Ⅰ.砂上の夢

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ふと何となく目が覚めた。二度寝するって、気分でもなく、何の気なしに部屋を出た。誰もいない自分一人の世界というのは、言葉に出来ない甘美な悪戯だ。
誰もいない廊下を、静かにくるくると回って歩いたり、普段は出来ないことをしてみたいななんて思ってみたり。それでも、結局は何も出来ないんだけど。
涼くん曰く、音楽にステータスを極振りしちゃったんだから、大人しくしてて! ってね。
夜だからピアノも弾けないし、歌も大きな声では歌えない。夜中だと極振りしたステータスも無用の長物だ。
素直に暖かい紅茶でも飲もうと共有ルームにやってきたら、思いもよらない人がいた。
「おや? 衛じゃないか」
「昂くん!」
共有ルームであるリビングで、我らがリーダー昂くんがソファーに座っている。しかも、いつも礼儀正しいあの昂くんがソファーの上に足を乗せて座ってる。そう! ソファーの上で体育座りだ!
更に言えば、そのパジャマの上に羽織ったカーディガンは少し大きいのか所謂萌え袖というやつで、その両手でマグカップを持っていた。一体どこの誰へ向けたアピールなんだ! でも、昂くんの凄いところはこれが素なんだよ。
そんな俺の内心の高まりを余所に、昂くんはいつもの王子様スマイルで微笑んできた。
「どうしたんだ? 眠れないのか?」
「えっと、ちょっと目が冴えちゃって。お茶でも飲もうかなって。昂くんは?」
「俺も衛と一緒だ」
そう笑って答える昂くんはいつもと変わらない。変わらないんだけど……
膝を抱える昂くんの隣に座る。普段の昂くんは仕事以外だと夜更かしはしないし、膝を抱えるなんて滅多にない。それに、昂くんのファンの俺にはその王子様スマイルはテレビの向こうのファンに向けてるものと一緒だって、それぐらい簡単に分かる。そう、お兄さんには全部お見通しなのだ。
俺も優しいお兄さん的な笑顔でにこにこと昂くんを見ると、昂くんも観念したのか吹き出すように微笑んだ。
「全く、衛には適わないな」
「これでも、お兄さんだからね」
胸を張る。これが音楽しか取り柄のない俺の役得。極々たまーにやってくる年上としての特権だ。
お茶を淹れようとした昂くんを制して、持ってるマグを迅速に回収。ささっとお茶を淹れてリビングに戻った。これも、昂くんと生活して身に付けられた技の一つだ。
昂くんは素直に待っていてくれた。
「さて、怖い夢でも見ちゃったのかな?」
冗談めかして言ったのにまさか当たってしまったのか、昂くんはびっくりしたように目を見開いた。
「驚いたな」
「えっ、本当に?」
「なんだ、適当に言ったのか?」
昂くんは俺らしいとくすくす笑う。そして、ポツリと話し始めた。
「前に夢日記の事を話してくれただろ?」
「あれ、そんな事話したっけ?」
俺が忘れているだけかもしれないけど、記憶にはない。昂くんは何を言っているんだと、いつもの調子で微笑んだ。
「自分のみた夢を記録するっていうので、面白そうだと試してみたんだ」
「昂くんがそういうのに乗り気になるなんて、珍しいね」
「ああ、まぁ……な」
笑ってはいたが、なんだか歯切れが悪い。たまに想像もつかないような無茶やったりするけれど、自分の判断に自信があってやっている場合が多くて、こんな感じに悩んでいるところは本当に珍しい。
「どうも夢見が悪くて……酷く疲れるんだ……」
「疲れる?」
「毎日毎日同じような夢を見るんだ。それを夢日記に記録していて、夢が繋がっていることに気が付いて……」
「こ、昂くん……?」
「……聞いて、くれるか?」
こんなお願いをしてくるなんて、正直かなりびっくりした。昂くんが素直に甘えてくれるようになっただけ……そう、思いたい。
俺は小さく頷くと、余計な茶々は入れないで黙って耳を傾けた。静かなリビングに、昂くんの透き通るような声がゆっくりと落ちていく。この夜中の薄暗い空間に、一音、一音、沁みていくようだ。
昂くんの夢は凄かった。まるで俺の曲みたいで、深い深い物語がそこにはあった。

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俺は一国一城の主人だ。……主人というにはまだ未熟で、理解したつもりの事も多いだろう。日々勉強だと、痛感している。そんな俺の国は砂が吹き荒ぶ小さな国で、周辺を砂漠に囲われている。この国は、近隣諸国に対する僅かな資源と工芸品の貿易で成り立っている。いや、成り立っていた。
ある日、国王である父が死んだ。遺言によって、長子である俺が国を引き継ぐ予定になっている。
