気まずい期
名前変換
この夢小説の名前設定原作に登場しないキャラであればお好きな名前に変換して読めます。
いずれもデフォルト名が設定されているので、未記入でも大丈夫です。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
厩舎にて
迷ったついでに城の敷地内を散策しているうちに、厩舎のほうまで来てしまったらしい。糞やら藁やら、さまざまなものが混ざりあった、かぐわしい──とは言いがたい匂いが近づいてきた。
ビオラは引き返そうとしたが、ふと視界に入ったものに足を止められた。
最初、それは金色の馬の尻尾に見えた。しかし、もちろん黄金の馬などいるはずはない。膝近くまで長く伸ばされた、ホメロスの髪だった。
胸がどくんと脈打つのを感じ、ビオラはとっさに手頃な場所に身を隠した。幸い、向こうはこちらには気づいていない。彼が自分を見つけたら、こんなところでなにをしているのかと不審に思うだろう。さらには、大した用もないのに城をうろついている妻を苛立たしく思うかもしれない。とにかく、良い展開にはならないことだけはたしかだった。
それでも、偶然ホメロスの姿──彼は上着を脱いで、シャツの袖をまくっている──を見つけられたのが嬉しくて、ビオラは立ち去るよりも彼から少し離れた物陰から様子をうかがうことを選んだ。
ホメロスは馬小屋の柵越しに一頭の馬と向き合っていた。彼の愛馬らしきその葦毛の馬は、差し出されたニンジンをむしゃむしゃ食べている。
馬の食べっぷりに満足したのか、ホメロスは目を細めて毛並みのいい馬の顔をなでた。彼の横顔はおそろしいほどに穏やかだった。
なでられた馬は心底リラックスした様子で、主への安心感がビオラにまで伝わってくる。
彼も、あんな顔をするのだ。今まで見えていなかったホメロスの一面を知り、胸がいっぱいになった。たとえそれが、自分に向けられたものではなかったとしても。
笑いたいような泣きたいような気持ちでビオラが城の中へ戻ろうと振り返ると、目の前に見知らぬ少年が立っていた。
「きゃっ! すみません!」こっそりのぞいているのを見られた後ろめたさからか、つい謝ってしまう。
「ああ、こちらこそすみません、驚かせてしまって」少年の声は恐縮しつつも落ち着いていた。「ホメロス様の奥様、ですね」
奥様、と呼ばれてビオラはこそばゆくなった。その呼び方は今の自分には似つかわしくないように感じる。だが周囲からしてみれば、自分はホメロスの妻であることに変わりはないのだ。その事実に後押しされ、せめて姿勢だけでもふさわしくあろうと、ビオラは背筋を伸ばして少年に挨拶した。
彼は少し前からここで働いている馬丁見習いだと明かした。もうすぐ十六歳になるというその少年は、リネンのシャツと革のベストに身を包み、目深にかぶったキャスケットからはまっすぐに伸びたさらさらの茶髪がのぞいている。
「さっき、見てましたよね。ホメロス様はああやって、時折ご自分の馬の様子を見に来られているんですよ」
「そうなのですね」やはり馬を大事に扱っているのだ、と感激する一方で、ちくりと胸が痛む。
「意外ですか?」ビオラの表情のくもりには気づかなかったらしい少年が続ける。
「ええ……正直、少しだけ」
「ですよね。あのいかにも神経質で潔癖そうなお方が、厩舎に来るってだけでも驚きものですよ」
「は、はあ……」
「動物のことなんて、しょせんは家畜だとか畜生だとか、顧みるのにも値しない存在ぐらいに思ってそうじゃないですか」
「いや、あの、そこまでは……」いくらなんでも言い過ぎだ、とも言い切れないのがおかしかった。実際、デルカダール国民が冷徹な軍師に抱く印象はだいたいそんな感じである。
「ところがどっこい。あの方は、ご自身の周りにあるものはけっこう大切になされますし、可能な限りは守ろうとなさいます」ビオラを真っ直ぐに見つめながら少年が言った。彼の瞳は澄みきった空を思わせる、印象的な淡いブルーだった。「もちろん、あなたのことだって」
「……え?」
「ああ、失礼しました、見習い風情が出過ぎたことを」彼は下働きの人間らしからぬ、優雅な仕草でおじぎをした。「それでは、僕はこれで。またお会いしましょう、奥様」
「遅いじゃないか。どこに行っていたんだ」
ホメロス将軍は戻ってきた馬丁見習いをとがめた。先程まで愛馬に向けていた表情とは打って変わり、眉間にしわを寄せ、普段通りの人を寄せ付けない雰囲気をかもしだしている。
それでも、声音にはそれほど威圧感はふくまれていなかった。彼なりに、傷つきやすい最近の若者がすぐ仕事を辞めてしまわないように気を遣っているのだろうか。
馬丁見習いは「すみません」と頭を下げながら、将軍の不器用なやさしさにひそかに微笑んだ。
「……なにかあったのか」
「いいえ、特には」奥様があなたのことを見守っておられました、とか、あなたの奥様とお話ししました、とかは「なにかあった」には含めないことにした。
「そうか」と将軍はそっけない返事で終わらせるのがしのびなかったのか、年若い少年との会話の糸口を探した。「なあ、前から思ってたんだが……」
「なんでしょう」
「おまえ、ユグノアの王子に似てるって言われないか?」
「はい、よく言われます」馬丁見習いはあくまでも冗談っぽく笑った。