夕べのそよ風
貴女のお名前
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二人の何でもない一日。
鏡に映る主人の姿に侍女は満足げに息を吐き、額にうっすらと浮かんだ汗を拭った。
何処をどう見ても完璧だわ。
やりきった達成感が彼女の胸を満たす。
以前、曹休が贈物に用意したあの大振りな簪が、主人の髪に見事に収まっていた。
今日は一緒に街に出る約束を主人は交わしている、彼から贈られたものを身に着けるのは礼儀であり、応えだろう。
改めて見れば、ばらばらな色味の細工も、まるで数種類の花を彩り豊かに飾っているようだ。
髪が華やかになる分、衣装はやや控え目なものを選んでおいた。
「如何ですか、名無しさん様」
と、尋ねる侍女に主人が鏡の前で確かめるように首をゆっくりと巡らせる。
「ええ、ありがとう。とても素敵」
名無しさんは礼を言って立ち上がると、曹休が待つ部屋へと向かった。
その足取りは弾むように軽い。
「文烈様、お待たせ致しました」
「ああ、名無しさん・・・」
応接間で待っていた曹休は、部屋に入って来た名無しさんの姿に言葉を失った。
茶杯を持ち上げようとしていたらしい彼の手が宙に浮いている。
「文烈様?」
不思議そうに細い首を傾げるその仕草に、曹休の頬が染まった。
可愛いとか、綺麗とか、そう言った言葉を知らない訳ではないけれども、それでは足りないような気がして、結局、何も言えない。
曹休は名無しさんから視線を少しだけ逸らして漸く、口を開いた。
「・・・済まない。その、上手く・・・言葉が出て来ない」
「まあ・・・」
それこそ、最上級の褒め言葉だろう。
嬉しそうに微笑む名無しさんに、曹休の心拍数が上がる。
曹休は慌てた様子で椅子から立ち上がると、彼女に手を差し出した。
「そ、その・・・行こうか」
「はい」
するりと滑り込んで来る名無しさんの白く小さな手、隣に並ぶ位置に立つ彼女の髪に、曹休はそれを見付けて微笑む。
「簪・・・着けてくれているのだな」
「ええ、文烈様が私の為に選んで下さったのですもの」
曹休は愛しげな視線を名無しさんに向けて言った。
「とても似合っている」
溢れるように落ちた彼の言葉に、名無しさんの頬が染まる。
名無しさんの屋敷からのんびりと歩いて数刻、街の喧騒が二人の耳に届いた。
「今日も賑やかですね」
「ああ、平和な証拠だ。これも、殿の政 の賜物だろう」
「ええ、穏やかな雰囲気で。私、今日を楽しみにしておりました」
「俺もだ」
特に宛てがある訳ではない。
人の流れに任せ、二人はゆっくりと街並みを歩く。
「曹休様。・・・おや、今日は奥様もご一緒で?」
「未だ妻ではないが・・・」
眺めて通り過ぎる店先で、知った顔の店主に声を掛けられ、照れたように答える曹休の、その隣で名無しさんが軽く頭を下げた。
「こんにちは。・・・これは今朝採れたばかりでしょうか、つやつやとしててとても綺麗ですね」
「ええ、葉が柔らかくて美味いですよ。良かったら、後でお屋敷に届けましょうか」
「まあ、嬉しい。夕食が楽しみだわ」
名無しさんはにっこりと微笑み、くれぐれもと頼んでから二人で店を後にする。
「あ、文烈様。今度はあちらを覗いてみましょう」
「ああ」
彼女が指した店で並んで商品を見ていると、曹休は不意に袖先に違和感を覚えた。
何かと視線を運べば、小さな子どもが袖を引っ張っていた。
身形は粗末だが、その頬はよく日に焼けていて健康的だ。
「うん?どうかしたか?」
と、しゃがみ込んで尋ねる曹休の目の前に少年がずいっと手を出した。
「お兄さん、お花買って!」
曹休は少し面食らったようだったが、差し出しされた一輪の花に目を細める。
「お前が摘んだのか?」
「そうだよ、一番綺麗なやつ。お兄さんに特別に売ってあげる」
「本当、綺麗なお花ね。文烈様。私、欲しいです」
