子育て奮闘期
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僕らと彼女が生まれた日
書物は先人が遺した知識の宝庫だ。おかげで、今を生きる我らは本を開けば大抵の疑問は解決する。
だが残念ながら例外も存在する。たとえば、出自が不明瞭な養子から「フィーのお誕生日っていつなの」と問われたとき、父親はなんと答えるべきなのか、とか。
机の上に広がった何冊もの本を見て、ホメロスはため息をついた。とーさまが調べておこう、などと言わなければよかった。しかし、あそこでわからないと言って終わらせてしまうのは、なんだか父親の沽券に関わる気がしたのだ。
デルカダール城の書庫には世界中のありとあらゆる書物が保管され、その分野も多岐に渡る。先ほどまでホメロスが読んでいたのは「里親入門書」「養子との接し方」「アーウィン王の子育て必勝法」といった育児に関する本だが、いずれにも彼が求めている答えは書かれていなかった。未だかつて、誰もこういった問題に直面したことがないのだろう。当然といえば当然か。
ホメロスは一旦本を閉じ、座りっぱなしで凝り固まった身体を伸ばした。次いで目頭を揉む。まぶたの裏に浮かんでくるのは、愛らしい娘の姿だ。今の時間はきっと部屋で遊んでいるのだろう。
保護したばかりのころに比べたら、あの子もだいぶ懐いてくれているように思う。口元から笑みがこぼれた。自分も多少は父親らしくなれてきているのではないか。そしてなにより、妻のビオラが日に日に母親の顔を見せるようになってきた。ほんの数年前まではまだあどけなさを残していた妻が、夫を愛し夫に愛され美しくなり、とうとう母になった。娘──血はつながらなくとも、フィンフは私たちの娘だ──にほほえみかける眼差しはまさにお母さんそのものだった。あのときの彼女の顔を見たとき、ホメロスの胸は疼き、いっそこのまま死ねるのなら本望、とすら思えた。
これが、家族というものか。母親を早くに亡くし、父親の顔を知らずに育った自分には縁遠いと思っていた。あたたかくて、どこかこそばゆいが、それもまた悪くない。
「ホメロス様?」
声をかけられてハッとする。振り返ると、ビオラがホメロスの背後に立っていた。紅茶とサンドイッチを載せたトレイを手にしている。
「こちらで調べものをしていると聞いたので……すみません、お邪魔でしたか?」
「……いや、ちょうど休もうと思っていたところだ。ありがとう」
トレイが置けるように机の上の本を適当にどかした。サンドイッチはフルーツサンドだった。夫の好物を持ってきた妻の気遣いに痛み入る。
ビオラは輪切りにしたレモンを載せた小皿とシュガーポットを机に置いた。砂糖を多めに入れたレモンティーもまた好みのものである。ホメロスは上機嫌でカップに紅茶を注いだ。
レモンティーの香りを楽しみ、フルーツサンドをつまみながら、夫婦はしばし歓談した。そのうち、娘の話になった。
「フィーはどうしてる?」
「お昼寝してますよ。遊んでいるうちに眠くなったみたいで」
手の空いたメイドがフィンフを見ていてくれるというので、書庫にこもっている夫の様子を見にきた、というわけだったらしい。
子を持つ夫婦らしい会話をしていることに気づき、ホメロスは俄然照れくさくなった。
「それで、なにをお調べに?」ビオラが訊いてきた。「……あ、お仕事のことでしたら、ダメですよね」
「大丈夫、仕事じゃないんだ。実はな……」
ホメロスは先の娘とのやりとりを聞かせた。
「フィーの誕生日、ですか。うーん……調べようにも、あの子のことも、ご両親のこともなにもわかりませんでしたからね……」
「ああ……彼女を知る人間すら見つからなかったからな」
フィンフを保護した当初、物心ついたばかりと思われる彼女の記憶も曖昧で、家族に関することはなにも聞き出せなかった。
しばらくしてから、ビオラが言った。「いっそ、フィー本人に決めてもらうというのは?」
「……決める? 自分の誕生日を、自分で?」
「ええ、誰もわからないなら、あの子が好きに決めちゃえばいいんじゃないかって」
「なるほどな」
「ら、乱暴でしたかね……?」
「いや、案外いいかもしれん」
世界の常識で言えば、誕生日とは天が与えるものであり、自分で決めるものではない。しかしこういった例があってもいいのではないか。何事にも例外はつきものだ。
ホメロスは身体のこわばりが解けていくのを感じた。なにも書庫に向かわず、最初からこうして伴侶に相談すればよかったのだ。百戦練磨の知略の軍師は、どうも妙なところで頭が固い。
そこでホメロスはふと思いついた。いつかこの経験を本をしたためよう。誕生日のわからない里子には、誕生日を自分で決める自由を与えてしまえばいい、と。きっと、迷える里親たちの一助になるはずだ。
「どうしたんですか、ホメロス様」ビオラが微笑んでいる。「嬉しそうですね」
「ん、まあな……」
愛しい家族に恵まれて幸せなんだ、とはさすがに気恥ずかしくて言えないので、代わりにビオラの髪に触れる。手つきからなんとなく察したのか、彼女の瞳がかすかに揺れる。ホメロスは彼女に顔を近づけた。
すると、書庫の扉が開き、フィンフの声がした。「かーさま、とーさま」
ホメロスは慌ててビオラから離れた。
「フィー、起きたのね」ビオラは特にうろたえるでもなく、ぱたぱたとやってきたフィンフを抱き上げて膝にのせた。すでに母親モードである。
「ああっ、すみません!」あとからやってきたメイドが息を切らしながら言った。「お嬢様がお目覚めになって、おふたりのところに行きたいと仰いまして……」フィンフが寝ていた部屋からここまで走ってきたらしく、すっかり顔が赤くなっている。
「ううん、大丈夫よ。見ていてくれてありがとう」
ビオラがメイドを労った。メイドは息を整えるとお辞儀をして戻っていった。
「とーさま、なにしてたの。ご本を読んでたの?」
「ああ、そうだよ。フィーの誕生日を調べていたんだ。……でも、わからなかったよ。ごめんな」
「そうなの」
返事をしながら残っていたフルーツサンドを頬張り始めたのを見るに、さほど落ち込んでいないらしいと知り、ホメロスは少し安心した。
「だからね、フィーの誕生日はフィーの好きな日にしてもいいかもねって、とーさまと話していたのよ」ビオラがフィンフの頭を撫でながら言った。
ホメロスが近くにあった暦の表をフィンフの前に置いた。「好きな日を選ぶといい。もちろん、すぐにじゃなくてもいいぞ」
フィンフは口をもぐもぐさせながら暦に並んだ数字を順番に見つめ、やがて「ここ」と、ある日にちを指さした。
「この日、って……」
「私たちが結婚した日だな」ホメロスがパニックのあまり大きな誤解を生んでしまった日、とも言う。「ここでいいのか?」
「うん」フィンフが頷いた。
「意外ともうすぐじゃないか」その日まであとひと月もない。「よし、この日はフィーの誕生日ととーさまたちの結婚記念日だ。盛大に祝おう」プレゼントや食事の準備で一段と忙しくなるだろうが、家族のためならなんということはない。使用人たちにも頑張ってもらわねば。
ホメロスが言うと、妻も娘も嬉しそうに笑った。