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【十モブ】兵頭十座とクラスメイトモブ子の話


例年より早く暖かくなったせいか、新学期だというのに校門へと続く桜並木はもう半分ほど緑色で。
今年の新入生はかわいそうだな、なんて思いながら高校生活最後の年を迎えた。
受験当日に高熱を出して第一志望校に落ち、どうせなら、と家から最も近かった欧華高校に通うことを決めてから丸2年。
学校の先生や友達には猛反対されたが、親は特に何も言わなかったし、徒歩10分の通学時間と公立ならではのゆるさを私はとても気に入っていた。
受験失敗組なので校内では成績も良く、推薦でそこそこの大学に行けそうなのも嬉しい誤算だった。

クラス替えの表を貼った掲示板の前は新2、3年生でごった返していた。
メールで知らせるとかHPに載せるとかすればいいのに、こういうところ古いんだから。
内心でぼやきながら人の隙間を覗き込む。
前にいた背の高い男の子が避けてくれたおかげで少しだけ進めたが、まだまだ人の波に埋もれてしまう自分の身長が恨めしい。
やっとの思いで新しいクラスを確認すると、同じクラスに仲良くしてくれている友達の名前も見つけて一安心。
このとき私は、出席番号が隣なだけの知らない男子生徒の名前など全く気に留めていなかったし、その人物が平凡な私の高校生活を変えることになるとは思いもしなかった。


★ ★ ★


運がいいことに、私の席は一番後ろだった。
黒板はあんまり見えないけれどノートは提出前に友達に借りればいいし、授業中に人の視線を気にせずのんびりできる素晴らしい場所だ。
さっそく席に着き、まだ来ていない友達へLIMEを送ろうとしていたら、後ろ側のドアからぬっと大柄の男の子が入ってきた。
瞬間、ガヤガヤしていた教室が一気に静まり返る。

「…」

そんな教室の様子に一瞥もくれず、彼は黙ったまま黒板の座席表を睨んだ。
そしてつかつかとこちらへ歩いてくると、私の前の席にドカっと腰を降ろす。

「やべぇ…あの兵頭と同じクラスかよ」
「オーラが違うって。いるだけで怖ぇ」
「お前、あいつだけは絶対怒らすなよ」

男の子達のひそひそ話が聞こえてきた。
どうやらすごい人と同じクラスになってしまったようだ。
欧華高校、通称O高は校則がゆるいせいかギャルとかヤンキーとか、いわゆる不良が多い。
ヤンキーにはヤンキーのルールがあるので一般の生徒が喧嘩に巻き込まれることはほとんどなく、ましてや比較的優等生で通っている私はそういう人達と話す機会すらないまま平和に過ごしてきた。
まあ怖そうな人だけど、私とは住む世界が違うんだし。
今までどおり気にしないでおけばいいや。
能天気な私の心の声とは裏腹に教室には緊張感が走っており、その空気が抜けないままホームルームが始まった。

(…あれ?)

なんだか彼の背中に見覚えがあるような。
有名人だから知ってたのかな?と深緑色の大きな背中を眺めていると、急にこちらを振り向かれた。
見てたのがバレたのかと慌てて、つい大げさにビクっとしてしまう。
そんな私の様子に彼の片眉が上がったような気がするが、ただプリントを回してくれただけで何も言われなかった。
ただ、それから続く新学期の配布物攻撃は全部前を向いたまま放るように渡されたので、機嫌を損ねてしまったのかもしれない。
どうしよう、関わり合いになりたくなくてもこの席だと難しいよ…
つい先ほどまで最高のロケーションだと思っていたのに、早々に次の席替えを待ち望むことになってしまった。


★ ★ ★


例の前の席の彼は、兵頭十座くんという名前だった。
入学以来喧嘩負けなしで、O高最強のヤンキーだと恐れられているのだとか。
授業が始まって数日経ったある朝、教室に入ると、何故か兵頭くんが私の席に座っていた。

「…!?」
「なんか、机ごと移動してたよ。一番後ろの席がよかったんじゃないかな…?」
「従っておいたほうがいいぜ…!」

様子を見ていたらしいクラスメイトに言われ、とりあえず元兵頭くんの席につく。
中身はちゃんと私の机だ。置き勉してるのバレちゃった。
ちらっと後ろを振り向くと、兵頭くんと目があった。

「…」
「…」

少し驚いたものの、今度はビクっとするまいとこらえたら言葉が出てこなかった。
兵頭くんも何も言わない。
しばらく目を逸らせないでいると、小さく「悪かったな」と言われた。

「え?」
「…黒板、見えてなかっただろ」

…!?
確かに、見えていなかった。
背の高い人の後ろの席になるケースはこれまでも何度かあったが、チビの宿命だとあまり気にしていなかったのだ。
こんな気遣いをされたのは初めてでびっくりだし、兵頭くんが、というのもまたびっくりだ。

