戦国bsr読み切り短編集
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「姫、輿が到着しました」
「そう、分かったわ」
たん、と音を立て閉じられた障子戸。
わたしの胸にいまだくすぶっていた恋の火は、その瞬間消えてなくなった。
けれど、すがすがしい気持ちだった。
奥州・伊達政宗の妹として育ってきたわたしは、いつも兄さまと兄さまの従者である片倉小十郎と三人で過ごしてきた。
兄さまが家督を継ぎ、わたしも伊達のために生きねばと心を定め始めていたが、わたしに甘い兄さまは、
「お前は、いつまでもここにいりゃいいんだよ」
と、甘やかして下さった。
時勢は、そうも言っていられない状況なのはわたしにも分かっている。
いくら伊達家と言えど、いつまでも無同盟のままではいられない。
同盟を結ぶためには、婚姻関係が一番手っ取り早い。
わたしは、その駒としてちょうどよい存在なのだ。
けれど、わたしは兄さまの言葉に甘えていたかった。
あの人の――小十郎の側に、少しでも長くいたかったから。
「……め、姫」
我に返ると、小十郎の呆れた顔がそこにあった。
「また上の空ですか」
ため息をつき、小十郎は眉をひそめた。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」
「兵法の指南をして欲しいと仰ったのは姫でしょう。それを上の空とは、全く」
「だから、ごめんなさいって謝ってるじゃない」
小十郎はやれやれと言って、もう一度ため息をついてた。
「しかし、何故兵法なのです? 姫が学ばねばならぬことは他にもおありでしょうに」
「いつか嫁ぐ方のために、軍事の面で少しでもお力になれればと思って。書物ならいくらでも読めるけど、実際の戦場に立った人間から学んだ方がはるかに生きた学を得られるでしょう? それに、お針や花なら他の者でも出来るもの」
「姫が紡ぐ糸も、姫が生ける御花も、姫にしか成せぬ大事なお仕事ですよ」
小十郎はまた呆れていたが、わたしの心意気に満足してくれたようだ。
指南役がどうしても小十郎でなければならない理由をうまくごまかして、わたしは今日も小十郎との時間を作った。
立場上、届いてはいけない想い。
けれど、くすぶらせるには既に大きくなりすぎた想いを、わたしはこうしていなしていた。
大きな願いは態度に出る。
態度に出れば表情に出る。
表情に出れば行動や口調にも表れてくる。
いくらうまく抑えても、敏い人には気付かれてしまう。
「お前、小十郎が好きだろう?」
ある日、兄さまと遠乗りに出かけた日、唐突に言われた言葉にわたしは息を飲むことしか出来なかった。
あんまり動揺しているわたしを見て、兄さまは小さく笑って
「気付いてるのはオレくらいだろうから、安心しろ」
と、仰られた。
兄さまは心の機微に敏い方だから気付いたのかもしれないけれど、そんな兄さまの側にずっといる小十郎が気付かない訳がない。
彼もまた、兄以上に機微に敏いから。
「……兄さま、わたしは小十郎が好きです。でも、それは叶ってはいけない願いなのは分かってるの」
ずっと心の底に溜めていた思いを初めて口にした。
「わたしは伊達の姫、彼は一家臣。しかも、小十郎は自分の出を気にしている。他の方たちと軋轢を作らないようにするため、小十郎は扶持が上がることを是としていない」
「……」
「こんな状況でわたしが自分の気持ちを貫いたりしたら、兄さまたちと古参の者たちとの間にある溝が深まってしまうわ」
「Ha!そんなことは、お前が気にすることじゃ……」
「いいえ、気にするわ。だって、わたしは伊達家の姫だもの。“姫”として、やらねばならぬことがある。……そうでしょう?」
兄さまは一瞬目を丸くして、その後ため息をついた。
「お前も損な性分だな」
