気まずい期
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五年前
──疲れた……。
喜びに沸く城の大広間の隅で、ホメロスは人知れずため息をもらした。
今日はデルカダールの王女マルティナと将軍グレイグの結婚式が行われ、今は祝宴の真っ最中だった。ホメロスは花婿の介添人や宴の責任者として、朝から休みなく働いていた。
式の直前にグレイグの歪んだタイを締め直し、急に緊張してきたと言って青ざめる彼の頬をはたいて無理やり赤みを出した。その一方で宴の段取りに問題がないか何度も確認し、抜かりがないよう指揮をとった。
目の回るような忙しさではあったが、普段から統率することに慣れているホメロスにとって、こういった仕事はそこまで苦ではない。疲れの原因は別にあった。
結婚式の最後にマルティナが放ったブーケをうっかり受け止めてしまった──花嫁はどう考えてもホメロスに向かって投げていた──せいか、さっきから会いにくる人間が「次はホメロス様の番ですね」「いいお知らせを期待してますよ」などと言ってくる。もはや挨拶のようなものだとわかってはいても、うんざりする気持ちはおさえられなかった。
ひと通りの面々と適当な言葉を交わし、大広間の太い柱の陰に隠れてひと息つくころには、撫で付けていた前髪はすっかり垂れ下がっていた。だが、宴ももう後半にさしかかっている。直す必要はないだろう。
深呼吸をして再び営業用の作り笑いに戻ろうとしたとき、ふと向かいの壁際に奇妙な女性がいるのを目にした。
黒い髪に赤いドレスを着た女性はひとりで壁に向かってうつむいている。周りの人間は話と食事に夢中なのか、誰も彼女の様子を気にしていない。
あの人は気分でも悪いのか。それとも、この場にいるのが苦痛なのだろうか。オレが取り仕切ったこの最高の披露宴が退屈だとでもいうのか? 気づけばその女性の元へ自然と足が動いていた。
ホメロスは微動だにしない女性に近づき、小声で話しかけた。「もし、大丈夫ですか」
その女性が心配だったというよりは、目立たない場所とはいえ祝いの席で吐かれでもしたらたまらないという気持ちのほうが強かった。
女性は返事をする代わりに、ホメロスの胸にもたれかかってきた。彼女を受け止めたとき、声をかけてきた将軍に媚びているのではないとすぐにわかった。彼女の身体からは力が抜け、ぐったりとしていた。
「ホメロス様、どうかなさいましたか」近くを通っていたホメロスの部下が声をかけてきた。彼もまた、上司が女性と戯れているわけではないことを理解しているらしい。察しがよくて助かる。
「ご婦人の具合が悪いようだ」
「それは大変です。別の部屋へお運びしましょう」
部下は女性を受け取ろうと腕を差し出した。普段であればさっさと託すところだが、このときはなぜだかそうはならなかった。
「いや、私が行ってくる」ホメロスは女性を抱え上げた。彼女の身体は心配になるほどに軽い。「二階の客間にいるから、なにかあったら呼んでくれ」
いつもとは違う自分の行動を、愛想笑いと社交辞令からしばし解放されるためだと思い込んだ。決して、この女性の世話を焼きたいわけではないのだと。
待機していた医者によると、女性の身体に異変はなく、おそらく過度の緊張で体調を崩してしまったらしいとのことだった。
彼女が目を覚ますまで自分が見ているから、とホメロスは医者を下がらせた。これもまた、社交をさぼる口実にすぎない。
医者が一礼をして退出し、早くもすることがなくなったホメロスは、悪趣味だとは思いつつも女性の顔を眺めた。
苦しそうに眠っている彼女は思っていたよりもずっと幼く、女性というよりも少女だった。透き通るような白い肌は今は血色が悪いが、普段はもう少し赤みがさしているのだろう。きっと、漆黒の髪がさらに映えるはずだ。
ホメロスは彼女の瞳の色を知りたくなった。だが、しばらくしても彼女の様子に変化はなかった。
再び手持ち無沙汰になっていると、先ほどのホメロスの結婚についてのやりとりが思い起こされた。
あと数年も経てばますます周りもうるさくなると思うと、今から気が重くなる。結婚など面倒でしかないが、お節介な人間たちから何度も結婚をすすめられるのはさらに面倒だ。それを死ぬまでかわし続けなければならないのであればなおさら。
ホメロスは依然として眠る少女を見つめた。
いっそ、手っ取り早くこの子を口説いてさっさと身を固めてしまおうか。たとえ彼女の家が問題を抱えていても、それを金銭で補えるだけの余裕はある。
