◇短編
ざあざあと雨が強く地面を叩き、空は黒い雲が立ち上がりごろごろと隙間から雷が喉を鳴らしている。僅か一刻前まで、青空が見えていたとは思えない程、空模様が変わってしまった。
そんな月野神社境内のお庭で、初夏の心地よい風を浴びながらお昼寝をしていた俺は、突然降り始めた豪雨に叩き起こされて、急いで社務所に逃げ込んだ。突然現れた黒雲はがらりと一瞬で空模様を変え、一寸先すら見えづらい程の篠突く雨を天から振り落した。雨に打たれていた時間は短いのに鼻の頭からしっぽの先までびしょ濡れになってしまった。自慢のしっぽは裂け目まで雨がしみ込んで、かなり不快。
季節の変わり目、梅雨の走りにこういった天候の変化は多く諦めもつくとはいえ、天空の事象に関わりの深い……それまたふか~い人物が身近にいるからこそ、この憤りを逃せずに時折光る黒雲を睨みつけていた。
濡れた毛並みを整えながら注意深く黒い空を見ていると俺の予想どおり、轟音を立てながらそれは落ちてきた。一瞬視界を白く染めて、激しい音と共に地面を震わせる。そして何事もないようにそいつは顔を出してくるに違いない。
「やっほー元気?」
ほらね。間の抜けた声で、見覚えのある雷さまがやってきた。
「元気そうに見える?」
「あっちゃあ……びしょぬれだねぇ……濡れ鼠ならぬ濡れ猫」
「誰のせいだと!来るのは構わないけど、雨雲連れてくるのやめてよね!」
「この時期は仕方ないじゃん?雨雲溜まりやすいし?定期的に落とさないと」
天界のそこら辺の事情は、俺たち妖怪には知ったこっちゃない。毛を逆立てて威嚇しながら抗議してみたけれど、望は気にも留めてない様子で懐から手ぬぐいを取り出した。嫌な予感がしながらも望の動きを観察していれば、望はその場にあぐらをかくとぽんぽんと自身の膝を叩いた。どうやらその手ぬぐいで濡れた俺の身体を拭く魂胆らしい。
「おいで、空」
「え、やだ」
「なんで!?」
「だって望、力強いもん。絶対めちゃくちゃにされそう」
俺だって人のことはあまり言えないけど。ノリと勢いだけで力任せに突っ走る事に定評のある望だ。絶対に余計なことまでされそうで怖い。あと、力強そうで怖い。なんかもう、良く分かんないけど怖い。
態度から俺の気持ちが伝わったのか、望はどこか不服そうに眉をひそめて頬を膨らまし、意外な事を呟いた。
「そんなことしないよー。意外と撫でるの上手だねって、褒められたことあるもん」
「……褒められた?誰に?」
「廉に」
「れんきゅん!?」
「あと、昂くんさんのしっぽも、なでなでさせてもらった。筋が良いって」
「昂くんも!?それは羨ましい!」
「つるふわさらしこだった」
「羨ましいっ!」
望となんだかんだと仲のいい廉はまだしも、天界の御曹司昂くんはずる過ぎる。天界特権も良いところだ。俺だって金色のふわふわを堪能したい。
「ねぇだから、お願い~!手ぬぐいで水気取って、櫛で毛繕いさせて~!」
望の懐から手ぬぐいだけでなく、歯の広い櫛まで出てきた。そこまでくれば望の魂胆も分かってくる。最強可愛い俺をもふもふしたいんだろう、そうだろう?
