叶わぬ恋
貴女のお名前
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買って来た焼き菓子と淹れたばかりの熱い茶を前に、名無しさんは徐に話し出す。
「実は・・・好きな人の事なんですけれど」
丁度、茶を口に含んだ所だった徐庶は、その熱さではなく、彼女の言葉に目を白黒させた。
「す、好きな人!?」
余りの衝撃に思わず、声が引っくり返る。
「え、ええと・・・名無しさん、好きな人が・・・」
居るのかい?と訊こうとして、徐庶は言葉を濁した。
それでなくても、名無しさんに好きな人が居る事を一回聞いただけで結構、傷付いている、態々、確認の為に訊くなんて、自ら害を招き入れているようなものだ。
名無しさんは僅かに頬を染めると、続けて言う。
「ええ、でも・・・その方にそれをお伝えしても良いものか、悩んでるんです」
「そう思う事に何か理由が?」
「だって・・・ほぼ、毎日お会いしてるのに、ちっとも良い雰囲気にならないんですもの。それとなく、私から持ち掛けてみても、全く無反応で・・・」
名無しさんから持ち掛けられるなんて羨ましい。
一体、彼女はどこの誰に心を寄せているのだろうかと、徐庶は首を傾げた。
ほぼ、毎日、名無しさんと顔を合わせる相手を考えてみても、直ぐには思い付かない。
女官の彼女の行動範囲から推測すると、文官、武官は勿論、下働きの下男や宮廷に出入りする商人まで幅広かった。
名無しさんの話を聞くと答えた手前、当たりを付けなければ、自分の意見を言う事もできない。
本当は訊きたくないけれど、仕方ない。
徐庶は絞り出すようにして言った。
「その、名無しさん、こんな事を訊くのは失礼だと思うけれど・・・どんな人なんだい?」
「どんな人って・・・」
名無しさんは恥ずかしそうに両手を頬に宛て、上目遣いで徐庶を見る。
いつも、涼しい顔でてきぱきと仕事を熟す名無しさんも、恋愛においては、こんな表情をする事があるのか。
その仕草は、とても可愛らしく目に映るが、それは恋慕う相手を想像した上での行動なのだ、徐庶は複雑な気分で彼女の言葉を待つ。
「真面目でお優しくて、お人好しで、ちょっと鈍感で。不器用な所もあるかしら。でも、そんな所がお可愛らしくて、放っておけないんです」
「そ、そうか・・・」
自分ではない男の事を、照れて早口で捲し立てるように言う名無しさんを見ていると辛い。
知らず、徐庶の目は死んだ魚のようになっていた。
名無しさんの浮わついた話は続く。
「それから、学問に通じていらっしゃいながらも、武芸もお得意で。あ、以前、お役人様に捕らわれた事があるとか」
「そんな男のどこが良いんだ!?」
徐庶にしては珍しく、人の話を遮って突っ込んだ。
思い当たる人物を探し宛てる以前に、彼女のような素敵な女性には相応しくないと思う。
「好きになっては・・・いけないでしょうか?」
しょんぼりとする名無しさんもまた可愛いが、しかし、そんな役人に捕まった事があるような男は、自分の感情抜きに考えてもお勧めはしない。
それでも、彼女はその男が好きなのだ。
自分もそうであるように、恋を前に、人は時に盲目になり、冷静で居られなくなる。
あくまでも、俺は客観的立場で、意見を言うだけだと、強く言い聞かせ、徐庶は茶を啜る。
「俺は・・・名無しさんには、余り似つかわしくないと思うけれど」
その言葉に、名無しさんは徐庶から視線を少し外すと、ぽつりと小さな声で言った。
「・・・徐庶様の事なんですけれど」
「ごほっ・・・!」
徐庶が派手に噎せる。
名無しさんは慌てて懐から手拭いを取り出した。
「大丈夫ですか、徐庶様!」
「大丈、ごほっ・・・と、言うか、名無しさん・・・ええと、ごほっ、今、何て・・・?」
それには答えず、名無しさんは徐庶の傍に寄り、噎せた勢いで茶が溢れ、濡れてしまった彼の襟元に手を伸ばす。
徐庶は間近に迫る名無しさんの体に身を固くした。
「ま、待ってくれ、名無しさん・・・!」
「でも・・・」
「大丈夫、だから・・・」
そう言われて、名無しさんは心配そうな表情のまま、素直に引き下がる。
徐庶は何度か咳き込み、呼吸が整ってから深く息を吐いた。
「ええと・・・それで、その・・・」
名無しさんが好きな人と言うのは、俺の事だったのか?
