子育て奮闘期
名前変換
この夢小説の名前設定原作に登場しないキャラであればお好きな名前に変換して読めます。
いずれもデフォルト名が設定されているので、未記入でも大丈夫です。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ホメロスのふわふわパンケーキ
「──勇者は自分が王さまになる国を見つけるため、ローラ姫といっしょに旅に出ました。ふたりは手をつないで、どこまでも行きました。勇者の冒険は、まだまだ続きます」ホメロスはゆっくり絵本を閉じた。「おしまい」
「おわっちゃったわ」ホメロスの膝の上に座っているフィンフが、絵本の裏表紙をなでた。裏表紙の中央には、手をつないだ勇者と姫のうしろ姿が小さく描かれている。
絵本の読み聞かせは及第点と言ってもよさそうだ。だが、それでもホメロスは内心冷や汗をかいていた。ビオラよ、早く帰ってきてくれないだろうかと。
この日は珍しく、ビオラだけが外出する用事があり、ホメロスはフィンフと一緒に過ごしていた。お昼寝から目覚めたフィンフは、ホメロスに絵本を読んでとお願いしてきた。
保護したばかりのころとくらべれば、ずいぶん警戒心を解いてくれたなとは感じるが、やさしい母親がいないのはフィンフにとっても残念なことであろう……というのは詭弁で、単に自分ひとりで幼い娘の面倒を見るのが心細いだけであった。
しかもこういうときに限ってマルティナやグレイグもいない。彼らは四大会議に出席するために一家でユグノア王国に赴いていた。王位を退いて悠々とした隠居生活を送っているデルカダール先王ことモーゼフは城にいるが、子供に関することで彼に頼るのはなぜだか癪だった。
時刻はまだ昼と夕方のあいだと言ったところで、ビオラが帰ってくる予定の時間までしばらくある。まだかまだかと思うほど、時間の流れが遅く感じるから不思議なものだ。
いかん、こんな具合では。ホメロスは己に喝をいれた。ほんの数時間、娘の面倒を任せられないようではビオラも息が詰まってしまうし、頼りない夫だと幻滅されるかもしれない。
「とーさま」そんな父親の思いを知ってか知らずか、フィンフは顔をあげた。「お腹がすいたわ」
「え?……ど、どのくらい?」妙な訊き方をしてしまう。
「ぺこぺこ」
「お夕飯まではまだ時間があるぞ。我慢できないか?」
「フィー、死んじゃう」
さすがに死にはしないだろうし言われるがままに食べ物を与えるのもよくないのだろうが、だからといって子供の訴えをなんでもかんでもはねつけていいものか。今まさに、自分は娘から頼りにされているというのに。
しかし、夕食をとらせるにはいくらなんでも早すぎる。作るのにさほど手間がかからず、ある程度満足感のあるものといえば……。
「そうだ、パンケーキでも食べるか」
「パンケーキ?」フィンフは首をかしげた。「パンなの? ケーキなの?」
「フライパンで焼けるケーキって意味だ。食べたことはないか?」
「うん……でも、それ食べてみたい」フィーの深く青い目がきらめいたように見えた。「とーさま、作ってくれる?」
「ん?……ああ」手の空いている料理人に頼むつもりでいたのだが、娘は父親が作ってくれるものだと判断したらしい。
幸い、パンケーキであればホメロスにも作ることができる。娘にいいところを見せるチャンスだ。
ホメロスはフィンフを連れて調理場に向かった。
調理場には料理人が何人かいたものの、夕食まではまだ時間があるのでそれほど忙しそうにはしていなかった。ホメロスが台所を借りてもいいかとたずねると、彼らはこころよく場を空けてくれた。
ホメロスがなにか作るらしいと察した料理人のひとりが、お手伝いしましょうか、と申し出たが、丁重に断った。ちらりとフィンフのほうを見やると、彼女はわくわくした面持ちで椅子に座っていた。もう逃げられない。ホメロスはシャツの袖をまくった。
ボウルに小麦粉、ふくらし粉、砂糖を入れ、泡立て器で混ぜあわせる。さらに卵と牛乳を加え、なめらかになるまで混ぜて生地を作る。
熱したフライパンの裏面を水で濡らした布巾にあて、一度冷ます。こうすることで熱が均等になり、表面がきれいに仕上がるのだ。
ふたたび温めたフライパンに生地を流し入れた。焦げないように火力は弱めにし、じっくりと両面を焼いていく。
