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◆短編

【幸せ】しあわ-せ
1 運がいい。
2 幸福であること、またはそのさま。

歌詞を書いている時、多々辞書を引くことがある。
本当に便利な時代になって、知りたい単語の後に“意味”とか“類語”だとかをくっつけて検索すれば、分厚い辞書を引くまでもなく知りたい情報が出てくる。正直、分厚い本ってだけで反射的に遠慮しがちだからネット検索はとてもありがたい。
まぁ、知らない単語は勿論、知っている単語も調べてみる時もある。間違って覚えてる場合もあるし、それはそれで新しい発見もあるから。
最近調べたものでほんの少しだけ意外だなって思ったのがある。“幸せ”って言う単語。あれは、どうやら“運がいい”事を指すみたいだ。まぁ、俺が思っていた感じとあまり変わらないんだけど……どちらかといえば、第二用法の“幸福であること”のほうが印象的には強い。美味しいものを食べて幸せだなぁって思ったり、大切な人と一緒に過ごせて幸せって感じたり……。
そんな些細な疑問もほんの一瞬だけだった。概ねは俺の想像通りだったし、間違ってはない。それに、そんな事で悩んでいられるほど締切は待ってくれないし。
流れていく日々に、俺の疑問は埋もれていくように薄れていった。

そんな霞かかった記憶を思い起こさせたのは、頭上から「幸せだな……」と言葉が降ってきたからだ。
手元の携帯で遊んでいたパズルゲームを中断すると、視線をゆっくりと自分の斜め上に向ける。場所が悪くて、視界に入ったのは柔らかそうな金色の髪が、さらりと肩の上を流れる様子だけだった。
「……昂くん起きた?」
少しだけ身じろぐ気配。寝言、だったのかな?俺の一言で起こしちゃったかもしれないと、不安になってじっと様子を伺う。
小さな唸り声と共に、俺にかかっていた重みが軽くなった。温もりが離れて、空気に触れた半身が涼しい。俺にもたれかかっていた昂くんが離れたおかげで、様子を伺うことが出来た。いつもは耳にかかっている髪も前に下りていて、寝起きで虚ろな瞳が隙間から俺を見上げてくる。長い前髪に隠れた表情がどこか艶やかでごくりと唾を飲んだ。
「起こしちゃった、かな?」
数度瞬きを繰り返してから、昂くんの細い指が自身の髪を耳にかけた。とろりとした視線が合って、どうにもドキマギしてしまう。
「ん……寝てしまったようだ」
「昂くん疲れてたもん、仕方ないよ」
手を伸ばして昂くんの頬に触れれば寝起きでとても暖かくて、寝惚けてるのかすりすりと俺の手に擦り寄ってくる。どうにも照れくさくて、手はそのままにローテーブルの上に視線を向けた。
飲み物が少し残ったグラスに、数時間前まで昂くんお手製のおつまみが乗っていたお皿。少し離れたところに俺が持ってきた中ハイの空き缶が並んでいる。
ここは昂くんの部屋。お仕事から帰ってきた昂くんとたまたまロビーで出会って、昂くんから一緒に飲まないか?って誘われたのが11時頃。俺はその足でコンビニに行って、適当におつまみとお酒を入手。そして今に至る、と。
たぶん、夜も遅かったし仕事終わりで疲れてたんだと思う。2缶ぐらい開けたところで昂くんが船を漕ぎ始めて、気づいたら隣に座っていた俺にもたれかかってすぐに健康的な寝息が聞こえ始めた。悔しいけど丁度いい身長差なのか、俺を枕に寝ている昂くんはどうにも心地よさそうで複雑な気分だった。
空いたグラスにお茶を注いで寝起きの昂くんに手渡せば、それにゆっくりと口をつけた。
「いい夢でも見たの?」
「夢?」
「幸せだなって、呟いてたから」
「俺はそんな事を口走っていたのか。なんだか恥ずかしいな」
お茶を飲んで少し目が覚めてきたようで、俺の話を聞いた昂くんはほんのりと頬を赤らめた。
いつもしっかりとしているから、こうして少し気の抜けたところを見せてくれるのはどうも嬉しい。