そうと質問できるのは、自分に自信がある者だけだ。
当然、普段から自信など微塵も持ち合わせていない徐庶にできる筈がない。
顔を真っ赤に染め、彼女をまともに見る事すらできず、視線を彷徨わせている。
名無しさんは手の中の手拭いをぎゅっと握り、怖ず怖ずと口を開いた。
「あの・・・駄目、ですか?」
頬を染めて、あの可愛らしい上目遣いで自分を見て来る名無しさんは可愛いを通り越して尊い。
徐庶は緩んでしまいそうになる口元を手で覆って隠す。
「いや・・・でも、俺は・・・」
そんな男のどこが良いのかと、先程、思い切り彼女の言葉を否定したばかりだ。
それなのに、名無しさんの自分に対する気持ちを知った途端、掌を返すと言うのは都合が良過ぎではないだろうか。
そうと思えば、緩んでしまいそうだった口元は、忽ち、その気配を失くす。
徐庶は項垂れ、首を左右に振って言った。
「ああ・・・何て言ったら良いのか。俺は自分で自分が情けないよ。名無しさんの言葉を否定しておいて、今更、それを否定する言い訳を考えてる」
「徐庶様・・・」
その回りくどい言い方に、名無しさんは頬を染める。
否定したのを否定する、それは即ち、肯定だ。
徐庶は顔を上げると名無しさんに伺うような視線を向けて、言葉を続けた。
「でも、名無しさんが許してくれるなら・・・俺の意見を変えても良いだろうか?」
名無しさんが強く、何度も首を縦に振って頷く。
「ええと・・・上手く伝えられるか、自信はないけれど」
再び、視線を落とし、暫く、逡巡した後に徐庶は口を開いた。
「俺は、自分が誰かに好まれるような人間だとは思ってないんだ。だから、こんな俺が、君の事を好きだなんて言うのは、烏滸がましいと、「叶わぬ恋」だと思って少し諦めてた。でも・・・俺もちゃんと言うよ」
そう言って、徐庶は自分を見詰める彼女と視線を合わせた。
「名無しさん・・・これからも俺の傍に居てくれないか?その・・・できれば、恋人として」
はにかんだように微笑んで見せる彼に、名無しさんは嬉しそうに頷いた。
→あとがき
「実は・・・好きな人の事なんですけれど」
丁度、茶を口に含んだ所だった徐庶は、その熱さではなく、彼女の言葉に目を白黒させた。
「す、好きな人!?」
余りの衝撃に思わず、声が引っくり返る。
「え、ええと・・・名無しさん、好きな人が・・・」
居るのかい?と訊こうとして、徐庶は言葉を濁した。
それでなくても、名無しさんに好きな人が居る事を一回聞いただけで結構、傷付いている、態々、確認の為に訊くなんて、自ら害を招き入れているようなものだ。
名無しさんは僅かに頬を染めると、続けて言う。
「ええ、でも・・・その方にそれをお伝えしても良いものか、悩んでるんです」
「そう思う事に何か理由が?」
「だって・・・ほぼ、毎日お会いしてるのに、ちっとも良い雰囲気にならないんですもの。それとなく、私から持ち掛けてみても、全く無反応で・・・」
名無しさんから持ち掛けられるなんて羨ましい。
一体、彼女はどこの誰に心を寄せているのだろうかと、徐庶は首を傾げた。
ほぼ、毎日、名無しさんと顔を合わせる相手を考えてみても、直ぐには思い付かない。
女官の彼女の行動範囲から推測すると、文官、武官は勿論、下働きの下男や宮廷に出入りする商人まで幅広かった。
名無しさんの話を聞くと答えた手前、当たりを付けなければ、自分の意見を言う事もできない。
本当は訊きたくないけれど、仕方ない。
徐庶は絞り出すようにして言った。
「その、名無しさん、こんな事を訊くのは失礼だと思うけれど・・・どんな人なんだい?」
「どんな人って・・・」
名無しさんは恥ずかしそうに両手を頬に宛て、上目遣いで徐庶を見る。
いつも、涼しい顔でてきぱきと仕事を熟す名無しさんも、恋愛においては、こんな表情をする事があるのか。
その仕草は、とても可愛らしく目に映るが、それは恋慕う相手を想像した上での行動なのだ、徐庶は複雑な気分で彼女の言葉を待つ。
「真面目でお優しくて、お人好しで、ちょっと鈍感で。不器用な所もあるかしら。でも、そんな所がお可愛らしくて、放っておけないんです」
