傷ついた心
貴女のお名前
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「全く・・・貴女は何を考えているのですか」
疲れた声で云う荀彧を、名無しさんは不思議なものでも見るように見詰めた。
「だって、男の人は皆、こうすると喜ぶから」
「それは一部の人だけです!兎に角、早く服を着て下さい!」
「そうなの?」
貴方は違うのか、名無しさんは服を羽織りながら、そう呟き、
「それじゃあ、こっち?」
距離を一気に縮めて来たかと思うと、彼の首元に手を回して抱き着き、荀彧の唇に自分の唇を押し当てた。
「んんっ!?」
荀彧は突然の柔らかい感触に目を見開き、名無しさんの肩を掴んで無理矢理彼女を引き離す。
「名無しさん殿!」
「こっちも違う・・・」
名無しさんはしょんぼりと項垂れて云った。
「私を気に入ってくれないと、困る。これじゃ、手当ての礼もできないし、報酬も貰えない。私を雇うって云ったのに」
それを聞いて、荀彧は深く息を吐いた。
引っ掛かっていた違和感の正体が、少しだけ分かった気がする。
彼女から受ける印象が歪なのだ。
気配を消してあの距離まで詰め寄っていた能力と、夏侯惇が見事だと云っていた腕前。
淡々としていて、妙に素直。
躊躇いなく服を脱いだのは、大抵の雇い主が仕事の内の一つとして、或いは何かを施した後の返礼として、それを彼女に望み、名無しさんに深く考える暇も与えないまま、黙ってそうすれば良いと教え込んだからだろう。
男の前で裸になる事が生き抜く術になってしまっている。
話し様も教養がある者のそれではない。
教育を与えられないのは珍しくはないが、名無しさんが並べる言葉は礼儀も知らない子供と同じだ。
荀彧は未だ開けたままの名無しさんの前を合わせると、優しい声で云った。
「名無しさん殿、ここには貴女にそれを求める人は居ません」
「困る。何をすれば良いのか分からない。誰か殺す?」
服を脱ぐか殺すかしかないのか、荀彧は苦笑いを浮かべて云う。
「いいえ、貴女には教育を受けて頂きます」
この時、何故、そう云ったのか、荀彧は自分でも分からなかった。
その境遇に憐憫を覚えたのか、だとしたら、彼女一人に手を差し伸ばすのは不公平だろうし、寧ろ、面倒を引き受けるだけでしかない。
それでも、荀彧は言葉を続けていた。
「暫くは私の元に居て頂きます。宜しいですね」
こくんと頷いた名無しさんは、彼を見上げて首を傾げて云った。
「貴方の事、何て呼べば良い?」
「ああ、失礼しました。私は荀彧、字を文若と申します」
馬鹿丁寧に名乗る雇い主も珍しいと、名無しさんは小さく云った。
その翌日、魏軍は帰途に就いた。
「随分と思い切った事をしたな」
馬の背の上で、荀彧から昨日の話を聞いた夏侯惇はちらと背後を振り返った。
投降兵や捕縛兵の周りは曹魏の兵で固めている。
その中に彼女も居る筈だ。
「犬猫を拾って来るのとは訳が違うだろう」
「はい、正直な所、自分でも驚いています」
荀彧も後ろを振り返り、名無しさんの様子を窺った。
離れている為に、彼女がどこに居るのか見当も付かないが、曹魏の兵たちは静かだ、大人しく着いて来ているのだろう。
「彼女一人をどうこうした所で何も変わらない事は承知しているのですが・・・」
何故か、放っておけなかった。
荀彧は視線を前に戻し、どうしたものかと考える。
面倒を見ると云った手前、ある程度、立ち振舞や言葉遣いを矯正しなければならない。
帰城した荀彧が、女官たちに彼女を預け、今回の報告を済ませて部屋に戻った頃には、名無しさんは見た目だけは女官に仕上げられていた。
「よくお似合いです」
と、荀彧に褒められて悪い気はしないものの、名無しさんは唇を尖らせる。
「・・・この服、動き難い」
長い裾が足に纏わり付いて不快だ、名無しさんは摘まんで捲り上げた。
すらりとした脹ら脛が露になる。
荀彧は僅かに頬を染めて咳払いをすると、
「名無しさん・・・人前でそう云う事をしないように」
