◆短編

ひとつ、ふたつ、足場の悪い段差を登っていく。丸太で養生された簡易的な階段があるけれど、歩幅に全く合わなくて結果的歩きづらい。
辺りは暗く、草木が生い茂っている山道だ。日も沈み切った真夜中に、手元の懐中電灯だけが頼りに登っていく。それでもそれ以外の明かりがない山道で頼るには、あまりにも心細い。
都会のアスファルトに慣れた足では、慣れない砂利や土の地面は少しばかり大変だ。ここまで来る道中も、足元が暗いせいもあってか最初の頃はつまずいてしまって、少しばかり気を使ってもらってしまう始末だった。
多少慣れたとはいえ、何度か見えない木の根につま先を持ってかれてしまう。
「コウくん大丈夫?」
俺を連れ出してくれた張本人が手を伸ばしてくれる。俺は有難く、それを受け取った。
「大丈夫だ、空」
そう返せば、薄暗い山道でも分かる笑顔を返してくれる。
空は俺の手を握ったまま、歩き出してしまった。空本人はそれに気付いているのかは分からないが、別に悪い気分でもないし、それに甘んじる事にした。
空の持つ懐中電灯の灯りが揺れて道の先を照らす。街灯も無ければ、木々の葉で星々の灯りも防がれたその道は、どんなに照らしても暗く先は見えない。
少しだけ腹の底から込み上げる恐怖を感じて、そっと空の手を握った。俺の手のひらに感じるその暖かさに何とか救われる。
「本当に、突然連れ出してきちゃってごめんね。コウくんが、明日お休みって聞いて、つい、嬉しくて」
「いや、俺も空と出かけられて嬉しい。ただ……」
少し不安になった俺に気付いたのだろうか、空が俺を見て大丈夫と言った。
「ここ、夜だと超怖いよね。安心して!俺も夜に何度か来てるから、道なら任せてよ!望月さんにも、コウくんとここに来るって伝えてるし!何かあったらすぐに連絡することになってるし!」
大丈夫と大袈裟なまでに胸を張って笑った空だが、少しだけ微笑ましい。笑顔の奥にほんの少し恐怖の色が見えたから。空も俺と同じで怖いのはあまり得意じゃない。それでも俺に笑顔を向けてくれるのは、何度も来てると言っていた自信からか。あるいは、俺を心配して不安がらせないようにしているのか。
きっと、両方だ。彼の愛らしくて、好ましいと思う部分。
手を繋いだまま、一緒に暗い道を進む。俺より少しだけ低い頭が左右に揺れる。弾むように進む空はどことなく楽しそうだ。それが真っ暗な道では少しだけ違和感があった。それでも空とこうして出かけられるのは嬉しい。
空はいつも俺の知らないところ、知らない世界を教えてくれる。こうして手を引いて目の前を歩いている今でさえ、まるで夢のようだと思う。
そんな俺の中には少なからずわくわくしている自分がいて、今日みたいな突拍子のないお誘いを今か今かと待ち侘びている。
そして今夜、仕事から帰れば空が真っ先に飛んできて、これから出かけようと言ってきた。
本当に突拍子もない。流石にこの時間は驚いたけれど、二つ返事で了承して今に至る。我ながら何て誘惑に弱いんだろうか。この暗い夜の時間に誘ってきたということは、空の考えがあるんだろう。そんな思惑を想像しながら、空に着いてきた。
そういう空は俺の手を引きながら、暗い道も気にせずにどんどんと進んでいく。どことなく、鼻歌でも歌いそうな雰囲気で、少し笑った。
横で揺れる空を眺めながら「楽しそうだな?」と言えば「もちろん!」と、屈託のない笑顔を向けてくれる。そして、
「そろそろだよ」
と、口にした。
そろそろだと言われたところで、景色は山の中のせいで何も変わらない。それに、進めば進むほど道幅が狭くなっている気もする。山頂に近付けば近付くほど整備が行き届いてなく、生い茂った草木が圧迫感を生んでいた。
恐らく道なりなんだろう、青々と生えた茂みの隙間に空が入っていく。手を繋いだままだから、俺も身体を横にしてそれについて行った。
突然視界が晴れた。
いや、頭上を覆っていた枝葉が無くなったから、隠れていた夜空が姿を表したんだ。濃紺の天蓋が視界一面に広がって、何物にも邪魔されない星々の光がキラキラと降り注いでいる。辺りは岩場になっていて、植樹がほとんどない。本当に、180度全てが夜空だ。
感嘆の声が漏れる。雲もなく、風もない。周辺には山の尾根が見えるだけで民家の明かりもなく、そして今夜は新月だった。
星が、綺麗だ。
「……凄い」
思わず出た言葉がそれだ。こんな所が都内から少し行ったところにあるなんて。
「へへへ、凄いでしょ!絶っ対コウくんに見せたかったんだ!」
そう言って空が見上げてくる。本当に、空は俺を新しい場所へと連れ出してくれる。先へ先へと世界が広がっていく。
ありがとうと言って、二人で近くの大きな岩場に座った。そして、一緒に星空を眺める。
深い藍色のキャンパスに、白い星々がインクを飛ばしたように散りばめられて、それがキラキラと瞬いている。
星の瞬きを邪魔する月もなく、然としてその灯火は儚く美しい。なんて素晴らしいのか。これに言葉はいらない。
視線をずらして、隣りの空を見る。空の視線は上空へと向いていて、零れそうなほど大きな瞳に満天の星空を落とし込んでいた。
空はいつも好奇心に瞳を輝かせて、素直に大きな感情をぶつけてくる。それが俺にとっては新鮮で、心を大きく揺さぶられてしまう。悪くはない。むしろ、心地よいとさえ感じている。
次は何をするんだろう。次は何が起きるのだろう。空を見るといつもどきどきと胸が高鳴って、わくわくが止まらなくなる。今だってそうだ。空と一緒にいるのは楽しい。ふわふわとした夢心地にさせてくれる。
本当に夢じゃないだろうか。見上げた美しすぎる夜空に目を細めた。
ついと、隣の空を見る。空の傍らの懐中電灯は消されている。それなのに、光り輝いて見えた。星を散らすようにキラキラと瞬いて……
その光に照らされて、ずっと気が付かなかった気持ちが顔を出す。すとんと腑に落ちた。
ああ、俺は空が好きなんだ。
どきどきと鳴る胸が肯定したように、鼓動を奏でる。
そう気が付いてしまえば、無性に空に触れたくなってそっと手を伸ばす。
そばに置かれた空の手を包みこむように握れば、空はこちらを向いて照れたように微笑んだ。

