五月、花の香とともに

五月一日。晴れ、時々雨。

暇だった。あまりにも暇すぎて、外を眺めながらメガネをかけている通行人の数を数えるぐらい暇だった。20人ほど数えたところで何をやってるんだろうと思ったけど、まぁ暇なので継続。現在、目の前を通り過ぎたメガネマンは23人だ。
暇すぎるのは正直、仕方ないなとは思ってる。こんな時勢だし、色々と経済的に厳しい中、花なんて買う人は少ない。多少財布に余裕のある人が僅かでも緑を求めて買ってくれるくらいだ。後は祝い事とか……?
祝い事もしょっちゅうある訳じゃないし、閑古鳥の鳴く店舗前で悪あがきもせずにのんびりと外を眺めていた。
そして24人目のメガネマンが目の前を通り過ぎようとした時だ。
「あ、すずらんだ」
無邪気な声が聞こえた。あまりにもお客さんが来ないものだから、一瞬聞こえた声が店頭を見て発されたものだと気づくのに時間がかかった。
「そっか、五月だからすずらんの季節だね」
目の前のメガネマンがこちら側に視線を向けてくれたおかげで、ようやく本業を思い出した。急いで立ち上がって表に顔を出す。
「こんにちは。何かお探しですか?」
メガネマン……もとい眼鏡をかけた青年と、活発そうな青年の二人組のお客さんだ。
「あっ、あの、“すずらんの日”って、なんですか?」
「えっ?」
聞いてきたのは活発そうな子だった。思わず聞き返せば、彼はレジ横のポスターを指さした。
すずらんの写真に、虹色ポップ体で『五月一日はすずらんの日』とでかでかと書かれている。確かあれは、スズランの販促用に適当にパワポで作った広告だ。あまりにも適当過ぎたけど、店長からはOKが出たから一応貼っている。アレがまさか集客能力を発揮するとは思わなくて、驚いて気が抜けてしまった。
「え、ああ……えと、フランスでは5月1日にスズランを贈る風習があるんですよ。なんでも、贈られた相手には幸せが訪れると。まぁ、日本じゃあまり浸透してないんですけどね」
「えー、良い風習なのに、もったいないですね」
「良かったら、どうですか?大切な人にスズランの贈り物なんて」
折角足を止めてくれた数少ないお客さんだ。ここぞとばかりに売り込んでいく。少しばかり露骨すぎたかなーなんて思ったけど、彼は少し悩んで眼鏡の彼を見たあとににこりと微笑んだ。
「じゃあ、すずらん二つください」
「ありがとうございます!」
ダイレクトマーケティング成功!早速水鉢からいい感じのスズランを見繕っていく。
「誰かにあげるの?」
さすがに即決過ぎたのが気になったのか、眼鏡の彼がいそいそと財布を取り出している彼に聞いていた。
「うん!一つはモリに!いつもいつもお世話になってるし、社会人大変そうだから……」
「空……っ!すごく嬉しいよ!ありがとう!」
「むふふふ、今度ホールケーキ食べたくなっちゃったら、俺を呼んでよ。一緒にケーキバイキング行こ!」
傍から横目で見ていただけだけど、眼鏡の彼が感極まって涙目になっていて少し面白かった。
手早く処理を済ませて、包んで手渡す。傍で聞いていてプレゼントらしいからリボンをおまけでつけた。
「どうぞ」
「ありがとうございます!はい、モリ。いつもありがとー」
「ありがとう!一生大切にする!」
「一生は……難しいんじゃないかな……」
自分もそう思う。だけど、眼鏡の彼はとても嬉しそうで、早速幸せが訪れた様子で何よりだ。
代金を受け取って、定位置に戻る。すずらんを受け取った彼らも、先へ向かって踵を返していた。
「もう一つは誰に?」
「これは……」
軽やかに弾んだ声は、歩き出した彼らと共に雑踏の中へ消えてしまった。