だから、この小さな国は今は俺の国。王宮のベランダから外を眺める。夜風が頬を撫でて、街の匂いを届けてくる。遠い潮の香りと、砂の香り。そして、血と肉の焼ける匂い。近くで火の手が上がって、鼻先を黒煙が掠めていく。
「コウ、そこから離れて」
「ああ」
背後の室内から届いた声を聞きながらも、市街から目を離さない。いや、離せない。少なくとも、今だけはこの国の最高責任者だからだ。
そんな俺の視線の先に、声の主が割り込んできた。赤味が強いブラウンの瞳が、キッと俺を睨みつける。緩やかなウェーブがかかった色素の薄い髪が、少しだけ乱れている。きっと、急いでここに走ってきたのだろう。
「コウ」
もう一度名前を呼ばれた。有無を言わさない、強い一言だ。そもそも、こんな状況下だ、無理やり引き剥がされてもおかしくない。
「分かっているよ、リョウ」
自分にも言い聞かすように、そっと眼下の地獄から目をそらした。
室内に戻ると、即座にリョウが窓とカーテンを閉める。どこで誰が狙っているか分からない。せわしなく動くリョウに声をかけた。
「状況は?」
「襲撃犯は現在、大広間までやってきている。ここまで来るのは、時間の問題」
俺に説明をしながら、リョウは室内にあるランプの火を手際よく消していく。
リョウは俺の良い友人として、いつも一緒にいた。ただ今は、俺の護衛としての本来の仕事を正確にこなしている。淡々と、報告を続けた。
「主犯は故国王の叔父だ。自分に王位が回ってこなかったから、反体制派を率いて反乱を企てた」
「本当に叔父なのか?」
「見てきた」
「……そうか」
薄暗い室内で、隠していた弓矢やナイフをとって、動作チェックを行なっては手際良く身につけていく。
リョウの言う「見てきた」というのは例の宮殿の大広間まで見に行ったんだろう。リョウは自分で見たものしか信じない。だからこそ、俺はリョウの事を全面に信じている。リョウが“そうだ”と言うなら、それが正しいのだろう。ならば
「市街のアレはなんだ?」
市内で起きている爆発は……あの惨劇は一体何が起きている。
「正確には分からない。ただ、ケンが言うには素人の動きじゃない。あれは訓練された動き……言うなれば軍隊だって」
「軍……ケンは?」
「客人を保護しに行ってるよ。きっと、この騒ぎで泣いて喚いているだろうからね」
「良かった、ありがとう」
リョウは護衛官の険しい顔から友人の顔に戻ると、花がほころぶようにふわりと微笑んだ。
「当たり前でしょ」
ちょうど部屋の扉が広く。素早い動きでリョウが矢を引き絞った。
「わぁ、待った待った!」
「マモル!」
豪奢な扉から顔を出したのは、俺や官吏のリョウとは違って纏っている布は古く、緩い装いで明らかな“部外者”だと分かる。マモルはこの国に流れてきた旅人で、背中に異国の弦楽器を背負ってこの国にやってきたところを、まだ父さんが在職中に俺が気に入って招いていた客人だ。
そんなマモルは涙目で俺の懐に飛び込んできた。
「わあああ! コウくん平気? 大丈夫? 何があったの? お外でドーンって!」
「マモル、落ち着いて、大丈夫だから」
案の定、この状況で混乱しているようだった。肩に手を置いて目線を合わせてやる。大丈夫大丈夫と言い聞かせるように肩を叩けば、少しづつ落ち着いてきたようで、自分のペースを取り戻した。
「みんな揃ってる?」
次に扉の影から身を滑り込ましてきたのは、リョウと同じ護衛官のケンだ。長剣を抜き身で持っている。悲しい事に使ったのか、刀身についていた血油が外の火灯りに反射してぬらりと光っていた。
「ここはもうダメだ。籠城しても、すぐそこで火の手が上がっている。逃げるしかない」
「逃げるって、どこへ逃げるつもりなんだい? ここまで敵の侵入を許したとなれば、逃げる場所なんてどこにもないだろう」
「じゃあ、ここで殺されるのを待ってろっていうのか?」
「そうは言ってない! 考えなしに動いても無駄だと言ってるんだ」
「ああ、こんな時に喧嘩はダメだよ!」
リョウとケンが言い合って、マモルが仲裁をしようとして失敗する。これが食事や音曲の話題だったらどんなに良かったことか。一つ大きく息を吐いて、覚悟を決めた。
「分かった。ここは逃げよう」
言い合っていたリョウとケンが一瞬で黙って頷いた。
「俺が生きている限り、この国を国賊に手渡すわけにはいかない。まずは生存を最優先に、友好国の風の国まで向かう」
「風の国か……結構距離があるけど、1番近い隣国はダメなの?」
ケンが首を傾げる。
「今回の件、どこの軍だかは分からないがソレが動いているということは、国内だけの騒動とは思えない。国外からの介入があったとすれば、一番怪しいのは隣国だろう。状況を見るに頼ることは出来ない。一番信頼出来るのは風の国のソラだ。せめてそこまで行きたい」