 星を見に行こう

あそこはとても綺麗だった。突然開ける夜空に、落ちてきそうな星々。真っ暗でおどろおどろしい山道から、一面に広がる美しい景色。まるで、突然違う世界に放り込まれたようで、大きく心臓が高鳴った。
そして、コウくんに見せたいと、何故か一番に思った。

星空を見に行くのは、意外と大変だった。天候はもちろん、月の満ち欠けだとか、風なんかも考慮しなくちゃいけないみたいで、こっそりモリに手伝ってもらったりして、頑張って計画を立てた。
あとは、望月さんに頼み込んで、スケジュールの調整と、夜中に人気アイドルの衛藤昂輝を連れ出す許可をなんとか取り付けてもらった。
サプライズでいつも忙しいコウくんを星空の下に連れ出したいと言えば、モリも望月さんも少しだけ驚いてたけど、俺らしいと協力してくれた。ついでにいえば、モリに頭をくしゃくしゃに撫でられた。なんで?
天気図と睨めっこの日々は終わって、日にちが決まった。運が良くてなんと新月の日に絶好のチャンスが訪れた。
後は、コウくんの個人的なスケジュールが入っていたら、諦めるしかないなぁと思って少しだけ寂しかった。そもそも、サプライズなんて相手に黙ってやるものなんだから、仕方がない。
そんな俺の心配を余所に、コウくんはくすりと笑うと「いいよ」と、言ってくれた。心の中でガッツポーズして、歓喜の舞だ。顔には出さない。……少し出てたかも。

