子育て奮闘期
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とーさまの、とーさま
兵士から預かった手紙を届けに、ビオラがホメロスの部屋の扉を開けると、彼はベッドで横になっていた。となりでは、フィンフがお気に入りのぬいぐるみ──ジャスパーを抱いて眠っている。
「遊び疲れたみたいだ」ホメロスはフィンフの上掛けの乱れを直しながら言った。
娘を見守る温かいまなざしや、さりげない気遣いは、彼らの血がつながっていないことを忘れさせる。彼もすっかりお父さんだなと、ビオラはほほ笑んだ。
……そんなことを本人に伝えると、決まって照れられてしまうのだが。
「その手紙は?」ホメロスが訊いた。
「あ、はい。ホメロス様宛てです」
「差出人は……書いてないな。誰だろう」
彼はベッドに座り直すと、手紙の封を切り、便せんを取り出す。内容を読むホメロスの顔が、徐々に曇っていく。
誰かの訃報を知らせる手紙だったのだろうか、とビオラは思った。
どんな手紙だったのか訊くより先に、「ビオラ、読んでくれ」と、ホメロスが便せんを差し出した。
「……いいんですか?」
「ああ」と、彼がうなずいたので、ビオラはおそるおそる受け取った便せんを開いた。
その手紙は、ホメロスの父親を名乗る者からだった。ビオラは目を見開いた。彼の父は、生きていたのだ。
今まで助けてやれなかったことを詫び、一目会いたいといった旨が簡潔に書かれていた。一週間後の昼、ホメロスの母の墓前で待っているとも記されている。
「どう思う?」ビオラが読み終えたのと同時に、ホメロスが訊いてきた。「本人だと思うか?」
正直なところ、ビオラにはわからない。だが、ホメロスの母親が眠る場所を知っているのは、わずかな人間だけである。
「なんとなくですが、いたずらではないような気がします……」
「だよな……」ホメロスは困ったふうにため息をついた。まるで、いっそいたずらであってほしいと願っているかのようだ。「今さら……どの面下げてこんなものを寄越したんだか」彼はつぶやくように言ったが、声音からは怒りが感じられた。
ビオラはかける言葉を見つけられずにいた。今まで生きているかどうかさえもわからなかった父親からの突然の手紙。ホメロスが言うように、今になって急に手紙を寄越したのには、なにかあったからだろう。たとえば彼の父は、余命いくばくもない身体であるとか──。
「きっと、お父様にも、事情があったんだと思います」
「ああ……そうだろうな」
それはホメロスからしてみれば、ただただ勝手なものかもしれない。
「お父様に、会いたくない……ですか?」
「いや……無責任に母を妊娠させたクソ男の顔ならむしろ見てやりたいさ。息子も同じ気持ちだと勘違いしてのこのこやってきたアホ面に一発叩きこんでやれば、母の無念も晴らせるかもしれない」
ビオラは知っている。彼が落ち着いてこのような言い方をするときほど、はらわたが煮えくり返るほどに怒っていることを。「ぼ、暴力はダメです……」
「冗談だ」ホメロスは力なく笑った。「……だが、実際に会ったら、思わず手が出るかもしれない。おまえも来てくれないか。私が冷静でいられるために。それと……」彼は一拍置いてから言った。「父に、紹介したい」
ビオラはもちろん快諾した。ホメロスが今となっては唯一の肉親に会う決意をしたこと、そしてその場面に立ち会えることを嬉しく感じた。
ベッドの上の上掛けがもぞもぞと動いた。フィンフが昼寝から目覚めたらしい。
「おはよう、フィー」ホメロスが声をかけた。
「とーさま、かーさま、おはよう」フィンフが目をこすりながら言った。おはようとは言うが、時刻は夕方近くである。「とーさま、誰かに会うの?」
「ああ」ホメロスはフィンフを抱き上げ、膝にのせた。「かーさまと一緒に、とーさまのお父さんに会いに行くんだ」
「とーさまの……とーさま?」
「そうだよ。フィーのおじいちゃんだ。だから、フィーも一緒に来てほしいんだ」
「うん。フィーも、おじーさまに会いたい」
妻と娘も連れてきた息子を見て、ホメロスの父親はどんな顔をするだろう。自分たちの存在が、彼らの和解につながるといいのだが。ビオラはそんなことを考えていた。
そして一週間後。今日まで、この日が来なければいいのに、とホメロスはひそかに思いつづけていた。
