優しい恋人がいるなら
貴女のお名前
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何があっても、平気。
綻び始めた軍は、そこを切っ掛けとして芋づる式に崩れようとしていた。
読み違えたか、と思った頃には既に遅く、法正の元に次から次へと伝令が慌てた様子で走って来る。
「先遣隊が敵斥候に発見され、奇襲を受けています!救援を!」
「先遣隊、ほぼ壊滅!名無しさん軍が救援に向かっています」
「名無しさん軍も包囲され、撤退に困難な状態です!至急、ご指示を!」
数を重ねる毎に、厳しくなって行く状況、未だ手が打てる内に何とかしなければ、どうにもならなくなってからでは遅い。
法正は小さく、舌打ちすると、頭の中で動かせる軍がないかと考えた。
その一方で、現状把握の為に口を開く。
「殿は誰が努めていますか」
「名無しさん殿が!」
目まぐるしく頭を回転させ、導き出た答えに法正は眉間に皺を寄せた。
元より、大軍を率いて来てはおらず、策あっての戦だ、回せる余裕がどこにもない。
法正は自らの軍を動かそうとして、寸での所でそれを思い止まった。
ここで俺が動いては、誰が瓦解したこの状況を立て直すのか。
今、この場に軍師は自分しか居ないのだ。
法正は奥歯を強く噛み締めた。
ぎり、と歯が擦れた音がする。
恨まれようとも、見捨てるしかない。
見捨てなければ、それこそ、全滅だ。
「名無しさん・・・」
法正は、今も必死で殿を務めているであろう将の名を、愛しい恋人の名を呟いた。
歯痒い思いで伝令に指示を出す。
「・・・援軍は出せません。他の軍はこのまま予定通りに作戦を遂行して下さい」
こんな選択をした俺を、彼女は恨むだろうか。
辛うじて生き残っていた先遣隊も含め、名無しさん軍がその数を減らしながらも何とか逃げ切り、息も絶え絶えに本陣に辿り着いたのは正に奇跡だった。
あの状況でよく帰り着く事ができたものだと、名無しさんは後になって振り返る。
全身は赤く染まり、それが切り捨てた敵の返り血なのか、自分の傷口から流れ出るものなのか、見分けが付かない。
痛みすら、最早、他人のもののようで、名無しさんは一言、意識を手放す前に云った。
「皆の手当てを・・・早く」
そこで名無しさんの記憶はぷっつりと消えている。
彼女が次に意識を覚醒させた時には、既に戦は終わっていた。
寝台の上に起き上がれるようになって漸く、名無しさんは共に従軍していた関銀屏からそれを聞く。
「今回は・・・私たちの負けです」
「そう・・・」
名無しさんは短く答え、深い溜め息を吐いた。
銀屏の暗い表情に、何となく予想はしていたものの、改めて口からその言葉を聞くと想像以上に堪えた。
私が率いていた兵は、どれ位生き残れただろう。
それを聞くのが怖い。
同時に、初陣を済ませて間もない銀屏にこれ以上、辛い言葉を云わせたくないとも思う。
「銀屏様、ありがとう。後の事は・・・法正様から聞くわ。私は大丈夫だから、他の人の所に行ってあげて」
「うん・・・あの、名無しさん殿、元気出して下さいね」
「ええ、ありがとう」
励ましてくれる銀屏を送り出し、一人になった名無しさんは先程よりも深く、重い息を吐いた。
名無しさんとて、これまで将として何度も戦場に立って来たのだ、敗戦の経験がない訳ではない。
寧ろ、諸葛亮ら軍師を迎えるまでは敗戦一色で、命からがら、逃げる事の方が多かった。
しかし、例え勝ち戦だったとしても、全くの犠牲を出さないと云うのは不可能なのだ。
そうと知って理解していても、慣れられるものではなかった・・・人の死に関しては。
帰ったら、救えずに戦場に散ってしまった兵の家族にそれを伝えなければいけない。
それは現実を見詰める事よりも辛く、名無しさんは胸に締め付ける痛みを覚え、両手で顔を覆った。
目を閉じれば、あの凄惨な光景が甦る。
敵の斥候に発見され、動揺した先遣隊は脆く、名無しさんが駆け付けた時には壊滅に近い状態だった。