「そうか、なら買おう。幾らだ?」
「えぇっとね・・・三枚で良いよ!」
一度立ち上がって懐を弄り、曹休は銭を取り出すと、少年の手に数枚握らせた。
少年は手の平の銭を数え、不安そうに曹休を見上げる。
「・・・多いよ?」
「そうか?だが、お前は一番を売ってくれたのだろう?」
そう言って少年から花を受け取った曹休は、流れるように名無しさんの髪に挿した。
彼女の耳元で揺れる花に頬を綻ばせてから、少年に言う。
「俺にはそれだけの価値があると言う事だ」
「文烈様ったら・・・」
聞いているこちらが恥ずかしくなる、と頬を染める名無しさんの口元は緩んでいた。
その遣り取りを遠巻きにでも眺めていたのだろう、子どもたちがわらわらと二人に寄って来る。
「こっちのも買って」
「あたしのも」
足元に纏わりつき、我も我もと花を差し出して来る子どもたちに、曹休が慌てふためいた。
「え?あ、ちょっ、ちょっと待ってくれ・・・!」
「あら・・・あら、あら」
名無しさんも困ったように眉を下げるが、次には腰を下ろし、自分の懐を弄る。
「可愛らしいお花ね。何て言うお花かしら」
「いつもあっちの川に咲いてるよ」
「こっちはね、良い匂いがするよ」
次から次へと伸びて来る小さな手に、名無しさんは銭を握らせては花を受け取った。
その向こうに、輪に入れない小さな女の子を見付け、にっこりと微笑み掛ける。
「黄色のお花も欲しいわ」
黄色い花を手に握っていたその女の子は、ぱっと笑顔を浮かべると、名無しさんの傍に遣って来た。
「はい、黄色いお花っ」
「ありがとう。でも、両手が一杯なの。髪に挿してくれる?」
「うんっ!」
拙い動きで手に持っていた黄色の花を名無しさんの髪に挿す。
「できたっ!お姫様みたい」
「あら、嬉しいわ」
どんな風に挿しているのか、鏡がなければ分からない。
いつの間にか、再びしゃがみ込んでいた曹休に名無しさんは尋ねて言った。
「文烈様、似合いますか?」
「ああ、とてもよく似合っている」
それを聞いて、女の子が嬉しそうに笑った。
鏡に映る主人の姿に侍女は満足げに息を吐き、額にうっすらと浮かんだ汗を拭った。
何処をどう見ても完璧だわ。
やりきった達成感が彼女の胸を満たす。
以前、曹休が贈物に用意したあの大振りな簪が、主人の髪に見事に収まっていた。
今日は一緒に街に出る約束を主人は交わしている、彼から贈られたものを身に着けるのは礼儀であり、応えだろう。
改めて見れば、ばらばらな色味の細工も、まるで数種類の花を彩り豊かに飾っているようだ。
髪が華やかになる分、衣装はやや控え目なものを選んでおいた。
「如何ですか、名無しさん様」
と、尋ねる侍女に主人が鏡の前で確かめるように首をゆっくりと巡らせる。
「ええ、ありがとう。とても素敵」
名無しさんは礼を言って立ち上がると、曹休が待つ部屋へと向かった。
その足取りは弾むように軽い。
「文烈様、お待たせ致しました」
「ああ、名無しさん・・・」
応接間で待っていた曹休は、部屋に入って来た名無しさんの姿に言葉を失った。
茶杯を持ち上げようとしていたらしい彼の手が宙に浮いている。
「文烈様?」
不思議そうに細い首を傾げるその仕草に、曹休の頬が染まった。
可愛いとか、綺麗とか、そう言った言葉を知らない訳ではないけれども、それでは足りないような気がして、結局、何も言えない。
曹休は名無しさんから視線を少しだけ逸らして漸く、口を開いた。
「・・・済まない。その、上手く・・・言葉が出て来ない」
「まあ・・・」
それこそ、最上級の褒め言葉だろう。
嬉しそうに微笑む名無しさんに、曹休の心拍数が上がる。
曹休は慌てた様子で椅子から立ち上がると、彼女に手を差し出した。
「そ、その・・・行こうか」
「はい」
するりと滑り込んで来る名無しさんの白く小さな手、隣に並ぶ位置に立つ彼女の髪に、曹休はそれを見付けて微笑む。
