気まずい期
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本当の気持ち
ビオラのことなど、好きなものか。
病気かと思うとほど青白い肌は薄気味悪く──あの透きとおったなめらかな肌には、控えめな化粧がよく似合うだろう。
葬式でもないのにいつも黒い服を着ているし。黒い髪に黒い服を合わせるとか、いったいなにを考えているんだ──おかげで、無意識に拾ったカラスの羽が、とてもきれいな色だと知ってしまった。
いつもおどおどしていて、下を向いてとぼとぼ歩いている姿にはいらいらさせられる──彼女の美しい灰色の目が見つめるのは、床ではなくてオレであってほしい。
物静かと言えば聞こえはいいが、ようするに陰気な女じゃないか──だからこそ、笑った顔が見てみたい。
……駄目だ、ちっとも上手くいかない。
ビオラと心を通わせるなど無理だと悟ったホメロスは、いっそのこと彼女を嫌おうとしたが、結果は先の通りである。
だけど自分には、彼女を怯えさせることしかできないのだ。こちらからの好意など、迷惑なものでしかないだろう。
なるべく彼女のことを考えまいと仕事に逃げてみても、気がつくと頭のなかがビオラのことでいっぱいになっている。
眠るときですらそうだった。まぶたと閉じるとやってくるのは眠気ではなく、ビオラの幻想。おかげでただでさえ眠りが浅いのに、満足に眠れない日々が続いた。
そして、ホメロスの機嫌が最高に悪くなっていたある日。
自室で山積みの書類仕事を片付けていると、控えめなノックの音が響いた。よく部屋に来る部下やメイドのものとは違う、と感じた。誰なのかわからないまま、ホメロスは扉に向かって「入れ」と命じた。
「し、失礼します……」と言って扉を開けたのは、ビオラだった。いつもはなにかしらの本を抱えている彼女だったが、今は紙の束を手にしている。
ホメロスは心臓が跳ねあがるのを感じた。ここ数日は仕事に没頭していたため、彼女の姿を見るのは久しぶりな気がした。だがその動揺は決して顔には出さない。
「……なんの用だ」
「え、えっと……グレイグ様から、書類をお預かりしまして……」
ホメロスは舌打ちしたい気分になった。グレイグめ、書類ぐらい自分で持ってきたらどうなんだ。よりによってビオラを使うとは。どうせ、ふたりを会わせて会話のきっかけでも作ってやろうとでも思ったんだろう。まったくもって余計なお世話だ。
ホメロスは咳ばらいをした。「そこに──」置いておけ、と言いかけて自分の机を見やると、机の上は本やらほかの書類やらが散乱していて、新たに置けそうな余裕はなかった。仕方なくソファの前のローテーブルを指した。「……置いておいてくれ」
ビオラは言われたとおりに、書類をローテーブルの上に置いた。書類が散らばらないよう、近くにあった小さなメタルスライムの置物を文鎮がわりに書類に載せる。細かい気配りのできる人だ。もっといい縁談に恵まれていれば、きっと良き妻になれていただろうに。
望まない縁談で結ばれた夫の部屋になど長居したくないだろうし、用が済んだらさっさと退散するかと思いきや、ビオラはゆっくりとホメロスのほうに近づいてきた。その顔は、恐れているとも、緊張しているともとれる様子だった。
「……まだ、なにかあるのか」こちらの動揺を悟られまいとすると、どうにも冷たい言い方になってしまう。
睨まれたように感じたのだろう。ビオラは一瞬びくっとしたものの、おそるおそる口を開いた。「ホメロス様、もしかして、ご気分がすぐれないのでは……」
ホメロスはため息をついて自分の頬を触った。そんなに顔に出ていただろうか。「……仕事が立て込んでいて、少し寝不足なだけだ。気にするな」寝不足の原因はなにも仕事だけではないのだが、ここは全部仕事のせいにしておいた。
「そ、それなら、少しでもお休みになられたほうが……」
「休んでいる暇などない」
「でも、ホメロス様、顔色が悪くて……お辛そうです」
「これぐらいなんでもない。気にするなと言っただろう」
「ですが、あの──」
「うるさい! 私に構うな!」
しまった──とすぐに気づいても、もう遅い。ビオラの目に、みるみる涙がたまっていく。
「……ごめんなさい……」
ビオラは涙を拭いながらホメロスの部屋を出ていった。
やってしまった。もう駄目だ。今ので完全にビオラはホメロスを嫌いになったはずだ。
その後、ホメロスがなにもする気になれず、ソファに横になって手で顔を覆っていると、誰かがノックもせずに扉を開けて入ってくる音がした。
