秋・二部
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「……ぅ」
思うように声が出ない。
「ゆっくりでいい」
小十郎は、良佳のトラウマを知っている。落ち着かせるために腕をさすった。
「……嫌なのは……」
喉が開かず、声がうまく出ない。小十郎が、声が聞きとれる位置に屈んでくれた。
「兄さん、じゃない……。嫌なのは、……ここ」
良佳は、溜め込んでいた想いを吐き出すことにした。今言わないと、自分も小十郎も前に進めない気がしたからだ。
「ずっと前、兄さんが助手席にいた紗智を、押し倒すの、見た、から……」
言葉にすると、やはり惨めな気持ちが甦る。だから、拳をぐっと握りしめた。手のひらに食い込ませた爪の痛みが、その気持ちを散らしてくれた。
「見てた、のか……」
思いもよらない言葉に、小十郎は目を見開いた。
あの夏、もてあましていた熱を紗智にぶつけた。
ぶつけたのは、本当は苛立ちだった。自分は親の駒とはなから諦めた紗智の態度と、どうあがいても紗智の伴侶になれない現実、そして、今も身分にとらわれる伊達という一族がうらめしかった。
何より、自分に現実を打開する力がないことが悔しかった。だから、腹いせに自分より弱い紗智に当たった。
「……醜くて弱いてめえを、お前にだけは見られたくなかったんだがな」
綱元と共に守ってきた大事な存在だからこそ、いつも強く優しい自分だけを見せたかった。茂庭の中で異質な存在として育った彼女の苦しみは、養子に出された他家での己の感情と合致していて、気付いたら小十郎にとって良佳は守りたい存在になっていた。
多分、良佳を育てたことで自負と自信を持てたからこそ得た感情だろう。自信は、政宗の目付け役をこなしたことでも得られたが、種が違う気がする。
(ああ、きっとあれだな)
怖がりながらも自分を見つめる良佳に、小十郎は心を満たす感情の名前に気付いた。
(こいつが、“愛情”ってやつか)
政宗と違い、良佳は小十郎だけが育てたと言っていい。だから、変なところが自分によく似ているし、好みもほほ同じだ。
いつも自分の後ろを追いかけていたのが当たり前で、振り返ればいつも笑ってくれるのが当たり前で。
(だから、ショックだったんだな)
自分の手から離れ、加賀の大学院進学を選ぼうとしたことは、受け入れがたい事実だった。同時に、この件が、小十郎にとって良佳はなくてはならない存在だと気付かせてくれた。
(良佳も俺も、互いに依存してた。……それの、何が悪い?)
再会した今、良佳への愛情は家族や親類のそれと違うものに進化していることに、小十郎は気が付いていた。
良佳がくしゃみをした。冷たい風が吹いてきて、夜はもう冬並みに冷え込んでいる。
「寒いな、送る」
そう言うと、小十郎は運転席へと向かった。
店から20分ほどで、良佳のアパート近くのコインパーキングに辿り着いた。
「ありがと、兄さん」
車内に効かせた強めの暖房のおかげで、冷えかかった身体はすっかり元に戻り、辺りを見る余裕も、声も出るようになっていた。
「兄さんは止めろ」
「う、うん、ごめん」
「分かってくれたならいい。なあ、ちっとだけ時間くれねえか?」
「うん、いいよ」
「外、出るか。そこは嫌なんだろ?」
良佳は、笑って首を振った。
「確かに、今もいい気はしない。でも、これからはもう大丈夫だと思う。嫌だったことを直接言えて、少しすっきりしたから。言いたいことが言えなかったことが、一番つらかったみたい」
良佳は、この日初めて小十郎の目を見て話をした。
「そうか」
良佳が目を合わせてくれたことが、小十郎をとても安堵させた。
「店で政宗さまと話してたことなんだがな。その……、俺を失うのが怖くてってやつだ」
「そのこと? 言葉のまんまだよ。兄さん、じゃなくて、こじゅ兄とツナ兄がいなかったら、あたしきっとまともな人間になってなかったから」
