夕方から朝まで、ずっと
貴女のお名前
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何も知らぬ訳ではなかろうに。
実家から届いたと言う書簡に、名無しさんは顔も上げなかった。
「ありがとう。そこの棚にでも置いておいて」
礼を言った後に心底、面倒な様子で言われ、書簡を預かった侍女は素直に飾り棚に置いて言う。
「読まなくて宜しいのですか?」
「良いのよ。いつも同じ事しか書いてないもの」
読まなくても内容は分かっていた、どうせ、子供は未だかと催促する事しか書いていない。
大体、嫁いだその夜に儀礼的に初夜を済ませてから以降、碌に伽に呼び付けられる事もなく、相手と顔を合わせる事も殆どないのだ、どうして子供ができると言うのか。
一応、世間では夫と呼ぶのであろう相手は、どうやら、毎日忙しくしているらしい。
英雄色を好むと聞くが、最近は誰も呼ばれてないと他の側室から聞いていた。
彼には既に立派な息子が居る、名無しさんや、他の側室の相手をして、これ以上の後継ぎ候補を増やす必要はないのかも知れず、実家が催促するのは単純に孫を抱きたいだけだろう。
そもそも、夫が自分の息子たちよりも若い名無しさんに食指が動くのかも定かではない。
そう言えば、前に曹操様のお顔を見たのはいつだったかしら。
名無しさんは思い出そうとして、途中で止めた。
そんな事より、目の前の刺繍の方が気になる。
「ここに花でも入れたいけれど・・・」
何の花が良いかしら。
名無しさんは夫からの愛情よりも、趣味の刺繍に熱心になっていた。
曹操が忙しくしている事は、彼女にとっては都合が良く、どれだけ刺繍にかまけていても咎められる事はない。
そう言う意味では、彼に嫁いだ事は幸運だった。
実家に居たままではそうも行かない、毎日のように縁談を持って来られて、趣味に時間を割く事もできずに辟易していた事だろう。
それに、風流とは無縁そうに見えて、以外にも曹操の好みなのか、幾つも庭を設けているのも良い。
丁寧に手入れされた庭を散策するのは心が弾む。
「そうだわ。折角だから、庭にでも出てみようかしら」
幸い、良い日和だ、名無しさんは椅子から腰を上げた。
何か花が咲いていたら、それを刺繍して柄にしようと思う。
名無しさんは庭に出るだけだからと、付いて行こうとする侍女を断り、刺繍道具一式を持って一人で部屋を出た。
庭に出た名無しさんは、宛てもなく気儘に足を運んでいた。
時折、咲いている花の前で足を止める。
「まあ、見事な牡丹」
流石に百花の王と言うべきか、名無しさんは大輪の牡丹をうっとりと見詰めた。
この美しい様子を刺繍で表せたら、どんなに華やかなものができあがる事か。
そうと想像して、その上、丁度良い所に四阿を見付けた名無しさんはいそいそとそちらに向かうと、設えられた長椅子の上で刺繍道具を広げる。
どこまで考えられて作られているのか、四阿の長椅子の側にも牡丹が植えられていた。
名無しさんは手元と目の前の牡丹に交互に視線を移しては、針を澱みなく動かす。
「ほう、器用なものだな」
不意に、頭上の後ろの方から声が聞こえ、名無しさんは驚いて針を指先に思い切り刺してしまった。
「痛っ・・・」
指先にぷっくりと赤い血の玉が浮かぶ。
声を掛けた人物はそれを見て取ると、彼女の背中越しに、その細い手首を引きながら腰を屈め、名無しさんの指先を自らの口に含んだ。
「そ、曹操様・・・?」
突然に現れた夫と、その行動に名無しさんは目を丸くする。
「どうした、名無しさん。そのように驚いて」
曹操は指先を口から解放してやると、彼女を背後から見下ろした姿勢のまま、からかうように唇の端を吊り上げた。
刺繍をしていただけなのだから、何ら問題ないだろうに、名無しさんの慌て驚く表情が愛らしく、曹操の目に映る。
「儂がここに居るのがそんなに不思議か」
「あ、いえ・・・」
忙しくしていると言っても、ここは彼の自宅だ、どこに居ても不思議はないが、時間が時間なだけに珍しかった。
「今日は宮中にご出仕されていたのでは?」
「何、終わらせたから帰って来たまでの事よ」
曹操はさらりと言って名無しさんの隣に腰を下ろす。
「偶には顔を見せておかねば、名無しさんに忘れられるやも知れぬしな」
「そんな事は・・・」
ない、と言い掛けて、名無しさんは見て分かる程に狼狽えた。
忘れてはいなかったが、気に止めていない。
名無しさんの夫は曹操一人だが、曹操の妻は何人も居る。
その内の、数回、顔を合わせた程度の妻を間違える事なく認識し、名を呼んだのだ。
その夫に対して、それは余りに薄情かしらと、名無しさんは曹操をこっそりと窺う。