生地を焼いているあいだに、トッピングに使えそうなものを探す。ホメロスはパンケーキにはホイップクリームとフルーツを添えるのが好きだが、今から生クリームを泡立てるのは時間がかかる。それならば、と戸棚からメープルシロップの瓶を取りだした。フライパンの前に戻ると、パンケーキはほのかに甘い香りを放っていた。いい頃合いだ。
ふっくらと焼けたパンケーキを皿の上に二枚重ね、メープルシロップをたらしてから小さく切ったバターをのせる。パンケーキの熱でバターがゆっくりと溶けていく。
ホメロスは食器棚の引き出しを開け、木製のナイフとフォークを取り出した。木でできたナイフは切り口が金属のものよりだいぶ丸みを帯びているが、パンケーキを切るには充分だし、これなら幼い子供が扱っても危険はないだろう。
パンケーキを載せた皿とフォーク類をフィンフの前に置いたところで、ホメロスは気づいた。そうだ、飲み物も用意しなければ。
すると、先ほど手伝いを申し出た料理人が、皿のとなりにマグカップを置いた。「あの……よろしかったらどうぞ」マグカップにはホットミルクが注がれていた。ホメロスがパンケーキを焼いているあいだに温めてくれていたらしい。「そんなに熱くないですし、少しお砂糖も入れてありますので」
「ああ……すまない」
「すまないなの」フィンフが真似をした。
「……ありがとう」ホメロスは言い直した。
料理人は笑って会釈をして、自分の作業に戻っていった。
「さあ、できたぞ。めしあがれ」
「いただきます、なの」フィンフは小さな両手を合わせた。
ホメロスは娘にフォークの持ち方とナイフでの切り方を教えた。ホメロスが切ってあげてもよかったのだが、説明を聞くとフィンフがやりたがった。つたないながらもフィンフはナイフで生地を切りわけ、フォークにさしたひと切れを口に運んだ。
しばらく口をもぐもぐさせてから、彼女の顔がほころんだ。「おいしい」
「そうか。それはよかった」
「ふわふわで、甘いの。とーさまも食べて」と、パンケーキを差したフォークをホメロスのほうに持ってくる。フィンフが切ったひと切れは意外と大きく、大口を開けなければならなかった。
メープルシロップがしみこんだパンケーキはふんわりと甘く、バターの塩気がいいアクセントになっている。巷ではクリームやアイスやフルーツなどをふんだんに使った豪華なデコレーションが流行り、昔ながらのメープルシロップとバターの組み合わせはどこか野暮ったいと思わされていたが、やはり古くからあり続けるものにだってちゃんと良さがあるのだ。
「うん。美味しいな」とホメロスが言うと、フィンフは嬉しそうにホットミルクを飲んだ。
「これもおいしい」温かいミルクを飲みこんで、フィンフはほうっと息をついた。「おいしいって、やさしい?」
「ん? そうだな……」
先ほどの料理人は、ただホットミルクを用意しただけではなく、小さい子が飲みやすい温度にして、砂糖で甘味を足した。まさしくフィンフに対するやさしさと言える。
「とーさまのも、やさしいわ」と言いながら、一枚で充分満足したフィンフは、残りのパンケーキを全部ホメロスに食べさせた。作ったものを捨てずに胃のなかにおさめる。これもパンケーキへのやさしさだ。
「フィーが喜んでましたよ」その夜、娘から話を聞いたビオラがホメロスに言った。「というか、ホメロス様、パンケーキなんて作れるんですね。聞いてないですよ」
「言ってないからな」ホメロスはふっと笑った。だが、ビオラがじっとホメロスを見ているのに気がつく。「……なんだ?」
「あの子がうらやましいなぁって」ビオラがいつになくいじけたような声を出す。「ホメロス様に……パンケーキを焼いてもらえるなんて……」ついには身体をくねらせてシナを作りはじめた。
「……食べたいのか? おまえも」
「はい!」ビオラの灰色の目が青く光った、ように見えた。
ビオラもフィンフも、嬉しいという思いが目の光に表れるのだなと、彼女たちの似ている部分に気づいた。血はつながっていないが。
「言っておくが、別に普通だぞ」
「普通じゃないです! ホメロス様が焼いたらそれはもう特別なんです!」
「……そうか」
「明日の朝ごはん……ああ、でも、おやつとして食べたいかも」とひとりごちながら、ビオラは上機嫌でベッドのなかに潜りこんでいった。
翌日、ビオラはホメロスのパンケーキを「普通で美味しい」と言った。