戦国bsr読み切り短編集
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「ヒロイン名前……」
今、ヒロイン名前は社内倉庫の壁際に追い立てられている。目の前にはネクタイをゆるりと緩める小十郎が迫っていて、他には当然誰もいない。
「ヒロイン名前、今日こそ俺のものになってもらうぜ。今は昼休憩だからな、この地下備品倉庫に来る奴なんざあ誰もいねえ」
ニヤニヤしながら一歩一歩近付いてくるその姿は、追い詰めた獲物を捕獲する野獣そのものだ。
「片倉部長、おかしいですよ? 女性なら他にたくさんいるじゃないですか! 何でよりによってわたしいぃあああっ!!!???」
言い終える前に飛びかかって来た巨体を避けると、小十郎は背面の壁に鼻から激突した。ビダンというマンガにある効果音が聞こえるようなぶつかり方に、ヒロイン名前は自業自得と思いながらも心の中でご愁傷さまと祈った。
「な、何故よけやがる……」
壁にもろにぶつけたため鼻が真っ赤だ。しかも、当てた指の隙間から血が滴り落ちている。見ようによっては、小十郎がヒロイン名前を見て発情したため鼻血を垂らしているようにも見える。
「ヒロイン名前……」
「か、片倉部長、大丈」
「ヒロイン名前ああああああああああ!!!」
「ぎゃあああああ変態いいいいいいいい!!!!!」
再び飛びかかってきた小十郎に、ヒロイン名前は近くにあった引き出しからボールペンを六本取り出し横に薙ぎ払った。どこかの某筆頭の技を真似たのだが、はたから見ると同じような技だったらしいとは余談である。
「……おーい、無事?」
室内に静寂が戻った頃、上司にあたる成実が顔を出した。
「課長…かちょおおおおおっ!!」
信頼出来る人物の顔を見て、ヒロイン名前の緊張が一気にほぐれた。
「よしよし、大変だったね。この様子だと、小十郎の変態ぶりがさく裂したってカンジだね」
涙目の彼女の頭を優しくポンポンと叩く。ヒロイン名前は成実に頭を預けたまま、コクンと何度も頷いた。
「よーしよし、もう大丈夫だっつーか俺で鼻水噴くな、おいこら話聞けよお前一応ヒロインだろうがっ!」
「ひひおーはよふぇーでひゅー!」
「何言ってるか分かんないよ!」
胸元からヒロイン名前をひきはがし、急ぎポケットティッシュを渡す。ヒロイン名前は奪うようにひったくると、ぶふーっ!と、乙女にあるまじき音を立て鼻をかんだ。
「うへ、汚ないなあ」
「うう、しょーがないじゃないですかあ。超巨大な893犬に襲われたんですから。とっても、とっても、とーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっても怖かったんですからああ!!」
「あー、分かった分かった、怖かったなあ、ああそうだ怖かったよなあ」
「……何で、耳かっぽじりながら聞いてるんですか。しかも目、半眼じゃないですか」
「いや、なんか全然怖いって感じが伝わってこないからさ。まあ、でもこのデカブツに飛びかかられたら、確かに怖いよな」
そう言って、成実は足元に視線を落とした。
足元の小十郎の口元は締まりなく緩み、鼻からは今もだらしなく鼻血が流れ落ちている。ネクタイはだらしなく緩み、いつ開襟したのか分からないがシャツは三つまでボタンが開いており、場所をわきまえずヒロイン名前を襲う気満々だったことが分かる。懐深い成実でさえ、さすがに眉間を狭めた。
「これではっきりしたな。小十郎が飲んだあの薬、やっぱり毒薬だったな」
「はい……」
床に仰向けに倒れている小十郎をつま先でつついてみる。見事にのびていて全く反応を示さない。
「わたしが、あんなもの受け取らなかったら……」
「お前のせいじゃないよ。松永製薬の効き目は確かだし、お前にとっちゃ伯父さんにあたる人なんだからさ。しかし、元気になるっていうところは確かだよな。昨日、8度台の熱を出してた奴とは思えない回復力だよ」
「確かに、そこは間違ってませんね。部長がいらっしゃらないと午後からの予算査定に支障をきたしますし、だからこそ昨日薬持って帰るの止めなかったんですけど……」
「お前と二人になる前まではおかしくならなかったんだ。多分、午後からは普通に動くはずだ。俺も目を光らせておく。ま、お前は昼飯食ってこいよ。まだなんだろう? こいつは、俺が責任もって復活させるからさ」
「課長、ありがとうございます! お願いします!」
口元に笑みを浮かべると、成実はにやついた笑みを浮かべる小十郎の足を掴み引きずって行った。
「……こうしてる場合じゃないわ。さっさと食堂行かなくちゃ」
襟元を正すと、取りに来た備品をかき集め鍵をかけた。
(松永伯父さまから頂いた薬、とんでもない代物だったのね。いくら伯父さまでも、文句言ったって罰は当たらないわよね!)
ポケットに入っていた薄ピンク色の瓶を、そっと取り出す。中にはなにやら錠剤が入っている。
「何が滋養強壮剤よ。ただの変態増幅薬じゃない!」
瓶を振ってみる。チャンと軽い音がするだけだった。
ことの発端は昨日。菌やウイルスが恐れおののいて近寄らないから風邪をひかないのだと言われる小十郎が珍しく発熱し、会社を早退したことが全ての元凶だった。
「いけないな、それは」
たまたま近くを通ったからと、小十郎に書類を届けに来た松永久秀が長い脚を優雅に組み直しながら言った。
「松永社長、わざわざご足労頂いたのに申し訳ありません。書類は、代わりにお預かりしておきます」
「敬語など必要ないよ。卿と私との間柄だ。今、ここにうるさい上司はいない。遠慮なくいつも通りくだけたまえ」
「は、はあ。じゃあ遠慮なく、……松永伯父さん」
身内の呼称で呼ばれ、松永はようやくヒロイン名前の手を離した。
「しかし、鬼の攪乱かね? あの右目が体調を崩すなど、珍しいこともあるものだ」
「部長も人ってことよ。それに、ここ最近ずっと残業してたから疲れがたまってたんだと思う。この書類、急ぎ? もしそうなら、課長に伝えるよ」
「いや、その必要はない。右目のことだ、放っておいても約束の期日までに仕上げるであろう。……それより」
微笑なのか嘲笑なのか分からないものを口元にたたえている。身内だからこそ分かる、この笑みを浮かべる時は心の警鐘を鳴らす時だと。だが、差し出された物に思わず目が釘付けになった。
「右目ほどの男が発熱ということは、もしかしたら大病の前触れかもしれないな。万病のもとは疲れだ。疲労回復によく効く薬を持っている、卿に特別にこれを進呈しよう」
「……何、このいかにもあやしい薬は」
それは、“夏バテン”と書かれた瓶づめの薬であった。
「ご覧の通り、夏バテによく効く薬だ。秋の疲労の原因は、大概夏バテの余波と決まっている」
「確かに、今年の暑さは異常だから部長の疲労はバテかもしれないけど……。こんなあやしげな色した瓶を、はいそうですかって素直に受け取れない。伯父さまの性癖を知ってたらなおさらね」
そう言って、ヒロイン名前は瓶を突き返した。
「おや、見た目でものを判断するなと教えたはずだがね」
「見た目をまんま信じるなって、社会に出て学んだの」
「そうかね。それはがっかりだ」
ふっと、松永はわざとらしくため息をついた。
「松永製薬の薬の効き目は世間でも認められてるし、わたしも重々承知してる。けど、これは色的にあんまりにもあやしすぎる」
「ふむ、ならばわたしが目の前で飲んで安全であるところを見せてあげよう。それと……、扉の外にいる男たちを呼びたまえ。彼らにも飲んでもらおうじゃないか」
社長である政宗が万が一を考えて待機させていた別部署の社員たちが部屋に招かれる。そして、松永と共におそるおそる薬を口にした。すると、一分もしないうちに驚くことが起きた。
「う、うおおおおおお!!! なんか、内側から力が湧いてきたっす!!」
「は!?」
「だよな!! 社長のためなら何だってやるぜ、伊達サイコー!!」
「え、ちょ、み、皆さん!?」
彼らは次々とやる気を燃え上がらせ始め、ついには松永自身もたぎり始めた。
「ふ、ふふ、ふふふふふふははははHAHAHAHA!!!!!」
「ええええ!? 伯父さまの語尾が伊達社長!!??」