「これまでのノート、写すか?」

えええー!この人本当に、噂に聞く兵頭十座くん…!?
驚きの連続で状況をあまり理解できないまま、私はうっかり頷いていたらしい。
兵頭くんはごそごそと机を漁り、何冊かのノートを差し出した。

「あ…ありがとう」
「…ああ」

なんとか絞り出したお礼の言葉は一応兵頭くんの耳にも届いたようだ。
と、とりあえず急いで写して返さなきゃ。
授業が始まるまで少し時間があるし、と1冊目のノートを開く。
そこには男の子らしい、ちょっと歪な力強い字が並んでいた。
…こんなにびっしりノートを取るヤンキーを、私は知らない。
昨年までクラスにいた不良っぽい子達は、授業に出ないか、授業中に教室にいても寝てるかスマホをいじっているかだった。

(あ、ここ漢字間違えてる…ここも…ここもだ)

兵頭くんのノートはなんとか読めるものの、誤字脱字がひどかった。
あまり国語…というか、勉強が得意ではないのだろう。
なんだか彼の秘密を知ったみたいで楽しくなり、間違っていた箇所に付箋で訂正を入れてあげた。

ノートを返して漢字の間違いを訂正した旨を伝えると、思いっきり眉間に皺を寄せられた。
あ…余計なお世話だったかも。

「ご、ごめんね!出過ぎた真似を…!」
「…いや、助かる」

返ってきたのは表情からは全く想像できない台詞。
全力で謝ろうと身構えたのに拍子抜けだ。

(…兵頭くん、ただのいい人じゃん)

もう私の中に“兵頭くん=こわい”という気持ちは一切なくなっていた。
同じクラスになって数日で、たまたま席が近かっただけの私でもわかることなのに、なぜ彼はこんなにも恐れられているのだろう。
クラスの誰も彼に近づかないし、先生達もほとんど話しかけようとしない。

私はものすごく、兵頭十座という人間に興味を持った。


何日か観察してみた結果、兵頭くんはふつうに真面目な人だった。
朝は遅刻もしないし、授業中はちゃんと授業を受けている。
(午後一番の授業や体育の後は時々寝ている気配もする)
たまに休み時間の後ちょっと遅れて帰ってくることがあるが、まともに教室にいないタイプの不良生徒に比べたら全然ましだ。
昼休みは、いつもすぐに教室から出て行く。
どこで何をしているのか非常に気になるけれど、友達とのランチタイムを蹴ってまで調べに行くほどでもない。

そうこうしているうちに一度目の席替えがあり、私たちの席は離れてしまった。
兵頭くんは誰かに気を使われたのか、窓際の一番後ろ。
そして私はど真ん中の一番前。
くじ引きを作ったクラス委員が良かれと思って背の低い女の子や視力の良くない人を前に集めただけなので、不満は言わないことにする。
兵頭くん観察記もこれにて終了か。ちょっと、残念だな。


★ ★ ★


新学期が始まって1ヶ月、今年度初の日直の日。
出席番号順に2人ずつ回るため、兵頭くんも一緒だった。
日直と言っても形だけの学級日誌があるだけで、黒板は先生が自分で消すし、教室の施錠は用務員さんの仕事だし、うちの学校には花を飾るようなおしゃれな風潮も予算もないので花瓶の水換えもない。
私でさえ、朝のホームルームで担任から直接日誌を渡されてやっと日直の存在を思い出したくらいだ。
黒板の端っこに私と兵頭くんの名前が書いてあるが目立たないし、私がこれを書いてしまえば兵頭くんは今日の日直が自分だということに気が付きもしないだろう。
こないだ借りたノートのお礼もしてないし、日誌くらいいいか。
一人で日直を引き受けようと決めたものの、教卓の目の前の席で日誌を開いたのは失敗だった。

「ああ、今日はおまえが日直か?悪いがもう一人と一緒にこれ片付けておいてくれ」

お昼休み前の授業は世界史。
黒板いっぱいに貼った資料と大きな地球儀2つを残して先生は颯爽と教室を出て行ってしまった。
…返事をする余裕もないくらい、あざやかに押し付けられた。
仕方なく模造紙を止めている磁石を外そうと背伸びをしたら、背後から誰かの手が伸びてきて磁石が消えた。

