別れ
鬼兵隊の動きも活発になってきた。
神威率いる春雨第七師団との連携も取れてきた。
機は熟した──という所ね。
私の方もそろそろ……。
空が白んできたばかりの早朝に私は晋助の部屋を訪れた。
まだ眠っているのならそれでも良いと思っての訪問だったが、どうやら起きているみたい。
入室の許可を貰って部屋に入れば、晋助は蒲団の上に座っていた。
「晋助、私そろそろ…………」
晋助の手にある物を見て言葉を止める。
それでも起きたばかりなのか、少し乱れた髪をそのままに晋助は手にした包帯を一本解いている。
包帯の巻かれていない顔が此方を怪訝に見てくる。
包帯を外した顔を見た事が無い訳ではないが、そういえば巻く所を見た事は無かったと、ふと思った私は晋助の前に座った。
「なんだ?」
「ねぇ、それ私にさせてくれないかしら?」
「あ?」
それと眼で包帯を示してみれば、晋助の眉がピクリと動く。
「包帯……他人に触られるのはやっぱり嫌?」
巻く必要など無いだろうに今もまだそうやって眼を覆い隠すのだから、それはきっと儀式とも云えると思う。
自身でしなければ意味の無い物。
「別に。構やしねェぜ」
そう云って、包帯を差し出してきた晋助に小さく微笑む。
隣で膝を立てて、晋助の頭にそっと巻いていく。
晋助は、何処か一点をぼんやりと見詰めて大人しい。
さらさらとした髪を避けては巻いて、もう開く事の無い左眼も覆い隠していく。
「漸く、かな」
「何がだ」
「アンタに包帯を巻くの」
「?」
「昔はいつもアンタ達ばかりが私の手当てをしてくれて、なのにアンタ達は私に手当てさせてくれなかったでしょう?」
「………そうだったか?」
こんな話をしたからか、晋助は急に居心地悪そうに傍らに置いてあった煙管を手繰り寄せた。慣れた手付きで煙草を仕込んでから銜えると燐寸を擦って火皿に近付ける。
用済みになった燐寸を火鉢へ投げ入れると、煙管を燻らせ始める。
その一連の動作がどうにも美しかった。
「小太郎と辰馬は気にせずにさせてくれたけれど、アンタと銀時は頑なだったわね」
「アイツと一緒ってのが気に喰わねェな」
「理由は違うでしょうけどね」
チッと聴こえた舌打ちに苦笑を返して続ける。
“お前に触られたら、手当てする場所が傷口だけじゃなくなる。コッチも手当てしてくれんなら大歓迎だけどさ”
戦争をしていたというのに、アイツの周りはいつでも賑やかだった。
あんな軽口を叩いて、空気が和らぐのが眼に見えて判るもの。
「ねぇ、晋助。アンタはどうして私に手当てさせてくれなかったの?」
「頼む程のモノでもなかっただけだろ」
「他の人にはさせてたけれど?」
「……過ぎた事だ。もう忘れたさ」
ぷかりと吐き出した煙が私達の間を通って消える。
煙で牽制だなんてそんなに触れられたくない話題なのかしら。
いえ、そうじゃないわね。
「はい、終わり。どう?」
「あぁ、丁度イイ」
巻き終えた包帯を少しだけ直して晋助は、私に小さな笑みを向けた。
片口角だけを吊り上げたニヒルな笑み。
今の晋助らしい微笑みだった。
「そういや、入ってくる時に何か云いかけてたが…」
私の髪を一房掌に収めながら訊いてくる。
そんな晋助の肩にそっと手を乗せる。
「えぇ。私、これから暫く遠くへ行くわ」
「………奇遇だな。オレもだ」
晋助の手が髪を優しく握る。
その行動に意味なんて無いのだろう。
私も晋助の肩に添えた手をその首にゆっくりと回した。
私から近付いても晋助は微動だにしない。
ただその隻眸で私のする事を見詰めていた。
「………………」
晋助の唇に自分のそれを重ねて、直ぐに離れる。
余りにも幼稚な口付けだった。
「さて、私はもう行こうかしら」
晋助の首から手を離して、距離を取ろうとしたけれど、晋助の手は未だ私の髪を掴む。
