい。
何をそんなに愛らしく慌てておるのか、曹操は彼女の耳元へ唇を寄せた。
「名無しさんよ、儂の茉莉花よ。今宵は次に誂える衣の柄を聞かせてもらおうか」
それだけでない事は既に経験済だ。
名無しさんは手の中の鮮やかな刺繍糸を見る。
侍女の言う通り、確かに「私は愛されている」のだろう。
けれど、自分の気持ちは未だ分からない。
いつか、私を茉莉花と呼ぶ曹操様に応える事ができるのかしら。
名無しさんがそんな風に思ったのは、これが初めてだった。
→あとがき
無意識に体を強張らせる名無しさんを見て取った曹操は、彼女の頬から手を離し、懐を弄って数束の刺繍糸を取り出した。
「忘れる所であった。名無しさん、これをやろう。以前に渡したものとはまた違う、趣のある色であろう」
小さな掌に渡して寄越すと、名無しさんの表情に瞬く間に喜色が浮かぶ。
「まあ・・・素敵な色」
色だけではない、手触りから上質なものだとも分かり、その瞳を輝かせた。
これで何を描こうかしら、この色を引き立てるには、どの花が良いかしらと、考えるだけで心が躍る。
「ありがとうございます、曹操様」
満開の花のような笑顔で礼を言う名無しさんに、曹操はくつくつと喉の奥で笑った。
分かっていたとは言え、糸の一つや二つでこんなに変わるとは。
何やら難しい顔をしておったが、心配する程でもなかったか。
「礼を言われる程でもない。いや、寧ろ儂の方が言わねばならん」
笑い声を納め、曹操は彼女の手元を見て言った。
「それは儂のであろう?」
名無しさんが肯定して短く頷く。
無言で手を差し出され、曹操の手に衣を渡した。
「針を刺したままですから」
「うむ」
曹操は受け取った衣に丁寧に目を通す。
今着ているものもそうだが、相変わらず見事な縫製と刺繍だ。
手元の茉莉花の柄を指先でなぞりながら言った。
「名無しさんよ。これはまた異なる柄だな?」
気付いてもらえた、と名無しさんは嬉しそうな表情で頷く。
今日にも仕上げようと思っていた衣と、今、曹操が着ている衣とで、名無しさんは図柄を変えていた。
よく見なければ分からないが、そこに気付いてもらえたのが嬉しい。
「はい。今回は少しだけ花弁の形を変えてみました」
「ほう」
曹操は手元の衣を改めて眺める。
「確かに違うな」
「未だ咲き始めの頃を刺してます」
名無しさんはそう言うと、曹操の襟元に視線を移した。
「そちらは満開の頃です」
「そうか。随分と凝った事をする」
感心したような息を吐く曹操に、名無しさんはにっこりと微笑む。
「その方が袖を通すのが楽しくなるでしょう?」
そこまで考えているのか、曹操は少し驚き、それから口元を綻ばせた。
儂を楽しませる為か。
恐らく、そこに深い意図はないのだろう。
それでも、自分の為に思案を巡らせた時間があったのだと思えば悪い気はしない。
曹操は衣を丁寧に畳み、名無しさんの手元に戻した。
「うむ、仕上がりが楽しみよ」
その言葉に彼女が本当に嬉しそうに微笑む。
然りげ無く、曹操は名無しさんの腰に手を伸ばしてこちらへと引き寄せた。
名無しさんは一瞬、頬を染めて体を強張らせたが、素直に少しだけ寄り添う。
妻としての役目だもの。
その緊張した様子を、曹操は内心で笑った。
未だ慣れぬか。
彼女に茉莉花を仕立てるように言ってから何度となくその体に触れて来たつもりだが、今ひとつ、名無しさんは響いていないように思う。
政治的な縁だ、致し方ない所もあるだろう。
それでも、刺繍の話の時だけに限るが、嬉しそうに笑う顔を見れば十分か。
曹操は軽く息を吐いて言った。
「名無しさんよ。当然、次の柄も考えていような」
「次、ですか・・・?」
名無しさんはきょとんとして聞き返す。
一枚目は仕上がった、二枚目はもう仕上がろうとしている、そんなに続けて必要なのかしら。
不思議そうに首を傾げる彼女に、曹操はくつりと笑って言った。
「言ったであろう。毎日のように着るのだから草臥れてしまうのも早いと」
そう言えば、そんな事を仰っていたわ、と名無しさんはそれを思い出して、ついでに以前言われた事も含めて色々と思い出す。
曹操が茉莉花を刺繍を施した衣に袖を通す日は、会いたいと言う代わりだったが、その夜は決まって長くなるのだ。
当然、今夜もそうなるのだろうと、考えただけで頬が熱くなり、名無しさんは誤魔化すように視線を伏せる。
妻の勤めだとは分かっているけれど、未だ恥ずかしい。
曹操に腰を更に引き寄せられ、名無しさんは小さく声を上げた。
「そ、曹操様・・・」
「どうした?」
と、尋ねる曹操の声は楽しそうで、その視線は甘く優しい。
何をそんなに愛らしく慌てておるのか、曹操は彼女の耳元へ唇を寄せた。
「名無しさんよ、儂の茉莉花よ。今宵は次に誂える衣の柄を聞かせてもらおうか」
それだけでない事は既に経験済だ。
名無しさんは手の中の鮮やかな刺繍糸を見る。
侍女の言う通り、確かに「私は愛されている」のだろう。
けれど、自分の気持ちは未だ分からない。
いつか、私を茉莉花と呼ぶ曹操様に応える事ができるのかしら。
名無しさんがそんな風に思ったのは、これが初めてだった。
→あとがき