曹操は長椅子の肘掛けに腕を預け、拳の上に頬を乗せた姿勢で、狼狽える彼女の様子を楽しんでいた。
実家から届いたと言う書簡に、名無しさんは顔も上げなかった。
「ありがとう。そこの棚にでも置いておいて」
礼を言った後に心底、面倒な様子で言われ、書簡を預かった侍女は素直に飾り棚に置いて言う。
「読まなくて宜しいのですか?」
「良いのよ。いつも同じ事しか書いてないもの」
読まなくても内容は分かっていた、どうせ、子供は未だかと催促する事しか書いていない。
大体、嫁いだその夜に儀礼的に初夜を済ませてから以降、碌に伽に呼び付けられる事もなく、相手と顔を合わせる事も殆どないのだ、どうして子供ができると言うのか。
一応、世間では夫と呼ぶのであろう相手は、どうやら、毎日忙しくしているらしい。
英雄色を好むと聞くが、最近は誰も呼ばれてないと他の側室から聞いていた。
彼には既に立派な息子が居る、名無しさんや、他の側室の相手をして、これ以上の後継ぎ候補を増やす必要はないのかも知れず、実家が催促するのは単純に孫を抱きたいだけだろう。
そもそも、夫が自分の息子たちよりも若い名無しさんに食指が動くのかも定かではない。
そう言えば、前に曹操様のお顔を見たのはいつだったかしら。
名無しさんは思い出そうとして、途中で止めた。
そんな事より、目の前の刺繍の方が気になる。
「ここに花でも入れたいけれど・・・」
何の花が良いかしら。
名無しさんは夫からの愛情よりも、趣味の刺繍に熱心になっていた。
曹操が忙しくしている事は、彼女にとっては都合が良く、どれだけ刺繍にかまけていても咎められる事はない。
そう言う意味では、彼に嫁いだ事は幸運だった。
実家に居たままではそうも行かない、毎日のように縁談を持って来られて、趣味に時間を割く事もできずに辟易していた事だろう。
それに、風流とは無縁そうに見えて、以外にも曹操の好みなのか、幾つも庭を設けているのも良い。
丁寧に手入れされた庭を散策するのは心が弾む。
「そうだわ。折角だから、庭にでも出てみようかしら」
幸い、良い日和だ、名無しさんは椅子から腰を上げた。
何か花が咲いていたら、それを刺繍して柄にしようと思う。
名無しさんは庭に出るだけだからと、付いて行こうとする侍女を断り、刺繍道具一式を持って一人で部屋を出た。
庭に出た名無しさんは、宛てもなく気儘に足を運んでいた。
時折、咲いている花の前で足を止める。
「まあ、見事な牡丹」
流石に百花の王と言うべきか、名無しさんは大輪の牡丹をうっとりと見詰めた。
この美しい様子を刺繍で表せたら、どんなに華やかなものができあがる事か。
そうと想像して、その上、丁度良い所に四阿を見付けた名無しさんはいそいそとそちらに向かうと、設えられた長椅子の上で刺繍道具を広げる。
どこまで考えられて作られているのか、四阿の長椅子の側にも牡丹が植えられていた。
名無しさんは手元と目の前の牡丹に交互に視線を移しては、針を澱みなく動かす。
「ほう、器用なものだな」
不意に、頭上の後ろの方から声が聞こえ、名無しさんは驚いて針を指先に思い切り刺してしまった。
「痛っ・・・」
指先にぷっくりと赤い血の玉が浮かぶ。
声を掛けた人物はそれを見て取ると、彼女の背中越しに、その細い手首を引きながら腰を屈め、名無しさんの指先を自らの口に含んだ。
「そ、曹操様・・・?」
突然に現れた夫と、その行動に名無しさんは目を丸くする。
「どうした、名無しさん。そのように驚いて」
曹操は指先を口から解放してやると、彼女を背後から見下ろした姿勢のまま、からかうように唇の端を吊り上げた。
刺繍をしていただけなのだから、何ら問題ないだろうに、名無しさんの慌て驚く表情が愛らしく、曹操の目に映る。
「儂がここに居るのがそんなに不思議か」
「あ、いえ・・・」
忙しくしていると言っても、ここは彼の自宅だ、どこに居ても不思議はないが、時間が時間なだけに珍しかった。
「今日は宮中にご出仕されていたのでは?」
「何、終わらせたから帰って来たまでの事よ」
曹操はさらりと言って名無しさんの隣に腰を下ろす。
「偶には顔を見せておかねば、名無しさんに忘れられるやも知れぬしな」
「そんな事は・・・」
ない、と言い掛けて、名無しさんは見て分かる程に狼狽えた。
忘れてはいなかったが、気に止めていない。
名無しさんの夫は曹操一人だが、曹操の妻は何人も居る。
その内の、数回、顔を合わせた程度の妻を間違える事なく認識し、名を呼んだのだ。
その夫に対して、それは余りに薄情かしらと、名無しさんは曹操をこっそりと窺う。
曹操は長椅子の肘掛けに腕を預け、拳の上に頬を乗せた姿勢で、狼狽える彼女の様子を楽しんでいた。