“こじゅ兄”という響きが、なんとも言えない甘いうずきをもたらした。
甘えたな自分を切り捨てるために捨てた大好きな呼称だったが、その頃の好きだった自分も封じていたらしい。良佳の心は久々に軽くなった。
「あたし、こじゅ兄を失いたくない。ずっとずっと、こじゅ兄といたい。でも、今のままじゃこじゅ兄に依存して、絶対自分を駄目にする。だから……」
小十郎が手で制した。
「安心しろ。お前がいなきゃ駄目なのは俺も一緒だ」
「え?」
「むしろ、お前に依存されてえんだよ、俺は」
「何言っ……」
小十郎に向き直った時だった。
「んっ」
何かで唇を塞がれた。
「……嫌な思い出は、いい思い出で上塗り出来るらしいぜ」
何故か、すぐ目の前に小十郎の顔があった。
「今……」
「ああ、キスした」
良佳の両手が、無意識に口を塞ぐ。
「安心しろ、今日のところはもうしねえ。嫌われたらたまらねえからな。だが、お前から離れてやる気はねえ」
良佳の手を握り、そっと唇を寄せた。
「なん、で……」
「お前が好きだからだ、良佳」
一文字ずつ、想いを込めて言った。
「お前が俺との距離感に迷ってるなら、俺はいつまででも待つ。諦める気はねえよ」
もう一度手に口付けすると、小十郎は良佳の頭を優しく撫でた。
「撫でんの、久々だな。やっぱり、俺はお前を甘やかさねえと調子悪いみてえだ」
喉を鳴らして笑う。どうやら、自分の不機嫌の種の一つはこれだったらしい。
「返事は急がなくていい。だがもし叶うなら、仙台に帰る年末までに何かしらの回答をくれ」
良佳は、ただ小十郎を見つめていた。
思うように声が出ない。
「ゆっくりでいい」
小十郎は、良佳のトラウマを知っている。落ち着かせるために腕をさすった。
「……嫌なのは……」
喉が開かず、声がうまく出ない。小十郎が、声が聞きとれる位置に屈んでくれた。
「兄さん、じゃない……。嫌なのは、……ここ」
良佳は、溜め込んでいた想いを吐き出すことにした。今言わないと、自分も小十郎も前に進めない気がしたからだ。
「ずっと前、兄さんが助手席にいた紗智を、押し倒すの、見た、から……」
言葉にすると、やはり惨めな気持ちが甦る。だから、拳をぐっと握りしめた。手のひらに食い込ませた爪の痛みが、その気持ちを散らしてくれた。
「見てた、のか……」
思いもよらない言葉に、小十郎は目を見開いた。
あの夏、もてあましていた熱を紗智にぶつけた。
ぶつけたのは、本当は苛立ちだった。自分は親の駒とはなから諦めた紗智の態度と、どうあがいても紗智の伴侶になれない現実、そして、今も身分にとらわれる伊達という一族がうらめしかった。
何より、自分に現実を打開する力がないことが悔しかった。だから、腹いせに自分より弱い紗智に当たった。
「……醜くて弱いてめえを、お前にだけは見られたくなかったんだがな」
綱元と共に守ってきた大事な存在だからこそ、いつも強く優しい自分だけを見せたかった。茂庭の中で異質な存在として育った彼女の苦しみは、養子に出された他家での己の感情と合致していて、気付いたら小十郎にとって良佳は守りたい存在になっていた。
多分、良佳を育てたことで自負と自信を持てたからこそ得た感情だろう。自信は、政宗の目付け役をこなしたことでも得られたが、種が違う気がする。
(ああ、きっとあれだな)
怖がりながらも自分を見つめる良佳に、小十郎は心を満たす感情の名前に気付いた。
(こいつが、“愛情”ってやつか)
政宗と違い、良佳は小十郎だけが育てたと言っていい。だから、変なところが自分によく似ているし、好みもほほ同じだ。
いつも自分の後ろを追いかけていたのが当たり前で、振り返ればいつも笑ってくれるのが当たり前で。
(だから、ショックだったんだな)
自分の手から離れ、加賀の大学院進学を選ぼうとしたことは、受け入れがたい事実だった。同時に、この件が、小十郎にとって良佳はなくてはならない存在だと気付かせてくれた。
(良佳も俺も、互いに依存してた。……それの、何が悪い?)