「…俺がやる」
「え!?びっくりした、兵頭くんか…!でもどうして?」
「片付けろって言われた」

彼は黒板の端を指さした。
あ、日直だって知ってたのか。
どうせ気付いてないだろうとか思っててごめん。

「聞こえてたんだ?あの先生声大きいもんね」

外してもらった模造紙を受け取り、くるくる丸めながら話す。
大した内容ではないが、反応がないので振り返ると兵頭くんは地球儀を2つとも持って歩き始めていた。

「はやっ!え、ちょっと待って!1つ持つよ!」

丸めた模造紙と磁石が入った箱を急いで掴んで追いかける。

「いい」
「いやいや!」
「…ちっ」

うわあ、こんな迫力ある舌打ちはじめてされた…!
若干怯んでしまった私を気にしたのか、兵頭くんが続ける。

「そっち持っててくれたら十分だ」
「これ紙だし!」
「…日誌、任せちまった」
「え…でもそれは、前にノート貸してくれたお礼のつもりで」
「……じゃあ、ドア開けてくれ」

言い合っているうちに社会科準備室に着いていた。
兵頭くんが日誌の存在を知っていたことに驚いたが、彼の席からだと私と先生のやりとりは丸見えだと気付き、一人で納得。
古くて結構重いはずの地球儀を軽々と棚にしまうと、兵頭くんはさっさと準備室から出て行こうとする。

「あ、あの…ありがとう!」

慌てて呼び止めたら、怪訝そうな顔をされた。
重い方を持ってくれたことに対してお礼を言ったつもりだったのだが、伝わらなかったらしい。
遠ざかる背中を見つめながら、ふと今がお昼休みであることを思い出す。
これは、彼のお昼休みの過ごし方を知るチャンス。

後を追ってみると、兵頭くんは購買に入って行った。
お昼休みが始まったばかりの購買はただの戦場で、私はとても入れない。ので、いつもお弁当を持参している。
今日もすごい人だかりだったが、兵頭くんに気が付いた一人が飛び退いたことをきっかけにさーっと道が開く。まるでモーセだ。
私は購買前の廊下の影から様子を伺うことにした。
ほどなくして、ビニール袋を下げた兵頭くんがこちらに向かってくるのが見えて慌てて隠れる。
廊下を進み、その先の階段をどんどん登っていくので、彼の向かう先がなんとなくわかってきた。
一階分ほど間をあけてこっそり着いていくと、頭上からドアの開く音と、
「ぎゃっ!兵頭さん!?ここドーゾ!!!」
という男の子の声が聞こえ、バタバタと階段を駆け下りてくる下級生達とすれ違った。
屋上へ出られるドアの窓から外を覗いたら、段差になっているところに座ろうとしている兵頭くんの背中が。
怖がられ方といい一人屋上でお昼を過ごしている姿といい、なんてベタな一匹狼ヤンキー。
哀愁漂うその後ろ姿がなんだか普段より幼く見えて、私は急いで教室へ戻ってお弁当が入ったトートバックを抱えると、また屋上へ駆け上がる。
途中でいつものランチメンバーに声をかけられたけれど、用事があると断ってしまった。
自分でも、ずいぶん思い切ったことをしていると思う。
それでも、今日はもっと兵頭くんと話してみたい、その気持ちの方が強かった。
息を切らしつつ屋上のドアを開けると、兵頭くんが少しだけこちらを振り向いた。
鋭い目を訝しげに細めて睨まれたようにも見える。


「兵頭くん」
「…?」
「ねえ、一緒にお昼食べてもいい?」

半ば強引に、少し間を開けて座る。
兵頭くんは驚いたのか、しばし固まった。

「おまえ、俺が怖くねーのか。」
「どうして?クラスメイトじゃない!」

もっと言うと日直ペアの仲じゃない!と笑ってみせる。
眉間に深い皺が寄ってはいるが、反論はされなかったのでここでお弁当を広げることを了承してくれたのだと勝手に解釈する。

彼はそのいかつい表情のまま、持っていたメロンパンをかじり始めた。
チョコチップ入りで間にはクリームが挟まっている美味しいやつだ。
袋からはチョココロネとあんパンが覗いており、彼の横にはストローが刺さったいちごミルク。

「…もしかして、兵頭くんって甘党?」
「違う」
「いやでも、そのラインナップは…」
「……これしか売ってなかった」

うそだ。私見てたもん。
あれだけの生徒に順番を譲られたのだから、まだ棚は十分充実していただろう。
というか、そんな嘘を付くくらいなのに、昼休みの購買で甘いものを買うのは気にならなかったのか。
まあ他の生徒は、彼と目を合わせたくなくてなるべく見ないようにしていたのかもしれないが。
うっかり後をつけていたことをバラしそうになり、誤魔化すように笑ったら、別に甘いものなんて好きじゃねえっ!と弁明された。

