ラブラブ期
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彼女は喪に服す
今日はホメロスが帰ってくる日だ。そろそろこちらに到着するころかもしれない。
城で待っていられなかったビオラは、軽快な足どりでデルカダール中層の広場を目指す。だが転ばないように細心の注意を払う。なぜなら今自分の身体には、もうひとつの命が宿っているのだから。ああ、でも、早く彼に会って、このことを伝えたい……。
おめでとうございます。ご懐妊です──医者からそう告げられたとき、ビオラは涙が出るほどに嬉しくなった。この日を何度夢見たことだろう。
数ヶ月前のあの日、ホメロスの母の墓前で彼の出自を知ってから、ビオラは彼に家族──すなわち、血のつながった子供を作ってあげたいと強く思うようになった。
しかし、初めて結ばれてから一年以上経ち、ベッドを共にする回数も決して少なくはないはずなのだが、これまでに新しい命を授かることはなかった。
もしかすると身体のどこかに異常があるのだろうか、と悩んだ日もあった。だがそれを確かめる術はない。子供が授かりにくい体質なのだとしても、とにかくホメロスと交わればいい話だと、ビオラは珍しく楽観的に考えた。
それからというもの、ホメロスが城にいる夜は可能な限り彼を求めた。突然性欲が増した妻に、夫はやはり戸惑っているようだったが、彼もできる限り相手をしてくれた。
子を授かるためのあらゆる方法が書かれた本を読みあさっては、半信半疑ながらも試せるものはすべて試していった──にもかかわらず月の障りがやってきたときは、さすがに心が折れそうになった。
ビオラがベッドで丸くなっていると──おそらく月のものが辛いとでも思ったのだろう──ホメロスは黙ってビオラの背中をさすってくれた。こんなに優しくしてくれる彼に、早くかわいい赤ん坊を抱かせてあげたい。ビオラはその一心だった。そしてそれが、ようやく叶えられそうになったのだ。
やがて、広場に着いた。だがまだホメロスの姿はない。ビオラはベンチに座って彼を待つことにした。
城下町は今日もにぎやかで、子供たちが元気に走り回っている。
ビオラは自分の腹部に触れた。今はここにいるこの子も、数年後にはきっとあの子たちのように元気に走り回るのだ。そしてホメロスは我が子に、優しく笑いかけてくれるはず……。
ふと、ビオラはあるものに目を留めた。広場には工事中なのか、人の背丈をゆうに超えた長く太い木材が山のように積まれている。また何本かは山に立てかけてあり、なんとも危なっかしい。
子供たちが、立てかけられた木材の下をくぐって遊びだした。しかし木材は固定されているわけではない。ビオラは、そこで遊ぶのは危ないよ、と彼らに声をかけようと立ち上がった。
しかし、それよりも早く、木材がひとりの子供に向かって倒れかけた。
「危ない!!」ビオラは無我夢中で走り出し、子供をかばった──というよりは、突き飛ばした。それから木材が倒れる大きな音と悲鳴が、広場中に響いた。
気がつくとビオラは倒れた木材の下にいた。身動きが取れない。
かばった子供の泣き声が聞こえる。木材の隙間から、母親らしき女性に抱きついて大声で泣いているのが見えた。
よかった。あの子は無事だったようだ。
けれども、ビオラの身体は依然として動かなかった。下腹部から脚にかけて、痛みが走る。自分は、このまま死んでしまうのだろうか? それはつまり、お腹のなかの、ホメロスの血を継いだ赤ちゃんも……。
「……ビオラ!!」ホメロスの声が聞こえた。「今助けるからな!」
ビオラはゆっくり目を閉じた。
城には優秀な医師がいるが、そこまで運んでいる時間はないかもしれない。
瞬時にそう判断したホメロスは、木材の山から救出した妻を、近くの病院へと運んだ。
病院自体は小さかったものの、医者は突然の患者にも慌てず、的確な処置を施してくれた。
大怪我をしているが命に別状はなく、後遺症も残らないということを医者から聞いたとき、ホメロスはようやく安堵した。身体に傷跡ぐらいは残ってしまうかもしれないが、また彼女と歩けるならそれでいいと、そのときはそんなふうにしか考えていなかった。
だが、ビオラが目を覚ましたとき、医者は彼女に残酷な事実を告げた。「奥様……大変残念ですが、お腹の赤ちゃんは亡くなりました」
ホメロスは驚いた。「妊娠していたのか?」
「ええ、ご存じなかったのですか」と、医者はホメロスに言った。
ホメロスがビオラを見ると、彼女は黙って顔をそむけた。その顔は青ざめている。
