◆短編
いくら天に向かって腕を伸ばそうと、大空の全てを手に入れることは叶わない。
それは万物の全てにおいて例外はない。足掻いたところで指先は空を掠め、悠然とそこに在るのだと。
そう、思っていた。
「こーくん!おはよーございます!」
司令本部のエントランスで案内係と書かれた腕章をつけた空が、俺の姿を認めるなりにこやかに手を振ってきた。軽く返しながら空の方へ向かえば、空も収まっていたカウンターから出てぱたぱたと賑やかな足音と共にやって来る。
「おはよう、空。身体の方はもう大丈夫なのか?」
「全然へーき!戦うのは……まだダメだけど、身体も動くようになったから」
そうにこやかに語る空を見ながら、俺は在りし日を思い出しながら小さく微笑んだ。
空が退院して本部の受付係として働く事になった話は、すぐさま全部隊を駆け巡った。
それはそうだろう。かつて蒼帝として最前線を張っていた固有銘持ちが、今や最後方の司令本部にいる。本部付きといっても指揮官などではなく、受付係だ。
賛否両論色々とあった。その不可解な人事は様々な憶測を呼び、一部の噂好きの間で陰謀論まで出てくる始末だった。
結局の所、本人たっての希望というのが一番の理由だ。空も受付の仕事は性に合っているらしく、輝かしい笑顔を見せてくれている。
「まだ病み上がりだ、無理は禁物だからな?」
「分かってるよ。昂くんは心配性だなぁ。そこがいいんだけどね」
にひひと隠さずに笑う空を見て、俺は心のどこかで空が怪我をして良かったと、そう思っている自分に気がついた。もう空が最前線で戦うことはない。戦って傷ついたり、苦しむことはないんだ。
あの灰色の戦場で、決して届かないと思っていた青空は、今は手の届くところにいる。その気になれば、腕の中に包み込む事だって出来るのに。
それなのに、どうしてか胸がざわつく。これでいいはずなのに、心のどこかでそれを否定している。
どうやら俺は変な顔をしていたらしい。不思議がった空が俺の顔を覗いてきて、現実に引き戻された。俺はどうにか取り繕うように会話を続けた。
「そう言えば、空はどうして受付係になったんだ?空ほどの実践経験があれば、訓練官や調査班にもなれただろう」
「ああ……やっぱり気になる?」
どこかバツが悪そうに頬をかくと、空はすこし遠くを見つめて小さく微笑んだ。
「もう戦場には立てなくても、ここなら必ずみんなに会えるでしょ?」
胸の中のざわめきが大きくなった気がした。
在りし日に、病室で見た空の悲しげに微笑む表情が重なった。ヘマしちゃったと、おどけるように笑いながらも、その白いシーツの下は包帯で包まれた惨たらしい傷があるのだろう。あの蒼帝が再起不能になるほどの傷だ。決して、笑えるようなものではない。
俺は、未だあの病室で見た空の表情が忘れられないでいた。
「正直なところ、ずっと刀だけ握ってきたから、この後何をすればいいのか分かんないんだ」
空はじっと自分の手のひらを見つめた。人差し指と親指の間は蛸が潰れて固まったのか、赤黒く変化している。長く柄を握っていた跡だろう。これは、戦う者の手のひらだ。
その指先はふるふると震えていて、袖口からは生々しい包帯が覗いている。空の怪我が完治には程遠い状態だというのはひと目で分かった。
「空、まだ」
「昂くん、俺は、何もできないのが嫌なんだ。……みんなが戦っているのに、何も出来ないまま寝ているだけなのは、嫌」
俺の言葉を遮るようにして、空の言葉が響いた。
「だけど、今の俺が戦線に復帰したところで、なんの役にも立たないのも分かってる。だから、ここがいいってお願いしたんだ。ここならみんなを見送れる。“いってらっしゃい”って。そして“おかえり”って迎えたい」
空の手が握り締められた。俺を見上げるその表情は以前の空と何も変わらない。明るい笑顔で俺を見つめている。
「たしか、昂くんはこれから任務……だよね?」
「あ、ああ」
ついさっき、上層部との引き継ぎで次の指令を受けてきたばかりだ。少し前まで最上位クラスにいた空のことだから、俺が上に呼ばれた理由も、大体のことは検討がついているんだろう。
「俺はずっとここにいるから、必ず帰ってきてね」
そして受付係らしくにっこりと微笑むと小さく手を振った。
「“いってらっしゃい”」
*
今日はとてもいい天気だった。エントランスホールから出た直後、飛び込んできた陽射しに目が眩んだ。たまらず覆った指の隙間からはどこまでも高く、透き通るような青色が覗いている。