ビオラたちが傍らにいなければ、きっと逃げ出していたことだろう。
父と息子の感動の再会をさっさと終わらせて、妻と娘とクレープを食べに行きたい。出かける前に、帰りにクレープを食べようとフィンフと約束したのだ。
大好きな甘いものが待っていることを楽しみに、ホメロスは己を奮い立たせ、約束の場所である母の墓を目指した。
墓地の敷地内に入ると、母の墓前にたたずむ、老紳士のうしろ姿が見えた。
ホメロスの心臓がどくんと跳ねる。あれが、オレの父親……。ビオラのほうを見やると、彼女も同じことを考えていたらしく、なにも言わずにうなずいた。ホメロスたちはゆっくりと近づいた。
老紳士がこちらを向く。違った。父親ではない。紳士用のスーツに身を包んだデルカダール先王、もといモーゼフだった。王族の証たる王冠とマントを外していてもなお、彼のたたずまいには威厳があった。
奇しくも、ホメロスが父親と対面するのと同じ時間帯に、おしのびで母の墓参りに来ていてくれたらしい。ということはまだ、父親は来ていない。ホメロスはなぜかほっとしていた。
「モーゼフ様も、お墓参りにいらしてたんですね」ビオラがモーゼフに話しかける。
「うむ。そなたたちと同じ時間にな」彼が姿勢のいい背筋をさらに伸ばして言った。「つまり……そういうことじゃ」
「……え?」
「どういうことです?」
ビオラとホメロスは、すぐに察することができなかった。
「わ、わからんのか……?」モーゼフは狼狽した。まるで、ここにいるだけですべてを察してもらえるとばかり思っているかのようだ。
すると、フィンフがモーゼフに駆け寄った。「とーさまのとーさまは、じーさまなの?」
「ああ、そうじゃよ」彼はフィンフの頭をなでた。そして、ホメロスたちのほうに向きなおる。「わしが、ホメロスの父親だ」
少しの間のあと、ホメロスはなにも言わず、一歩を前に出した。踏まれた枯れ葉が、かさりと音を立てた。
ホメロスの思いを察したかのように、モーゼフは言った。「ホメロスよ、わしを殴る前に、話を聞いてくれまいか。それから、おまえの怒りをいくらでも受け止めよう」
ホメロスはひとまず出した足を引っこめた。
そして、モーゼフは話し始めた。フィンフは大人の話の輪に入れないと幼いなりに悟ったのか、ジャスパーと一緒に、周囲に生える雑草をぶちぶちと抜き始めた。
──先王モーゼフがまだデルカダール王子であったころ、ホメロスの母親と出会った。彼女はメイドとして王宮に仕えていたのである。彼女も貴族の家系であったが、そのころには没落し、働きに出ねばならない状況だった。
不器用ながらも一生懸命仕事をする彼女に、モーゼフが惹かれるまでそう時間はかからなかった。ふたりが親しくなると、モーゼフは真剣に彼女との結婚を考え始めた。彼には身分の差など関係なかった。
しかしその矢先、当時の王であるモーゼフの父に、公爵令嬢──のちの王妃との結婚を決められた。ホメロスの母親もまた、自分と一緒になるよりもそのほうがいいと身を引いた。
しかし、少しして彼女が子供を授かっていることがわかる。むろん、モーゼフとの子ある。
あなたに迷惑はかけない、だから産ませてほしい──ホメロスの母親は、モーゼフにそう懇願した。
モーゼフとて、彼女と生まれてくる子供にできる限りのことをしたいと思った。住む家と使用人の用意や金銭の工面、それから、なにかあったときはいつでも頼ってくれと言った。
「そして、おまえが六歳になる前、彼女がおまえをわしに託しにきた」
ホメロスは黙っていた。そのときにはもう、母の身体は病魔に侵されていたのだ。ただでさえ弱かったという身体が、自分を産んだことによりますます弱ってしまったのだ。
そんなホメロスの考えを知ってか知らずか、モーゼフは言った。「だが彼女は言っていた。おまえを産んだことを一度も後悔していない、と」
なにも言えないホメロスに代わって、ビオラがはっと息をのんだ。
「病が進行したときも、自分はもう長くないと悟ると、医者を下がらせたのだ。まだ助かる見込みのある人のもとに行くようにと」
いかにも慈悲深い母がしそうなことだ。ホメロスは苦笑した。
「それから、おまえは彼女がひとりで逝ったと聞いたかもしれんが、そうではない。彼女の最期は……わしが看取った」