「ふふ、それなら、私の唐揚げも食べる?甘いのだけじゃ辛いでしょう?」
「…いいのか?」
「うん!もちろん!」

今日の唐揚げは自信作なんだ。
そう言って唐揚げを一つ差し出すが、受け皿になるものがなくてお互い固まる。
ここまで来ては引けないので、お箸でつまんだ唐揚げを彼の口元まで持っていく。
兵頭くんはちょっと戸惑いつつも、そのまま食べてくれた。

今のは完全に自分のせいなのだが、なんだか気まずい。
空気を変えたくておやつに持って来ていた飴もあげようとすると、目を見開いて飴をじっと見つめられた。
甘いもの好きじゃないって言った手前、もらうの迷ってるのかしら。
そう思って、もらってくれなきゃ捨てると言ったら慌てて受け取ってくれた。

あ、眉間に皺がない表情、初めて見たかも。

唐揚げをあげた時より何倍も嬉しそうだった。


★ ★ ★


それから、私は時々屋上でお弁当を食べるようになった。
いつも一緒に食べている友達の都合が悪かった日や、私の気分次第なので本当にたまにだが、今のところ断られたことはなかった。
雨の日は屋上近くの空き教室で食べているらしい。
特別教室が多いこの棟の最上階は、人気も少なくて涼しい。
屋上だと日差しが強いね、と世間話のつもりで言ったら、この教室に連れてきてくれた。
私が一方的に押しかけて喋っているだけなのに、意外とちゃんと聞いてくれているのだ。
兵頭くんと過ごすお昼休みは、女友達といるときのように会話が弾む訳でもないのに楽しくて、夏が近づくにつれてその頻度は増えていった。

教室では他の生徒と同じように兵頭くんから距離を取っているくせに、内緒のランチタイムを心待ちにしている自分がひどく醜くて情けない。
本当はこんなに優しい人なんだよって、みんなの誤解を解きたい気持ちもある。
でも同時に、私だけが知っている兵頭くんの良さを誰にも知られたくないとも思ってしまうのだ。
もやもやとした気分のまま、結局今日も、空き教室の扉を開く。





「世界一美味しいパンケーキ?」
「!!!」

空き教室に入ると兵頭くんが何やら熱心にスマホを睨んでいたので、興味本位で覗き込んだら驚かせてしまったようだ。

「そのお店知ってるよー!こないだ天鵞絨駅前に出来たやつだよね?」

日本初上陸!の文字と共に写っている生クリームもりもりのパンケーキ。
慌ててスマホを隠す兵頭くんには申し訳ないけれど、ばっちり見えました。

「インステで話題になってたし、すごい並びそう…あ、予約も出来るみたいだね」

私もさっそく自分のスマホでお店を調べる。
出来たばかりだから予約なんて取れないのでは…と思ったが、席数が多いためかそこそこ空いていた。

「わあ、このベリーの美味しそう!」
「…」

メニューのおすすめ欄にある写真を見せたら兵頭くんの目が輝いた、気がする。

「そうだ!よかったら今週末ここ行かない?」
「!…いや、俺は別に、甘いものなんて…」
「嫌い?」
「嫌い…じゃねえが、好きでもねえ」

“嫌い”とは言い切らなかったあたり素直だ。

「食べられないわけじゃないなら、一緒に行ってくれると嬉しいな…あ、それとも今週は忙しい?」

しょんぼりしながら聞くと、彼は首を横に振った。

「…俺がそんな洒落たところに行くなんて、似合わねえだろ」
「そうかな?スイーツ男子って最近よく聞くよ?」
「それは、もっとふわふわした奴のことなんじゃねーか」
「ふわふわ…?まあ一人じゃ入りづらいって気持ちはわかる気がするけど、私に無理矢理連れて来られた体で行けば自然じゃない?」

事実、結構無理矢理誘っているんだし。

「そういうもんなのか?」
「そういうもんだよ」

兵頭くんが考える素振りを見せ始めたので、さっきのパンケーキの画像をちらつかせる。

「…行ってやっても、いい」
「やったー!土曜日のお昼でいい?」
「ああ」

パンケーキ画像の効果、素晴らしい。
返事を聞いてすぐに予約画面を操作する。
ご予約を受け付けました、の画面を見せると兵頭くんは諦めたようにため息をついたが、嬉しそうなオーラは隠しきれていなかった。

「じゃあ今週の土曜日、天鵞絨駅の改札前に11時半でどう?」

ちょっと早めのランチになっちゃうけど…と伺うと、構わねえ、と頷いてくれた。
思いがけず休日に会う予定を取り付けられたことが嬉しくて、その日のお弁当の味は覚えていない。


★ ★ ★


時間ぴったりに着いたつもりだったが兵頭くんは既に改札前で待っていてくれた。
初めて見る私服は全体的に黒くて、カバンも持たずにポケットに手を突っ込んで立っている姿は遠目で見ても目立つ。
背が高くて手足が長くて、モデルみたい。
羨ましく思いつつ、普段はあまり履かないヒールのあるサンダルを選んだ自分を褒めた。