今回、本部に来れて良かったと思う。新しい居場所で元気よく働く空を見れたから。
正直受付の仕事は、空の人懐っこい性分にとても良く合っていると思う。元最上位クラスの空なら本部の中なんて熟知しているだろうし、不審者が来たところで片手間で片付けられる。それに蒼帝として様々な任務を請け負っていた空なら、相手の内容を少し聞いただけで適切な部署を案内できる。そう考えれば、下手な人を雇うよりも十二分に効果的だ。
……そうやって、空なら大丈夫だと自分を納得させるたびに、腑の奥底へ言葉に言い表せないわだかまりが溜まっていく。大きく息を吐いても、減ることはなくて、一層自己を主張してくる。
ソレは空が怪我を負い、蒼帝としていられなくなったと聞いた時から顔を出した。今日に至るまで俺を苛んできたその正体が、つい先ほど分かった。
俺はきっと、寂しいんだろう。
一度理解してしまえば、俺の中に溜まっていたソレが馴染んでいく気さえした。
かつて俺は、胡乱なリグレットが徘徊するモノクロの戦場で、天を裂くような青を見たことがある。人のマイナスな感情から生まれるリグレットの放つ気は、重くおどろおどろしいのが常だが、それすらもなぎ払うような晴嵐が背を押して、哀れにも彼らは霧散していった。
その、青の中心に空はいた。静かな微笑みを湛えながら、空は大地を滑りながら刀を振るった。それはまるで踊るようで、気が付けば俺も釣られるように刀を動かしていた。
不謹慎な話だが、当時の俺はとても楽しかったんだ。戦場にいて、一歩間違えれば命のかかった取り返しのつかない事なのに……俺は、空と一緒に戦えるのが楽しかったんだ。
もう二度と、空と一緒に同じ場所には立てない。
頭の中では空が戦場を離れることで傷つくことが無いと喜びながらも、心の奥底では一緒に戦えない事を嘆いてる。そんな矛盾が俺を圧迫していた。
あの空の“いってらっしゃい”の言葉が、もう蒼帝とは会えないと突きつけられたような気がして。
思い出したように瞬きをすれば、日差しで焼いてしまったのか、瞳の奥がツンとした。
俺たちに、留まっている時間はない。司令本部に背を向けて、一歩、歩き出した。
それは万物の全てにおいて例外はない。足掻いたところで指先は空を掠め、悠然とそこに在るのだと。
そう、思っていた。
「こーくん!おはよーございます!」
司令本部のエントランスで案内係と書かれた腕章をつけた空が、俺の姿を認めるなりにこやかに手を振ってきた。軽く返しながら空の方へ向かえば、空も収まっていたカウンターから出てぱたぱたと賑やかな足音と共にやって来る。
「おはよう、空。身体の方はもう大丈夫なのか?」
「全然へーき!戦うのは……まだダメだけど、身体も動くようになったから」
そうにこやかに語る空を見ながら、俺は在りし日を思い出しながら小さく微笑んだ。
空が退院して本部の受付係として働く事になった話は、すぐさま全部隊を駆け巡った。
それはそうだろう。かつて蒼帝として最前線を張っていた固有銘持ちが、今や最後方の司令本部にいる。本部付きといっても指揮官などではなく、受付係だ。
賛否両論色々とあった。その不可解な人事は様々な憶測を呼び、一部の噂好きの間で陰謀論まで出てくる始末だった。
結局の所、本人たっての希望というのが一番の理由だ。空も受付の仕事は性に合っているらしく、輝かしい笑顔を見せてくれている。
「まだ病み上がりだ、無理は禁物だからな?」
「分かってるよ。昂くんは心配性だなぁ。そこがいいんだけどね」
にひひと隠さずに笑う空を見て、俺は心のどこかで空が怪我をして良かったと、そう思っている自分に気がついた。もう空が最前線で戦うことはない。戦って傷ついたり、苦しむことはないんだ。
あの灰色の戦場で、決して届かないと思っていた青空は、今は手の届くところにいる。その気になれば、腕の中に包み込む事だって出来るのに。
それなのに、どうしてか胸がざわつく。これでいいはずなのに、心のどこかでそれを否定している。
どうやら俺は変な顔をしていたらしい。不思議がった空が俺の顔を覗いてきて、現実に引き戻された。俺はどうにか取り繕うように会話を続けた。
「そう言えば、空はどうして受付係になったんだ?空ほどの実践経験があれば、訓練官や調査班にもなれただろう」
「ああ……やっぱり気になる?」
どこかバツが悪そうに頬をかくと、空はすこし遠くを見つめて小さく微笑んだ。