あの時、諦めて馬首を巡らせていたら、少なくとも、自軍がここまで被害を受ける事はなかったかもしれない。
自分たちは遊軍ではなく、策の一部だと承知していたにも関わらず、先遣隊が奇襲を受けているとの報せを受けた瞬間、名無しさんは考えるよりも先に体を動かしていた。
斥候に見付かってしまったのも敗因の一つだろうが、名無しさんが策を無視して軍を動かしたのも大きいだろう。
甘いと云われても仕方がない、けれど、彼ら先遣隊を見捨てる事は名無しさんにはできなかった。
その結果として敗北、自軍は勿論、他の軍にも、どれ程の影響があったかは未だ知らぬ所だが、指示も仰がずに動いたのだ、一軍を預かる将として、その咎めを受ける事になる。
そうまでしても、彼らを助けられなかったと思うと、悔しくて情けなくて悲しくて辛くて、名無しさんは目頭を熱くした。
「横になっていなくて良いんですか」
と、不意に知った声が耳に届き、顔を上げて見れば、入り口の所で法正が腕組をして扉に凭れていた。
「法正様・・・」
「一応、扉は叩きましたよ」
法正は部屋に踏み入り、名無しさんの傍に遣って来る。
「・・・泣いていたんですか」
彼女の目が赤くなっている事に気付いた法正は、名無しさんの隣、寝台の縁に腰を下ろして云った。
咄嗟に、名無しさんは目元を拭い、法正から顔を逸らす。
負けたからと云って、その度に泣いているような、情けない姿は見せたくない。
代わりに、ぎゅっと掛け布を握り締めた。
それが強がりだと知って、法正は名無しさんの肩を引き寄せ、彼女の耳元で囁く。
「俺の前で位、素直になったらどうです?」
そう云ってやれば、名無しさんが胸元に縋り付いて来て、静かに泣き出した。
法正は小さく震える彼女の体を強く、優しく抱き締める。
この細い肩に、どれだけの重荷を背負っている事だろうか。
戦場では雄々しく、一騎当千の働きを見せる彼女の姿に、つい忘れがちになるが、所詮、一人の女性に過ぎないのだ。
自分の腕の中で、溢れるに任せて涙を流している名無しさん。
彼女の声にならない嗚咽に、法正はじっと耳を傾けていた。
綻び始めた軍は、そこを切っ掛けとして芋づる式に崩れようとしていた。
読み違えたか、と思った頃には既に遅く、法正の元に次から次へと伝令が慌てた様子で走って来る。
「先遣隊が敵斥候に発見され、奇襲を受けています!救援を!」
「先遣隊、ほぼ壊滅!名無しさん軍が救援に向かっています」
「名無しさん軍も包囲され、撤退に困難な状態です!至急、ご指示を!」
数を重ねる毎に、厳しくなって行く状況、未だ手が打てる内に何とかしなければ、どうにもならなくなってからでは遅い。
法正は小さく、舌打ちすると、頭の中で動かせる軍がないかと考えた。
その一方で、現状把握の為に口を開く。
「殿は誰が努めていますか」
「名無しさん殿が!」
目まぐるしく頭を回転させ、導き出た答えに法正は眉間に皺を寄せた。
元より、大軍を率いて来てはおらず、策あっての戦だ、回せる余裕がどこにもない。
法正は自らの軍を動かそうとして、寸での所でそれを思い止まった。
ここで俺が動いては、誰が瓦解したこの状況を立て直すのか。
今、この場に軍師は自分しか居ないのだ。
法正は奥歯を強く噛み締めた。
ぎり、と歯が擦れた音がする。
恨まれようとも、見捨てるしかない。
見捨てなければ、それこそ、全滅だ。
「名無しさん・・・」
法正は、今も必死で殿を務めているであろう将の名を、愛しい恋人の名を呟いた。
歯痒い思いで伝令に指示を出す。
「・・・援軍は出せません。他の軍はこのまま予定通りに作戦を遂行して下さい」
こんな選択をした俺を、彼女は恨むだろうか。
辛うじて生き残っていた先遣隊も含め、名無しさん軍がその数を減らしながらも何とか逃げ切り、息も絶え絶えに本陣に辿り着いたのは正に奇跡だった。
あの状況でよく帰り着く事ができたものだと、名無しさんは後になって振り返る。
全身は赤く染まり、それが切り捨てた敵の返り血なのか、自分の傷口から流れ出るものなのか、見分けが付かない。
