叶わぬ恋
貴女のお名前
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君は俺には勿体無いよ。
扉の所で何度も礼を言って頭を下げる男を、やっとの思いで送り出した徐庶は、疲れたように溜め息を吐いた。
「やれやれ・・・随分と長居をする人だったな」
首を解すように回して、先程まで男の話を聞いていた卓へと戻る。
「徐庶様が話し易いお人柄だからでしょう」
と、女官の名無しさんが茶器を片付けながら言った。
「俺はそんな風に言って貰えるような人間じゃないよ」
徐庶は苦笑して言葉を返す。
「何か対策を考える訳じゃない、俺は、ただ話を聞いて意見を言うだけだ」
自嘲気味に言う彼に、名無しさんは困ったように微笑んだ。
人の話に耳を傾けると言うのは、意外と難しい。
幾ら、最後まで黙っていようと思っていても、人は聞いている内に、つい口を挟んでしまうものだ。
それを当たり前のようにやって退けるのが徐庶と言う男なら、先程の来客のように、話を聞いて欲しいと彼を訪れる者も少なくない。
「参ったな・・・もう昼だ。仕事が全然進んでない」
徐庶は机の上の書簡を前に、再び、溜め息を吐いた。
曹操の元で役人の一人として働く日々、大抵は机仕事だ。
「少し早いですけれど、昼食になさいますか?」
「そうだな、そうしよう」
今から手を付けるのも中途半端だ、その分、少し早めに仕事に掛かれば良い。
徐庶は頷くと、続けて言った。
「ええと・・・名無しさん、申し訳ないけれど・・・」
「ええ、分かっております。今日もお食事はお部屋で採られるのでしょう?直ぐにお持ちしますね」
名無しさんは尋ねるだけ尋ねて、返事も待たずに部屋を出て行ってしまう。
その察しの良さに、安堵の息を吐いた。
曹魏に来た当初は、食堂を利用していた徐庶だったが、大勢が居る場所での食事はどうにも落ち着かず、最近は部屋で採るようにしている。
それは決して、徐庶の自意識過剰ではなく、食事の最中にも関わらず、図々しく、面倒な話を持ち掛けて来る人間の問題だった。
「徐庶殿、少し宜しいですかな」
と、話し掛けられて、少しで終わった試しはない。
勿論、話し掛けて来る人の全員がそうな訳でもない、中には他愛ない会話をする事もあった。
しかし、性格なのだろうか、本当は、他人と交流した方が色々と都合が良いのだろうと思いつつも、いつしか避けるようになってしまっていた。
代わりに、部屋を訪ねて来る者が増えてしまったが。
その分、仕事は遅々として進まず、それを見兼ねてか、曹操が専属の女官を手配してくれた。
それが、名無しさんだ。
彼女は女官と言うには聡明で、時には徐庶の仕事を手伝う事もあった。
処理能力は早く、徐庶が求めるものを察して的確に先回りしていた。
忙しさの余り、乱雑になりがちだった部屋も、名無しさんが来てからは、常に整頓されていて、必要なものを探す手間も格段に減っている。
他にも名無しさんが有能だと思う所は幾つもあった。
例えば、少し一息入れようかと思った時に、茶を淹れてくれていたり、先程のように、疲れたまま仕事に掛かっては却って効率が悪いと察して昼食を勧めてくれたりする。
それは彼女の良い所を語るのならば、ほんの一部に過ぎず、俺には勿体ないと、常日頃からそう思っていた徐庶は次第に名無しさんに惹かれていった。
「まぁ、徐庶様。まさか、ずっと立ってらしたんですか?」
と、膳を持って来た名無しさんは、部屋を出た時のまま、徐庶が突っ立っているのを見て驚いたように声を上げた。
名無しさんの事を考えていたと、言える筈もなく、徐庶はしどろもどろに口を開く。
「ええと・・・少し考え事をしていた」
「ふふっ、何も立ったままでなくても・・・さあ、冷めてしまう前に召し上がって下さい」
そう言って、茶の用意を始めようと名無しさんが置いた膳の数に、徐庶は首を傾げた。
「名無しさん、その・・・何だか数が多い気が・・・」