顔を見なくても、どすどすどす、という繊細さのない足音でわかる。グレイグだ。
グレイグはソファ横たわるホメロスに近づくなり、ホメロスの頭を叩いた。「馬鹿者」
「……なんとでも言え」
グレイグに抗議する気にはなれなかった。まったくもってその通りだったからだ。
「なにをのんきに寝転がっている」グレイグは今度はホメロスの脚を叩いた。「早く謝りに行け。今逃したら、きっともう後はないぞ」
「ゆるしてくれるはずがない。泣かせてしまったんだ」ホメロスはすっかり弱気になっていた。
「時間が経てば経つほど、そうなるかもしれないな」グレイグはホメロスの身体をひっくり返し、続いて尻を叩く。「大丈夫。おまえが誠意を見せれば、彼女はきっとゆるしてくれるさ」
「……本当か」
「ああ。ちなみに、彼女が書庫に入っていくのを見たと、俺の優秀な部下が言っていたぞ」
グレイグの励ましはいつだって根拠がなく、普段はわずらわしく思っていたが、今はどうしてかそれが心強く感じた。
ホメロスはのそりと起き上がると、自分の部屋を出た。
書庫へ向かう道すがら、ビオラに謝ることを考える。今までの非礼な態度の数々に加え、先ほどのことも。
さっきだって、彼女は苦手なホメロスに話しかけるのに相当な勇気を出したはずだ。なのに自分はそれをはねのけてしまった。
そして、自分の本当の気持ちを伝えよう。私は君と本当の夫婦になりたいのだと。それからのことは、彼女の返答を聞いてから考えればいい。
だが、その決意は、書庫の扉越しにすすり泣く声が聞こえると同時に大きく揺らいだ。ビオラを深く傷つけてしまったという事実が、ホメロスの心に重くのしかかる。
扉の取っ手に手をかけるかかけまいか迷っていると、床がぐらりと揺れるのを感じた。一瞬、なんなのかわからなかった。めまいでも起こしているのだろうか? だが違った。これは、地中の深くから響くような衝撃。
地震だ。しかも、かなり大きな揺れである。デルカダールでここまで揺れるのは珍しいことだった。
かろうじて立ってはいられるが、ビオラのいる書庫には背の高い本棚がいくつもある。もしそれが倒れたりなどしたら……。
ホメロスに迷っている暇などなかった。
「ビオラ!!」蹴破るように扉を開き、彼女の姿を探す。
「……ホメロス様……」ビオラは入り口の近くで座りこんでいた。泣き腫らした目は真っ赤になっていた。
大きく揺れる本棚のなかの本が、今にも彼女に降りかかろうとしている。ホメロスはとっさにビオラに覆いかぶさった。落ちてくる本から彼女をかばうために。背中に鈍い痛みを感じる。それでも揺れがおさまるまで、床に倒したビオラの盾になった。
やがて、揺れが止まった。ふたりの乱れた呼吸と、心臓の音が間近に聞こえる。
「……怪我はないか」ホメロスは無意識に問いかけた。
「大丈夫、です……」
ビオラの顔がすぐそばにあることと、謝りにきたことを思い出したホメロスは、ぱっと起きあがった。その拍子に背中が本棚にぶつかり、頭に衝撃が走った。棚に残っていた本が落下し、背表紙の角が頭部に直撃したらしい。
「…………うっ……」視界がちかちかと光って見える。
「だ、大丈夫ですか!?」
ビオラはあたふたしながらもホメロスのうしろに回りこみ、怪我がないか確認をしている。
ホメロスはふっと笑みをこぼした。「……君はいつも、私の心配をしてくれるな」
彼女と初めて会ったときもそうだった。腰を抜かしたホメロスに一目散に駆け寄った。
先ほども、顔色がすぐれない夫の身体を案じてくれた。
たちまち、ビオラの顔が曇る。「……すみません、ご迷惑でしたよね……」
「いや、違うんだ」ホメロスはすぐさま否定したが、次の言葉が出てくるまで少し時間がかかった。「う、嬉しかったんだ……」
「え……?」ホメロスの思いがけない言葉に、ビオラは困惑した様子を見せた。
「なのに……ああいう態度ばかり取ってしまって……本当に、すまない」
「い、いいえ……」
床にぺたんと座りこんだビオラの小さくて白い手に、ホメロスは自分の手を重ねた。ビオラは少し驚いたようだったが、手を引っ込めることはしなかった。
ホメロスはもう片方の手でビオラの左目を隠している髪を梳き、頬に触れる。それから、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
やはり、彼女の唇はやわらかくて、あたたかい。