「いい、卿らいい気合だあああ!!!」
「Yeahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!!!」
「私も何やら身体が疼くのだよ! 欲しがりたまえ、それが世の真理いいいぃぃぃぃぃ!!!!」
松岡修○のように燃え上がると、じゃ!と言い残して社長室を後にしてしまった。
「よっしゃああ、残りの仕事バリバリしてやるぜえ!!!」
「徹夜上等、仕事いくらでも持ってこいやああああ!!!」
残されたのは怪しげな薬の瓶と、やたら気合が入りまくっている社員のみ。その社員たちもしばらく吠え続けると、じゃ!と言い残し退室していった。
「……夏バテに効くって言うより、異様な効き目の栄養ドリンク錠剤バージョンなのかしら……」
おかしな反応に警戒心は未だ解けないものの、身体を活性化させる効果はあるのかもしれない。
試しに自分も口に放ってみようと思ったが、松永の、
「やはり私が言った通りだろう? 見た目で判断するなど、やはり卿はまだまだ子供だな」
という得意げな顔が脳裏をよぎり瓶の蓋を急いで閉じた。
「意地でも飲まないっ!」
薬をどこにしまおうか思案していると、内線で呼び出され薬をそのまま応接テーブルの上に置きっぱなしにして出て行った。薬のことなど忘れてしまうほどの多忙に見舞われ、ヒロイン名前が薬のことを思い出したのは残業を終えた21時過ぎのことだった。
「っ、部長!?」
誰もいないはずの応接間に明りが灯っている。おかしいと思い覗くと、そこには早退したはずの部長・片倉小十郎がいた。
「こんな時間まで残業か? 女が残業なんてすんもんじゃねえぞ」
「それはこちらの台詞です。病人が無理して出社して、明日からの業務に支障をきたす方が問題です」
「言うじゃねえか」
まだ熱が下がり切らないのだろう、やや紅潮した頬が妙に色っぽく見える。好きの贔屓目ではない。この男の色気は常に反則なのだ。ただ、表向き小十郎のことを苦手だと公言している(小十郎ファンが苦手だから)ため黙っておいた。
「それより、今日松永が来たらしいな」
「あ、はい。書類を届けに来られたついでに部長のことを気にかけられ、とっても強力な滋養強壮剤を置いて帰られました」
「みてえだな。飲んだ奴らから是非口にしろってすすめられてな。ヒロイン苗字が持ってるはずだと言われたが、もう帰った後だと思ったんでな。明日でいいと思ってたとこにお前が現れたって訳だ。そうしたら」
小十郎の指の間で、チャンという音がする。置き忘れていた例の瓶がそこにあった。
「あ、それ……!」
「鍵をかけて退室したとはいえ、置きっぱなしは感心しねえな」
「申し訳ありません!」
急いでいたから忘れた、などと言い訳はしたくない。慌てていたならば尚更持っていくべきなのだから。ヒロイン名前は、言い訳するより先に非を詫びた。
「今度から気をつけろ」
一度頷くと、小十郎は気付かれないよう小さく笑った。
入社当初から、彼女の決して言い訳をしない姿勢をずっと評価してきた。数年前に直属の部下となって以降、いつしかそれは恋心に変わっていた。
二人は両片思い状態で、実は知らないのは当の本人たちのみである。当人たちは秘しているつもりらしく、まわりは敢えてバファリン並みの優しさで見守っているのであった。
「で、こいつは俺がもらってもいいんだな?」
もう一度瓶を振る。軽い音が心地よくて、小十郎はもう一度振ってみた。
「はい。でも……」
「お前の言いてえことは分かってる。松永製薬の品だから気をつけろ、だろ?」
「……はい」
「安心しろ。毒々しい色をしてるが、松永製薬の製品は確かだ。そこは俺も信頼している」
「でもっ」
「じゃあ、お前も一緒に飲むか?」
にやりと笑う。この可愛い想い人は、伯父を敬愛しながらどこか対抗意識を燃やしていて、松永製薬の薬は絶対口にしないことを小十郎はよく知っていた。
「……飲みません! 飲むならご勝手に!」
予想通り、ヒロイン名前はむくれっ面になるや部屋を出て行ってしまった。
「くくっ、可愛いやつだよ、お前は」
松永がよこした薬という点はとても気になる。が、ヒロイン名前が自分を思って一瞬でも止めようとしてくれたことが嬉しくて、警戒心の強い小十郎にしては珍しくすんなりとその薬を口にした。
「くっ……!?」
心臓を鷲掴みにされたかのような激痛が体中を駆け巡る。小十郎はその場にうずくまったが、しばらくすると痛みはひいた。
代わりに体中を巡り始めたのは、ある欲望であった。
「……くくっ、俺は今まで何を我慢してたんだろうな」
前髪がひと房、はらりと落ちる。
「ヒロイン名前、明日だ。明日、お前は俺のもんになる……!」
内なる欲求が、理性を軽々と打ち払う。
「欲しけりゃ欲しがりゃいい。そうだったよな、松永ぁ!」
文字通り回復した代わりに、小十郎は今、副作用に冒されている。それは、ヒロイン名前を自分のものにするという男としての欲であった。
翌朝、つまり今日の朝のことである。
「おはようございます」
いつもの時間に出社すると、小十郎がいつも通り部長席に座っていた。
「部長、おはようございます。もう何ともないんですか? ……変な副作用とかも?」
「心配すんな。見ての通り、熱もすっかりひいた。松永に一つ借りが出来たな」
笑顔で答える小十郎に何か違和感を感じたが、ヒロイン名前は始業時間が近付いていることに気付きデスクに戻った。
週明けの慌ただしさに何とか負けないよう業務をこなすうち、あっという間に昼休憩の時間となった。
「ヒロイン苗字、済まねえが休憩に入る前にこの備品を備蓄倉庫から取って来てくれねえか? 昼の会議で使うんでな」
休憩に行こうと席を立ちかけた時、小十郎から倉庫の鍵とメモを渡された。部署内で一番下の立場である。こういう使い走りにはもう慣れているので、二つ返事で倉庫へと向かった。
その背を、小十郎が野獣の如き熱視線で見つめているとも気付かずに――。
「……で、あの襲撃事件があって今に至る、と」
給湯室の壁にもたれる成実の足元には、再び鼻血を出した小十郎が倒れていた。
昼の会議後、ヒロイン名前が一人で茶碗の片づけをしていて小十郎とはち合わせたらしい。スイッチが入った小十郎に襲われかけ、慌てて横に避けると巨体は勝手に給湯室の壁にぶつかり、そのはずみでまた鼻と額を痛打したらしく、鼻血を垂らしながら気を失ったらしい。騒ぎを聞きつけた成実が覗くと、涙目のヒロイン名前とまたもや変態化し倒れる小十郎、という図式がそこにあった。
「部長の本性がこんなだったとは知りませんでした。男の人ってヤダ……」
「嫌いになった?」
「え……」
「小十郎のこと、好きなんだろう?」
「な、何で知って……!?」
「顔に書いてあるよ。きっと、他の連中も気付いてる。気付いてないのは小十郎だけだと思うよ」
秘していたつもりだったのに、何だか自分が情けなくなってしまう。そんなヒロイン名前を気遣い、成実はヒロイン名前の頭を優しく撫でた。
「大丈夫、ヒロイン苗字は一度だって公私混同したことないよ。だから、皆見守ってたんだ。小十郎がお前に惚れたのも、そういうところ分かってるからだよ」
「そうでしょうか……」
「ああ。お前の直属の上司は俺っしょ? 保証する」
ウインクする上司に、ヒロイン名前は少し安堵した。
「でも、これくらいで小十郎のことを嫌いにならないで欲しいんだ。大なり小なり、男ってのは好きな女に対して下心を抱いてる。小十郎だってそうさ。タガがはずれて、今はこーんなことになってるけどさ」
「……」
「女の子には辛いかもしれないけど、これが現実の一面さ。それとも、変な面を見て嫌いになるような、そんな程度の想いだったのか?」
ぐっと言葉に詰まった。
こんなことで嫌いになれるほど、生半可な気持ちを持ち続けてきた訳ではない。入社当時からずっと小十郎を想い続けてきて、その想いはまわりがどんなに彼を悪く言おうとも揺らぐことは決してなかった。
「……なりません。そんな軽い気持ちで好きになった訳じゃありません。だから、嫌いになりません」
観念したように、そして決心したように言葉を口にした。