さらに医者は続けた。「それから……お気の毒ですが、先ほどの事故で、奥様のお身体は深刻なダメージを受けました。日常生活においては問題ありませんが、今後、子供を授かるのは……難しいでしょう」
ビオラの顔に衝撃が走り、彼女がはっと息をのむのが聞こえた。
ホメロスは「……そうですか」としか言えなかった。
医者が一礼して退出してからずっと、ビオラはがたがたと震えている。「ごめんなさい……」消え入りそうな声でつぶやいた。
「……ビオラ」ホメロスはなんと声をかけていいものか、考えあぐねていた。
「わたし……また、奪ってしまった……大切な、大切な命を……」
また、という言い方が気になったが、今はそれを訊ける余裕はなかった。「子供のことは……残念だった。でも、私はおまえが無事でよかっ──」
「どうして……どうしていつもわたしが助かるの? 本当に死ぬべきなのは、わたしなのに……!」
「そんなふうに言わないでくれ」子供が助かるなら自分は死んでもいいと思っているのか? いったいなにが彼女をそう考えさせているのだろう。
ホメロスはビオラを抱きしめ、背中をさする。だが彼女の震えは止まらない。
ビオラがホメロスの胸にすがりつくようにして泣き始めた。「ホメロス様……ごめんなさい……。わたし、もうあなたに家族を作ってあげられない……」
「…………」
それからは、ビオラはひたすら「ごめんなさい」と泣き続けるばかりで、ホメロスにはかける言葉がなかった。
数週間が経ち、怪我のほうはすっかり治ってもビオラはなにかと伏せるようになり、一日中ベッドから出られない日すらあった。食事もほとんど摂らず、ただでさえ細い身体がますます痩せていった。
それを見かねた城仕えの医師は「別の場所で静養なさるのがいいでしょう」と言い、ビオラは一度実家へ戻ることになった。
日に日にやつれていく妻を見ていられなくなっていたホメロスは、どこかほっとしていた。そんな自分が、また嫌だった。
ビオラさえ元気でいてくれれば、子供なんていなくてもいい。それがまぎれもない本心だったが、そんなことを口にしたらますます彼女を傷つけるのはわかっていた。
ここ数ヶ月のあいだ、ビオラが積極的に夫を求めていたのは、子を授かるためだった。彼女は欲していたのだ、自分との子供を。そんな彼女に、子供などいらないなどと言えるわけがない。
いったいどうすれば、彼女を悲しみの淵から救ってやれるのだろうか?
ビオラが城を去ってからさらに数週間後のある夜、眠っていたホメロスは飛び起きた。
夢のなかで、ビオラが自ら命を絶ってしまっていたのだ。刃物を首にあて、一息に──。
彼女の血にまみれた身体の感触が、目覚めた今も妙に生々しく残っている。そのせいで、夢だとわかっていても、動悸がおさまらない。
ホメロスの目から涙がこぼれた。大の大人が泣くなんて。だが、これが現実になってしまったらどうしようと思うと、子供のように声をあげて泣いてしまいたくなった。
それでも泣いている場合ではない。今一番辛いのは、他でもないビオラなのだから。
彼女に会いにいかなければ。すべてを話し、すべてを聞いて、ビオラの支えになりたい。
翌日、ホメロスはビオラの実家へ向かった。
しかし……。
「え?……会いたくない?」
「あの子、あなたに会わせる顔がないって聞かないんです。本当にごめんなさい」と、ビオラの母親は言った。彼女に会うのは数回目だが、最後に会ったときよりも疲れが顔に出ていた。彼女もまた、娘が傷ついていることに心を痛めているのだろう。
「そ、そうですか……」会いたくないというビオラの気持ちを無視して部屋に乗りこむようなことはできなかった。だからといって、ここでおいそれと引き下がるわけにもいかない。
幸い、母親のほうもホメロスを追い返すのは不本意なようだった。「……よろしければ、お茶でも飲みながら、少し話を聞いてくださいませんか」と、屋敷のなかを手で示す。
「はい」とホメロスは彼女のあとについて行った。ビオラの母親は、左足をわずかに引きずるようにして歩いていた。
お茶の用意がされたテーブルにつくと、ビオラの母親は口を開いた。「あの子がどうしていつも黒い服を着ているのか、ご存じですか?」
「……いえ。気になってはいましたが、訊いたことはありませんでした」
「そうですか。あれは──」
ビオラはベッドの上で膝を抱えていた。わたしはなにをしているんだろう。せっかく来てくれた彼を追い返すなんて。
ホメロスが訪ねてきたと聞いたとき、正直とても嬉しかった。でも、どんな顔をしていればいいのか、なにを話せばいいのかわからない。それに、今の自分はとてもひどい姿だ。さっきまで泣いていたから目は赤く腫れぼったくなっているだろうし、手入れを怠っているせいで髪からはつやが消えてばさばさしている。こんな状態を見たら、彼はいよいよ失望してしまうかもしれない。それがなによりも怖かった。