「……! 本当、ですか……」ビオラが涙交じりに言った。
「ああ。彼女は、最期に息子の名前を呼んで……旅立っていった」
「ホメロス様……」よかったですね、というふうにビオラがホメロスの肩に触れる。
だが、ホメロスはどういう顔をしたらいいのかわからなかった。喜べばいいのか、泣けばいいのか、怒ればいいのか。
「ホメロス……」モーゼフは息子の目を見た。「こんなことでゆるされるものではないのは、充分承知している。だが、それでも言わせてほしい」そして、彼は深々と腰を折った。「本当に、本当にすまなかった……」
頭を下げたモーゼフをホメロスはじっと見つめるだけで、なにも言わなかった。もちろん、殴ることさえも。やがて踵を返してビオラたちに「帰るぞ」と言ったきり、その後はずっと黙っていた。
帰りにクレープ──数種類のフルーツにホイップクリームとカスタードクリームという、豪華なトッピングがホメロスのお気に入りである──を食べているときも、どこか心ここにあらずといった様子だった。……それでも、ビオラとフィンフが食べ切れなかったチョコとバナナのクレープはしっかり平らげていたが。
そして、今は夜。ベッドで娘を寝かしつけたあと、横向きに寝そべっているホメロスは頬杖をつき、やはり黙っていた。
フィンフはジャスパーと一緒に、すやすやと寝息を立てている。普段のビオラなら娘の寝顔を見ていれば自然と眠くなるのだが、ホメロスのことが気にかかり、今夜はどうにも目が冴えてしまっていた。
それはホメロスとて、同じようだった。
「……ビオラ、起きてるか?」ホメロスが声を落として訊いてきた。数時間ぶりに彼の声を聞いた。
「……はい」フィンフを起こさぬように、やはり小声で応える。「ちょっと眠れなくて……」
「私もだ。……眠れないなら、少し、話を聞いてくれないか」
ビオラがうなずくと、ふたりはベッドから出てソファに移動した。
ホメロスが棚からワインとゴブレットを取り出し、ソファの前のテーブルに置いた。
「まさか、父親が長年仕えていた主君だったとはな」ホメロスがワインをゴブレットに注ぎ、ビオラにすすめた。「思いもしなかったよ」
ビオラは彼にどんな言葉をかけるべきか、考えあぐねていた。さっきまでのホメロスも、きっと同じ感じだったのだろう。ここは黙って、ホメロスが話し出してくれるのを待つことにした。
「母は……ずっと無念だったと思っていた。私を産んだために、余計に苦労して」
母親が病に倒れたのも、もとをたどれば自分に原因があると、彼は己を責め続けていたという。
ビオラはなにかを言う代わりに、ホメロスを抱きしめた。
ホメロスは少し驚いたようだったが、そのまま続けた。「母をひとりにしなかったこと、母との約束通り私を引き取って育ててくれたことは……もちろん感謝している。でもだからといって、そう簡単にゆるせるものでもない。私のためを思って本当のことを話さなかったのだとしても、そのせいで……私は苦しんだのだから」
「……いいんです、ゆるせなくても。でも、ゆるせない自分のことだけは、ゆるしてあげてください」一見すると支離滅裂かもしれないが、これが今のビオラの正直な思いだった。
ホメロスが息をのんだのがわかった。彼の目からぽろりと涙がこぼれ、ビオラの寝間着を濡らす。
「違う……私を一番苦しめていたのは、私自身だ」ホメロスが頭をビオラの胸に預けながら言う。「私は……愛されていたんだな」
ビオラがホメロスの頭にそっと触れると、彼は静かに泣き始めた。ビオラは彼が泣き止むまで、夫の髪や肩をやさしくなで続けた。
──そうして夜が明け、翌朝。
「結婚式、ですか?」
「ああ、あのとき、やっていなかっただろう」ホメロスが身支度をととのえながら言った。「私たちの結婚は、書類の上で交わされただけだ。だから、きちんと神の前で誓いたいんだ。これからも、愛する家族とともに生きることを」
「ホメロス様……嬉しいです」
正直、人目を浴びるようなことをするのは未だに苦手だったが、ホメロスがとなりにいてくれるというなら話は別だ。そしてそのホメロスと、永遠の愛を誓うというのならば。
ホメロスがひざまずき、ビオラの手を取った。彼の目はまだ少し赤く腫れていた。「ビオラ……ずっと、私のそばにいてくれるか」
「はい。喜んで」ビオラは目に涙をためながら、笑った。