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再会の祈りをこめて
天空魔城の主が鎮座する最深部に続く細長い通路の端に倒れ、魔軍司令ホメロスは、己の命がまもなく尽きるであろうと悟った。
今から少し前のこと。勇者一行が城の結界を破り、番人である邪竜軍王ガリンガと戦っている間に、ホメロスはフィーに魔法をかけた。
対象を別の次元へ転移させる、禁断の秘術。どこに飛ばされるかもわからない、途中で彼女は命を落としてしまうかもしれない。なにもかもが未知数であったが、やる以外の道は残されていなかった。
ひとまず魔法を完成させ、あとは発動を待つのみとなったところで、勇者たちがこちらへ向かってくるのが視えた。休んでいる暇などない。ホメロスは魔力の回復を待たずして、彼らと戦わねばならなくなった。
世界を救う力を取り戻し、勢いのままに突き進んでくる勇者たちと、魔力をほとんど使い果たした状態の魔軍司令。すでに戦う前から勝負はついているようなものである。
しかし、もとよりホメロスに勝つ気などなかった。少しでも奴らを足止めして時間を稼げればいい。魔法の発動には時間がかかるし、もし魔王までも倒されればこの城は間違いなく崩壊する。その前に彼女が旅立ちさえすれば、それでよかった。
案の定、こちらの体力が尽きるのにそう時間はかからなかった。とどめを刺さずに先に進もうとする一行に腹を立てたわけではないが、ホメロスは最後に悪あがきといわんばかりに幻を見せた。勇者の仲間を拘束し、脅しをかける。だがそれもあっさりとかいくぐられてしまった。当然だ。彼らの絆は、これしきのことで壊れるはずがない。
そして、冷たい通路の上に横たわる現在にいたる。くだらない茶番は終わりだ。
魔法が成功したならば、フィーはもうどこかへ転移したはずだ。役目は果たせた。無様な姿を晒しているにもかかわらず、ホメロスの心はどこか満ち足りていた。
グレイグがこちらに来て膝をつき、なにかを言っているが、よく聞き取れない。目がかすみ、世界がぼやけて見えた。
思えば、自分が闇に堕ちた大きな原因は目の前の男にあった。だがそれも、遠い出来事のようだった。この男を、この男にばかり光を当てる世界をあれほど憎んでいたはずなのに、人生の最後にひょっこりと現れたあの少女がすべてを変えていった。薄暗かったホメロスの世界に差し込んだ一筋の光、それがフィーだった。
心なしか、身体中の痛みが和らいできた。終わりが近づいているらしい。
ああ、もしも、生まれ変わりというものが存在するのなら。今度はずっと、フィーのそばにいたい。父親じゃなくてもいい。どんな姿でもいい。いっそ、人でなくたっていい。
あの子を見守り続けたい──かつては世界の崩壊を望んでいた男の願いは、いつしかそれだけになっていた。
さようなら、フィー。どうか元気で。それから……愛してる。
意識が永遠の闇に溶けていくのを感じながら、ホメロスはゆっくりと目を閉じた。
*****
“それ”は目を覚ました。やけに長い夢を見ていた気がする。だが内容はよく覚えていない。夢とはそういうものであると、“それ”は知っている。
むくりと起き上がり、堅牢な城の窓に映った自分の姿を眺めた。点のような目と半月形の大きな口に、丸っこい紫色の身体。大きさは人間の子供よりもはるかに小さい。“それ”は、一般的にはぬいぐるみと呼ばれるものだった。しかし、どういうわけか生きている。
生物と同じ意志を持ち、ひとりでに動くぬいぐるみなど、本来であれば気味が悪いと思われてもいいはずなのだが、この城に住む人間たちは“それ”を害のないものだと判断したらしく、適度に放っておいてくれている。ただひとり、やけに長い金髪の男だけは、ときどき“それ”を邪険に扱うが……。
ホメロス──それがその金髪男の名前だ。傲岸不遜なあの男にぴったりの名だ、と思うのはなぜだろう。対して“それ”には名前も、名前を付けてくれる者もいなかった。だが特に不便はない。自分にはそういったものはなくてもいいと感じていた。今は、まだ。
「ホメロス様、奥様、お帰りなさいませ」部屋の入口のほうへ移動すると、扉の向こうから城に仕える召使いの女の声が聞こえた。噂をすればなんとやらだ。ホメロス様のご帰還らしい。「まあ、その子はどうなさったんです」女の声に驚きがまざった。
“それ”は扉を少し開け、廊下にいる彼らの様子をうかがった。
ホメロスとその妻のすぐそばに、小さな女の子が立っている。水色の髪の毛は乱れに乱れ、肌や服は泥で汚れていた。先ほどの女の言葉から察するに、彼らの子供ではなさそうだ。
「街の外でひとりでいるところを保護したんだ。……とりあえず、風呂に入れてやってくれないか」
「ええ、かしこまりました。すぐに準備いたしますね」召使いは浴場へと向かった。
ホメロスの妻が女の子の前にしゃがみこみ、大丈夫よ、というように彼女の汚れた頭をなでている。その光景を目にした“それ”は、女の子を安心させるその役目を自分が代わりたいと思った。
不安そうにホメロスの妻を見つめ返していた女の子の目が、少し離れた扉の隙間から覗く“それ”をとらえた。彼女の深い青の瞳に見つめられた瞬間、“それ”の身体に雷に打たれたような衝撃が走った。
この色は──思い出せないけれど、たしかに知っている。そうだ、自分が一番愛しいと思う薔薇の色だ。そして、自分はずっと、この子を待っていた……気がする。
気のせいかもしれないが、“それ”を見ている彼女の目もまた、わずかに細められたように見えた。