「そっか。だってさ。良かったな、小十郎」
「へ!?」
成実の言葉を聞いて驚いた。まさか、小十郎が起きているとは思わなかったのだ。
倒れていると思った男は、ゆっくり起き上がると垂れている前髪を鬱陶しそうにかきあげた
鼻から血が流れていることに気付くと、少し照れくさそうに乱暴にぬぐった。それを見てかっこいいと思ったヒロイン名前は、変態小十郎でも好きでいられると思った。
「……今のは本当か?」
「そ……、その……」
「びびんなくていい。正直に言え。俺も、正直に言う」
「へ……」
「お前が好きだ、ヒロイン苗字。薬で自我を失ってたがな、ありゃ全部俺の本性だ。……正直、襲いてえほどお前を欲してる。惚れてんだよ」
心臓が早鐘を打つ。目の前の男も照れくさいのか、髪の毛を掻いたり目を泳がせたりと落ち着かない。
「あ、あの、私も……です。私も、部長のことが好きです」
この恋はもう後戻りが出来ないと腹をくくった。
「けど、体当たりとか、その、いきなり密室で襲って来られるのは、正直怖いです」
「ヒロイン苗字……」
「今までは“憧れの人”だったけど、“好きな人”なら対等でいたいから。思ったこと、正直に話させてもらいました」
小十郎は一瞬目を見張ったが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ああ、そうだな。悪かった。あの薬の影響で、お前と二人になると欲を抑えられねえみてえなんだ。薬の効果が消える夕方までは、お前と二人にならねえようにする」
「……はい」
こころなしか寂しげな表情をしたヒロイン名前に、小十郎は口元を綻ばせた。
「そんな寂しそうな顔すんな。今晩、飯でも行こうぜ。夜ならもう大丈夫なはずだ」
「っ、はい!」
「はいはい、めでたくひっついたところで仕事に戻ろうぜ、お二人さん。午後の業務もまだまだ残ってることだしさ」
成実の存在を忘れかけていたのだろう、一気に紅潮した二人を見て成実はお腹を抱え笑った。
「……で、うまくいったのか?」
夕方、社長室。
デスクの上がすっかりオフモードの政宗の前に、いたずらっぽい笑みを浮かべた成実が立っていた。
「あったり前。あの二人、とっととひっついてくんないかなって思ってたからさ、松永の薬は渡りに船だったぜ」
「だな」
「でも、まさか俺の時と同じようにうまくいくとは思わなかったけどさ」
実は、成実も以前、あの薬のおかげで両片思いだった部下の女性と想いを通じ合わせた過去を持っている。この時、松永から例の薬を受け取ったのは何を隠そう政宗であった。
「まあ、あの時はまだ試験段階だったからな。本当に疲労回復の効果が見込めるかどうかの協力ってことで譲り受けたんだが……」
「元気になる代わりに、欲に忠実になるって代物だったもんね。うまくいったから良かったけど、一歩間違えたら伊達の名前汚すとこだったもんな。今思うとちょっと怖い」
「確かにな。だが、オレはお前なら大丈夫だと思ってたぜ。小十郎と違って、わりと自分の欲求には素直だろ、お前?」
「……なんか、褒められた気しないな~」
ちらと階下に目を向けると、小十郎とヒロイン名前が仲良く出ていく姿が目に入った。
「明日から、からかいのネタにゃ困ることはなさそうだね」
「だな。特に、小十郎の変態ネタは長続きさせられそうだぜ」
そう言って取り出したのは防犯カメラの録画記録。
「うわ、梵ってば最凶!」
「酒の肴だ。いつもオレたちをコキ使いやがるんだ。ちょうどいいハンデだぜ」
「本当に怒られる前には止めようぜ~」
二人の笑い声が聞こえたのか、ヒロイン名前はふと空を見上げた。小十郎の車内なので、見えたのは車の天井だけである。
「どうした、ヒロイン名前?」
「いえ。それより、本当にもう大丈夫そうですね。良かった」
「確かに、自我はコントロール下に戻ったけどな……」
艶っぽい目線を向けられ、ヒロイン名前は車内で思わず後ずさりした。が、下がってもドアがあるため思ったほどは下がれなかった。
「お前と二人の時にゃ、欲に忠実な変態でいることに決めた。その方が色々すっきりするんでな」
「へ!?」
「可愛い反応すんじゃねえよ。煽ってんのか?」
「煽ってなんっ!?」
言い終わ前に顎を捕まれ、唇を奪われた。甘いその感触に、ヒロイン名前も小十郎の言うことに一理あるかもと静かに目を閉じた。
欲に忠実な変態の方が案外幸せになれるかもしれない、そんなお話。
(了)
↓続き
今頃は、二人仲良く肩を寄せ合い、キラキラ流れゆく流星を見つめているはずだった。
――のに。
「なんで……」
相方である片倉小十郎は、発熱から頬を紅潮させベッドに横たわっている。しかも、その原因を作ったのは他ならぬ恋人の自分だった。
「なんで、あなたを噴水に落としちゃったんだろう」
「気にすんな。俺の悪ふざけがすぎたんだ。悪か」
「ごめんなさい……!」
突っ伏して泣き始めるヒロイン名前に、小十郎の謝罪の言葉は届かない。
「ヒロイン名前、もういい」
だるい身体を起こし、肩を震わせ泣きじゃくるヒロイン名前を抱き寄せた。
「悪かった。外だったことを忘れて、お前に発jじゃねえ全力で愛そうとしちまった俺がいけなかったんだ」
優しく抱きしめられヒロイン名前は一瞬泣き止んだが、肩はまた震え始めた。
「あの薬を口にしてから、お前を見るとどこだろうと欲が止まらなくなっちまってる。……いや、止める必要なんてねえって声が内から聞こえてくんだよ」
頭を撫でるが、ヒロイン名前は顔を両手で覆ったまま首を横に振った。
「だからって、あなたを張り倒していい理由にはならないわ……」
「いいんだ。あれも、お前なりの愛だと思ってる。だから、お前が自分を責める必要はねえ。もう泣き止めよ」
額に触れるだけのキスを落とすと、ヒロイン名前はようやく顔を見せてくれた。
「小十、郎、さっ……ひっ…!」
「泣かなくていい。啼くってなら大歓g何言ってんだ俺はあああ!!!」
小十郎は自分で自分の広い額をしばいた。
「小十郎さん……?」
「なんでもねえ。気にすんな」
「気にするなって言っても……」
小十郎の額に咲く大きな紅葉を見て、ヒロイン名前はようやく笑った。
「ようやく笑ったな」
「だって、おかしい。おでこ赤いんだもん」
恋人の笑みに、小十郎も口元を緩めた。
「横になっていいか? さすがに、発熱した身体で起きてるのはだるくてな」
「あ、ごめんなさい、気利かなくて。今、氷枕持ってくるから」
「頼む」
ふう、と息を吐き横になった。
何とか意識を持たせたかったが、ここの所ずっと残業が続いていたせいもあってか、目を瞑るとすぐに意識を手放してしまった。
「小十郎さん、氷枕……って寝ちゃってる」
少し苦しいのだろう、胸の上下運動が早い。
小十郎が起きないようそっと枕を変えてやると、冷たさに一瞬眉を潜めたがすぐに穏やかな寝顔になった。
「ごめんね、小十郎さん。この寒空の中、噴水に落っことしちゃって」
フローリングにぺたりと座り、ベッドに顎を乗せる。目線の先に小十郎の横顔がある。
「こんなかっこいい人なのに、どうしてあんなこと……」
一刻前の出来事を思い出し、ヒロイン名前は一人頬を染めた。
それは、0時を過ぎたある高台の公園での出来事だった。
「わあ、いい天気!」
「夜にいい天気っていうのはアリなのか?」
小十郎は寒風に首を縮めたが、空を見上げアリだなと一人ごちた。
この日、全国的にしし座流星群が見られるとのことで、流れ星が見たいと言う可愛い恋人のため、小十郎は寒空の中ドライブに誘った。
ここのところ仕事にかまけて相手をしてやれなかったことへの贖罪も兼ねているのだが、やはり連れてきて良かったと思った。
(あんなに嬉しそうに笑ってくれんだもんな)
はしゃいで双眼鏡を覗く彼女の姿を見ると、心も身体も疲れが吹き飛んでいく。身体に関しては、逆に元気になりすぎてハッスルしたくなっているとは余談である。
松永から譲り受けたあの薬が効き続けている訳ではない。小十郎はあの出来事以降、ヒロイン名前に対してだけは本能のまま接し続けている。ハッスルしたくなるのはそのせいだ。
