慎ましい娘
貴女のお名前
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名族の一員として。
新しく妻を迎えるには良い日和だった。
晴れやかな空から降り注ぐ日差しは柔らかく、吹く風は穏やかで鳥の囀りは耳に心地良い。
しかし、その好天振りとは裏腹に、袁紹の心中 は穏やかではなかった。
明白 に態度に出すようでは大人げない、袁紹は渋くなりそうな表情を努めて堪え、隣に座る女性にちらりと視線を向ける。
女性と呼ぶには未だ早いような、少女の域を僅かに出たばかりであろう彼女は、その小さな体を緊張で更に小さくさせて俯いていた。
その様子に、袁紹はこっそりと溜め息を吐く。
まさか、こんなに幼いとは。
小柄なその背格好の所為だけではない、纏う雰囲気が何処か幼かった。
そうは見えても、嫁ぐには問題のない年齢の筈だ。
四代に亘って三公を輩出した名族と縁を結びたいと望む者は少なくなく、手っ取り早く、年頃の姉妹を、或いは娘を嫁がせようと考える者も居る訳で、何故、彼女を娶る事になったのかを思い出してみれば、矢張り、自らの隠し切れぬ威光が原因かと唸る。
「あの、袁紹様・・・お加減でも?」
と、彼の唸り声に窺うように顔を上げ、尋ねて来る彼女の声は微かに震えていた。
年下の少女に、そのような声音で伺いを立てられ、無碍に扱う程、袁紹は冷たい男ではない。
袁紹は唇の端に薄く笑みを浮かべ、答えて言う。
「いや、これからお前と過ごす日々に思いを馳せていただけよ」
少々、上っ面の良い言葉だったが、彼女はぽっと頬を染めると、恥ずかしそうに顔を元の位置に戻した。
そうして見る彼女は愛らしく、数年も経てば、さぞかし美しい女性になるだろうと期待させる。
無論、彼女がここでの生活に馴染めたのならばの話だが。
彼女は官職だけは立派な、そもそも、本来ならば任命されるものである筈のそれらが、宮中では事もあろうに頻繁に売り買いされていると聞く、昨今では立場と言うものは名ばかりで余り意味もなければ、鄙びた土地の出身だ。
恐らく、贅沢とはおおよそ無縁だったのだろう、土地の者と同じく、日頃から土や水に触れていたらしい彼女の、今は膝に行儀良く置かれた手は荒れている。
そのような生活を送っていたのならば当然、学も教養も不十分である事は容易く想像できた。
一朝一夕で名族になれるものではない、がらりと変わる生活に、色々と苦労をさせる事になるだろう。
幼く見える彼女にそのような毎日を送らせるのは中々に胸が痛む、袁紹はそう思いながら、ありきたりな祝辞に礼を述べていた。
三日三晩続いた豪勢な祝宴が終わった四日目の朝、朝食の席で妻の顔を正面から見た袁紹は、改めて、彼女の健康的な桃色の頬に幼さを覚えた。
袁紹は無意識に、じろじろと不躾な視線を向ける。
それに気付いた彼女が、居心地が悪そうに長い睫毛を伏せて身を固くした。
少々、不躾だったか、袁紹は取り繕うように大きく咳払いをして言う。
「名無しさん、お前は私の妻になったのだ。夫の前でそう緊張せずとも良い」
「は、はい」
上擦った声で答えた名無しさんは、反射的に顔を上げ、ぴしりと背筋を伸ばした。
その様子に、袁紹は忍び笑いを溢す。
名族相手に緊張するなと言って緊張しないで居られる筈もないか。
だが、これよりは名無しさんも名族の一員なのだ、実家に居た頃のように田舎臭く振舞われては困るのだ。
「良いか、名無しさん。装いは勿論だが、相応の振る舞いが伴っておらねば、名族とは言えぬ」
「はい・・・」
「繰り返すが、お前は既にこの袁本初の妻なのだ」
「はい・・・」
「慣れぬ生活に気苦労も多いだろうが、名族の名に恥じぬよう心掛けよ」
「・・・はい」
言葉を重ねる度に俯き、小さくなっていく名無しさんに、袁紹は何故か罪悪感に苛まれた。
当然の事を言っているだけにも関わらず、彼女を虐めているように感じるのは、その小さな見た目が原因か。
袁紹は慌てた様子で言葉を続ける。
「ま、まあ、行く行くはと言う話だ。何も今直ぐでなくとも構わぬ。先ずは・・・食事を楽しむが良い。袁家の料理人が新しい妻にと張り切って作ったのだからな」
「は、はい。あの・・・とても、美味しいです」
名無しさんの所作は意外にも優雅で、袁紹は目を見張った。