俺の考えが甘かったことは、コウくんが仕事帰りだったにも関わらずそのまま連れ出して来ちゃった事だ。
本格的な山じゃなくて、所謂国立公園みたいなちょっとしたトレッキングコースなんだけど、アスファルトをくたくたになるまで歩いてきたその足で、この道は大変だったかなぁと本当に後悔した。しかも、暗くて足元も見えずらい。懐中電灯は持ってきたけど、それも少し頼りない。
ちょくちょくとつまずくコウくんにはらはらして、帰ろうかと何度言い出しかけたか。
万が一転んで傷物にしようものなら、多方面から怒られるだろうし、何より俺自身許せそうにない。
でも、あの夜空を見てほしい。きっと、それは俺のワガママだ。
絶対後悔しない。後悔なんてさせないと、念入りに準備をしてきた。だから、何も無い事を願って、何も言わない。少しだけ胸が傷んだ。
段差で歩きづらそうにしてるコウくんに手を差し出した。大丈夫?と聞けば大丈夫と返って来て、俺の手を掴む。
指が細くて長くて白くて綺麗で、あと凄いすべすべしてた。思わず釘付けになる所だった。誤魔化すように笑ったけど、大丈夫だっただろうか。変じゃなかったかな?
そんな事に気を取られて、しばらくしてから手を繋いだままだと気が付いて悲鳴が出そうになった。なんで!何も言わないの!?男二人で手を繋いで。誰も見ていないとはいえ、少し恥ずかしいし、何よりちょっとだけ照れくさかった。
ずっと掴んでてごめんねと言おうとした時、俺の手を握る力が少しだけ強くなった気がして、その言葉を飲み込んだ。そういえば、コウくんもこういう、ちょっと怖いところは苦手だったなぁなんて思い出して、そのままにした。俺ももう少しだけ、コウくんの綺麗な手を堪能しようと思う。逆に考えれば、誰もいないこんな機会、滅多にない。少しだけ、ラッキーかも。
そんなコウくんと手を繋いで、山道を行く。夏の盛りは過ぎたけど、まだ昼間の日差しは全開で、そんな日差しをたっぷり浴びて育った草木は思うがままに成長を遂げていた。あったはずの道は半分ぐらい埋もれてて、少しだけ不安だったけど、藪の中に埋まった『見晴台』って書かれた看板を見つけてほっとした。
そして、ようやく着いた例の場所だ。
一面のパノラマ。突然切り開かれたような視界に、降り注ぎそうな星空。そして俺とコウくん。
星灯りに照らされたコウくんは美しかった。少し驚いたのか、切れ長の瞳は大きく開いて深いアイスグレーに星が落ちていた。凄いと漏らすその唇はほんのり色付いていて、山道を歩いて蒸気した頬は血色が良く桃色に染まっていた。
なんて美しいんだと、息を飲んだ。
流れ星と一緒に、空から落ちてきましたって言われても信じちゃいそうなぐらい綺麗で、ついマジマジと眺めてしまった。視線が釘付けにされたって言った方が正しいけどね。
そんな俺に気がついたのか、コウくんが俺を見てふわりと微笑んだ。
「本当に凄い!ありがとう、空」
どくりと、心臓が大きく鳴った。
頭の中でキラキラと音が鳴る。降り注いだ流れ星が落ちて鍵盤を叩く音のように、透き通った音が聴こえた。
もう、分かる。胸を高鳴らすこの音は__

二人で岩場に並んで座る。コウくんは相変わらず夢中で星を眺めていた。俺も一緒に空を見上げる。
廉みたいに星座なんて分かんないし、モリみたいに星座の逸話を話せる引き出しもないけれど、そんな俺でも綺麗だなって、それは分かる。
ふと、手を握られた。座った俺を支えるように岩場に置いていた手の上に、コウくんの手のひらが重なる。今度は驚かなかった。重なったその小指を、親指を動かして挟む。
なんだか、恋人みたいだなぁなんて思って、笑った。
ふと見上げれば、コウくんは俺をみて凄い綺麗な顔で微笑んできて、ついさっきの考えが頭に過って堪らなく恥ずかしくなった。
多分、コウくんが恋人だったら毎日心臓が爆発しそうだ。それでも、きっと楽しいんだろうな。
それもアリだなんて、一度考えてしまえば止まらなくて、それで……俺はなんでコウくんに星空を見せたかったのかが分かった。
喜んでもらいたくて、驚いて欲しくて。そして、笑って欲しくて。コウくんの色んな表情が見てみたい。だって、

好きだから。

多分今、俺の顔は信じられないぐらい真っ赤で、星灯しか届かない真夜中で良かったって、思った。

俺の話はここまで。
続きはあの星々だけが知っている。
3/5ページ
    スキ