もちろん、ヒロイン名前に嫌われては意味がないので、彼女が嫌がることはしないよう繊細な心配りを続けてきている。が、この日は久方ぶりの逢瀬のせいか、心のさじ加減というものが少し狂っているらしい。久しぶりにプライベートの彼女の笑顔を間近で見られる喜びのせいか、車内で彼女の唇を堪能したからか、はしゃぐ彼女に欲情しているからか、とにかく先ほどから彼女に触りたくてしょうがない。
ある程度夜空と流星を楽しませたら、寒いからという理由で適当に切り上げさせてマンションに連れこもう。いや、寒いという理由でその場で抱きつきしっぽりするのもいいなと、表面は普通の顔を保ちつつ内側は下心満々なことを考えていた。
「小十郎さん、見てみて!」
渡された双眼鏡で我に帰り、適当に相槌をうってそれを覗いてみる。肉眼でも流れる星々を見ることは出来るが、双眼鏡を覗いて見られるその姿は結構感動ものである。
「今日なら、たくさん願いが叶いそうだな」
「そうだね。ね、叶うとしたら何を願う?」
「そうだな……」
そっと彼女の肩を抱き寄せる。
「今すぐお前が欲しい、だな」
「何言ってるのよ」
苦笑して流されてしまった。
「俺は、嘘は言わねえぜ?」
いい機会なので、思っていたことを口にしてみた。にやりと笑うその口元に雄を感じてくれたのか、ヒロイン名前が思わず生唾を飲み込んだ。
「お前もその気になってくれたのか? だったら、今すぐマンション帰るか」
ぐいっと手を取る。
「え、あ、あの、もうちょっとだけっ……」
「ダメだ、俺が我慢出来ねえ。何なら、ここでもいいんだぜ?」
車を親指でさすと、その後の展開を想像したのか真っ赤になっていた。
「可愛い奴だな、お前は」
もう、我慢出来なかった。
有無を言わさず車の後部座席に押し込め、押し倒した。
「安心しろ。ここは穴場でな、誰にも邪魔されずカーセックスが楽しめるぜ。ついでに、窓が曇らねえようエアコンをつけておいてやるから流星も見られる。お前に余裕があればの話だがな」
「はっ、ちょっ、こ、小十郎さっ……!」
抵抗する彼女の両手を掴み、座席に縫い付ける。そして、無防備になった唇をむさぼった。
「ふぁっ、んっ、んんっ……!」
可愛い声が唇の合間から漏れ聞こえる。
(やべえ、我慢がきかねえな)
久々のヒロイン名前の温もりと香りに、鉄壁理性はどこかに吹き飛んだ。まるで薬を飲んでおかしくなったあの時のように、自分で自分の感情が全くコントロール出来なかった。
「こじゅぅ…!」
もっとむざぼろうとヒロイン名前の服の中に手を忍ばせた時だった。
「ぶほっ!!??」
突如鳩尾を襲った痛みに、思わず変な声をあげてしまった。
「なっ、何が起きたんだ……?」
咳込みながら視線を上げると、眼前から空気が流れてきた。ヒロイン名前が車外に飛び出した際に開け放たれたドアからだった。
「おい、ヒロイン名前!」
尚も痛む腹を抱えながら彼女を追う。公園の中心にある噴水広場まで走っていくと、噴水の縁に佇むヒロイン名前の姿が見えた。
「ヒロイン名前……」
「近付かないで」
突然の拒否発言。
そう言われてしまっては近づくことが出来ない。普段言われたことのない言葉が、夜風と共に小十郎に突き刺さった。
「悪かった、少しハッスルしすぎちまっただけだ。何もしねえから安心しろ」
おどけつつ穏やかに言ってみせたが、ヒロイン名前の態度は変わらない。
「な、このまま流星観察続けようぜ」
「いい、一人でここでする」
「こんな時間に、お前を一人に出来るか」
「……そういう問題じゃないの」
一瞬感じた、殺気のような気配。彼女の間合いに入るのが躊躇われたが、仲直りするチャンスを失ってしまう。失ってしまえば、帰ってからのあわよくばも潰れてしまうではないか。
「ヒロイン名前」
一歩進むと、ヒロイン名前は一歩下がった。
「一緒にいない方が、お互い傷付かずに済むわ。だからお願い、一人でいさせて」
拒絶されてショックなのに、涙声と目で抗議する彼女に欲情してしまう。そのうち、下半身に違和感を覚えた。
(なっ、こんな状況で勃つのかよ!? まあ、泣き声が啼き声にしか聞こえねえしな……、って! 俺は変態か!!)
あの薬による長い副作用だと思いたかったが、すぐにそういうことかと合点がいった。
(副作用なんかじゃねえ。俺は元来、こういう嗜好の人間なんだ。好きな相手にゃ本能のまま行動する、薬はそれを自覚させてくれたって訳だ)
これが“自分”だと分かれば、変態行為だと思っていたそれもすんなり受け入れられる。戸惑う必要もない。
「ヒロイン名前」
迷いなくヒロイン名前に近付いた。
「だ、だめ、小十郎さん!」
「お前に俺は拒絶出来ねえ。違うか?」
「っ……!」
「俺んとこに来い。(色んな意味で)温めてやるから」
「だ、だめ、だめなの……!」
なかば悲鳴じみた制止を振り切り、彼女を抱き締めた。
「一人でいるとか言うな。一緒にいろ、その方が楽しいだろ?」
抵抗していたヒロイン名前だったが、やがて大人しくなり小十郎の腰に手を回してきた。
「いい子だ。(色んな意味で)可愛がってやるよ」
耳たぶに口付けしようとした次の瞬間。
「なっ!?」
右耳の辺りに衝撃が来、そのまま噴水に身を投じてしまった。
(な、何が起きたってんだ……?)
ずぶ濡れのまま身を起こすと、右手を平らに構えたヒロイン名前が見えた。
「ヒロイン名前……?」
「間合いに入るから張り倒しちゃったじゃない! だから言ったのにー!!」
星空に、彼女の盛大な叫び声が響き渡った。
「……わたし、実は大学で相撲部に入ってたの。その頃に痴漢に遭って、張り手で撃退したことがあって」
その時の経験から、彼女の決め技は張り手になった。
「だからって、俺を張り手で倒すなよ。恋人だろうが」
「だって、人目の多いとこで痴漢行為するんだもん。つい……」
「俺は痴漢じゃねえだろうが」
氷枕のおかげで少し楽になったが、ヒロイン名前の話にショックを受けまた熱が出そうになってきた。
「張り手を封じる技を習得しとかなきゃなんねえな。じゃねえと、お前に触るたびにこの恋はいつも土俵際になっちまうからな」
にやりと笑う。
「……わたし、インハイ優勝者よ?」
何故か挑戦的な眼差しを返された。
「その眼差しもそそるな。熱下がったら覚えとけよ」
手を伸ばすと、早速張り手で返されてしまった。
「痴漢はとことん撃退しますー」
「だから、痴漢じゃねえよ」
「わっ!?」
腕を取り強引に引き寄せ、彼女の首元に顔を埋めた。
彼女の匂いにいつもなら股の一物が反応するところだが、今日はさすがに元気がない。
「……大人しく寝なさい」
デコピンされたが、その後つけ加えられた「今日のところはね」に自然と口の端が緩んだのは言うまでもない。
(了)
↓さらに続き
「ねえ、おとうさーん」
「何だ?」
「ボクも、ようかいうぉっちになりたいー」
「そうか。なら、まずは妖怪ウォッチを探しに行かねえとな」
「うん! ♪よーでるよーでるよーでるよーでる」
「おら、もっと腕を伸ばさねえか!」
「こう!?」
「そうだ、いいぞ」
「おとうさんもやろうよ」
「よし、いいかお前ら!」
「おー!」
「あらあら、お前らって誰のことかしらね」
「お前のことだ! おら、お前も踊れ!」
「おとうさん、キレッキレだね!」
「……って、初夢見ました」
ズズ、と、音を立て茶をすする。正月二日目も外は雪が降り続いていて、お茶がいつも以上に美味しく感じられる。
「奇遇だな。俺も、似たような夢を見た」
小十郎も、うまそうに茶をすすっている。
「わあ、偶然ですね」
「ってことで、さっさとするか」
「は?」
湯呑みを取り上げられたと思ったら、ソファーに押し倒された。
「実家帰らずに俺んち来たってことは、既成事実作っていいってことだr」
「わあ、小十郎さんの頬っぺた固いー」
“変態小十郎”が日常化しているので、ヒロイン名前の対応も慣れたものだ。だが、小十郎も負けていない。
「って! 何もう脱がそうとしてるんですか!! 大晦日の除夜の鐘で、煩悩消えたんじゃないんですかあああ!!」
「無理に決まってんだろいいから抱かせr」
「いやぁああああ!!! どすごぉおおいっっっ!!!」
「ぐおっ!?」