「兄さまの妹よ? 機微に敏くてもおかしくないわ。……だからお願い、ここに連れてきた本当の理由を聞かせて」
「……」
兄さまは少し迷った末、口を開いた。
「お前に縁談だ。同盟を結ぶためだ」
とうとう、その時が来てしまった。
“姫”として、伊達のために、そして愛しいあの方のために尽くす日が。
「まことに、おめでとうございます」
家臣一同の前で、わたしは皆から祝福を受けた。
表面にのせた仮の笑みを絶やさず、その場をうまく切り抜けられた。
はずだった。
「姫」
あの声を聞いてしまったら、仮の笑みなんてすぐにこわばってしまった。
「御手すきの時で構いません。小十郎よりの祝いの品も、どうか目をお通し下さい」
わたしの背に会釈して、小十郎は去って行った。
誰の気配もなくなった頃を見計らい、わたしは小十郎の置いていったものに目をやった。
「これ……」
指南をお願いした時に小十郎が使っていた兵法の書だった。
相当年季が入った代物、多分小十郎が小さい頃から手放さなかったものだ。
こんな大事なもの、もらえる訳ない。
「小十郎!!」
胸に抱えてすぐに後を追いかければ、小十郎は追いかけてくることを分かっていたのかすぐ角の廊下にいた。
「いただけないわ。あなたの大事なものじゃない!」
「いえ、もう小十郎には必要ないものです。すべて、頭に入っておりますゆえ。それに……」
ふっと、小さく笑った。
「弟子に継承していくのも、師の大事な役目なれば」
そう言うと、片膝をつき小十郎は頭を垂れた。
「と言うのは建前。それを、小十郎だと思い共にお連れ下さい。あなたさまの御身を直接お守り出来ぬ歯がゆさを、それを託すことで消化させて頂きたい」
「小十郎……」
止めて。
そう言いたかった。
思わせぶりなことを言われたら、決断した思いが揺らいでしまう。
伊達の礎となって、遠くからあなたを守る。
想いを遂げてはいけない以上、想いを昇華する方法なんてこれしかないのだから。
「ならば、こう思われたらいい」
譲り受けることに抵抗があるのだと、彼は思ったらしい。
「あなたさまが危険にさらされた時、兵法が小十郎の代わりにあなたさまをお守りするでしょう。嫁がれる方のためにと学んできた兵法を、どうかご自身を守るためにもお役立て下さい」
あなたに会いたくて、あなたと少しでも同じ時間を、同じことを共有したくて学んだ兵法。
それが、もしかしたらあなたを、そして伊達を脅かす“矛”になるかもしれないのに。
同盟相手とは言え、いつ敵になるか分からないのに。
わたしが嫁すのは、そんなところなのよ?
……きっと、あなたはこんなこと露にも思わないのよね。
右目として、軍師として、伊達が窮地に堕ちないよう全身全霊をもって尽くすあなたがいる、そのことが他国にとって抑止力だもの。
「分かったわ。ありがたく頂戴するわ、師匠(せんせい)」
はずれかけた仮の笑みをもう一度顔に乗せれば、小十郎も笑ってくれた。
わたしは今、花嫁行列の輿にいる。
道中、あの時見た小十郎の笑みを思い出していた。
優しくて、柔らかくて、わたしの幸せを願っている笑みだった。
きっと、わたしの想いに気付いていたであろう彼のそれは、諦めさせるためでもあったに違いない。
最後の最後まで、“師匠(せんせい)”の表情だったから。
残酷なまでの優しさと思いやりに気付けた時、わたしは自分の想いが叶わなくていいという覚悟を持った。
忘れたり、捨てることなんて出来る訳がない。
だって、小十郎に片恋してきた時と、兄さまや伊達の皆と何も考えず楽しく過ごした時は繋がっていて、その時間が今の“わたし”を作り出したのだから。
“わたし”の一部である小十郎への想いを捨てることは、わたしが“わたし”を捨てることにほかならない。
だから、奪われたままでいいと思ったのだ。
鮮やかに、残酷に、“わたし”を奪った男、片倉小十郎景綱。
あなたに奪われたまま、わたしはこれからを生きていきます。