五月六日。曇り。

今日も今日とで人はいない。立地的には悪くないはずなのに、悲しいかなお花は中々売れなかった。
営業時間もそろそろ終わりに近づいていて、お客さんも来ないし、明日の準備を始めた。今日のおすすめポップを外して、明日用に作ったおすすめを取り付ける。軽く掃除してから、外に出していた鉢を回収しようと外に出た時だ。
どこか見覚えのある青年が、じっと店先に飾っていたカレンダーを眺めてる。しかもかなり真剣に。
「……いらっしゃいませ?」
「あっ!ご、ごめんなさい、まじまじと見て……邪魔でした?」
「いえ、全く」
閑古鳥が鳴くより、店先に人が居る方が全然いい。
「じっとそれ見てますけど、何か気になる事でもあるんですか?」
なんとなく聞いてみた。普通カレンダーだったら、自分の手帳を見ればいい。
「あ、いや、まぁ……ちょっとね」
あまりにも分かりやすい反応で、少しばかりスケベ心が疼いた。
「良かったらなんでも聞いてください。それ、作ったの自分なので」
「えっ、ホントに?」
「え、ええ……」
予想以上にいい食い付きに、少しびっくりしてしまった。
「あ、それじゃあ、ここに書いてあるお花って、なんですか?この、日付の下のやつ」
そうやって、指さされた場所を見る。カレンダーの日付の下に小さくお花の名前と、代表的な花言葉が添えられてある。
「ああ、それは誕生日花ですよ」
「誕生日花?」
彼が小さく首をかしげだ。まぁ、普通はそうなるよね。メジャーじゃないし、生花業界の陰謀みたいなものだし。
「誕生石みたいに、一日ごとに『今日の花』って感じで設定されているんですよ。例えば、六日の今日は……“アマリリス”って感じで」
店舗に置いてあったアマリリスを指差せば、彼は感心したように頷いた。
「由来はギリシャローマとか言われてますけど、自分は後付けじゃないかなーって思ってます。誕生石は輝石協会ってところが決めていて、大体統一されてるんですけどお花はそうではなくて、割とテキトーに決めてると思うんですよね」
業界的には、誕生石の人気にあやかりたかっただけだと思う。プレゼントや日々に彩りをって考えれば、誕生日花というものがあればお客さんが手に取りやすい。
だけど中途半端だなぁと思うのは、明確な規定がない事だ。ネットで誕生日花として検索すれば、どのページも紹介している花がばらばらで、当てにならない。
「でも、その季節のお花や花言葉、そのお花の持つイメージでその日に当てはまるお花が選ばれているので……花屋さん的その日のおすすめ!見たいな感じですね」
「へぇ」
珍しく真剣に聞いてくれるお客さんだったせいか、うっかり熱く語ってしまった。幸いなことに。引かれることなく最後まで聞いてくれて、少しホッとした。
彼は何か感心したように、再びカレンダーに目を落とした。やっぱり、何かあるのだろうか……。
「“素晴らしい美”……」
「どうしました?」
「あっ、いえ……ちなみに、明日の……バイモユリってどんなお花ですか?」
丁度おすすめ品を切り替えたばかりの品だった。白くて可憐な七日のお花。繊細で花束には向かないから、アレンジメント品として仕入れたばかりだった。
「こちらになります」
売れそうな気配を感じて、にっこりと笑顔を向けた。
「ひと足早いですが、オススメですよ!」


五月十一日。曇り。

花屋唯一の書き入れ時でもある母の日も終わって、いつもどおりの平穏な店内だ。お客さんは少なく、天気も悪い。そんな日でもお花は心をなごませてくれるからいいものだ。
「すいません」
「は、はい!」
カウンターでぼーっとしていて、来店に気がつかなかった。慌てて顔をあげれば、お客さんは片手に赤いカーネーションを持っている。
「これを。母の日用にラッピングしてもらえませんか?」
「あ、ありがとうございます。お預かりします」
そっと受け取って、奥のバケツで水切りをする。湿らせたティッシュで先端の処理を施せば後は包んでいくだけだ。
それにしても……今のお客さん、凄い美人だったなぁ。ラッピングペーパーを取るフリをして、ちらりと盗み見る。帽子とマスクでほとんど見えないけど、目元とか立ち振る舞いとか、所作が綺麗だ。モデルさんかな?……ここら辺、意外と芸能人多いんだよね。
自分が包んでいる間、その人はぐるりと店内を眺めていた。興味深そうに花を眺めている姿も様になる。
「珍しいですね。母の日も終わったのに、こんなにカーネーションがまだあるなんて」
「えっ、あ、はい。えと……そうなんです。うちは今日、カーネーションの日なので」
「カーネーションの日?」
一瞬、自分に聞かれているとは思わなくて、挙動不審になってしまった。彼は気になったのか、聞き返されて視線が泳いでしまった。
「ええと……そこのカレンダーにも書いてあるんですけど、“今日の花”みたいな感じで誕生花を設定しているんですよ。それでうちはカーネーションの日なので、各種ご用意させて頂いてます」
スタンダードな赤から、黄色にオレンジ、ピンク。母の日では嫌われがちな白色も用意してある。一応、今日は母の日ではないからね。
意外と母の日が過ぎてからも売れるもので、最近よく顔を出してくれるお兄さんも、早速カーネーションを買ってくれた。
「それでこんなにあるんですね。おかげで助かりました」
「助かる?」
「実は母の日に買い損ねてしまったんです。大切な人なので形式だけでもと思ったのですが、売っているところが中々……」
少しだけ恥ずかしそうに、はにかんで話すものだからうっかり落ちかけた。マジで危ない。マスクがあったおかげで致命傷で済んだぜ……。
「い、いえ……お役に立てたようで、何よりです」
結んだリボンを整えて見た目は完璧。
「袋はお付けしますか?」
「いえ、近いので結構です。ありがとう」
そう告げると、真っ赤なカーネーションを携えて彼は店を後にした。
「はへぇ……綺麗な人だったなぁ」
薄い色素に、赤い色がとても良く映えていた。そんな彼に“大切な人”と思われるなんて……きっと、幸せだろうなぁ。
そういう先をイメージして幸せのお裾分けを貰えるのは、花屋の特権だ。