正月早々、小十郎の顔や身体に赤い跡がたくさんついたのは言うまでもない。
(了)
今、ヒロイン名前は社内倉庫の壁際に追い立てられている。目の前にはネクタイをゆるりと緩める小十郎が迫っていて、他には当然誰もいない。
「ヒロイン名前、今日こそ俺のものになってもらうぜ。今は昼休憩だからな、この地下備品倉庫に来る奴なんざあ誰もいねえ」
ニヤニヤしながら一歩一歩近付いてくるその姿は、追い詰めた獲物を捕獲する野獣そのものだ。
「片倉部長、おかしいですよ? 女性なら他にたくさんいるじゃないですか! 何でよりによってわたしいぃあああっ!!!???」
言い終える前に飛びかかって来た巨体を避けると、小十郎は背面の壁に鼻から激突した。ビダンというマンガにある効果音が聞こえるようなぶつかり方に、ヒロイン名前は自業自得と思いながらも心の中でご愁傷さまと祈った。
「な、何故よけやがる……」
壁にもろにぶつけたため鼻が真っ赤だ。しかも、当てた指の隙間から血が滴り落ちている。見ようによっては、小十郎がヒロイン名前を見て発情したため鼻血を垂らしているようにも見える。
「ヒロイン名前……」
「か、片倉部長、大丈」
「ヒロイン名前ああああああああああ!!!」
「ぎゃあああああ変態いいいいいいいい!!!!!」
再び飛びかかってきた小十郎に、ヒロイン名前は近くにあった引き出しからボールペンを六本取り出し横に薙ぎ払った。どこかの某筆頭の技を真似たのだが、はたから見ると同じような技だったらしいとは余談である。
「……おーい、無事?」
室内に静寂が戻った頃、上司にあたる成実が顔を出した。
「課長…かちょおおおおおっ!!」
信頼出来る人物の顔を見て、ヒロイン名前の緊張が一気にほぐれた。
「よしよし、大変だったね。この様子だと、小十郎の変態ぶりがさく裂したってカンジだね」
涙目の彼女の頭を優しくポンポンと叩く。ヒロイン名前は成実に頭を預けたまま、コクンと何度も頷いた。
「よーしよし、もう大丈夫だっつーか俺で鼻水噴くな、おいこら話聞けよお前一応ヒロインだろうがっ!」
「ひひおーはよふぇーでひゅー!」
「何言ってるか分かんないよ!」
胸元からヒロイン名前をひきはがし、急ぎポケットティッシュを渡す。ヒロイン名前は奪うようにひったくると、ぶふーっ!と、乙女にあるまじき音を立て鼻をかんだ。
「うへ、汚ないなあ」
「うう、しょーがないじゃないですかあ。超巨大な893犬に襲われたんですから。とっても、とっても、とーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっても怖かったんですからああ!!」
「あー、分かった分かった、怖かったなあ、ああそうだ怖かったよなあ」
「……何で、耳かっぽじりながら聞いてるんですか。しかも目、半眼じゃないですか」
「いや、なんか全然怖いって感じが伝わってこないからさ。まあ、でもこのデカブツに飛びかかられたら、確かに怖いよな」
そう言って、成実は足元に視線を落とした。
足元の小十郎の口元は締まりなく緩み、鼻からは今もだらしなく鼻血が流れ落ちている。ネクタイはだらしなく緩み、いつ開襟したのか分からないがシャツは三つまでボタンが開いており、場所をわきまえずヒロイン名前を襲う気満々だったことが分かる。懐深い成実でさえ、さすがに眉間を狭めた。
「これではっきりしたな。小十郎が飲んだあの薬、やっぱり毒薬だったな」
「はい……」
床に仰向けに倒れている小十郎をつま先でつついてみる。見事にのびていて全く反応を示さない。
「わたしが、あんなもの受け取らなかったら……」
「お前のせいじゃないよ。松永製薬の効き目は確かだし、お前にとっちゃ伯父さんにあたる人なんだからさ。しかし、元気になるっていうところは確かだよな。昨日、8度台の熱を出してた奴とは思えない回復力だよ」
「確かに、そこは間違ってませんね。部長がいらっしゃらないと午後からの予算査定に支障をきたしますし、だからこそ昨日薬持って帰るの止めなかったんですけど……」
「お前と二人になる前まではおかしくならなかったんだ。多分、午後からは普通に動くはずだ。俺も目を光らせておく。ま、お前は昼飯食ってこいよ。まだなんだろう? こいつは、俺が責任もって復活させるからさ」
「課長、ありがとうございます! お願いします!」
口元に笑みを浮かべると、成実はにやついた笑みを浮かべる小十郎の足を掴み引きずって行った。
「……こうしてる場合じゃないわ。さっさと食堂行かなくちゃ」
襟元を正すと、取りに来た備品をかき集め鍵をかけた。
(松永伯父さまから頂いた薬、とんでもない代物だったのね。いくら伯父さまでも、文句言ったって罰は当たらないわよね!)
ポケットに入っていた薄ピンク色の瓶を、そっと取り出す。中にはなにやら錠剤が入っている。
「何が滋養強壮剤よ。ただの変態増幅薬じゃない!」
瓶を振ってみる。チャンと軽い音がするだけだった。
ことの発端は昨日。菌やウイルスが恐れおののいて近寄らないから風邪をひかないのだと言われる小十郎が珍しく発熱し、会社を早退したことが全ての元凶だった。
「いけないな、それは」
たまたま近くを通ったからと、小十郎に書類を届けに来た松永久秀が長い脚を優雅に組み直しながら言った。
「松永社長、わざわざご足労頂いたのに申し訳ありません。書類は、代わりにお預かりしておきます」
「敬語など必要ないよ。卿と私との間柄だ。今、ここにうるさい上司はいない。遠慮なくいつも通りくだけたまえ」
「は、はあ。じゃあ遠慮なく、……松永伯父さん」
身内の呼称で呼ばれ、松永はようやくヒロイン名前の手を離した。
「しかし、鬼の攪乱かね? あの右目が体調を崩すなど、珍しいこともあるものだ」
「部長も人ってことよ。それに、ここ最近ずっと残業してたから疲れがたまってたんだと思う。この書類、急ぎ? もしそうなら、課長に伝えるよ」
「いや、その必要はない。右目のことだ、放っておいても約束の期日までに仕上げるであろう。……それより」
微笑なのか嘲笑なのか分からないものを口元にたたえている。身内だからこそ分かる、この笑みを浮かべる時は心の警鐘を鳴らす時だと。だが、差し出された物に思わず目が釘付けになった。
「右目ほどの男が発熱ということは、もしかしたら大病の前触れかもしれないな。万病のもとは疲れだ。疲労回復によく効く薬を持っている、卿に特別にこれを進呈しよう」
「……何、このいかにもあやしい薬は」
それは、“夏バテン”と書かれた瓶づめの薬であった。
「ご覧の通り、夏バテによく効く薬だ。秋の疲労の原因は、大概夏バテの余波と決まっている」
「確かに、今年の暑さは異常だから部長の疲労はバテかもしれないけど……。こんなあやしげな色した瓶を、はいそうですかって素直に受け取れない。伯父さまの性癖を知ってたらなおさらね」
そう言って、ヒロイン名前は瓶を突き返した。
「おや、見た目でものを判断するなと教えたはずだがね」
「見た目をまんま信じるなって、社会に出て学んだの」
「そうかね。それはがっかりだ」
ふっと、松永はわざとらしくため息をついた。
「松永製薬の薬の効き目は世間でも認められてるし、わたしも重々承知してる。けど、これは色的にあんまりにもあやしすぎる」
「ふむ、ならばわたしが目の前で飲んで安全であるところを見せてあげよう。それと……、扉の外にいる男たちを呼びたまえ。彼らにも飲んでもらおうじゃないか」
社長である政宗が万が一を考えて待機させていた別部署の社員たちが部屋に招かれる。そして、松永と共におそるおそる薬を口にした。すると、一分もしないうちに驚くことが起きた。
「う、うおおおおおお!!! なんか、内側から力が湧いてきたっす!!」
「は!?」
「だよな!! 社長のためなら何だってやるぜ、伊達サイコー!!」
「え、ちょ、み、皆さん!?」
彼らは次々とやる気を燃え上がらせ始め、ついには松永自身もたぎり始めた。
「ふ、ふふ、ふふふふふふははははHAHAHAHA!!!!!」
「ええええ!? 伯父さまの語尾が伊達社長!!??」
「いい、卿らいい気合だあああ!!!」
「Yeahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!!!」
「私も何やら身体が疼くのだよ! 欲しがりたまえ、それが世の真理いいいぃぃぃぃぃ!!!!」
松岡修○のように燃え上がると、じゃ!と言い残して社長室を後にしてしまった。
「よっしゃああ、残りの仕事バリバリしてやるぜえ!!!」
「徹夜上等、仕事いくらでも持ってこいやああああ!!!」
残されたのは怪しげな薬の瓶と、やたら気合が入りまくっている社員のみ。その社員たちもしばらく吠え続けると、じゃ!と言い残し退室していった。
「……夏バテに効くって言うより、異様な効き目の栄養ドリンク錠剤バージョンなのかしら……」
おかしな反応に警戒心は未だ解けないものの、身体を活性化させる効果はあるのかもしれない。
試しに自分も口に放ってみようと思ったが、松永の、
「やはり私が言った通りだろう? 見た目で判断するなど、やはり卿はまだまだ子供だな」
という得意げな顔が脳裏をよぎり瓶の蓋を急いで閉じた。
「意地でも飲まないっ!」
薬をどこにしまおうか思案していると、内線で呼び出され薬をそのまま応接テーブルの上に置きっぱなしにして出て行った。薬のことなど忘れてしまうほどの多忙に見舞われ、ヒロイン名前が薬のことを思い出したのは残業を終えた21時過ぎのことだった。
「っ、部長!?」
誰もいないはずの応接間に明りが灯っている。おかしいと思い覗くと、そこには早退したはずの部長・片倉小十郎がいた。
「こんな時間まで残業か? 女が残業なんてすんもんじゃねえぞ」
「それはこちらの台詞です。病人が無理して出社して、明日からの業務に支障をきたす方が問題です」
「言うじゃねえか」
まだ熱が下がり切らないのだろう、やや紅潮した頬が妙に色っぽく見える。好きの贔屓目ではない。この男の色気は常に反則なのだ。ただ、表向き小十郎のことを苦手だと公言している(小十郎ファンが苦手だから)ため黙っておいた。
「それより、今日松永が来たらしいな」
「あ、はい。書類を届けに来られたついでに部長のことを気にかけられ、とっても強力な滋養強壮剤を置いて帰られました」
「みてえだな。飲んだ奴らから是非口にしろってすすめられてな。ヒロイン苗字が持ってるはずだと言われたが、もう帰った後だと思ったんでな。明日でいいと思ってたとこにお前が現れたって訳だ。そうしたら」
小十郎の指の間で、チャンという音がする。置き忘れていた例の瓶がそこにあった。
「あ、それ……!」
「鍵をかけて退室したとはいえ、置きっぱなしは感心しねえな」
「申し訳ありません!」
急いでいたから忘れた、などと言い訳はしたくない。慌てていたならば尚更持っていくべきなのだから。ヒロイン名前は、言い訳するより先に非を詫びた。
「今度から気をつけろ」
一度頷くと、小十郎は気付かれないよう小さく笑った。
入社当初から、彼女の決して言い訳をしない姿勢をずっと評価してきた。数年前に直属の部下となって以降、いつしかそれは恋心に変わっていた。
二人は両片思い状態で、実は知らないのは当の本人たちのみである。当人たちは秘しているつもりらしく、まわりは敢えてバファリン並みの優しさで見守っているのであった。
「で、こいつは俺がもらってもいいんだな?」
もう一度瓶を振る。軽い音が心地よくて、小十郎はもう一度振ってみた。
「はい。でも……」
「お前の言いてえことは分かってる。松永製薬の品だから気をつけろ、だろ?」
「……はい」
「安心しろ。毒々しい色をしてるが、松永製薬の製品は確かだ。そこは俺も信頼している」
「でもっ」
「じゃあ、お前も一緒に飲むか?」
にやりと笑う。この可愛い想い人は、伯父を敬愛しながらどこか対抗意識を燃やしていて、松永製薬の薬は絶対口にしないことを小十郎はよく知っていた。
「……飲みません! 飲むならご勝手に!」
予想通り、ヒロイン名前はむくれっ面になるや部屋を出て行ってしまった。
「くくっ、可愛いやつだよ、お前は」
松永がよこした薬という点はとても気になる。が、ヒロイン名前が自分を思って一瞬でも止めようとしてくれたことが嬉しくて、警戒心の強い小十郎にしては珍しくすんなりとその薬を口にした。
「くっ……!?」
心臓を鷲掴みにされたかのような激痛が体中を駆け巡る。小十郎はその場にうずくまったが、しばらくすると痛みはひいた。
代わりに体中を巡り始めたのは、ある欲望であった。
「……くくっ、俺は今まで何を我慢してたんだろうな」
前髪がひと房、はらりと落ちる。
「ヒロイン名前、明日だ。明日、お前は俺のもんになる……!」
内なる欲求が、理性を軽々と打ち払う。
「欲しけりゃ欲しがりゃいい。そうだったよな、松永ぁ!」
文字通り回復した代わりに、小十郎は今、副作用に冒されている。それは、ヒロイン名前を自分のものにするという男としての欲であった。
翌朝、つまり今日の朝のことである。
「おはようございます」
いつもの時間に出社すると、小十郎がいつも通り部長席に座っていた。
「部長、おはようございます。もう何ともないんですか? ……変な副作用とかも?」
「心配すんな。見ての通り、熱もすっかりひいた。松永に一つ借りが出来たな」
笑顔で答える小十郎に何か違和感を感じたが、ヒロイン名前は始業時間が近付いていることに気付きデスクに戻った。
週明けの慌ただしさに何とか負けないよう業務をこなすうち、あっという間に昼休憩の時間となった。
「ヒロイン苗字、済まねえが休憩に入る前にこの備品を備蓄倉庫から取って来てくれねえか? 昼の会議で使うんでな」
休憩に行こうと席を立ちかけた時、小十郎から倉庫の鍵とメモを渡された。部署内で一番下の立場である。こういう使い走りにはもう慣れているので、二つ返事で倉庫へと向かった。
その背を、小十郎が野獣の如き熱視線で見つめているとも気付かずに――。
「……で、あの襲撃事件があって今に至る、と」
給湯室の壁にもたれる成実の足元には、再び鼻血を出した小十郎が倒れていた。
昼の会議後、ヒロイン名前が一人で茶碗の片づけをしていて小十郎とはち合わせたらしい。スイッチが入った小十郎に襲われかけ、慌てて横に避けると巨体は勝手に給湯室の壁にぶつかり、そのはずみでまた鼻と額を痛打したらしく、鼻血を垂らしながら気を失ったらしい。騒ぎを聞きつけた成実が覗くと、涙目のヒロイン名前とまたもや変態化し倒れる小十郎、という図式がそこにあった。
「部長の本性がこんなだったとは知りませんでした。男の人ってヤダ……」
「嫌いになった?」
「え……」
「小十郎のこと、好きなんだろう?」
「な、何で知って……!?」
「顔に書いてあるよ。きっと、他の連中も気付いてる。気付いてないのは小十郎だけだと思うよ」
秘していたつもりだったのに、何だか自分が情けなくなってしまう。そんなヒロイン名前を気遣い、成実はヒロイン名前の頭を優しく撫でた。
「大丈夫、ヒロイン苗字は一度だって公私混同したことないよ。だから、皆見守ってたんだ。小十郎がお前に惚れたのも、そういうところ分かってるからだよ」
「そうでしょうか……」
「ああ。お前の直属の上司は俺っしょ? 保証する」
ウインクする上司に、ヒロイン名前は少し安堵した。
「でも、これくらいで小十郎のことを嫌いにならないで欲しいんだ。大なり小なり、男ってのは好きな女に対して下心を抱いてる。小十郎だってそうさ。タガがはずれて、今はこーんなことになってるけどさ」
「……」
「女の子には辛いかもしれないけど、これが現実の一面さ。それとも、変な面を見て嫌いになるような、そんな程度の想いだったのか?」
ぐっと言葉に詰まった。
こんなことで嫌いになれるほど、生半可な気持ちを持ち続けてきた訳ではない。入社当時からずっと小十郎を想い続けてきて、その想いはまわりがどんなに彼を悪く言おうとも揺らぐことは決してなかった。
「……なりません。そんな軽い気持ちで好きになった訳じゃありません。だから、嫌いになりません」
観念したように、そして決心したように言葉を口にした。
「そっか。だってさ。良かったな、小十郎」
「へ!?」