「簪・・・着けてくれているのだな」
「ええ、文烈様が私の為に選んで下さったのですもの」
曹休は愛しげな視線を名無しさんに向けて言った。
「とても似合っている」
溢れるように落ちた彼の言葉に、名無しさんの頬が染まる。
名無しさんの屋敷からのんびりと歩いて数刻、街の喧騒が二人の耳に届いた。
「今日も賑やかですね」
「ああ、平和な証拠だ。これも、殿の
「ええ、穏やかな雰囲気で。私、今日を楽しみにしておりました」
「俺もだ」
特に宛てがある訳ではない。
人の流れに任せ、二人はゆっくりと街並みを歩く。
「曹休様。・・・おや、今日は奥様もご一緒で?」
「未だ妻ではないが・・・」
眺めて通り過ぎる店先で、知った顔の店主に声を掛けられ、照れたように答える曹休の、その隣で名無しさんが軽く頭を下げた。
「こんにちは。・・・これは今朝採れたばかりでしょうか、つやつやとしててとても綺麗ですね」
「ええ、葉が柔らかくて美味いですよ。良かったら、後でお屋敷に届けましょうか」
「まあ、嬉しい。夕食が楽しみだわ」
名無しさんはにっこりと微笑み、くれぐれもと頼んでから二人で店を後にする。
「あ、文烈様。今度はあちらを覗いてみましょう」
「ああ」
彼女が指した店で並んで商品を見ていると、曹休は不意に袖先に違和感を覚えた。
何かと視線を運べば、小さな子どもが袖を引っ張っていた。
身形は粗末だが、その頬はよく日に焼けていて健康的だ。
「うん?どうかしたか?」
と、しゃがみ込んで尋ねる曹休の目の前に少年がずいっと手を出した。
「お兄さん、お花買って!」
曹休は少し面食らったようだったが、差し出しされた一輪の花に目を細める。
「お前が摘んだのか?」
「そうだよ、一番綺麗なやつ。お兄さんに特別に売ってあげる」
「本当、綺麗なお花ね。文烈様。私、欲しいです」
「そうか、なら買おう。幾らだ?」
「えぇっとね・・・三枚で良いよ!」
一度立ち上がって懐を弄り、曹休は銭を取り出すと、少年の手に数枚握らせた。
少年は手の平の銭を数え、不安そうに曹休を見上げる。
「・・・多いよ?」
「そうか?だが、お前は一番を売ってくれたのだろう?」
そう言って少年から花を受け取った曹休は、流れるように名無しさんの髪に挿した。
彼女の耳元で揺れる花に頬を綻ばせてから、少年に言う。
「俺にはそれだけの価値があると言う事だ」
「文烈様ったら・・・」
聞いているこちらが恥ずかしくなる、と頬を染める名無しさんの口元は緩んでいた。
その遣り取りを遠巻きにでも眺めていたのだろう、子どもたちがわらわらと二人に寄って来る。
「こっちのも買って」
「あたしのも」
足元に纏わりつき、我も我もと花を差し出して来る子どもたちに、曹休が慌てふためいた。
「え?あ、ちょっ、ちょっと待ってくれ・・・!」
「あら・・・あら、あら」
名無しさんも困ったように眉を下げるが、次には腰を下ろし、自分の懐を弄る。
「可愛らしいお花ね。何て言うお花かしら」
「いつもあっちの川に咲いてるよ」
「こっちはね、良い匂いがするよ」
次から次へと伸びて来る小さな手に、名無しさんは銭を握らせては花を受け取った。
その向こうに、輪に入れない小さな女の子を見付け、にっこりと微笑み掛ける。
「黄色のお花も欲しいわ」
黄色い花を手に握っていたその女の子は、ぱっと笑顔を浮かべると、名無しさんの傍に遣って来た。
「はい、黄色いお花っ」
「ありがとう。でも、両手が一杯なの。髪に挿してくれる?」
「うんっ!」
拙い動きで手に持っていた黄色の花を名無しさんの髪に挿す。
「できたっ!お姫様みたい」
「あら、嬉しいわ」
どんな風に挿しているのか、鏡がなければ分からない。
いつの間にか、再びしゃがみ込んでいた曹休に名無しさんは尋ねて言った。
「文烈様、似合いますか?」
「ああ、とてもよく似合っている」
それを聞いて、女の子が嬉しそうに笑った。