「もう戦場には立てなくても、ここなら必ずみんなに会えるでしょ?」
胸の中のざわめきが大きくなった気がした。
在りし日に、病室で見た空の悲しげに微笑む表情が重なった。ヘマしちゃったと、おどけるように笑いながらも、その白いシーツの下は包帯で包まれた惨たらしい傷があるのだろう。あの蒼帝が再起不能になるほどの傷だ。決して、笑えるようなものではない。
俺は、未だあの病室で見た空の表情が忘れられないでいた。
「正直なところ、ずっと刀だけ握ってきたから、この後何をすればいいのか分かんないんだ」
空はじっと自分の手のひらを見つめた。人差し指と親指の間は蛸が潰れて固まったのか、赤黒く変化している。長く柄を握っていた跡だろう。これは、戦う者の手のひらだ。
その指先はふるふると震えていて、袖口からは生々しい包帯が覗いている。空の怪我が完治には程遠い状態だというのはひと目で分かった。
「空、まだ」
「昂くん、俺は、何もできないのが嫌なんだ。……みんなが戦っているのに、何も出来ないまま寝ているだけなのは、嫌」
俺の言葉を遮るようにして、空の言葉が響いた。
「だけど、今の俺が戦線に復帰したところで、なんの役にも立たないのも分かってる。だから、ここがいいってお願いしたんだ。ここならみんなを見送れる。“いってらっしゃい”って。そして“おかえり”って迎えたい」
空の手が握り締められた。俺を見上げるその表情は以前の空と何も変わらない。明るい笑顔で俺を見つめている。
「たしか、昂くんはこれから任務……だよね?」
「あ、ああ」
ついさっき、上層部との引き継ぎで次の指令を受けてきたばかりだ。少し前まで最上位クラスにいた空のことだから、俺が上に呼ばれた理由も、大体のことは検討がついているんだろう。
「俺はずっとここにいるから、必ず帰ってきてね」
そして受付係らしくにっこりと微笑むと小さく手を振った。
「“いってらっしゃい”」
*
今日はとてもいい天気だった。エントランスホールから出た直後、飛び込んできた陽射しに目が眩んだ。たまらず覆った指の隙間からはどこまでも高く、透き通るような青色が覗いている。
今回、本部に来れて良かったと思う。新しい居場所で元気よく働く空を見れたから。
正直受付の仕事は、空の人懐っこい性分にとても良く合っていると思う。元最上位クラスの空なら本部の中なんて熟知しているだろうし、不審者が来たところで片手間で片付けられる。それに蒼帝として様々な任務を請け負っていた空なら、相手の内容を少し聞いただけで適切な部署を案内できる。そう考えれば、下手な人を雇うよりも十二分に効果的だ。
……そうやって、空なら大丈夫だと自分を納得させるたびに、腑の奥底へ言葉に言い表せないわだかまりが溜まっていく。大きく息を吐いても、減ることはなくて、一層自己を主張してくる。
ソレは空が怪我を負い、蒼帝としていられなくなったと聞いた時から顔を出した。今日に至るまで俺を苛んできたその正体が、つい先ほど分かった。
俺はきっと、寂しいんだろう。
一度理解してしまえば、俺の中に溜まっていたソレが馴染んでいく気さえした。
かつて俺は、胡乱なリグレットが徘徊するモノクロの戦場で、天を裂くような青を見たことがある。人のマイナスな感情から生まれるリグレットの放つ気は、重くおどろおどろしいのが常だが、それすらもなぎ払うような晴嵐が背を押して、哀れにも彼らは霧散していった。
その、青の中心に空はいた。静かな微笑みを湛えながら、空は大地を滑りながら刀を振るった。それはまるで踊るようで、気が付けば俺も釣られるように刀を動かしていた。
不謹慎な話だが、当時の俺はとても楽しかったんだ。戦場にいて、一歩間違えれば命のかかった取り返しのつかない事なのに……俺は、空と一緒に戦えるのが楽しかったんだ。
もう二度と、空と一緒に同じ場所には立てない。
頭の中では空が戦場を離れることで傷つくことが無いと喜びながらも、心の奥底では一緒に戦えない事を嘆いてる。そんな矛盾が俺を圧迫していた。
あの空の“いってらっしゃい”の言葉が、もう蒼帝とは会えないと突きつけられたような気がして。
思い出したように瞬きをすれば、日差しで焼いてしまったのか、瞳の奥がツンとした。
俺たちに、留まっている時間はない。司令本部に背を向けて、一歩、歩き出した。
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