「ええ、今日は私もご一緒させて頂こうと思って」
名無しさんは手早く茶を淹れると、徐庶に差し出しながら窺うように上目遣いで尋ねて言う。
「ご迷惑でしょうか?」
彼女に惹かれている徐庶に、どこに断る理由があろうか。
「いや・・・嬉しいよ」
「良かった」
嬉しそうに微笑む彼女が眩しい。
徐庶は僅かに頬を染めて箸を取った。
名無しさんも倣って箸を取り、羹を啜る。
その所作は優雅で、徐庶は思わず、見惚れてしまった。
余程、ぼんやりとしていたのだろう、
「徐庶様、冷めてしまいますよ」
と、言われ、徐庶は慌てた様子で箸を動かし始めた。
「熱っ・・・!」
勢い込んで羹を啜り、驚く徐庶を、名無しさんがくすくすと笑う。
その笑顔もまた魅力的で、徐庶は折角の食事の味が殆ど分からなかった。
食事が終わると、名無しさんが熱い茶を淹れ直しに席を立つ。
「徐庶様は甘いものはお好きですか?」
「え?あ、ああ・・・まあ、多分、人並みには」
つまり、どうなのだ、徐庶は上手く答えられない自分を情けなく思った。
彼女の前では緊張して、気の効いた言葉所か、会話すら儘ならない。
この調子では、自分の思いを伝える事もないだろう。
そうとは知らず、名無しさんは熱い茶と、小さな包みを持って徐庶の向かいに腰を下ろした。
「良かった。珍しく甘いものが売っていたので徐庶様と一緒に食べようと思って」
甘いものは貴重だ、名無しさんは簡単に言って退けるが、早々、手に入るものでもなければ、値もそれなりに張る。
そうと知っていれば、徐庶は尋ねて言った。
「ええと・・・良いのかい?俺なんかに、そんな貴重なものを」
名無しさんはちらりと徐庶を見遣ると、悪戯っぽく舌を出して言う。
「実は、賄賂なんです」
「賄賂?」
「徐庶様にお話を聞いて頂こうと思って・・・」
そんなもの用意しなくても、好きな名無しさんの話なら、いつだって喜んで聞くのに。
しかし、それでは名無しさんの気が済まないのだろう。
そう言う所も好ましい、徐庶は不器用ながらに、顔を綻ばせて言った。
「それじゃあ、ありがたく頂くよ」
扉の所で何度も礼を言って頭を下げる男を、やっとの思いで送り出した徐庶は、疲れたように溜め息を吐いた。
「やれやれ・・・随分と長居をする人だったな」
首を解すように回して、先程まで男の話を聞いていた卓へと戻る。
「徐庶様が話し易いお人柄だからでしょう」
と、女官の名無しさんが茶器を片付けながら言った。
「俺はそんな風に言って貰えるような人間じゃないよ」
徐庶は苦笑して言葉を返す。
「何か対策を考える訳じゃない、俺は、ただ話を聞いて意見を言うだけだ」
自嘲気味に言う彼に、名無しさんは困ったように微笑んだ。
人の話に耳を傾けると言うのは、意外と難しい。
幾ら、最後まで黙っていようと思っていても、人は聞いている内に、つい口を挟んでしまうものだ。
それを当たり前のようにやって退けるのが徐庶と言う男なら、先程の来客のように、話を聞いて欲しいと彼を訪れる者も少なくない。
「参ったな・・・もう昼だ。仕事が全然進んでない」
徐庶は机の上の書簡を前に、再び、溜め息を吐いた。
曹操の元で役人の一人として働く日々、大抵は机仕事だ。
「少し早いですけれど、昼食になさいますか?」
「そうだな、そうしよう」
今から手を付けるのも中途半端だ、その分、少し早めに仕事に掛かれば良い。
徐庶は頷くと、続けて言った。
「ええと・・・名無しさん、申し訳ないけれど・・・」
「ええ、分かっております。今日もお食事はお部屋で採られるのでしょう?直ぐにお持ちしますね」
名無しさんは尋ねるだけ尋ねて、返事も待たずに部屋を出て行ってしまう。
その察しの良さに、安堵の息を吐いた。
曹魏に来た当初は、食堂を利用していた徐庶だったが、大勢が居る場所での食事はどうにも落ち着かず、最近は部屋で採るようにしている。
それは決して、徐庶の自意識過剰ではなく、食事の最中にも関わらず、図々しく、面倒な話を持ち掛けて来る人間の問題だった。