「どうして?こっちの方が動き易い」
裾を摘まむ名無しさんの指を優しく解いて云った。
「女性が軽々しく肌を見せるものではありません」
「荀彧様は・・・脱がせる方が好きなの?それとも、見えない方が興奮するの?」
首を傾げて尋ねる名無しさんに、荀彧は盛大に噎せた。
どうしてもそこに至るのか。
名無しさんにとって、男と云うものがどう云う生き物なのか、推し計らずとも知れると云うものだ。
男とは、名無しさんの体を裸にして弄ぶものだと思い込んでいる。
「・・・そう云う事ではありません」
呼吸を整えて、荀彧は続けて云った。
「貴女の体も心も、貴女のものです。誰かに、心ない人に搾取される事にも、傷付けられる事にも慣れてはいけません。大切にして下さい」
「・・・分からない。何も盗られても失くしてもないし、怪我なら治る」
ふるふると首を振る名無しさんに、荀彧は悲しげに微笑んだ。
それも分からなくなるまで、貴女の心は踏み躙られ、傷付けられて来たのだと云った所で、今の名無しさんには分からないだろう。
「時間はたっぷりあります。難しくても考えて・・・いつかそれが分かるようになったら、私に教えて下さい」
そうして、名無しさんは荀彧の傍で過ごす事になり、あれから数ヶ月が過ぎたが、未だ彼女は自分を粗末に扱いがちだ。
考え方も行動も、長い時を掛け、体の奥深くまで染み付いたものは中々払拭できない、荀彧は名無しさんの手を取ったまま、口を開いた。
「名無しさん、私がどれだけ言葉を連ねても、貴女自身が気付かなければ意味がありません。貴女自身の、
「傷ついた心」に」
気付いたならば、きっと貴女は貴女を大切にするでしょうと、そう云った荀彧の顔を、名無しさんは不安そうに見上げる。
「・・・私に分かるかな?」
「ええ、きっと分かる日が来ます」
荀彧にしては珍しく、根拠がないにも関わらず、はっきりと云い切っていた。
何故なら、荀彧は名無しさんを大切に思い始めていたのだから。
大切にされる事を覚えたら、名無しさんも自然と自分を大切に思うだろう。
荀彧は彼女の未来がそうなると信じて、疑わなかった。
→あとがき
疲れた声で云う荀彧を、名無しさんは不思議なものでも見るように見詰めた。
「だって、男の人は皆、こうすると喜ぶから」
「それは一部の人だけです!兎に角、早く服を着て下さい!」
「そうなの?」
貴方は違うのか、名無しさんは服を羽織りながら、そう呟き、
「それじゃあ、こっち?」
距離を一気に縮めて来たかと思うと、彼の首元に手を回して抱き着き、荀彧の唇に自分の唇を押し当てた。
「んんっ!?」
荀彧は突然の柔らかい感触に目を見開き、名無しさんの肩を掴んで無理矢理彼女を引き離す。
「名無しさん殿!」
「こっちも違う・・・」
名無しさんはしょんぼりと項垂れて云った。
「私を気に入ってくれないと、困る。これじゃ、手当ての礼もできないし、報酬も貰えない。私を雇うって云ったのに」
それを聞いて、荀彧は深く息を吐いた。
引っ掛かっていた違和感の正体が、少しだけ分かった気がする。
彼女から受ける印象が歪なのだ。
気配を消してあの距離まで詰め寄っていた能力と、夏侯惇が見事だと云っていた腕前。
淡々としていて、妙に素直。
躊躇いなく服を脱いだのは、大抵の雇い主が仕事の内の一つとして、或いは何かを施した後の返礼として、それを彼女に望み、名無しさんに深く考える暇も与えないまま、黙ってそうすれば良いと教え込んだからだろう。
男の前で裸になる事が生き抜く術になってしまっている。
話し様も教養がある者のそれではない。
教育を与えられないのは珍しくはないが、名無しさんが並べる言葉は礼儀も知らない子供と同じだ。
荀彧は未だ開けたままの名無しさんの前を合わせると、優しい声で云った。
「名無しさん殿、ここには貴女にそれを求める人は居ません」
「困る。何をすれば良いのか分からない。誰か殺す?」
服を脱ぐか殺すかしかないのか、荀彧は苦笑いを浮かべて云う。
「いいえ、貴女には教育を受けて頂きます」