「……っ!」ビオラは身じろぎひとつせず、じっとしている。身体をかたくしているのが、重ねた手から伝わってきた。
ホメロスはゆっくり唇を離し、我に返った。「……悪い。嫌だったよな」
ビオラは顔を真っ赤にして下を向いた。「嫌じゃ……ないです」小さな声だったが、はっきりと言った。
ホメロスは目を見開いた。嫌じゃない、と彼女は言ったか? ならばすぐにでももう一度キスをしたいところだが、その前にしなければならないことを思い出した。いよいよだ。
「君に、話さなきゃいけないことがあるんだ」ホメロスは硬い声で言った。
「……なんでしょう」
ビオラは身構えた。いよいよ離縁の申し出だろうか。だとしてもいい。さっき、誰から命じられるでもなくホメロスのほうからキスをしてくれた。彼の唇は少しかさついていたが、触れると心地よかった。それを一生の思い出に生きていけるだろう。
だが、ホメロスは意外なことを口にした。「五年前に、グレイグとマルティナ姫の結婚式があっただろう? 実は……そのときに君を見かけたことがあったんだ。君は意識を失っていたから、覚えていないだろうが」
「……グレイグ様と、マルティナ様の……?」
彼らの結婚式があったのは、ビオラが家に引きこもりがちだった十六歳のころだ。あの日、久しぶりに人の多い場所に来たビオラは、案の定具合を悪くした。人々の熱気と楽しそうな声、婦人たちのむせかえるような香水のにおいにやられ、せっかくのごちそうにも手をつける気になれず、吐き気とめまいに必死で耐えていた。
しかし、とうとう意識を失い、城の大広間の床の上に倒れてしまったのだろう。突然倒れたビオラを見てご婦人方は悲鳴をあげ、客人たちがなんだなんだと騒ぎ始める光景が目に浮かぶ。自分はめでたい日の空気に水を差してしまったのか。だからホメロスも覚えているのか。
「……すみません。その節は、とんだお騒がせを……」
「いや」ホメロスはビオラの言葉をさえぎった。「騒ぎにはならなかったよ。私が倒れそうになった君を抱えて客間で休ませて、しばらく様子を見──」
「え!?」今度はビオラがホメロスの言葉をさえぎった。
あのときは気がついたら客間のベッドに寝かされていて、傍には年かさの女中が控えていた。それからほどなくして、連絡を受けた家族が迎えにきたのだ。まさか、その前まで介抱してくれていたのがホメロスだったとは。
ああ、なんて、みっともないところを見せてしまったのだろう……。しかも、自分は憧れのホメロスに抱えられたのだ。……やっぱり、お姫様抱っこだったのかしら?
「言っておくが、変なことはしていないぞ……」呆然と言葉を失っているビオラの真意を勘違いしたらしく、ホメロスは弁解した。
「そ、それは……もちろんわかってます」
安心したように息をついたホメロスは話を戻した。「……だから、あの日、君を見て驚いたんだ。まさか、あのときの子が相手だとは思わなかったから。……それで、パニックになって、よりによってあんな言い方を」当時のことを思い出しているのか、ホメロスは手の甲で自分の目を覆っていたが、手をどけてビオラと目を合わせた。「決して、君が嫌だったからじゃない」
「嫌じゃ、ない……?」
さっき、ホメロスにキスをされて言ったことと同じ言葉を、彼も口にした。
「ああ。……ていうか、むしろ、気に入っているというか……」ホメロスはふたたび目をそらした。「……悪い、もっと早くに言うべきだったよな。言い訳がましいことを言うと、君は私のことなんて、好きなはずがないと思いこんでいたから」
「それは……わたしも同じです」てっきり、自分は嫌われているのだとばかり思っていた。でもそれは誤解だった。それどころか、両想いだったのである。「じゃ、じゃあ、わたし……ホメロスさまのお傍にいても……?」
「……もちろんだ。ビオラ」ホメロスが呼んだ。そういえば、彼がビオラを名前で呼んでくれたのは、さっきが初めてだ。彼に呼ばれると、今まで特に意識していなかった自分の名前が、なんだか特別なもののように感じる。やがてホメロスが手を差しだした。「私と……家族になってほしい」
「……はい!」ビオラはうなずき、自分の手を重ねた。
どちらからともなく、ふたたび唇を合わせようとすると、書庫の扉が勢いよく開き、グレイグが顔をのぞかせた。「ホメロス! ビオラ君! 無事か!?」
ホメロスは慌てて近づけた顔を離し、なんでもないような顔をした。「……ああ」
だがホメロスはグレイグからは見えないところで、ビオラの手をぎゅっと握りしめた。ビオラも彼の手を、そっと握り返した。