ビオラはため息をついてふと顔を上げた。視線の先には、ホメロスがいた。久しぶりに見る彼は心なしか老けて見えたが、相変わらず美しかった。
「ビオラ──」言いかけたホメロスの顔に、ぼふっ、とぬいぐるみが当たる。ビオラが投げたのだ。
「か、帰ってください……」
「話を聞いてくれ」ホメロスがベッドに近寄り、ビオラの肩に触れた。「おまえの母上から、聞いたんだ。おまえがどうして黒い服を着続けているのかを」
ビオラははっとした。母は話してしまったのだ。ビオラの“罪”を。「やめて……聞きたくない!」
「私はおまえを責めに来たんじゃない」ホメロスの手を振り払おうとするビオラを落ち着かせるように、ホメロスは抱きしめた。「喪に服していたんだな。生まれてくるはずだったきょうだいの」
ホメロスの言葉に、ビオラはたちまち静かになった。目から涙がぼろぼろとこぼれる。「わ、わたしのせいで……死んでしまったの。わたしがあのとき、ふざけて遊びまわっていたから、止めようとした母さんは階段で転んで……お腹にいた、赤ちゃんが……」
「ああ、母上から聞いた」ホメロスはビオラの乱れた髪をなでた。ビオラが七歳のころのことだったという。
「そのときの怪我で、母さんは今も脚を……」
それは、明るかった幼いビオラの性格も変えてしまうほどの出来事だった。黒い服だけを着て、外で遊ぶことをやめ、本の世界に閉じこもってしまった。
「でも、彼女は言っていたぞ。おまえを責めてなどいないと。だけどおまえはそれから自分を責め続けて、罪を忘れないようにして、ずっとふさぎこんでいたんだとも」
「…………」
「私は、無理にでも自分をゆるしてやれとは言わない。だがおまえの苦しみを、私にも背負わせてほしい」ホメロスはビオラの手を両手で包んだ。「今すぐにでなくてもいいから……戻ってきてくれないか」
「でも、わたし、もうホメロス様の子供を──」
「子供が授かれなくなったからといって、おまえを手放したりなどしない」ホメロスはビオラの目を見て、はっきりとそう言った。「私はおまえがいいんだ。私のそばにいてくれ」
ビオラはうつむき、手で涙をぬぐった。そしてベッドの脇に置いてあったショールを羽織ると、ゆっくりと立ちあがった。「ホメロス様。一緒に……来てほしい場所があるんです」
ホメロスは足どりのおぼつかないビオラに手を貸し、ふたりはビオラの実家の庭に出た。色とりどりの花が植えられた庭のすみには、小さな墓が建てられていた。
「ここに眠っているわけではないんですけど、忘れたくなくて、建ててもらったんです」
ビオラの亡くなったきょうだいの墓標だった。
「これが……」
「実家に帰ると必ずここに来て……泣いてました」
「ひとりでか?」
「……ええ」
ホメロスは、ビオラの弟か妹になるはずだった子、そして自分たちの子に思いを馳せた。
どちらも悲しい事故だった。だがビオラはそれらを罪として、これからも背負い続けるつもりでいる。そんな彼女が、いつか自分の意志でその重荷を手放せる日がくるのを願った。それが一日でも早く訪れるために、今ホメロスができることはなにかを考えた。
ホメロスはビオラの肩に手を回し、彼女の額に口づけた。「これからはもう、ひとりで泣くなよ」
「……うん」ビオラはホメロスの胸に、身体をあずけた。
それから一週間ほど。ホメロスは毎日ビオラのことを考えていたが、あえてこちらから連絡するのは控えていた。ビオラにプレッシャーを与えたくなかったからだ。彼女には彼女のペースを大事にしてほしかった。……とはいえ、本音を言うと今すぐにでもビオラに会って抱きしめたかったのだが。
そんなことを考えていたからだろうか。城の大広間を見渡せる階段の上にいたホメロスは、あるものに目を奪われた。まさか幻かと思い、目を凝らしてもう一度見る。
やはり見間違いではない。大広間の入り口に、大きなトランクを持ったビオラの姿があるではないか。ホメロスは急いで大広間への階段を下りていった。ビオラもホメロスに気づいたのか、こちらへ寄ってくる。ホメロスが階段を下りたところで、ふたりは落ちあった。
「なんだ……」ホメロスは息を切らしながら言った。「連絡をくれれば、迎えにきたのに」
ビオラはにっこりと笑った。「いいえ。急に帰って、ホメロス様を驚かせたかったんです」まだどこかやつれているが、顔色はだいぶよくなっている。
ホメロスは「そうか」と笑い返し、ビオラをそっと抱きしめた。「おかえり、ビオラ」
ビオラもホメロスの背に腕を回した。「……ただいま」