わたしの気持ちは、花嫁行列を見送る真っ青な空のように晴れやかだった。
(了)
「そう、分かったわ」
たん、と音を立て閉じられた障子戸。
わたしの胸にいまだくすぶっていた恋の火は、その瞬間消えてなくなった。
けれど、すがすがしい気持ちだった。
奥州・伊達政宗の妹として育ってきたわたしは、いつも兄さまと兄さまの従者である片倉小十郎と三人で過ごしてきた。
兄さまが家督を継ぎ、わたしも伊達のために生きねばと心を定め始めていたが、わたしに甘い兄さまは、
「お前は、いつまでもここにいりゃいいんだよ」
と、甘やかして下さった。
時勢は、そうも言っていられない状況なのはわたしにも分かっている。
いくら伊達家と言えど、いつまでも無同盟のままではいられない。
同盟を結ぶためには、婚姻関係が一番手っ取り早い。
わたしは、その駒としてちょうどよい存在なのだ。
けれど、わたしは兄さまの言葉に甘えていたかった。
あの人の――小十郎の側に、少しでも長くいたかったから。
「……め、姫」
我に返ると、小十郎の呆れた顔がそこにあった。
「また上の空ですか」
ため息をつき、小十郎は眉をひそめた。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」
「兵法の指南をして欲しいと仰ったのは姫でしょう。それを上の空とは、全く」
「だから、ごめんなさいって謝ってるじゃない」
小十郎はやれやれと言って、もう一度ため息をついてた。
「しかし、何故兵法なのです? 姫が学ばねばならぬことは他にもおありでしょうに」
「いつか嫁ぐ方のために、軍事の面で少しでもお力になれればと思って。書物ならいくらでも読めるけど、実際の戦場に立った人間から学んだ方がはるかに生きた学を得られるでしょう? それに、お針や花なら他の者でも出来るもの」
「姫が紡ぐ糸も、姫が生ける御花も、姫にしか成せぬ大事なお仕事ですよ」
小十郎はまた呆れていたが、わたしの心意気に満足してくれたようだ。
指南役がどうしても小十郎でなければならない理由をうまくごまかして、わたしは今日も小十郎との時間を作った。
立場上、届いてはいけない想い。
けれど、くすぶらせるには既に大きくなりすぎた想いを、わたしはこうしていなしていた。
大きな願いは態度に出る。
態度に出れば表情に出る。
表情に出れば行動や口調にも表れてくる。
いくらうまく抑えても、敏い人には気付かれてしまう。
「お前、小十郎が好きだろう?」
ある日、兄さまと遠乗りに出かけた日、唐突に言われた言葉にわたしは息を飲むことしか出来なかった。
あんまり動揺しているわたしを見て、兄さまは小さく笑って
「気付いてるのはオレくらいだろうから、安心しろ」
と、仰られた。
兄さまは心の機微に敏い方だから気付いたのかもしれないけれど、そんな兄さまの側にずっといる小十郎が気付かない訳がない。
彼もまた、兄以上に機微に敏いから。
「……兄さま、わたしは小十郎が好きです。でも、それは叶ってはいけない願いなのは分かってるの」
ずっと心の底に溜めていた思いを初めて口にした。
「わたしは伊達の姫、彼は一家臣。しかも、小十郎は自分の出を気にしている。他の方たちと軋轢を作らないようにするため、小十郎は扶持が上がることを是としていない」
「……」
「こんな状況でわたしが自分の気持ちを貫いたりしたら、兄さまたちと古参の者たちとの間にある溝が深まってしまうわ」
「Ha!そんなことは、お前が気にすることじゃ……」
「いいえ、気にするわ。だって、わたしは伊達家の姫だもの。“姫”として、やらねばならぬことがある。……そうでしょう?」
兄さまは一瞬目を丸くして、その後ため息をついた。
「お前も損な性分だな」
「兄さまの妹よ? 機微に敏くてもおかしくないわ。……だからお願い、ここに連れてきた本当の理由を聞かせて」
「……」