最初に抱いた印象程、学も教養も不十分ではないのかも知れない。
杞憂であったかと、袁紹は自らも食事に手を付けながら言った。
「名無しさんよ、食事の後に我が屋敷を案内しよう」
私室にと宛てがわれた部屋の広さから、屋敷も広いのだろうと予想はしていたが、想像の広さに、名無しさんは幾つかの庭園を過ぎた頃には、目を回しそうだった。
嫁ぐ前は朝から晩まで、村の端から端まで駆け回っていたのだ、体力に自信はあったのだが、何せ覚える事が多い。
正直、どこをどう巡り、今どこにいるのかの見当も付かない。
加えて、矢張り未だ緊張している、彼女の表情に疲労が浮かぶのも無理はなかった。
それを見て取った袁紹は丁度、四阿が見えた頃合いもあって名無しさんをそちらへと促した。
漸く座れる、袁紹に勧められるまま椅子に腰を下ろした名無しさんは深く息を吐く。
その様子に、少し無理をさせたかと袁紹は僅かに眉を顰めた。
「疲れたか?」
「いいえ!」
名無しさんは即座に答えると、ぐっと拳を握って見せる。
「全然、へっちゃらです!」
「ふむ・・・ならば良いが」
へっちゃらと言う言葉は些か受け入れ難いが、まあ良い。
袁紹は彼女の隣に腰を下ろし、整えられた庭に満足そうに息を吐いた。
丁度、見頃を迎えた山茱萸が鮮やかに庭を彩っている。
弱いが、甘く爽やかな香りが特徴的で、疲れた体に心地良い。
袁紹は直ぐ傍にも咲いている、その黄色の花を指して言った。
「名無しさん、この花の名は知っていような?」
「その黄色の花ですか」
「いかにも」
名無しさんは花を袁紹越しにじっと見詰め、首を傾げて考える。
ここに来るまでに通った庭でも、袁紹にこうして花の名前を尋ねられては、その度に悩まされた。
日頃から畑に触れていれば、草花を知らぬ事もないが、用があるのはもっぱら可食部分か実用的な部分で、正直、観賞すると言う概念が名無しさんにはない。
未だ一つも答えられてないし、そろそろ何か言わないと、袁紹様に呆れられてしまうんじゃないかしら。
そうなったら、送り出してくれた両親家族、いや村の人皆に面目が立たない。
名無しさんは一生懸命に考える。
けれど、知らないものはどうしたって知らないのだ。
「・・・分かりません」
小さな声で答えた名無しさんに、袁紹は溜め息を吐く。
また呆れられてしまった、名無しさんは体を縮めて俯いた。
新しく妻を迎えるには良い日和だった。
晴れやかな空から降り注ぐ日差しは柔らかく、吹く風は穏やかで鳥の囀りは耳に心地良い。
しかし、その好天振りとは裏腹に、袁紹の
女性と呼ぶには未だ早いような、少女の域を僅かに出たばかりであろう彼女は、その小さな体を緊張で更に小さくさせて俯いていた。
その様子に、袁紹はこっそりと溜め息を吐く。
まさか、こんなに幼いとは。
小柄なその背格好の所為だけではない、纏う雰囲気が何処か幼かった。
そうは見えても、嫁ぐには問題のない年齢の筈だ。
四代に亘って三公を輩出した名族と縁を結びたいと望む者は少なくなく、手っ取り早く、年頃の姉妹を、或いは娘を嫁がせようと考える者も居る訳で、何故、彼女を娶る事になったのかを思い出してみれば、矢張り、自らの隠し切れぬ威光が原因かと唸る。
「あの、袁紹様・・・お加減でも?」
と、彼の唸り声に窺うように顔を上げ、尋ねて来る彼女の声は微かに震えていた。
年下の少女に、そのような声音で伺いを立てられ、無碍に扱う程、袁紹は冷たい男ではない。
袁紹は唇の端に薄く笑みを浮かべ、答えて言う。
「いや、これからお前と過ごす日々に思いを馳せていただけよ」
少々、上っ面の良い言葉だったが、彼女はぽっと頬を染めると、恥ずかしそうに顔を元の位置に戻した。
そうして見る彼女は愛らしく、数年も経てば、さぞかし美しい女性になるだろうと期待させる。
無論、彼女がここでの生活に馴染めたのならばの話だが。
彼女は官職だけは立派な、そもそも、本来ならば任命されるものである筈のそれらが、宮中では事もあろうに頻繁に売り買いされていると聞く、昨今では立場と言うものは名ばかりで余り意味もなければ、鄙びた土地の出身だ。
恐らく、贅沢とはおおよそ無縁だったのだろう、土地の者と同じく、日頃から土や水に触れていたらしい彼女の、今は膝に行儀良く置かれた手は荒れている。
そのような生活を送っていたのならば当然、学も教養も不十分である事は容易く想像できた。