「ごめん、待たせちゃった?」
「いや」

行くぞ、と踵を返した彼の歩調が思いの外ゆっくりで、私に合わせてくれているんだと気付いて胸が高鳴った。
自然とこういうことできちゃうんだもんなあ。


パンケーキは美味しかったけれどとても一人で食べきれる量ではなかったので、最後ちょっとだけ手伝ってもらった。
食べている時の兵頭くんといったら、それはそれは幸せそうで微笑ましい。

「この辺り、劇場が多くて有名なんだね。お土産屋さんとか、他にも美味しい焼き菓子のお店があるみたい」

セットのアイスティーをすすりながら駅名を検索し、兵頭くんが私のベリーベリーパンケーキの最後の一切れを口に運ぶのを見届ける。
ちなみに兵頭くんが頼んだのはチョコバナナアーモンド。
一口もらったがこちらもとても美味しかった。
こことかも美味しそう、とお菓子屋さんのレビューページを見せると兵頭くんが一瞬目を見開いた。

「ああ、ここか。マドレーヌが美味いらしい」
「知ってるの?」
「あと、近くに水まんじゅうが有名な店もある」
「そうなんだ!よかったらこの後少し買い物してく?」

こくりと頷いてくれたことにほっとした。
話題のお店のパンケーキを食べられたので大満足だが、これだけで今日が終わってしまうのは寂しい。

「やった!私水まんじゅうって食べたことないから気になるかも」
「それはもったいねえな。人生損してるぞ」

兵頭くんがそこまで言う食べ物とは。
当然のように彼の方に置かれていた伝票を持ってレジに向かう。

「私から誘っておいて申し訳ないけど、割り勘でいい?友達なんだし」
「…友達」

そう、友達。自分で言って少し複雑な気持ちになったけれど、それ以上に兵頭くんが納得のいかない顔をしていたのは見なかったことにする。
友達とすら思ってもらえてなかったら悲しいもの。

水まんじゅうはかなりの人気だったらしく、今日の分はもう売り切れていた。
代わりに焼き菓子のお店に行ったらちょうど焼きたてのマドレーヌが運ばれてきたところで、店内を香ばしいバターの香りが漂っている。
私は家族用に小さい箱に入ったセットを買い、兵頭くんは一番大きな箱と、今食べる用にバラをいくつか買った。
すっかり甘党を隠すことは忘れているようだ。
兵頭くんはバラで買ったマドレーヌを一つ私に差し出した。

「え!いいの?」
「…今日の礼だ」
「お礼って、なんの?」
「俺一人じゃ、こんなところ入れなかった」

やけに詳しかったから、前から興味があったのだろう。
他のお客さんに迷惑をかけまいと自分の見た目を気にして、ずっと来るのを躊躇っていたのか。
お礼を言ってマドレーヌを受け取り、さっそくかじってみる。
バターにこだわっているという大きめのそれは、端っこはこんがり、中はしっとりとしていて今まで食べた焼き菓子の中で一番美味しく感じた。

「こちらこそ、ありがとう。こんなに美味しいお店教えてくれて。」

兵頭くんと来れてよかった、と笑って兵頭くんを見ると、何個目かわからないマドレーヌを一口で頬張るところだった。

「今度は水まんじゅう並びに来ようね!」

幸せそうにもぐもぐしているので返事は期待しないつもりだったが、ん、と小さく頷いてくれた。


駅に向かう途中、あちこちでストリートACTや劇団のビラ配りを見かけた。
初めて見る光景で驚いたが、もっと驚いたのは兵頭くんがじーっとストリートACTを見つめていたことだ。
何かあったのかと問いかけようとしたとき、

「よかったら、お芝居見に来て~?」

と、特徴的な三角模様の服を着たお兄さんにビラを渡された。

「え!?あ、あの…」

ビラ配りのノルマでもあるのか、すごい速さで通行人にビラを押し付けながら遠ざかるお兄さん。
もらったビラに目を落とすと、斜め上から息を呑む音が聞こえた。

「…本当に、出るんだな」
「え?」
「この舞台、いとこが出てる」
「わ、そうなの!?どの子?」

兵頭くんが指さしたのはピンク色のふわふわした髪の男の子だった。
ああ、こないだ兵頭くんがイメージしたスイーツ男子って、この子かな。

「結構若いね?かわいい…!」
「たぶん、今中3だ」
「ええ!中学生でお芝居やってるの!?すごいね!」

見に行くの?と聞けば曖昧な答え。

「…俺みたいなのが見に行ったらこいつに迷惑が」
「もう!そんなことないよ!劇中は暗いんだから周りにいる人なんて誰も気にしないって」

また他人を気にして兵頭くんが遠慮しようとしていると感じ、つい食い気味に遮ってしまった。

「きっといとこくんも、兵頭くんが見に来てくれたら嬉しいよ」
「…そうか」
「うん。誰だって、自分が頑張ってる姿を見てもらえたら嬉しいもの」

さっきのお兄さんには悪いが、もらったビラを兵頭くんに握らせる。
今日この街に来たことで少しお芝居に興味が沸いたとはいえ、これは兵頭くんが持っていた方がいいような気がした。