「徐庶殿、少し宜しいですかな」
と、話し掛けられて、少しで終わった試しはない。
勿論、話し掛けて来る人の全員がそうな訳でもない、中には他愛ない会話をする事もあった。
しかし、性格なのだろうか、本当は、他人と交流した方が色々と都合が良いのだろうと思いつつも、いつしか避けるようになってしまっていた。
代わりに、部屋を訪ねて来る者が増えてしまったが。
その分、仕事は遅々として進まず、それを見兼ねてか、曹操が専属の女官を手配してくれた。
それが、名無しさんだ。
彼女は女官と言うには聡明で、時には徐庶の仕事を手伝う事もあった。
処理能力は早く、徐庶が求めるものを察して的確に先回りしていた。
忙しさの余り、乱雑になりがちだった部屋も、名無しさんが来てからは、常に整頓されていて、必要なものを探す手間も格段に減っている。
他にも名無しさんが有能だと思う所は幾つもあった。
例えば、少し一息入れようかと思った時に、茶を淹れてくれていたり、先程のように、疲れたまま仕事に掛かっては却って効率が悪いと察して昼食を勧めてくれたりする。
それは彼女の良い所を語るのならば、ほんの一部に過ぎず、俺には勿体ないと、常日頃からそう思っていた徐庶は次第に名無しさんに惹かれていった。
「まぁ、徐庶様。まさか、ずっと立ってらしたんですか?」
と、膳を持って来た名無しさんは、部屋を出た時のまま、徐庶が突っ立っているのを見て驚いたように声を上げた。
名無しさんの事を考えていたと、言える筈もなく、徐庶はしどろもどろに口を開く。
「ええと・・・少し考え事をしていた」
「ふふっ、何も立ったままでなくても・・・さあ、冷めてしまう前に召し上がって下さい」
そう言って、茶の用意を始めようと名無しさんが置いた膳の数に、徐庶は首を傾げた。
「名無しさん、その・・・何だか数が多い気が・・・」
「ええ、今日は私もご一緒させて頂こうと思って」
名無しさんは手早く茶を淹れると、徐庶に差し出しながら窺うように上目遣いで尋ねて言う。
「ご迷惑でしょうか?」
彼女に惹かれている徐庶に、どこに断る理由があろうか。
「いや・・・嬉しいよ」
「良かった」
嬉しそうに微笑む彼女が眩しい。
徐庶は僅かに頬を染めて箸を取った。
名無しさんも倣って箸を取り、羹を啜る。
その所作は優雅で、徐庶は思わず、見惚れてしまった。
余程、ぼんやりとしていたのだろう、
「徐庶様、冷めてしまいますよ」
と、言われ、徐庶は慌てた様子で箸を動かし始めた。
「熱っ・・・!」
勢い込んで羹を啜り、驚く徐庶を、名無しさんがくすくすと笑う。
その笑顔もまた魅力的で、徐庶は折角の食事の味が殆ど分からなかった。
食事が終わると、名無しさんが熱い茶を淹れ直しに席を立つ。
「徐庶様は甘いものはお好きですか?」
「え?あ、ああ・・・まあ、多分、人並みには」
つまり、どうなのだ、徐庶は上手く答えられない自分を情けなく思った。
彼女の前では緊張して、気の効いた言葉所か、会話すら儘ならない。
この調子では、自分の思いを伝える事もないだろう。
そうとは知らず、名無しさんは熱い茶と、小さな包みを持って徐庶の向かいに腰を下ろした。
「良かった。珍しく甘いものが売っていたので徐庶様と一緒に食べようと思って」
甘いものは貴重だ、名無しさんは簡単に言って退けるが、早々、手に入るものでもなければ、値もそれなりに張る。
そうと知っていれば、徐庶は尋ねて言った。
「ええと・・・良いのかい?俺なんかに、そんな貴重なものを」
名無しさんはちらりと徐庶を見遣ると、悪戯っぽく舌を出して言う。
「実は、賄賂なんです」
「賄賂?」
「徐庶様にお話を聞いて頂こうと思って・・・」
そんなもの用意しなくても、好きな名無しさんの話なら、いつだって喜んで聞くのに。
しかし、それでは名無しさんの気が済まないのだろう。
そう言う所も好ましい、徐庶は不器用ながらに、顔を綻ばせて言った。
「それじゃあ、ありがたく頂くよ」