成実の言葉を聞いて驚いた。まさか、小十郎が起きているとは思わなかったのだ。
倒れていると思った男は、ゆっくり起き上がると垂れている前髪を鬱陶しそうにかきあげた
鼻から血が流れていることに気付くと、少し照れくさそうに乱暴にぬぐった。それを見てかっこいいと思ったヒロイン名前は、変態小十郎でも好きでいられると思った。
「……今のは本当か?」
「そ……、その……」
「びびんなくていい。正直に言え。俺も、正直に言う」
「へ……」
「お前が好きだ、ヒロイン苗字。薬で自我を失ってたがな、ありゃ全部俺の本性だ。……正直、襲いてえほどお前を欲してる。惚れてんだよ」
心臓が早鐘を打つ。目の前の男も照れくさいのか、髪の毛を掻いたり目を泳がせたりと落ち着かない。
「あ、あの、私も……です。私も、部長のことが好きです」
この恋はもう後戻りが出来ないと腹をくくった。
「けど、体当たりとか、その、いきなり密室で襲って来られるのは、正直怖いです」
「ヒロイン苗字……」
「今までは“憧れの人”だったけど、“好きな人”なら対等でいたいから。思ったこと、正直に話させてもらいました」
小十郎は一瞬目を見張ったが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ああ、そうだな。悪かった。あの薬の影響で、お前と二人になると欲を抑えられねえみてえなんだ。薬の効果が消える夕方までは、お前と二人にならねえようにする」
「……はい」
こころなしか寂しげな表情をしたヒロイン名前に、小十郎は口元を綻ばせた。
「そんな寂しそうな顔すんな。今晩、飯でも行こうぜ。夜ならもう大丈夫なはずだ」
「っ、はい!」
「はいはい、めでたくひっついたところで仕事に戻ろうぜ、お二人さん。午後の業務もまだまだ残ってることだしさ」
成実の存在を忘れかけていたのだろう、一気に紅潮した二人を見て成実はお腹を抱え笑った。
「……で、うまくいったのか?」
夕方、社長室。
デスクの上がすっかりオフモードの政宗の前に、いたずらっぽい笑みを浮かべた成実が立っていた。
「あったり前。あの二人、とっととひっついてくんないかなって思ってたからさ、松永の薬は渡りに船だったぜ」
「だな」
「でも、まさか俺の時と同じようにうまくいくとは思わなかったけどさ」
実は、成実も以前、あの薬のおかげで両片思いだった部下の女性と想いを通じ合わせた過去を持っている。この時、松永から例の薬を受け取ったのは何を隠そう政宗であった。
「まあ、あの時はまだ試験段階だったからな。本当に疲労回復の効果が見込めるかどうかの協力ってことで譲り受けたんだが……」
「元気になる代わりに、欲に忠実になるって代物だったもんね。うまくいったから良かったけど、一歩間違えたら伊達の名前汚すとこだったもんな。今思うとちょっと怖い」
「確かにな。だが、オレはお前なら大丈夫だと思ってたぜ。小十郎と違って、わりと自分の欲求には素直だろ、お前?」
「……なんか、褒められた気しないな~」
ちらと階下に目を向けると、小十郎とヒロイン名前が仲良く出ていく姿が目に入った。
「明日から、からかいのネタにゃ困ることはなさそうだね」
「だな。特に、小十郎の変態ネタは長続きさせられそうだぜ」
そう言って取り出したのは防犯カメラの録画記録。
「うわ、梵ってば最凶!」
「酒の肴だ。いつもオレたちをコキ使いやがるんだ。ちょうどいいハンデだぜ」
「本当に怒られる前には止めようぜ~」
二人の笑い声が聞こえたのか、ヒロイン名前はふと空を見上げた。小十郎の車内なので、見えたのは車の天井だけである。
「どうした、ヒロイン名前?」
「いえ。それより、本当にもう大丈夫そうですね。良かった」
「確かに、自我はコントロール下に戻ったけどな……」
艶っぽい目線を向けられ、ヒロイン名前は車内で思わず後ずさりした。が、下がってもドアがあるため思ったほどは下がれなかった。
「お前と二人の時にゃ、欲に忠実な変態でいることに決めた。その方が色々すっきりするんでな」
「へ!?」
「可愛い反応すんじゃねえよ。煽ってんのか?」
「煽ってなんっ!?」
言い終わ前に顎を捕まれ、唇を奪われた。甘いその感触に、ヒロイン名前も小十郎の言うことに一理あるかもと静かに目を閉じた。
欲に忠実な変態の方が案外幸せになれるかもしれない、そんなお話。
(了)
↓続き
今頃は、二人仲良く肩を寄せ合い、キラキラ流れゆく流星を見つめているはずだった。
――のに。
「なんで……」
相方である片倉小十郎は、発熱から頬を紅潮させベッドに横たわっている。しかも、その原因を作ったのは他ならぬ恋人の自分だった。
「なんで、あなたを噴水に落としちゃったんだろう」
「気にすんな。俺の悪ふざけがすぎたんだ。悪か」
「ごめんなさい……!」
突っ伏して泣き始めるヒロイン名前に、小十郎の謝罪の言葉は届かない。
「ヒロイン名前、もういい」
だるい身体を起こし、肩を震わせ泣きじゃくるヒロイン名前を抱き寄せた。
「悪かった。外だったことを忘れて、お前に発jじゃねえ全力で愛そうとしちまった俺がいけなかったんだ」
優しく抱きしめられヒロイン名前は一瞬泣き止んだが、肩はまた震え始めた。
「あの薬を口にしてから、お前を見るとどこだろうと欲が止まらなくなっちまってる。……いや、止める必要なんてねえって声が内から聞こえてくんだよ」
頭を撫でるが、ヒロイン名前は顔を両手で覆ったまま首を横に振った。
「だからって、あなたを張り倒していい理由にはならないわ……」
「いいんだ。あれも、お前なりの愛だと思ってる。だから、お前が自分を責める必要はねえ。もう泣き止めよ」
額に触れるだけのキスを落とすと、ヒロイン名前はようやく顔を見せてくれた。
「小十、郎、さっ……ひっ…!」
「泣かなくていい。啼くってなら大歓g何言ってんだ俺はあああ!!!」
小十郎は自分で自分の広い額をしばいた。
「小十郎さん……?」
「なんでもねえ。気にすんな」
「気にするなって言っても……」
小十郎の額に咲く大きな紅葉を見て、ヒロイン名前はようやく笑った。
「ようやく笑ったな」
「だって、おかしい。おでこ赤いんだもん」
恋人の笑みに、小十郎も口元を緩めた。
「横になっていいか? さすがに、発熱した身体で起きてるのはだるくてな」
「あ、ごめんなさい、気利かなくて。今、氷枕持ってくるから」
「頼む」
ふう、と息を吐き横になった。
何とか意識を持たせたかったが、ここの所ずっと残業が続いていたせいもあってか、目を瞑るとすぐに意識を手放してしまった。
「小十郎さん、氷枕……って寝ちゃってる」
少し苦しいのだろう、胸の上下運動が早い。
小十郎が起きないようそっと枕を変えてやると、冷たさに一瞬眉を潜めたがすぐに穏やかな寝顔になった。
「ごめんね、小十郎さん。この寒空の中、噴水に落っことしちゃって」
フローリングにぺたりと座り、ベッドに顎を乗せる。目線の先に小十郎の横顔がある。
「こんなかっこいい人なのに、どうしてあんなこと……」
一刻前の出来事を思い出し、ヒロイン名前は一人頬を染めた。
それは、0時を過ぎたある高台の公園での出来事だった。
「わあ、いい天気!」
「夜にいい天気っていうのはアリなのか?」
小十郎は寒風に首を縮めたが、空を見上げアリだなと一人ごちた。
この日、全国的にしし座流星群が見られるとのことで、流れ星が見たいと言う可愛い恋人のため、小十郎は寒空の中ドライブに誘った。
ここのところ仕事にかまけて相手をしてやれなかったことへの贖罪も兼ねているのだが、やはり連れてきて良かったと思った。
(あんなに嬉しそうに笑ってくれんだもんな)
はしゃいで双眼鏡を覗く彼女の姿を見ると、心も身体も疲れが吹き飛んでいく。身体に関しては、逆に元気になりすぎてハッスルしたくなっているとは余談である。
松永から譲り受けたあの薬が効き続けている訳ではない。小十郎はあの出来事以降、ヒロイン名前に対してだけは本能のまま接し続けている。ハッスルしたくなるのはそのせいだ。