五月十五日。曇り。

気になる。非常に気になる。
店舗前に出している花の前で、うんうんと唸りながらあーでもないこーでもないとうろうろしている彼が、非常に気になる。かれこれ悩み始めて数分。手元の携帯とにらめっこしたと思ったら、花に手を伸ばしては戻すのを繰り返している。
彼の名前は知らないが、最近良く顔を出してくれる常連さんで、少し前に自前で作成した今日の花カレンダーもプレゼントした仲だ。が、それぐらいだ。
声を掛けるべきか悩んで、重たい腰を上げた。
「どーしました?」
「あっ!……えーっと……ちょっと、悩んでて……」
それは見て分かる。指先をもじもじとさせながら言われると、何だか乙女みたいでいじらしい。
「何で悩んでるんですか?相談に乗りますよ?」
「と、友だちに、お花をプレゼントしたいんだけど……バラはさすがに恥ずかしい奴……ですよね?」
マスク越しでも分かるぐらいに頬を染めて言うものだから、さすがにびっくりしてしまった。
「恋人ですか?」
「ま、まさか!と、友だちです!友だち!」
想像以上の慌てっぷりに思わず邪推してしまう。知らぬ仲ではないから、失礼を承知でじぃっと疑念の目で見てしまった。視線を泳がせた彼は、照れを隠すように俯き加減でぽつぽつと言葉を零した。
「……と、友だちなんですけど……本当にしっかりもので、いつもお世話になってるから……お礼にと思ってお花をプレゼントしてて……バラはちょっと、イメージ的に照れちゃって……どうかなって」
彼が今まで買ってくれた花々の行き先が分かった気がする。初めに買ってくれたスズランもきっとそうだ。
「本当に好きなんですね、その人のこと」
「!?い、いや、好きじゃな……いや、好きだけど!そうじゃなくて……その」
慌てて訂正する様が、まるで恋する学生みたいで久しぶりに心が潤っていく。こういう純粋なお客さんに出会えた時こそ、花屋さんで働いてて良かったなぁなんて思う。
「これは花屋の商売文句なんですが、人に何かをプレゼントするのに、恥ずかしいことなんて何一つありませんよ」
指先を立てて、気持ちドヤ顔。
「確かに、バラは恋愛に必要不可欠なモチーフになってますが、“愛”以外にもいろいろあるんですよ。黄色は“平和”や“友愛”。緑は“希望”。バラは、他にも本数や花の状態なんかで意味合いが変化する特別な花なんです」
刺や枝葉にも意味が有るとか無いとか……。
「あ、それは俺も調べてみました。なんかめっちゃいっぱいあって悩んじゃって……」
悩みながら携帯と見比べていたのは、花言葉を調べていたのか。
「花言葉ってとても便利なんですよ。気持ちの代弁にも使えるんです。言葉にするのが恥ずかしい時とか、伝えづらい感情でも、お花と一緒に渡すのは簡単でしょう?」
恥ずかしさで自分の気持ちに蓋をしてしまう前に、少しでもハードルを下げて照れくさい気持ちをほぐせれば、花屋冥利に尽きる。
彼は再び携帯と向き合って、そして一輪のバラを手に取った。
「これ、ください」
「……一輪でいいんですか?」
バラは本数でも意味がある。当然、インターネットを漁っていたなら知っているはずだ。
「たくさんあっても、貰う方は大変かなって……」
彼はぽりぽりと頬を掻くと、困ったように微笑んだ。
「それに、友だちですし」
その一言に、心のどこかが締め付けられた。どんな表情をして言ったのが気になったけど、気持ちはマスクの下に覆い隠されて分からない。
少しだけでも、彼の気持ちが相手に伝わればいいと、願った。
自分は所詮、ただの花屋だから。できることは、それだけだ。