言いながら机に向かって、閉まっていた地図を広げた。距離はあるが、このまま東へラクダで三日程走れば問題なく着くだろう。
「ケンは先に行って足を用意してくれ。いつもの町外れで落ち合おう。リョウは先行して多少遠回りでも安全なルートを」
「待って」
腕を組んで話を聞いていたリョウが口を挟んだ。眉間にしわを寄せて、不服そうにしている。
「それって、コウとマモルを残して先に行けって事だよね?そんな危険な作戦には賛成できない」
「俺も、リョウに同意見だ。俺たちは王さまである、コウを護る任務がある。たとえ脱出の為だとしても、みんなで一緒に行くべきだ」
この二人の事だ。そういう批判があるのは想定していた。俺は黙って机の下に固定していた刀を取り出す。中程度の扱いやすいサイズの物だ。非常時にと、用意していた。
「自分の命ぐらい、自分で守れる。それに、これは二人の技量を信じて立てた作戦だ。ケンはたとえ一人でも無傷で目的を達成出来るし、リョウは適切なルートの取捨選択が可能だと確信を持って言える」
そう言っても、少しだけ心残りがあるのか、二人の表情は晴れない。頭を振って、俺の護衛官ではなく、“大切な親友”に「お願いだ」と心の底から言えば、二人は顔を見合わせてくすりと笑った。
「コウにお願いされたら、やるしかないよな」
「……そうだね、やるしかない」
幼い日に三人で悪戯を画策した日を思い出した。あの日からはだいぶ経ってしまったけれど、“どこまでもついて行くよ”と微笑む表情は変わらない。
「んじゃ、お仕事しますかっと! 先に行って待ってるからな!」
ケンは元気よく身を翻して、窓のカーテンの隙間から飛び出していく。
「ケンは相変わらず騒がしい。……俺も先行する。合図があるまで、ここで待ってて」
リョウは素早く、それでいて音も立てずに扉の向こうへ消えていった。
「ね、ねえ、俺は? 俺は何をすればいい?」
黙って俺たちを見守っていたマモルが、ようやく口を開いた。半ば必死で、机の影から何か出来ないかと聞いてくるマモルが、まるでお手伝いをしたいと駄々をこねる子供のようで思わず吹き出してしまった。マモルはどうしてこうも簡単に、俺から緊張感を奪い去ってしまうのか。
「マモルは俺の後ろから決して離れるな。そして、本当に危なくなったらこれを使ってくれ」
父が亡くなってからいつも持っている、守り刀を差し出した。小さな小刀だが、身を守る分には十分だろう。
「え、でも、これってコウくんの……」
「いいんだ。マモルが持っていてくれ」
マモルが何かを言いかけたとき、タイミングよくリョウがやって来た。マモルにはそれでいいと伝え、足早に部屋を出た。それ以上マモルは何も言わなかった。

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そこで昂くんはキリ良く、少しぬるくなってしまった紅茶を舐めるように飲んだ。
想像を超えた世界が広がっていて、思わず無い唾を飲み込んで、喉が渇いていることに気付いた。昂くんに倣って紅茶を飲む。
「なんか、凄く壮大な夢だね……。昂くんが王子様ってあたり、すっごく分かる」
「はは、俺的には衛が旅人なのがしっくりきてる」
「出会い的には間違ってないもんね」
「全くだ」
カップに残った紅茶を飲み干した。少し出しすぎたのか、ちょっとだけ渋い。
「それで、夢の中の俺たちはどうなったの?」
「俺たちはちゃんと無事に逃げ切れた」
「夢の中の王様昂くんが信じた通りだったね」
昂くんは心なしか嬉しそうに「お前たちなんだから当然だろう」と言い切った。無条件で信じてくれるのが昂くんらしいと微笑ましくなった。
「それで、空くんの……風の国には着いたの?」
「いや、実はまだ道中で砂漠の真ん中なんだ。今夜がその道中二日目になる」
「ええと、王様の話だと三日間走ってたどり着けるんだよね?じゃあ、今夜か明日には空くんのところだね!」
「だといいんだが……」
昂くんの表情に影が落ちる。きっと今夜の昂くんが寝れない原因がここなんだろう。
「何かあったの……?」そう聞いてみれば、虚空を睨むように鋭い目付きで昂くんは言った。
「嫌な予感がするんだ」

そしてすぐに少しだけ申し訳なさそうに笑うと、寝ないわけにはいかないからと言って自室に戻っていった。その表情に、さっきの険しさは感じられなかった。
珍しく残された二人分のマグを洗って、俺も自室に戻って素直に寝た。何も、考えないように、そっと目を瞑る。
そういえば、珍しくマグを割らなかったなぁ。
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