もちろん、ヒロイン名前に嫌われては意味がないので、彼女が嫌がることはしないよう繊細な心配りを続けてきている。が、この日は久方ぶりの逢瀬のせいか、心のさじ加減というものが少し狂っているらしい。久しぶりにプライベートの彼女の笑顔を間近で見られる喜びのせいか、車内で彼女の唇を堪能したからか、はしゃぐ彼女に欲情しているからか、とにかく先ほどから彼女に触りたくてしょうがない。
ある程度夜空と流星を楽しませたら、寒いからという理由で適当に切り上げさせてマンションに連れこもう。いや、寒いという理由でその場で抱きつきしっぽりするのもいいなと、表面は普通の顔を保ちつつ内側は下心満々なことを考えていた。
「小十郎さん、見てみて!」
渡された双眼鏡で我に帰り、適当に相槌をうってそれを覗いてみる。肉眼でも流れる星々を見ることは出来るが、双眼鏡を覗いて見られるその姿は結構感動ものである。
「今日なら、たくさん願いが叶いそうだな」
「そうだね。ね、叶うとしたら何を願う?」
「そうだな……」
そっと彼女の肩を抱き寄せる。
「今すぐお前が欲しい、だな」
「何言ってるのよ」
苦笑して流されてしまった。
「俺は、嘘は言わねえぜ?」
いい機会なので、思っていたことを口にしてみた。にやりと笑うその口元に雄を感じてくれたのか、ヒロイン名前が思わず生唾を飲み込んだ。
「お前もその気になってくれたのか? だったら、今すぐマンション帰るか」
ぐいっと手を取る。
「え、あ、あの、もうちょっとだけっ……」
「ダメだ、俺が我慢出来ねえ。何なら、ここでもいいんだぜ?」
車を親指でさすと、その後の展開を想像したのか真っ赤になっていた。
「可愛い奴だな、お前は」
もう、我慢出来なかった。
有無を言わさず車の後部座席に押し込め、押し倒した。
「安心しろ。ここは穴場でな、誰にも邪魔されずカーセックスが楽しめるぜ。ついでに、窓が曇らねえようエアコンをつけておいてやるから流星も見られる。お前に余裕があればの話だがな」
「はっ、ちょっ、こ、小十郎さっ……!」
抵抗する彼女の両手を掴み、座席に縫い付ける。そして、無防備になった唇をむさぼった。
「ふぁっ、んっ、んんっ……!」
可愛い声が唇の合間から漏れ聞こえる。
(やべえ、我慢がきかねえな)
久々のヒロイン名前の温もりと香りに、鉄壁理性はどこかに吹き飛んだ。まるで薬を飲んでおかしくなったあの時のように、自分で自分の感情が全くコントロール出来なかった。
「こじゅぅ…!」
もっとむざぼろうとヒロイン名前の服の中に手を忍ばせた時だった。
「ぶほっ!!??」
突如鳩尾を襲った痛みに、思わず変な声をあげてしまった。
「なっ、何が起きたんだ……?」
咳込みながら視線を上げると、眼前から空気が流れてきた。ヒロイン名前が車外に飛び出した際に開け放たれたドアからだった。
「おい、ヒロイン名前!」
尚も痛む腹を抱えながら彼女を追う。公園の中心にある噴水広場まで走っていくと、噴水の縁に佇むヒロイン名前の姿が見えた。
「ヒロイン名前……」
「近付かないで」
突然の拒否発言。
そう言われてしまっては近づくことが出来ない。普段言われたことのない言葉が、夜風と共に小十郎に突き刺さった。
「悪かった、少しハッスルしすぎちまっただけだ。何もしねえから安心しろ」
おどけつつ穏やかに言ってみせたが、ヒロイン名前の態度は変わらない。
「な、このまま流星観察続けようぜ」
「いい、一人でここでする」
「こんな時間に、お前を一人に出来るか」
「……そういう問題じゃないの」
一瞬感じた、殺気のような気配。彼女の間合いに入るのが躊躇われたが、仲直りするチャンスを失ってしまう。失ってしまえば、帰ってからのあわよくばも潰れてしまうではないか。
「ヒロイン名前」
一歩進むと、ヒロイン名前は一歩下がった。
「一緒にいない方が、お互い傷付かずに済むわ。だからお願い、一人でいさせて」
拒絶されてショックなのに、涙声と目で抗議する彼女に欲情してしまう。そのうち、下半身に違和感を覚えた。
(なっ、こんな状況で勃つのかよ!? まあ、泣き声が啼き声にしか聞こえねえしな……、って! 俺は変態か!!)
あの薬による長い副作用だと思いたかったが、すぐにそういうことかと合点がいった。
(副作用なんかじゃねえ。俺は元来、こういう嗜好の人間なんだ。好きな相手にゃ本能のまま行動する、薬はそれを自覚させてくれたって訳だ)
これが“自分”だと分かれば、変態行為だと思っていたそれもすんなり受け入れられる。戸惑う必要もない。
「ヒロイン名前」
迷いなくヒロイン名前に近付いた。
「だ、だめ、小十郎さん!」
「お前に俺は拒絶出来ねえ。違うか?」
「っ……!」
「俺んとこに来い。(色んな意味で)温めてやるから」
「だ、だめ、だめなの……!」
なかば悲鳴じみた制止を振り切り、彼女を抱き締めた。
「一人でいるとか言うな。一緒にいろ、その方が楽しいだろ?」
抵抗していたヒロイン名前だったが、やがて大人しくなり小十郎の腰に手を回してきた。
「いい子だ。(色んな意味で)可愛がってやるよ」
耳たぶに口付けしようとした次の瞬間。
「なっ!?」
右耳の辺りに衝撃が来、そのまま噴水に身を投じてしまった。
(な、何が起きたってんだ……?)
ずぶ濡れのまま身を起こすと、右手を平らに構えたヒロイン名前が見えた。
「ヒロイン名前……?」
「間合いに入るから張り倒しちゃったじゃない! だから言ったのにー!!」
星空に、彼女の盛大な叫び声が響き渡った。
「……わたし、実は大学で相撲部に入ってたの。その頃に痴漢に遭って、張り手で撃退したことがあって」
その時の経験から、彼女の決め技は張り手になった。
「だからって、俺を張り手で倒すなよ。恋人だろうが」
「だって、人目の多いとこで痴漢行為するんだもん。つい……」
「俺は痴漢じゃねえだろうが」
氷枕のおかげで少し楽になったが、ヒロイン名前の話にショックを受けまた熱が出そうになってきた。
「張り手を封じる技を習得しとかなきゃなんねえな。じゃねえと、お前に触るたびにこの恋はいつも土俵際になっちまうからな」
にやりと笑う。
「……わたし、インハイ優勝者よ?」
何故か挑戦的な眼差しを返された。
「その眼差しもそそるな。熱下がったら覚えとけよ」
手を伸ばすと、早速張り手で返されてしまった。
「痴漢はとことん撃退しますー」
「だから、痴漢じゃねえよ」
「わっ!?」
腕を取り強引に引き寄せ、彼女の首元に顔を埋めた。
彼女の匂いにいつもなら股の一物が反応するところだが、今日はさすがに元気がない。
「……大人しく寝なさい」
デコピンされたが、その後つけ加えられた「今日のところはね」に自然と口の端が緩んだのは言うまでもない。
(了)
↓さらに続き
「ねえ、おとうさーん」
「何だ?」
「ボクも、ようかいうぉっちになりたいー」
「そうか。なら、まずは妖怪ウォッチを探しに行かねえとな」
「うん! ♪よーでるよーでるよーでるよーでる」
「おら、もっと腕を伸ばさねえか!」
「こう!?」
「そうだ、いいぞ」
「おとうさんもやろうよ」
「よし、いいかお前ら!」
「おー!」
「あらあら、お前らって誰のことかしらね」
「お前のことだ! おら、お前も踊れ!」
「おとうさん、キレッキレだね!」
「……って、初夢見ました」
ズズ、と、音を立て茶をすする。正月二日目も外は雪が降り続いていて、お茶がいつも以上に美味しく感じられる。
「奇遇だな。俺も、似たような夢を見た」
小十郎も、うまそうに茶をすすっている。
「わあ、偶然ですね」
「ってことで、さっさとするか」
「は?」
湯呑みを取り上げられたと思ったら、ソファーに押し倒された。
「実家帰らずに俺んち来たってことは、既成事実作っていいってことだr」
「わあ、小十郎さんの頬っぺた固いー」
“変態小十郎”が日常化しているので、ヒロイン名前の対応も慣れたものだ。だが、小十郎も負けていない。
「って! 何もう脱がそうとしてるんですか!! 大晦日の除夜の鐘で、煩悩消えたんじゃないんですかあああ!!」
「無理に決まってんだろいいから抱かせr」
「いやぁああああ!!! どすごぉおおいっっっ!!!」
「ぐおっ!?」
正月早々、小十郎の顔や身体に赤い跡がたくさんついたのは言うまでもない。
(了)