痛みすら、最早、他人のもののようで、名無しさんは一言、意識を手放す前に云った。
「皆の手当てを・・・早く」
そこで名無しさんの記憶はぷっつりと消えている。
彼女が次に意識を覚醒させた時には、既に戦は終わっていた。
寝台の上に起き上がれるようになって漸く、名無しさんは共に従軍していた関銀屏からそれを聞く。
「今回は・・・私たちの負けです」
「そう・・・」
名無しさんは短く答え、深い溜め息を吐いた。
銀屏の暗い表情に、何となく予想はしていたものの、改めて口からその言葉を聞くと想像以上に堪えた。
私が率いていた兵は、どれ位生き残れただろう。
それを聞くのが怖い。
同時に、初陣を済ませて間もない銀屏にこれ以上、辛い言葉を云わせたくないとも思う。
「銀屏様、ありがとう。後の事は・・・法正様から聞くわ。私は大丈夫だから、他の人の所に行ってあげて」
「うん・・・あの、名無しさん殿、元気出して下さいね」
「ええ、ありがとう」
励ましてくれる銀屏を送り出し、一人になった名無しさんは先程よりも深く、重い息を吐いた。
名無しさんとて、これまで将として何度も戦場に立って来たのだ、敗戦の経験がない訳ではない。
寧ろ、諸葛亮ら軍師を迎えるまでは敗戦一色で、命からがら、逃げる事の方が多かった。
しかし、例え勝ち戦だったとしても、全くの犠牲を出さないと云うのは不可能なのだ。
そうと知って理解していても、慣れられるものではなかった・・・人の死に関しては。
帰ったら、救えずに戦場に散ってしまった兵の家族にそれを伝えなければいけない。
それは現実を見詰める事よりも辛く、名無しさんは胸に締め付ける痛みを覚え、両手で顔を覆った。
目を閉じれば、あの凄惨な光景が甦る。
敵の斥候に発見され、動揺した先遣隊は脆く、名無しさんが駆け付けた時には壊滅に近い状態だった。
あの時、諦めて馬首を巡らせていたら、少なくとも、自軍がここまで被害を受ける事はなかったかもしれない。
自分たちは遊軍ではなく、策の一部だと承知していたにも関わらず、先遣隊が奇襲を受けているとの報せを受けた瞬間、名無しさんは考えるよりも先に体を動かしていた。
斥候に見付かってしまったのも敗因の一つだろうが、名無しさんが策を無視して軍を動かしたのも大きいだろう。
甘いと云われても仕方がない、けれど、彼ら先遣隊を見捨てる事は名無しさんにはできなかった。
その結果として敗北、自軍は勿論、他の軍にも、どれ程の影響があったかは未だ知らぬ所だが、指示も仰がずに動いたのだ、一軍を預かる将として、その咎めを受ける事になる。
そうまでしても、彼らを助けられなかったと思うと、悔しくて情けなくて悲しくて辛くて、名無しさんは目頭を熱くした。
「横になっていなくて良いんですか」
と、不意に知った声が耳に届き、顔を上げて見れば、入り口の所で法正が腕組をして扉に凭れていた。
「法正様・・・」
「一応、扉は叩きましたよ」
法正は部屋に踏み入り、名無しさんの傍に遣って来る。
「・・・泣いていたんですか」
彼女の目が赤くなっている事に気付いた法正は、名無しさんの隣、寝台の縁に腰を下ろして云った。
咄嗟に、名無しさんは目元を拭い、法正から顔を逸らす。
負けたからと云って、その度に泣いているような、情けない姿は見せたくない。
代わりに、ぎゅっと掛け布を握り締めた。
それが強がりだと知って、法正は名無しさんの肩を引き寄せ、彼女の耳元で囁く。
「俺の前で位、素直になったらどうです?」
そう云ってやれば、名無しさんが胸元に縋り付いて来て、静かに泣き出した。
法正は小さく震える彼女の体を強く、優しく抱き締める。
この細い肩に、どれだけの重荷を背負っている事だろうか。
戦場では雄々しく、一騎当千の働きを見せる彼女の姿に、つい忘れがちになるが、所詮、一人の女性に過ぎないのだ。
自分の腕の中で、溢れるに任せて涙を流している名無しさん。
彼女の声にならない嗚咽に、法正はじっと耳を傾けていた。