この時、何故、そう云ったのか、荀彧は自分でも分からなかった。
その境遇に憐憫を覚えたのか、だとしたら、彼女一人に手を差し伸ばすのは不公平だろうし、寧ろ、面倒を引き受けるだけでしかない。
それでも、荀彧は言葉を続けていた。
「暫くは私の元に居て頂きます。宜しいですね」
こくんと頷いた名無しさんは、彼を見上げて首を傾げて云った。
「貴方の事、何て呼べば良い?」
「ああ、失礼しました。私は荀彧、字を文若と申します」
馬鹿丁寧に名乗る雇い主も珍しいと、名無しさんは小さく云った。
その翌日、魏軍は帰途に就いた。
「随分と思い切った事をしたな」
馬の背の上で、荀彧から昨日の話を聞いた夏侯惇はちらと背後を振り返った。
投降兵や捕縛兵の周りは曹魏の兵で固めている。
その中に彼女も居る筈だ。
「犬猫を拾って来るのとは訳が違うだろう」
「はい、正直な所、自分でも驚いています」
荀彧も後ろを振り返り、名無しさんの様子を窺った。
離れている為に、彼女がどこに居るのか見当も付かないが、曹魏の兵たちは静かだ、大人しく着いて来ているのだろう。
「彼女一人をどうこうした所で何も変わらない事は承知しているのですが・・・」
何故か、放っておけなかった。
荀彧は視線を前に戻し、どうしたものかと考える。
面倒を見ると云った手前、ある程度、立ち振舞や言葉遣いを矯正しなければならない。
帰城した荀彧が、女官たちに彼女を預け、今回の報告を済ませて部屋に戻った頃には、名無しさんは見た目だけは女官に仕上げられていた。
「よくお似合いです」
と、荀彧に褒められて悪い気はしないものの、名無しさんは唇を尖らせる。
「・・・この服、動き難い」
長い裾が足に纏わり付いて不快だ、名無しさんは摘まんで捲り上げた。
すらりとした脹ら脛が露になる。
荀彧は僅かに頬を染めて咳払いをすると、
「名無しさん・・・人前でそう云う事をしないように」
「どうして?こっちの方が動き易い」
裾を摘まむ名無しさんの指を優しく解いて云った。
「女性が軽々しく肌を見せるものではありません」
「荀彧様は・・・脱がせる方が好きなの?それとも、見えない方が興奮するの?」
首を傾げて尋ねる名無しさんに、荀彧は盛大に噎せた。
どうしてもそこに至るのか。
名無しさんにとって、男と云うものがどう云う生き物なのか、推し計らずとも知れると云うものだ。
男とは、名無しさんの体を裸にして弄ぶものだと思い込んでいる。
「・・・そう云う事ではありません」
呼吸を整えて、荀彧は続けて云った。
「貴女の体も心も、貴女のものです。誰かに、心ない人に搾取される事にも、傷付けられる事にも慣れてはいけません。大切にして下さい」
「・・・分からない。何も盗られても失くしてもないし、怪我なら治る」
ふるふると首を振る名無しさんに、荀彧は悲しげに微笑んだ。
それも分からなくなるまで、貴女の心は踏み躙られ、傷付けられて来たのだと云った所で、今の名無しさんには分からないだろう。
「時間はたっぷりあります。難しくても考えて・・・いつかそれが分かるようになったら、私に教えて下さい」
そうして、名無しさんは荀彧の傍で過ごす事になり、あれから数ヶ月が過ぎたが、未だ彼女は自分を粗末に扱いがちだ。
考え方も行動も、長い時を掛け、体の奥深くまで染み付いたものは中々払拭できない、荀彧は名無しさんの手を取ったまま、口を開いた。
「名無しさん、私がどれだけ言葉を連ねても、貴女自身が気付かなければ意味がありません。貴女自身の、
「傷ついた心」に」
気付いたならば、きっと貴女は貴女を大切にするでしょうと、そう云った荀彧の顔を、名無しさんは不安そうに見上げる。
「・・・私に分かるかな?」
「ええ、きっと分かる日が来ます」
荀彧にしては珍しく、根拠がないにも関わらず、はっきりと云い切っていた。
何故なら、荀彧は名無しさんを大切に思い始めていたのだから。
大切にされる事を覚えたら、名無しさんも自然と自分を大切に思うだろう。
荀彧は彼女の未来がそうなると信じて、疑わなかった。
→あとがき