The Hierophant
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翌日からは、少しゆっくりと学園生活を送れる。
転入してすぐに試験があり、終わったと思ったら祐介とマダラメパレスだったから、慌ただしい日々になっていた。
登校して、教室に入っても挨拶してくれる人はいないけど、後から来る竜司だけはいつも自分の席に着く前に私に挨拶してくれる。
教室を出れば、蓮と杏にも会える。たまにお昼を一緒にしたり、周りがザワザワしていても全く気にならないくらい楽しいと思える。
今日は、一人。パンでも買おうと購買に向かう。
ちらほら生徒が購買を利用している中、生徒に混じってパンを買う大人を見つけた。
他の生徒達から気軽に声をかけられては笑顔で返す、優しい雰囲気が漂う丸喜先生。
「あ、南条さん」
「こんにちは」
ふと目が合うと同じような笑顔で名前を呼んでくれる。
「こんにちは。君も購買かい?」
頷いて、空いた購買で残り物のパンから食べたいものを選ぶ。
丸喜先生はもう買い終わったらしくて、袋を片手に他の生徒とお喋りし始める。
少し悩んでからパンを買って振り返れば、丸喜先生はまだそこに居た。
周りに生徒は居なかった。
「お昼、一緒にどう?」
袋を掲げて誘われる。もしかして私の為に他の生徒達との会話を切り上げたのかな?
断る理由も無かったから快く引き受けると、保健室に招待された。
丸喜先生は、保健室でカウンセリングを行っている。休み時間と放課後、何気に利用する人が多いと聞く。
蓮でさえ、興味を持って早々に受けたと言っていた。
落ち着いた雰囲気の保健室で、のんびりした空気の丸喜先生と、美味しいお茶にお菓子。
人気が出るのも分かる気がする。
「僕の顔に何か付いてる?」
じっと見ていたから首を傾げて此方を窺われ、慌てて首を振る。
「いえ。丸喜先生のカウンセリングの人気の秘訣を考えてて」
「人気…かな?本当にそうなら嬉しいね」
控えめに笑ってパンを齧る。
「あの、聞いていいですか?」
「ん?なんでもどうぞ」
「どうしてお昼誘ってくれたんですか?」
「…もしかして迷惑だった?」
「全然。けど、私はまだカウンセリング受けた事も無いですし、先生と一緒に居たそうな人があの場に何人も居ましたし…どうして私だったのかなって」
「ああ、それはね…僕が君と話をしたかったからだよ」
不躾だっただろうに、気にする素振りも無く笑顔を向けてくれる。
「話…ですか?」
「畏まらなくても大丈夫だよ。内容はどんな物でもいいんだから」
そう言われても話す事がすぐに思い付かない。
頷いて、取りあえず目の前のパンに集中する事にした。
食べ終えて、お茶を頂いて、ほっこりした所で丸喜先生を見る。
背もたれに凭れかかって寛ぎモードな先生を見るとなんだか肩の力が抜ける。
何を話そうかと話題を探っていると、思い出した。
自分が過去を思い出せない事を思い出した。
「丸喜先生、過去が全く思い出せないなんていう事ってあり得ますか?」
「過去が思い出せない…?」
「実は私、去年の事も何も覚えてなくて…記憶喪失みたいな…」
あんまり深刻に切り出してはいなかったけど、丸喜先生は姿勢を正して私の話を真剣に聞いてくれた。
「結論から言うと、有り得ない話ではないよ」
「そう、ですか…」
専門家から言われて、ようやく自分が本当に記憶喪失なんだと自覚しても、実感というのが全く湧いて来なかった。
「それで、ですね。友達には記憶を取り戻したい、みたいに話したんですが、私…本当はそんなに思っていないんです」
「そうなんだね。それはもしかして、今が楽しいからかな?」
大切な思い出かもしれない。
思い出さなきゃいけない記憶かもしれない。
だけど、モルガナほど欲してはいない。
丸喜先生の言うようにそれはきっと…
「そうなのかもしれません。近くに私に記憶を思い出して欲しい人がいないから、それならこのままでもいいのかなって……何も支障が無いなら思い出す必要無いのかなって」
本当は、そんな気持ちがある。なんて、みんなには、モルガナには言えない。
「それでもいいんだよ」
「え?」
「思い出さなきゃいけない記憶なのか、思い出したくない記憶なのかは、忘れてしまった以上解らないよね。それなら、今の南条さんの気持ちに従うのが一番なんじゃないかな」
「今の私…」
「無理に思い出そうとしなくて大丈夫だよ」
「そう、なんですか?」
「うん。それは、“思い出したい”って強く思った時で大丈夫」
「じゃあ、今はこのままでも?」
「考え過ぎるのも良くないしね。今の自然体でいてごらん」
優しい声と柔らかい微笑みが胸にすっと馴染んでいく。
一人で抱えてた罪悪感にも似た気持ちが、和らいでいく。
「ありがとうございます、丸喜先生。なんか、スッキリしました」
「どういたしまして。またいつでも話を聞くから、遠慮なく頼っていいよ」
「はい」
蓮も杏も、丸喜先生と話した時、こんな感じだったのかな?
仲間にも話せない独りで抱えてた想いを、信頼出来る大人に聞いてもらって、気持ちの整理を付けられた。
また、話を聞いてもらいたくなる安心感。
人気なのが頷ける。
「そうそう。清掃活動の事だけど…話聞いてる?」
手を叩いて話題を変えた丸喜先生に、担任から月末に学校全体で清掃活動を行うと連絡があった事を伝える。
なんでも、鴨志田の件で落ちたイメージを回復させようと校長が計画したとか。みんな面倒だとか特待生は免除でズルいとか色々言っていた。
「南条さん、僕と一緒に調理係にならない?」
「調理係?」
「清掃活動が終わった後にみんなに豚汁を振舞う事になって、僕がその担当でね。何人かに手伝いを頼んでるんだ。どうかな?」
「……私で良ければ」
「そっか。ありがとう」
何度も言うように断る理由が無い。
白羽の矢が立ったのなら謹んで快諾する。
料理はするの?とか好きな具材は?とか豚汁談義に花を咲かせて、チャイムが鳴った頃に保健室をお暇した。
教室に戻る足取りは、なかなかに軽やかだった。
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