★ ★ ★


月曜日。今日もまた私はお昼休みに屋上へと向かっていた。
最近会いに行きすぎているような気もするけれど、今日はきちんと用事がある。
兵頭くんが美味しそうにお菓子を食べる姿がもっと見たいと思っているうちに、パウンドケーキを焼いてしまったのだ。
水まんじゅうを食べられなかったことが尾を引いていて、あんこをたっぷり使った抹茶味にしてみた。
こういった簡単な焼き菓子なら時々暇つぶしに作っていたので慣れていたし、味見をしてちゃんと美味しかったから、人様に渡しても大丈夫。

そわそわした心地で階段を登っていると、他クラスの男の子4人と踊り場で鉢合わせた。
あれ、いつもはこの先は兵頭くんの場所だからって誰もいないのに。

「おまえ、あいつの女?」
「なんだよ、まじでこいつ?すげー地味じゃん」
「俺ら、一昨日おまえらが一緒にいるとこ見ちゃったんだよね~」

あいつとは、もしかしなくても兵頭くんだろう。
見たことない人達だが、彼らが授業にすら出てないタイプの、本当の不良少年であろうことはわかった。
やばいかも、と考えるよりも先に腕を強引に掴まれ、そのまま屋上へ連れて行かれる。


不良の一人が屋上のドアを蹴って開けると、いちごミルクのストローをくわえた兵頭くんが振り返った。
真ん中で威張ってる奴(金髪くんと呼ぼう)、私を羽交い締めにしてる奴(顔はよく見えないけどピアスがすごかった)、両脇に2人(withBでいいか)。
兵頭くんは一人ひとりにちらっと目線をやり、私と目が合うとぎゅっと眉間に皺を寄せ、金髪くんを睨む。

「…そいつを離せ」
「うわ、まじじゃん。いーぜ、俺らと勝負して勝ったらな」
「O高のトップはこの俺様なんだよっ!」

金髪くんが吠えると同時にwithB2人が兵頭くんに突っ込んだ。
…が、兵頭くんは彼らの攻撃をさっと避けると一人に蹴りを入れて吹っ飛ばし、殴りかかってきたもう一人を軽く受け流しながら顔面を殴った。
顔面を殴られた彼はよろめいて片割れにぶつかり、2人で倒れる。
一連の流れるような動きに唖然としていたら、金髪くんに髪の毛を鷲掴みされた。

「い、痛!」
「ふん、彼女がどうなってもいいのか!?」
「ええっ!?ちょ、違…むぐっ!」

金髪くんの啖呵を否定しようとしたら、うるせえっ!とピアスくんの手で口を塞がれてしまった。
なんとか抵抗したくて、無理矢理口を開けて渾身の顎力で指に噛み付いた。

「いって!このクソアマ!」

ピアスくんに突き飛ばされ、転んだ拍子にカバンを落としてしまった。
ラッピングしたパウンドケーキが転がり出る。
ピアスくんは気がつかなかったのかわざとか、ケーキをぐしゃりと踏み潰した。

「!!!」
「余所見だなんて余裕だなあ?オラっ」

こちらに気を取られていた兵頭くんの顔を金髪くんが殴った。
兵頭くんはちょっとよろめいただけで、乱れた紫色の髪をかきあげながら金髪くんとピアスくんをぎろりと睨みつける。

「…食物粗末にしてんじゃねえよっ!」

ドズッという鈍い音とともに金髪くんが倒れた。
あまりに一瞬の出来事で目をぱちくりさせている私の前に、血まみれの歯が転がってきた。
…これ、金髪くんの、だよね?