天空魔城の主が鎮座する最深部に続く細長い通路の端に倒れ、魔軍司令ホメロスは、己の命がまもなく尽きるであろうと悟った。
今から少し前のこと。勇者一行が城の結界を破り、番人である邪竜軍王ガリンガと戦っている間に、ホメロスはフィーに魔法をかけた。
対象を別の次元へ転移させる、禁断の秘術。どこに飛ばされるかもわからない、途中で彼女は命を落としてしまうかもしれない。なにもかもが未知数であったが、やる以外の道は残されていなかった。
ひとまず魔法を完成させ、あとは発動を待つのみとなったところで、勇者たちがこちらへ向かってくるのが視えた。休んでいる暇などない。ホメロスは魔力の回復を待たずして、彼らと戦わねばならなくなった。
世界を救う力を取り戻し、勢いのままに突き進んでくる勇者たちと、魔力をほとんど使い果たした状態の魔軍司令。すでに戦う前から勝負はついているようなものである。
しかし、もとよりホメロスに勝つ気などなかった。少しでも奴らを足止めして時間を稼げればいい。魔法の発動には時間がかかるし、もし魔王までも倒されればこの城は間違いなく崩壊する。その前に彼女が旅立ちさえすれば、それでよかった。
案の定、こちらの体力が尽きるのにそう時間はかからなかった。とどめを刺さずに先に進もうとする一行に腹を立てたわけではないが、ホメロスは最後に悪あがきといわんばかりに幻を見せた。勇者の仲間を拘束し、脅しをかける。だがそれもあっさりとかいくぐられてしまった。当然だ。彼らの絆は、これしきのことで壊れるはずがない。
そして、冷たい通路の上に横たわる現在にいたる。くだらない茶番は終わりだ。
魔法が成功したならば、フィーはもうどこかへ転移したはずだ。役目は果たせた。無様な姿を晒しているにもかかわらず、ホメロスの心はどこか満ち足りていた。
グレイグがこちらに来て膝をつき、なにかを言っているが、よく聞き取れない。目がかすみ、世界がぼやけて見えた。
思えば、自分が闇に堕ちた大きな原因は目の前の男にあった。だがそれも、遠い出来事のようだった。この男を、この男にばかり光を当てる世界をあれほど憎んでいたはずなのに、人生の最後にひょっこりと現れたあの少女がすべてを変えていった。薄暗かったホメロスの世界に差し込んだ一筋の光、それがフィーだった。
心なしか、身体中の痛みが和らいできた。終わりが近づいているらしい。
ああ、もしも、生まれ変わりというものが存在するのなら。今度はずっと、フィーのそばにいたい。父親じゃなくてもいい。どんな姿でもいい。いっそ、人でなくたっていい。
あの子を見守り続けたい──かつては世界の崩壊を望んでいた男の願いは、いつしかそれだけになっていた。
さようなら、フィー。どうか元気で。それから……愛してる。
意識が永遠の闇に溶けていくのを感じながら、ホメロスはゆっくりと目を閉じた。
*****
“それ”は目を覚ました。やけに長い夢を見ていた気がする。だが内容はよく覚えていない。夢とはそういうものであると、“それ”は知っている。
むくりと起き上がり、堅牢な城の窓に映った自分の姿を眺めた。点のような目と半月形の大きな口に、丸っこい紫色の身体。大きさは人間の子供よりもはるかに小さい。“それ”は、一般的にはぬいぐるみと呼ばれるものだった。しかし、どういうわけか生きている。
生物と同じ意志を持ち、ひとりでに動くぬいぐるみなど、本来であれば気味が悪いと思われてもいいはずなのだが、この城に住む人間たちは“それ”を害のないものだと判断したらしく、適度に放っておいてくれている。ただひとり、やけに長い金髪の男だけは、ときどき“それ”を邪険に扱うが……。
ホメロス──それがその金髪男の名前だ。傲岸不遜なあの男にぴったりの名だ、と思うのはなぜだろう。対して“それ”には名前も、名前を付けてくれる者もいなかった。だが特に不便はない。自分にはそういったものはなくてもいいと感じていた。今は、まだ。
「ホメロス様、奥様、お帰りなさいませ」部屋の入口のほうへ移動すると、扉の向こうから城に仕える召使いの女の声が聞こえた。噂をすればなんとやらだ。ホメロス様のご帰還らしい。「まあ、その子はどうなさったんです」女の声に驚きがまざった。
“それ”は扉を少し開け、廊下にいる彼らの様子をうかがった。
ホメロスとその妻のすぐそばに、小さな女の子が立っている。水色の髪の毛は乱れに乱れ、肌や服は泥で汚れていた。先ほどの女の言葉から察するに、彼らの子供ではなさそうだ。
「街の外でひとりでいるところを保護したんだ。……とりあえず、風呂に入れてやってくれないか」
「ええ、かしこまりました。すぐに準備いたしますね」召使いは浴場へと向かった。
ホメロスの妻が女の子の前にしゃがみこみ、大丈夫よ、というように彼女の汚れた頭をなでている。その光景を目にした“それ”は、女の子を安心させるその役目を自分が代わりたいと思った。
不安そうにホメロスの妻を見つめ返していた女の子の目が、少し離れた扉の隙間から覗く“それ”をとらえた。彼女の深い青の瞳に見つめられた瞬間、“それ”の身体に雷に打たれたような衝撃が走った。
この色は──思い出せないけれど、たしかに知っている。そうだ、自分が一番愛しいと思う薔薇の色だ。そして、自分はずっと、この子を待っていた……気がする。
気のせいかもしれないが、“それ”を見ている彼女の目もまた、わずかに細められたように見えた。
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