「夢、というのだろうか……白昼夢が近いかもしれないな」
少し照れたように前置きをして、昂くんはゆっくりと話してくれる。
「昔の出来事を思い出していたんだ」
「昔って、前に話してくれた前にいた事務所のこと?」
「まぁ、そうだな。あの時、サンプロの社長にスカウトされてなかったら今の俺はいないのかって思って……アイドルとして見られることを意識して自身のコンディションに注力したり、こんなに歌ったり踊ったりすることはなかったんだろうな、と」
手元のグラスを眺めながら、どこか遠くを見るようにぽつりと呟く。
「それに、ケンやリョウにも出会えなかった。衛だって、アイドルとしての現状に悩んでいなければ家に連れ込むなんてしなかったと思う。ツキプロのオーディションに応募するなんて考えすら浮かばなかっただろう」
グラスから視線が上がり、その薄く灰がかった青い瞳がじっと俺を見つめる。目元がうっすらと染まっていて、寝起きのせいなのか、それともまだアルコールが残っているのか、俺には判断ができない。
俺はどう反応したらいいのか分からないまま、小さく息を潜めて昂くんの視線を甘んじて受ける。
昂くんはお茶が少しだけ残ったグラスを片手に、俺の頬に触れた。暖かくて、すべすべとした指先が頬を撫でていく。されるがままの俺に気をよくしたのか、昂くんは口元に緩い弧を描いて、続きを話し始めた。
「……目覚めた時、ぼんやりとした意識の中で空の姿が見えて、ふと思ったんだ。仕事も充実しているし、信頼できる仲間たちもいる。こうして、あのオーディションの時はライバルだった空と一緒にグラスを傾ける仲になった」
切れ長の瞳が遠くを見つめるように細められる。
「たった23年しか経っていないが、俺は幸せなんだなと……この間誕生日を迎えて更にそう思うようになったんだ」
そう言って、昂くんは微笑んだ。
ここ最近、昂くんはとても良く笑う。Growthの皆から祝われて、ファンの皆からも祝福されて、本当に嬉しそうだった。ケンくんも言ってたけど、どう育ったらこんなに身も心もキラキラとするんだろう。その名のとおり輝いていて、目が眩んでしまう。
今まで積み重ねてきた時間を”幸せ”だと言葉に出来ることが、俺は凄いと思う。普通はそれに気づかないで、毎日を繰り返すから……。
俺も、昂くんがそうやって”幸せだ”と声に出さなかったら気付かなかったかも知れない。それほど身近で、その幸せに気づける事が既に”幸運”なんだ、と。
……ああ、そうか。幸せの第一用法。
「昂くん知ってる?“幸せ”って、”運が良い”って意味だったんだ」
俺の一言に昂くんは一拍置いて、そして優しく微笑んだ。
「……確かに、俺は運がいいかもな」
昂くんが小首を傾げる。さらりと錦糸がその細い肩の上を流れて、瞳が細められた。愛おしい者を見る視線がくすぐったい。形の良い唇が、ゆっくりと動いていくのが見える。

「みんなに出会えた。それ以上の事はない」

ああ、ずるい。そんな、俺だったら恥ずかしくて死んじゃうようなセリフを、サラッとそのかっこいいお顔で言っちゃうんだから。昂くんだから、その言葉に偽りなんて何一つないんだって分かる。だからこそ、どうにもこっちの方が妙に照れてしまってむずむずしちゃう。
「空?」
照れくさくて俯いた俺を心配したのか、昂くんが首をかしげて俺の顔を覗いてくる。ああもう、何もかもずるい。
「うぅ……もう昂くんはずるい!お誕生日おめでとう!」
当日にも沢山言ったけど、祝いの言葉は何度だって言ってもいいものだ。とにかく上がった心拍数をごまかそうと、必死でお茶を濁す。
そんな雑すぎる俺の逃げ方でも昂くんは声を上げて笑ってくれて、俺はこんな何気ない時間がとても、”幸せ”だと思った。
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