「ひいっ…!」

今度はお前だ、というように兵頭くんがピアスくんを睨むと、彼は悲鳴を上げながら金髪くんを引きずって逃げてしまった。
一人で逃げなかっただけ、ピアスくんもなかなか根性があるのではないだろうか。
兵頭くんが転がったままのwithBを蹴り起こすと、気が付いた彼らは瞬時に状況を理解したようで、支え合いながら走り去っていった。

「…立てるか」

兵頭くんに言われて、自分が転んだままの体制だったことを思い出す。
慌てて立ち上がると、兵頭くんがカバンとパウンドケーキを拾って渡してくれた。

「あ…」

ありがとう、助けてくれて。
そう言いたかったのに、なぜか急に声が震えて言葉が出ない。
ぼやける視界の先に兵頭くんの焦ったような表情が見えた。

「!…その、巻き込んじまって、悪かった」

涙を拭いながら首を振るが、兵頭くんの眉間の皺はいっそう濃くなる。
違うんだ、これっぽちも兵頭くんのせいなんかじゃないからそんな顔しないでほしい。
必死に涙を止めようとするのに上手くいかない。

「おまえ、もう俺に構うな」

そう言って背を向ける兵頭くんに、このまま離れたらもう一生話せない気がして、つい思いっきり抱きついていた。
せっかく拾ってもらったばかりの荷物を再び放り出して。

「!?」
「ち、違うの…!これは、安心したからで…!怖かったから泣いてるんじゃないの。や、確かに怖かったけど、兵頭くんがじゃなくて」
「おい、落ち着け」
「…助けてくれてありがとう。あと、ごめんなさい。私が付きまとったりしたから。私がいなかったら兵頭くん、絶対殴られたりなんかしなかったでしょう…?」

私のせいだなんておこがましすぎるんだけど、言わずにはいられなかった。
回していた腕を解くと、兵頭くんがゆっくり振り向いた。
そこで初めて彼の顔、というか片頬が、物理的に赤くなっていることに気付く。

「うわ!ほっぺ腫れちゃってる…!早く保健室行こう!?」
「これくらい、なんともねえよ」
「でも…」
「お前こそ、腕擦りむいてんぞ」
「え!?」

指摘された腕を見てみると、なるほど若干血が滲んでいた。
先ほど突き飛ばされた時だろう、よく見ると膝にもあざが出来ている。
意識すると痛みが出てきたような気もするが、兵頭くんが本当に申し訳なさそうな顔で傷口を見つめているので慌ててフォローする。

「それこそ、これくらいなんともねえ、だよ」

そう言って涙目のまま笑ってみせると、兵頭くんはそうか、と呟いて、妹(いるかわからないけど、兵頭くんってなんか長男っぽい)にするかのように私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「…やっぱり、もう俺なんかに関わるんじゃねえ」
「えー」
「頼むから」

困ったような顔で、初めてお願いをされた。

わかってる、これが彼なりの優しさなんだと。

今日の件だって、兵頭くんの環境をよく知らないまま、自分の都合で勝手に付きまとっていた私が悪いのに。
ただのクラスメイトで、出席番号が隣になっただけの関係なのに、いつも何も言わずに受け入れてくれた兵頭くんに甘えて。
今認めたら辛いだけだから深く考えないようにするけれど、とにかく私は、兵頭くんの不器用な優しさに惹かれていたのだ。
ただその優しさに触れたかっただけ。
彼のお荷物になりたい訳じゃない。

「…わかったよ。その代わり、私からも一つお願いしてもいい?」
「なんだ」
「もう喧嘩はしないで」
「…それは聞けねえな」
「ええ!なんで!?」
「売られた喧嘩は、買うだけだ」

喧嘩なんて本当はしたくないだろうに、自分を守るためには拳に頼るしかなくて。
立ち向かってきた相手に愚直に対応してきた結果が今の兵頭くんだ。
さっきの様にO高のてっぺん取りたい、みたいな不良に日々絡まれていることを想像すると、すぐに喧嘩を止めろというのは難しいだろう。

でも。きっと。彼は変われる。
喧嘩の強さに頼らなくても、周囲が兵頭くんの良さに気付く日がきっと来る。
もう独り占めしたいだなんて思わずに、私もその手助けが出来たらいいな。

「兵頭くん本当はすっごく優しいのに…」
「優しくなんかねえよ」
「優しいよ!それに、兵頭くんが思ってるよりずっと、世界も兵頭くんに優しいよ!」
「…どういう意味だ」
「うーん?わからないならいいや」

ふふっと笑うと、馬鹿にしてんのか、と睨まれる。
が、全く怖くない。

「じゃあ、別のお願いね。もう俺“なんか”なんて言わないで。あと…私からは絶対関わらないようにするから。いつか、兵頭くんから話しかけてくれると嬉しい」

わからない課題の話でも、美味しいスイーツの話でも、いとこくんの舞台の話でもいいから。

そう言うと、兵頭くんはお願いは一つじゃなかったのか?と笑った。
初めて彼の笑顔が見られたことが嬉しくて、また泣きそうになる。

「…わかった。いつか、な」
「うん。ありがとう」

さてと。そろそろお昼休みが終わっちゃうから急いで戻らなきゃ。
お弁当食べ損ねたなあ。
私は今の出来事でお昼を食べるような気分になれなかったが、兵頭くんはどうなのだろう。
とりあえずカバンを拾い、パウンドケーキに手を伸ばすと。
すっと兵頭くんの手が重なり、パウンドケーキを奪われてしまった。