一朝一夕で名族になれるものではない、がらりと変わる生活に、色々と苦労をさせる事になるだろう。
幼く見える彼女にそのような毎日を送らせるのは中々に胸が痛む、袁紹はそう思いながら、ありきたりな祝辞に礼を述べていた。
三日三晩続いた豪勢な祝宴が終わった四日目の朝、朝食の席で妻の顔を正面から見た袁紹は、改めて、彼女の健康的な桃色の頬に幼さを覚えた。
袁紹は無意識に、じろじろと不躾な視線を向ける。
それに気付いた彼女が、居心地が悪そうに長い睫毛を伏せて身を固くした。
少々、不躾だったか、袁紹は取り繕うように大きく咳払いをして言う。
「名無しさん、お前は私の妻になったのだ。夫の前でそう緊張せずとも良い」
「は、はい」
上擦った声で答えた名無しさんは、反射的に顔を上げ、ぴしりと背筋を伸ばした。
その様子に、袁紹は忍び笑いを溢す。
名族相手に緊張するなと言って緊張しないで居られる筈もないか。
だが、これよりは名無しさんも名族の一員なのだ、実家に居た頃のように田舎臭く振舞われては困るのだ。
「良いか、名無しさん。装いは勿論だが、相応の振る舞いが伴っておらねば、名族とは言えぬ」
「はい・・・」
「繰り返すが、お前は既にこの袁本初の妻なのだ」
「はい・・・」
「慣れぬ生活に気苦労も多いだろうが、名族の名に恥じぬよう心掛けよ」
「・・・はい」
言葉を重ねる度に俯き、小さくなっていく名無しさんに、袁紹は何故か罪悪感に苛まれた。
当然の事を言っているだけにも関わらず、彼女を虐めているように感じるのは、その小さな見た目が原因か。
袁紹は慌てた様子で言葉を続ける。
「ま、まあ、行く行くはと言う話だ。何も今直ぐでなくとも構わぬ。先ずは・・・食事を楽しむが良い。袁家の料理人が新しい妻にと張り切って作ったのだからな」
「は、はい。あの・・・とても、美味しいです」
名無しさんの所作は意外にも優雅で、袁紹は目を見張った。
最初に抱いた印象程、学も教養も不十分ではないのかも知れない。
杞憂であったかと、袁紹は自らも食事に手を付けながら言った。
「名無しさんよ、食事の後に我が屋敷を案内しよう」
私室にと宛てがわれた部屋の広さから、屋敷も広いのだろうと予想はしていたが、想像の広さに、名無しさんは幾つかの庭園を過ぎた頃には、目を回しそうだった。
嫁ぐ前は朝から晩まで、村の端から端まで駆け回っていたのだ、体力に自信はあったのだが、何せ覚える事が多い。
正直、どこをどう巡り、今どこにいるのかの見当も付かない。
加えて、矢張り未だ緊張している、彼女の表情に疲労が浮かぶのも無理はなかった。
それを見て取った袁紹は丁度、四阿が見えた頃合いもあって名無しさんをそちらへと促した。
漸く座れる、袁紹に勧められるまま椅子に腰を下ろした名無しさんは深く息を吐く。
その様子に、少し無理をさせたかと袁紹は僅かに眉を顰めた。
「疲れたか?」
「いいえ!」
名無しさんは即座に答えると、ぐっと拳を握って見せる。
「全然、へっちゃらです!」
「ふむ・・・ならば良いが」
へっちゃらと言う言葉は些か受け入れ難いが、まあ良い。
袁紹は彼女の隣に腰を下ろし、整えられた庭に満足そうに息を吐いた。
丁度、見頃を迎えた山茱萸が鮮やかに庭を彩っている。
弱いが、甘く爽やかな香りが特徴的で、疲れた体に心地良い。
袁紹は直ぐ傍にも咲いている、その黄色の花を指して言った。
「名無しさん、この花の名は知っていような?」
「その黄色の花ですか」
「いかにも」
名無しさんは花を袁紹越しにじっと見詰め、首を傾げて考える。
ここに来るまでに通った庭でも、袁紹にこうして花の名前を尋ねられては、その度に悩まされた。
日頃から畑に触れていれば、草花を知らぬ事もないが、用があるのはもっぱら可食部分か実用的な部分で、正直、観賞すると言う概念が名無しさんにはない。
未だ一つも答えられてないし、そろそろ何か言わないと、袁紹様に呆れられてしまうんじゃないかしら。
そうなったら、送り出してくれた両親家族、いや村の人皆に面目が立たない。
名無しさんは一生懸命に考える。
けれど、知らないものはどうしたって知らないのだ。
「・・・分かりません」
小さな声で答えた名無しさんに、袁紹は溜め息を吐く。
また呆れられてしまった、名無しさんは体を縮めて俯いた。