五月二十一日。晴れ、時々曇り。たまに雨。

今日はとてもはちゃめちゃな天気だった。朝は晴れてたのに、途中から曇って雨がぱらついて。外に出していた花を中にしまい直したり、なかなかに忙しい日だった。
それでも、やることはしっかりやった。明日はとてもとても大事な日だから、自分の出来ることを詰め込んだつもりだ。
三日ほど前、いつもの常連の彼がやって来て、花束作成の予約をしてくれた。聞けは、彼の大好きな友人の誕生日で、今までのようにお花をプレゼントしたいのだと。それはもうやるしかない。メインの花は決まっていたから、後はそれをどう魅せるか。腕の見せどころだ。
数日前から色んな花を組み合わせてレイアウトに悩んでいたが、結局は白と新緑でシンプルに揃えることにした。気に入ってくれるといいけれど。
約束の時間少し前に彼は来た。片手に下げた紙袋はプレゼントだと思う。既に緊張してるのか、少しだけぎこちない動きに穏やかな笑いがこみ上げてくる。
「あ、あの、出来てますか?」
「出来てますよ。ちょっと、待っててくださいね」
水に晒していたそれを取り出して、茎の処理をしてから包んで渡す。
「喜んでもらえるといいですね」
応援のつもりで、ガッツポーズをすれば、何故か彼は頬を赤く染めた。本当に、告白前の少年みたいだ。
「……喜んでもらえる、かなぁ」
花束を両手で持って、もじもじと焦れる姿が愛らしい。
「大丈夫ですよ。そうやって、気持ちを込めてくれるだけで、貰う側はとても嬉しいと思います」
不安そうに揺れていた瞳が徐々に上がっていく。
「よし……俺、頑張ります!店員さんも、色々と相談に乗ってくれてありがとうございました!」
にこやかな笑顔で返してくれた彼を見送って、店を閉めた。今日の営業はもう終了。
明日は絶対上手くいく。五月の初めから、ずっと想いを届けてるんだから。絶対、通じるはずだ。
少しだけむず痒いこの瞬間が、痛いほどに愛おしいと。そう、思う。


五月三十一日。快晴。ときどきにわか雨。

相変わらずの、平和な一日だった。
気温はほとんど夏のように熱くて、真っ青な青空の奥には夏のような真っ白の雲が高く積まれていた。もう、春も終わりだ。
眩むような青に目を細めながら、そういえばと思い出した。前に良く来てくれた彼はしばらく見ていない。大切な人の誕生日はうまくいったんだろうか……いや、うまくいった筈だ。
初夏の暑さにうんざりして、半ば遠くへ思いを馳せながら溶けていた時だ。
「こんにちは」
「あっ、はい。こんにち……」
思わず声を失った。お客さんが来たから挨拶を返そうと顔を上げたら、とんでもないイケメンが目の前にいる。キリッとした涼やかな目元に、さらっさらの金髪。股下5mか?って程のスタイル抜群のイケメンが、自分に声をかけているという事実があまりにも非現実的だった。……あれ?待って欲しい、なんか見覚えがある気がする。どこだろう……。
「少し、伺いたいんですが」
「へっ!?あ、はひっ!な、なんでしょう!?」
挙動不審が過ぎて今すぐ埋まりたい。不審人物に慣れてるのか、この人は顔色ひとつ変えずに穏やかなまま続けた。
「とてもお世話になった人に、お返しがしたいのですが、丁度良いお花はありますか?」
「……お返し?」
その言い方が少し気になった。失礼だと思った時には口から言葉が飛び出ていて、後悔してももう遅い。
見た目が綺麗な人は心まで綺麗なのか、不快な顔一つせず答えてくれた。
「実は少し前、俺の誕生日でして……五月中、たくさんの花を頂いたので、こっそりお返しをしたいな、と」
その瞬間、自分の中で全てが繋がった。
常連の彼が足繁く通って、頬を染めたり、悩ませながら花を贈っていた相手が、恐らくこのイケメンだ。
そんなイケメンは今度は彼のために花を贈りたいと来店した。
それは……なんというか、とても、とても嬉しい。
自分のことじゃないのに、どきどきとして胸の奥が熱くなる。そんな彼とは未だ“友だち”のままなのだろうか。気にはなるけど、さすがにそれは野暮ってやつだ。
ちらりとカレンダーを見た。今日は5月31日。
すぅと息を吸って、立ち上がった。
「オススメの花があるんです!」

ただの花屋に出来ること。それは、ほんの少しだけ、気持ちを伝えるお手伝いをすること。
今日もまた、気持ちを伝える一つのきっかけになれば、幸いだ。


5/31 ラグラス/感謝
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