引っ張られる感覚はあるけれど痛くは無い。
「コレ、離してくれないと動けないのだけれど」
「嫌だと言ったら?」
挑発的に笑みを深められて、小さく溜息を吐いた。
「どうしたの?そんなに私と離れるのが嫌なの?」
「どうだろうな。離れたくねェのか、遠ざけてェのか」
軽く首を傾げれば、晋助の前髪がはらりと落ちる。
恐らくそのどちらも本心だろう。
私も同じだから。
──近くに居たい、離れたい。
相反する想いが、今この場を支配していた。
「今度は、別離じゃない。互いの意思での別れよ」
「オレと離れて、何をするつもりだ?」
「私を遠ざけて何をするつもり?」
「………あの時の続きだ。今度こそ勝ち越す」
「あの時の続きよ。今度こそ取り戻す」
互いに告げた想いは、静かに消える。
紫煙だけが昇る部屋に一瞬の静寂。けれど、それは直ぐに破られる。
晋助が私の髪を名残惜しそうに手放して立ち上がった。
そして、寝間着を脱ぎ捨て、着替え始める。
私はそんな後ろ姿を見詰める。
焼き付けておこうなど思うまい。
永遠の別れにするつもりは無いのだから。
「……どうした?」
丁度袖を通した時、軽く振り返った晋助がニヤリと笑んだ。
「物欲しげに見詰められちゃあ、着るのは早計だったか?」
「そうね……って云ったら脱いでくれるのかしら?」
そう返すと、晋助はもう片方の腕も袖に通して前をきゅっと閉めた。
「そうしてェのは山々だが、残念ながら時間切れだ」
帯を締めると、晋助の身体は真っ黒な装束に隠れた。
それと同時に部屋の外も俄かに騒がしくなる。
誰もが準備に入ったようだ。
「どうせなら昨夜に夜這いすりゃあ良かったじゃねェか」
「晋助こそ、してくれれば良かったのに」
互いにそんな気分になれないなんて解りきっているけれど、酒を呑み交わすくらいはしておいても良かったかもしれない。
「お望みなら次の機会にしてやるよ」
「その時は上質な酒でも用意しておくわ」
立ち上がって、晋助と正面から対峙する。
もう覚悟を決めた瞳を受け止めて、私は晋助に歩み寄った。
晋助の真ん前に立って、手を伸ばす。
頭に手を乗せて、優しく撫でてあげる。
思った通り不機嫌になるけれど、振り払ったりはしてこなかった。
撫でたその手を左頬に添えて、その目許にそっと触れた。
私の好きにされるがままの晋助から手を離す。
「それじゃあ、今度こそ私は行くわね」
「あぁ──じゃあな」
「えぇ──さようなら」
『また』という言葉を飲み込んで私は背を向ける。
もう、明日の約束は必要無い。
明日の事を考えられる程、これからは甘くないだろうから。
晋助が過去の話をしたがらないのだって、これからの為。
感傷に決心を鈍らせない為。
この国を盗ると決めた晋助を、私は終ぞ止められなかった。
それでも悲観は無い。
将軍・徳川茂茂には、なんと云っても万事屋が付いている。
銀時が将軍と接点があると解った時から、心配は無くなった。
アイツが居るなら、きっと上手く行く。
託すしか出来ない私だけれど、武運を祈らせて。
ねぇ、晋助──
アンタは、独りじゃないのよ?
アンタを護らんとする
アンタを引き戻してくれる
だから、思うままに銀時と遊んできなさい。
日が暮れるまでずっと…。
一言だけ、これだけ伝えておこうと、襖に掛けた手を止めて後ろを振り返った。
眼が合った瞬間、晋助は片口角を吊り上げた。
「「───死ぬな」」
重なった声に笑みを残して、私は部屋を後にした。
船を降りて、向かう場所──
晋助はやはり気付いていたみたいね。
アンタが銀時と遊ぶなら、私は先生と遊びたいもの。
「やっと逢えましたね───松陽先生」
告げた先に、虚ろな眼差しの男が薄く笑みを湛えて立っていた。
-終。
1/1ページ