「これ、食ってもいいか」
「え!?それ落ちたやつ、というか踏まれたやつだし…!」
「袋に入ってるから平気だ」
「や、でも…」
「誰に渡すつもりだったか知らねえが、さすがにこれは無理だろ。もったいねえから、俺がもらう」
「ええ…」

元々あなたに渡すつもりだったんですけど。
なんてさすがに言えなくて。
ちょっとだけ強引な兵頭くんの言葉に顔が熱くなるのを感じ、俯く。
それを肯定と受け取ったのか、兵頭くんをはパウンドケーキを持ったままいちごミルクに手を伸ばし、中断されていた食事を再開した。

昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったので、そのままここでお昼ご飯を食べるらしい兵頭くんを残し、私は屋上の扉を閉めた。






秋組の公演日が決まった。
春夏組の反響のおかげか、今回はチケットノルマがなくても完売しそうな勢いだ。
事前に家族の分だけは用意してもらっていたが、俺にはどうしても、チケットを渡したい相手がいた。

最初はただ、小せえな、としか思っていなかった。
クラス替えの表を見ていたら、後ろでひょこひょこ動く気配がして。
難儀だろうな、と思ってどいてやったら、それだけのことなのに礼を言われた。
教室に入ったらまたそいつがいて、不運にも自分の真後ろの席で。
プリントを渡す際に席を代わるべきか尋ねようとしたら怯えられたので、様子を見て勝手に席を変えておくことにした。
それから、気が付いたら話しかけられるようになっていて。
よく笑い、ちょっとしたことでもすぐありがとうと言う礼儀正しい彼女は、人付き合いに慣れていない自分にもちょうどいい距離感で接してくれて、一緒にいて悪い気はしなかった。
はじめて「友達」と言われた時には心底驚いた。

これが、友達…というものなのか。

椋の芝居を見に行く勇気をくれた人。
初めてこんな俺を怖がらずに一緒にいてくれた、いようとしてくれた人。

はじめて出来た友達を大切にしたいと思うと同時に、このまま彼女の近くにいてはいけないような気がした。

自分と彼女は、住む世界が違うのだから。

あの日から一切関わらないようにしていたが、そもそも自分からは何もしなくても、彼女が話しかけて来なくなるだけでぴたりと自分たちの関係は終わった。
今日は来るだろうかと心待ちにしていながら、自分から彼女に話しかけたことはなかったのだと今になって気付く。
一緒に出掛けたこともあるというのに、連絡先すら知らなかった。
教室に行けば姿は目に入るけれど、ただそれだけだ。
彼女のためにはこれでいいはずなのに、なんだか心に穴が空いたような気分になる。

あの日、涙をこすって赤くなった目を細めながら彼女が放った言葉が忘れられない。

「兵頭くんが思ってるよりずっと、世界も兵頭くんに優しいよ」

MANKAIカンパニーに入り、秋組という仲間が出来た今ならわかる。
変わりたい、と前を向いた自分は、本当にたくさんの優しい人たちに囲まれていた。
彼女もその一人だ。

あの日無理矢理奪った、潰れたパウンドケーキが美味かったことを伝えたい。
水まんじゅう以外にも、美味そうな菓子の店をたくさん見つけてあることも。
背中を押してくれたおかげで見に行けた舞台が素晴らしかったことも。
あと、自分も芝居を始めて、たくさん仲間ができたこと。
もう喧嘩はしていないことも。(摂津との小競り合いはノーカウントだ)

彼女と話がしたい思ったとき、あの日交わした約束が浮かんだ。
俺が心の中では変わりたいと叫んでいたことを見透かしたうえで、俺から話しかけたことなどないことにも気付いたうえで、約束を取り付けたのだろうか。

自分から構うなと言っておいて、あまりの都合の良さに呆れる。
こんな男に話しかけられて、果たして本当に嬉しいと思ってくれるのだろうか。
女の考えなんてさっぱりわからない。
ただ、また自分の前で彼女が笑ってくれたら。
そうしたら、このチケットを渡そう。

自分で買おうとしたのが監督にバレて、結局1枚もらってしまったチケットを眺める。
明日はまた、彼女と一緒の日直の日だ。
こうしたきっかけがないと話しかけ辛いと思ってしまうのは情けないが、良いタイミングなので甘えることにする。
こんなに日直を楽しみにする日が来るなんて。
今夜は眠れるかどうか不安だったが、公演前の厳しい稽古の疲れから、俺はベッドに潜り込んだ瞬間いびきをかいていた。
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