兄さまは少し迷った末、口を開いた。
「お前に縁談だ。同盟を結ぶためだ」
とうとう、その時が来てしまった。
“姫”として、伊達のために、そして愛しいあの方のために尽くす日が。
「まことに、おめでとうございます」
家臣一同の前で、わたしは皆から祝福を受けた。
表面にのせた仮の笑みを絶やさず、その場をうまく切り抜けられた。
はずだった。
「姫」
あの声を聞いてしまったら、仮の笑みなんてすぐにこわばってしまった。
「御手すきの時で構いません。小十郎よりの祝いの品も、どうか目をお通し下さい」
わたしの背に会釈して、小十郎は去って行った。
誰の気配もなくなった頃を見計らい、わたしは小十郎の置いていったものに目をやった。
「これ……」
指南をお願いした時に小十郎が使っていた兵法の書だった。
相当年季が入った代物、多分小十郎が小さい頃から手放さなかったものだ。
こんな大事なもの、もらえる訳ない。
「小十郎!!」
胸に抱えてすぐに後を追いかければ、小十郎は追いかけてくることを分かっていたのかすぐ角の廊下にいた。
「いただけないわ。あなたの大事なものじゃない!」
「いえ、もう小十郎には必要ないものです。すべて、頭に入っておりますゆえ。それに……」
ふっと、小さく笑った。
「弟子に継承していくのも、師の大事な役目なれば」
そう言うと、片膝をつき小十郎は頭を垂れた。
「と言うのは建前。それを、小十郎だと思い共にお連れ下さい。あなたさまの御身を直接お守り出来ぬ歯がゆさを、それを託すことで消化させて頂きたい」
「小十郎……」
止めて。
そう言いたかった。
思わせぶりなことを言われたら、決断した思いが揺らいでしまう。
伊達の礎となって、遠くからあなたを守る。
想いを遂げてはいけない以上、想いを昇華する方法なんてこれしかないのだから。
「ならば、こう思われたらいい」
譲り受けることに抵抗があるのだと、彼は思ったらしい。
「あなたさまが危険にさらされた時、兵法が小十郎の代わりにあなたさまをお守りするでしょう。嫁がれる方のためにと学んできた兵法を、どうかご自身を守るためにもお役立て下さい」
あなたに会いたくて、あなたと少しでも同じ時間を、同じことを共有したくて学んだ兵法。
それが、もしかしたらあなたを、そして伊達を脅かす“矛”になるかもしれないのに。
同盟相手とは言え、いつ敵になるか分からないのに。
わたしが嫁すのは、そんなところなのよ?
……きっと、あなたはこんなこと露にも思わないのよね。
右目として、軍師として、伊達が窮地に堕ちないよう全身全霊をもって尽くすあなたがいる、そのことが他国にとって抑止力だもの。
「分かったわ。ありがたく頂戴するわ、師匠(せんせい)」
はずれかけた仮の笑みをもう一度顔に乗せれば、小十郎も笑ってくれた。
わたしは今、花嫁行列の輿にいる。
道中、あの時見た小十郎の笑みを思い出していた。
優しくて、柔らかくて、わたしの幸せを願っている笑みだった。
きっと、わたしの想いに気付いていたであろう彼のそれは、諦めさせるためでもあったに違いない。
最後の最後まで、“師匠(せんせい)”の表情だったから。
残酷なまでの優しさと思いやりに気付けた時、わたしは自分の想いが叶わなくていいという覚悟を持った。
忘れたり、捨てることなんて出来る訳がない。
だって、小十郎に片恋してきた時と、兄さまや伊達の皆と何も考えず楽しく過ごした時は繋がっていて、その時間が今の“わたし”を作り出したのだから。
“わたし”の一部である小十郎への想いを捨てることは、わたしが“わたし”を捨てることにほかならない。
だから、奪われたままでいいと思ったのだ。
鮮やかに、残酷に、“わたし”を奪った男、片倉小十郎景綱。
あなたに奪われたまま、わたしはこれからを生きていきます。
わたしの気持ちは、花嫁行列を見送る真っ青な空のように晴れやかだった。
(了)