「そ、そうか・・・」
自分ではない男の事を、照れて早口で捲し立てるように言う名無しさんを見ていると辛い。
知らず、徐庶の目は死んだ魚のようになっていた。
名無しさんの浮わついた話は続く。
「それから、学問に通じていらっしゃいながらも、武芸もお得意で。あ、以前、お役人様に捕らわれた事があるとか」
「そんな男のどこが良いんだ!?」
徐庶にしては珍しく、人の話を遮って突っ込んだ。
思い当たる人物を探し宛てる以前に、彼女のような素敵な女性には相応しくないと思う。
「好きになっては・・・いけないでしょうか?」
しょんぼりとする名無しさんもまた可愛いが、しかし、そんな役人に捕まった事があるような男は、自分の感情抜きに考えてもお勧めはしない。
それでも、彼女はその男が好きなのだ。
自分もそうであるように、恋を前に、人は時に盲目になり、冷静で居られなくなる。
あくまでも、俺は客観的立場で、意見を言うだけだと、強く言い聞かせ、徐庶は茶を啜る。
「俺は・・・名無しさんには、余り似つかわしくないと思うけれど」
その言葉に、名無しさんは徐庶から視線を少し外すと、ぽつりと小さな声で言った。
「・・・徐庶様の事なんですけれど」
「ごほっ・・・!」
徐庶が派手に噎せる。
名無しさんは慌てて懐から手拭いを取り出した。
「大丈夫ですか、徐庶様!」
「大丈、ごほっ・・・と、言うか、名無しさん・・・ええと、ごほっ、今、何て・・・?」
それには答えず、名無しさんは徐庶の傍に寄り、噎せた勢いで茶が溢れ、濡れてしまった彼の襟元に手を伸ばす。
徐庶は間近に迫る名無しさんの体に身を固くした。
「ま、待ってくれ、名無しさん・・・!」
「でも・・・」
「大丈夫、だから・・・」
そう言われて、名無しさんは心配そうな表情のまま、素直に引き下がる。
徐庶は何度か咳き込み、呼吸が整ってから深く息を吐いた。
「ええと・・・それで、その・・・」
名無しさんが好きな人と言うのは、俺の事だったのか?
そうと質問できるのは、自分に自信がある者だけだ。
当然、普段から自信など微塵も持ち合わせていない徐庶にできる筈がない。
顔を真っ赤に染め、彼女をまともに見る事すらできず、視線を彷徨わせている。
名無しさんは手の中の手拭いをぎゅっと握り、怖ず怖ずと口を開いた。
「あの・・・駄目、ですか?」
頬を染めて、あの可愛らしい上目遣いで自分を見て来る名無しさんは可愛いを通り越して尊い。
徐庶は緩んでしまいそうになる口元を手で覆って隠す。
「いや・・・でも、俺は・・・」
そんな男のどこが良いのかと、先程、思い切り彼女の言葉を否定したばかりだ。
それなのに、名無しさんの自分に対する気持ちを知った途端、掌を返すと言うのは都合が良過ぎではないだろうか。
そうと思えば、緩んでしまいそうだった口元は、忽ち、その気配を失くす。
徐庶は項垂れ、首を左右に振って言った。
「ああ・・・何て言ったら良いのか。俺は自分で自分が情けないよ。名無しさんの言葉を否定しておいて、今更、それを否定する言い訳を考えてる」
「徐庶様・・・」
その回りくどい言い方に、名無しさんは頬を染める。
否定したのを否定する、それは即ち、肯定だ。
徐庶は顔を上げると名無しさんに伺うような視線を向けて、言葉を続けた。
「でも、名無しさんが許してくれるなら・・・俺の意見を変えても良いだろうか?」
名無しさんが強く、何度も首を縦に振って頷く。
「ええと・・・上手く伝えられるか、自信はないけれど」
再び、視線を落とし、暫く、逡巡した後に徐庶は口を開いた。
「俺は、自分が誰かに好まれるような人間だとは思ってないんだ。だから、こんな俺が、君の事を好きだなんて言うのは、烏滸がましいと、「叶わぬ恋」だと思って少し諦めてた。でも・・・俺もちゃんと言うよ」
そう言って、徐庶は自分を見詰める彼女と視線を合わせた。
「名無しさん・・・これからも俺の傍に居てくれないか?その・・・できれば、恋人として」
はにかんだように微笑んで見せる彼に、名無しさんは嬉しそうに頷いた。
→あとがき