正直望だけだったら断っていたけど、廉きゅんと昂くんの名前を出されては無下に断れない。わざとらしくため息をついてから、変化を解いてキュートな猫の姿へと戻った。
望は猫の俺を見ると分かりやすく喜んでくれて、俺が収まりやすいように姿勢を整えて軽く膝を叩いた。渋々身体を伸ばしてから、その膝の上に収まってやる。
「痛くしたら直ぐに逃げるからね」
「大丈夫大丈夫。俺、意外とこういうの得意だから」
そして頭上から、手ぬぐいと一緒に、大きな手のひらが降ってきた。
これは誠に、誠に不服な事だけれども、確かに望の手腕は悪くない。雷さまだからなのか分からないけど望の手のひらは暖かくて、あれだけ濡れていた毛はあっという間に乾いてしまった。そのまま気持ちの良い所を撫でられながら、櫛で毛並みを整えて貰えればだらりと力は抜けきってしまって、今やあれだけ嫌がっていた望の膝の上で腹を上にして伸びきっていた。
ちらりと望を見てみると、換毛期の残りの毛刈りに夢中なのか、真剣な眼差しで俺の腹を梳いている。この調子だと、解放される頃には中途半端に残ってた冬毛も綺麗さっぱり無くなって、スマートでつやつやな空くんが仕上がるはずだ。
俺は望にされるがままに撫でられていて、さすがにうとうととしてきた時だった。胴を両手で捕まえられて、突然の宙ぶらりん。それにはさすがに驚いて、眠気もすっと引いていく。
状態を確認するように、望は俺を持ち上げたまま、じっと舐めまわすように鼻の頭からしっぽの先まで視線を滑らせていた。
「の、望?終わったの?」
「んー大体大丈夫かな」
大丈夫という割には俺を解放してくれないし、いつもにこにことしてる望にしては珍しく、真面目な顔で俺を見てくる。何か気になるところでもあるのかな?しっぽを振って確認しようとした時、突然視界が反転した。
一瞬驚いたけれど、これは何度か体験したことがある。ご隠居さんの娘さんが来た時とか、猫好きのお客さんが来た時とか……ああ、うん……その、いわゆる猫吸いって奴だ。天界は知らないけど、人間界の巷では絶賛流行っているやつ。
頭をもぞもぞと動かして周辺を確認すると、想像通り視界のすぐ下に望の赤毛がちらついた。お腹の辺りに生暖かい吐息も感じる。うん、ガッツリ吸われてる。
「え、なに、怖い」
爪を立ててもいいけれど、望に抱かれてる状態で爪を立てたらびっくりした望に潰されてしまいそうだから、軽く肉球で頭をバシバシと叩く。最初は唸るだけで全然解放してくれる様子もなかったから、二本のしっぽも含めてバシバシと抗議をすると、渋々といった体で頭をずらして、そしてようやく望の顔が見れた。
その表情はどこか満足げで、妙にイラっとする。
「望くん?何してるのかな?」
「いや、これから夏になるし、暑くなったら暑いって抱かせてくれないじゃん」
なんだか呆れてしまった。まさかとは思うけど、突然の毛繕いの原因はこれがしたかったから?
「涼しくなるまで我慢してよ」
「秋口になったら、静電気で嫌だって言うし……」
「雷さまなんだからそこは潔く諦めて」
「やだ、冬まで遠い!」
「ぎにゃ」
再び抱きついてきた望の頬を肉球で押し返すけど、力の強い望に負けてぐにゃりと身体の方が曲がった。身体が柔らかくて良かった。
「どうして今更そんな我がままを……神さま感覚からしたら一年なんて一瞬じゃん」
「だって、夏の足音が聞こえてきたから」
確かに、水無月に入ってから空気はすっかり夏めいていた。晴れた日の空はだいぶ高く、気温も段々と上がっているようで、ネズミを追って駆けまわると汗ばむぐらいだ。神社鎮守の森も新緑と濃緑が混ざって来ていて、梅雨が来ればもっと緑は深く染まるだろう。
初夏は既に始まっていて、本格的な夏がやってくるのはきっと直ぐだ。
「夏がくるな~って思ったら、ちょっと寂しくなっちゃって……なんでだろね」
そう、ぽつりと零した言葉に、なんて返したらいいのか分からなくなってしまった。望のその感覚は、分からなくはないから。逆に神さまでもそんな感覚になるんだなって、すこし新鮮。望だからかもしれないけど。
そういう事なら、突然の猫吸いも許してやってもいいかなって思った矢先だった。がばりと望が顔を上げた。その表情はいつものようににっこりと笑っていて、先ほどまで感じていたしんみりさは消えている。
「だから急いで空に会いに落ちてきました!」
「それで俺、濡れちゃったんだけど!?」
「お詫びに乾かしてつやつやにしたよ?」
「望が抱きしめてくるせいで、既にくしゃくしゃだから」
ごめんごめんと言うくせに放してくれないところ、とても望らしい。
「はぁ……思いのほか撫でるのが上手だったから、今日のところは許してあげる」
「わーい!やったー!もふー!」
「ぎゃー!」
ぐりぐりと頬を擦りつけられて、時期が時期なら静電気でバチバチしてるはずだ。その点に関しては雨が降ってて良かった。
俺のお腹に顔を埋めてもふもふを堪能してる傍ら、背中側に回された手が耳の間をかりかりと搔いてくれて悪くはない。どちらかといえば気持ちよくて目が閉じる。う〜ん、なんて俺は単純なのか。
「ねぇねぇ、これからももふもふしに来てもいい?」
「え〜……静電気が発生しなくて、寒いときに来て」
「やっぱり冬じゃん!」
今のうちに堪能しとこと、再び腹毛に沈んだ望を横目に、大きくため息をつきながら未だ雨の降る外をぼんやりと眺めた。まさに
別に、俺が人の姿の時はくっついても良いのになぁ。なんて、思っても言葉にはしない。
だって、俺は猫だから。寂しくなったら、俺の方からくっつきに行こう。
呑気に欠伸をひとつかくと、望も釣られたのか大きな口を開けた。
どうせ急がなくても夏はくるのだから、雨に叩き起こされた分寝直そうと思う。今は静かな雷さまの腕の中で。
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