再会した今、良佳への愛情は家族や親類のそれと違うものに進化していることに、小十郎は気が付いていた。
良佳がくしゃみをした。冷たい風が吹いてきて、夜はもう冬並みに冷え込んでいる。
「寒いな、送る」
そう言うと、小十郎は運転席へと向かった。
店から20分ほどで、良佳のアパート近くのコインパーキングに辿り着いた。
「ありがと、兄さん」
車内に効かせた強めの暖房のおかげで、冷えかかった身体はすっかり元に戻り、辺りを見る余裕も、声も出るようになっていた。
「兄さんは止めろ」
「う、うん、ごめん」
「分かってくれたならいい。なあ、ちっとだけ時間くれねえか?」
「うん、いいよ」
「外、出るか。そこは嫌なんだろ?」
良佳は、笑って首を振った。
「確かに、今もいい気はしない。でも、これからはもう大丈夫だと思う。嫌だったことを直接言えて、少しすっきりしたから。言いたいことが言えなかったことが、一番つらかったみたい」
良佳は、この日初めて小十郎の目を見て話をした。
「そうか」
良佳が目を合わせてくれたことが、小十郎をとても安堵させた。
「店で政宗さまと話してたことなんだがな。その……、俺を失うのが怖くてってやつだ」
「そのこと? 言葉のまんまだよ。兄さん、じゃなくて、こじゅ兄とツナ兄がいなかったら、あたしきっとまともな人間になってなかったから」
“こじゅ兄”という響きが、なんとも言えない甘いうずきをもたらした。
甘えたな自分を切り捨てるために捨てた大好きな呼称だったが、その頃の好きだった自分も封じていたらしい。良佳の心は久々に軽くなった。
「あたし、こじゅ兄を失いたくない。ずっとずっと、こじゅ兄といたい。でも、今のままじゃこじゅ兄に依存して、絶対自分を駄目にする。だから……」
小十郎が手で制した。
「安心しろ。お前がいなきゃ駄目なのは俺も一緒だ」
「え?」
「むしろ、お前に依存されてえんだよ、俺は」
「何言っ……」
小十郎に向き直った時だった。
「んっ」
何かで唇を塞がれた。
「……嫌な思い出は、いい思い出で上塗り出来るらしいぜ」
何故か、すぐ目の前に小十郎の顔があった。
「今……」
「ああ、キスした」
良佳の両手が、無意識に口を塞ぐ。
「安心しろ、今日のところはもうしねえ。嫌われたらたまらねえからな。だが、お前から離れてやる気はねえ」
良佳の手を握り、そっと唇を寄せた。
「なん、で……」
「お前が好きだからだ、良佳」
一文字ずつ、想いを込めて言った。
「お前が俺との距離感に迷ってるなら、俺はいつまででも待つ。諦める気はねえよ」
もう一度手に口付けすると、小十郎は良佳の頭を優しく撫でた。
「撫でんの、久々だな。やっぱり、俺はお前を甘やかさねえと調子悪いみてえだ」
喉を鳴らして笑う。どうやら、自分の不機嫌の種の一つはこれだったらしい。
「返事は急がなくていい。だがもし叶うなら、仙台に帰る年末までに何かしらの回答をくれ」
良佳は、ただ小十郎を見つめていた。