求婚の理由などなんだっていい。手を取ってひざまずき、ひと目見てあなたの可憐さに惹かれた、などと言って微笑んでやれば大抵の女性は落ちる。今こそ己の顔面の持つ力を大いに活かすときではないか。彼女のほうとて突然の求婚に驚きはするだろうが、顔の整った将軍に言い寄られるのなら悪い気はしないはずだ。
彼女は下手をすると十六歳にもなっていないかもしれないが、それでも親子ほどの年齢差にはならないだろう。人の多い場所でひっそりと気分を悪くしてしまうぐらいだから、主張が激しい性格だとは考えにくい。従順で、余計な干渉もしてこなさそうだ。
それに、彼女は美人というほどではないものの、顔立ちはまあまあ整っている。化粧をして着飾ってもなお華やかさには欠けているが、毎日目にするには案外これぐらいがちょうどいいのかもしれない。
早く目を覚ましてくれないだろうか。そして、求婚を受け入れてこの先の面倒を取りのぞいてほしい。
そう思っていたが、少女の長いまつ毛がかすかに揺れるのを見たとき、その気持ちは瞬く間に萎えた。
いや、駄目だ。立場や利害など関係なく、彼女には愛する人と結ばれてほしい。なぜそう思うのかはわからない。だが彼女には愛を受け取ってほしかったし、同じぐらい相手にも与えてほしかった。そしてそれは、少なくとも自分には縁のないものだ。
笑い合うグレイグとマルティナの姿を見たからか。彼らのように結ばれるのが一番の幸せだと思ったのか。自分の中にもそんな感傷的な部分があったのだな、と苦笑した。
客室の扉がノックされ、出迎えると女中頭が要件を伝えてきた。階下で少々問題が起きたそうだ。
部屋を出る前に少女を見やる。彼女はついぞ目を覚さなかったな。残念に思いながらもどこかほっとしつつ、ホメロスは女中頭にその場を任せた。
ホメロスは目を覚ました。いつの間にか自室のソファで寝ていたらしい。
妙な夢だった。今の今まで忘れていた五年前のことが鮮明に思い出されるとは。
とはいえ、こんな夢を見た理由はわかっている。先日、とうとうホメロスの結婚がデルカダール王によって半ば強制的に決められ、今日がその相手と会う日だからだ。予定ではもうすぐここにやってくる。
いったいどんな女なのか。王からは二十一歳の貿易商の娘だとしか聞いていなかった。実家はそれなりに裕福だそうだから、金遣いが荒いかもしれない。さらに、家柄をもってしても十代のうちに縁談がまとまらなかったということは、外見か性格に難がある可能性がある。あるいはその全てを満たしてるやもしれぬ……と、なるべく最悪の想像をすることで、実際に会ったときに、思ってたよりはマシだなと感じられるように努めた。
気が進まないまま、ホメロスは身なりを整えた。あくびが出る。
二十一歳か。あの少女が十六歳前後だったとすれば、彼女も今はそれぐらいの年齢になっているだろう。すでに結婚して子供がいるとしてもおかしくはない。
扉の向こうでノックの音と、お相手の方をお連れしました、と部下の声がする。
ああ、ついに来たか。
もはや処刑台にのぼるような気分だった。大袈裟かもしれないが、今までの人生に別れを告げるという意味では同じようなものだろう。
ホメロスが返事をすると、扉が開いた。
髪も服も黒い女性が扉を開けた部下に会釈をし、伏し目がちのまま部屋に入ってくる。身体つきは華奢で、風が吹けば倒れてしまいそうだ。
とりあえず大人しそうなタイプだし、服装からして派手好きには見えない。ホメロスは少し安堵した。あとは顔だ。
女性が顔を上げた瞬間、ホメロスは悲鳴をあげそうになった。
そこにいたのは、結婚相手としてやってきたのは、あのときの少女だった。
五年の歳月は、少女を女性へと成長させていた。それでもまだ当時のあどけなさが残っていて、思わず抱きしめたくなる。
しかしそんなことができるはずもなく、さらには悲鳴をあげるのを堪えた代わりに脚の力が抜け、ホメロスはその場にくずおれた。
「ホメロス様! 大丈夫ですか……!?」
いきなり腰を抜かした結婚相手に驚き、女性がかけ寄ってきた。か細いが、澄んだ声をしている。
見開かれた彼女の瞳は灰色だった。
なにか言わなければ、とホメロスは思った。いくつもの感情が洪水のように溢れて、どれを取ったらいいのかわからない。
会えて嬉しいことより、早々に醜態をさらしてしまった後ろめたさのほうが勝ってしまった。それがすべての元凶だった。
そして、ホメロスはもっとも誤解を招く言い方をした。「ち……近寄るな!!」