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おまえのひとみ




 ハァ、ハァッ……
 あたしは今必死に逃げている。
 倉庫の中に入って樽の陰に身を潜める。
 ……マフィアの取引現場を見てしまった。
 よりにもよって、あたしはただのおつかいの帰り道、あんなところで武器の売り買いをしてるだなんて。
 街中のとうに潰れたバール(バー)からひそひそ声がするから何かと思ったら男の人たちが密談していて、その中の1番若い少年といってもいいくらいの年齢の人が銃の入った鞄を開けていて……。
 何が起こっているのか察してすぐに逃げようとしたのが良くなかった。
 その大きな動きはもちろん相手にも伝わって……。
 見つかって、大きな男の人たちが、怒声を上げながら追いかけてきた。
 どうやら、マフィアの中でも、危ない連中らしい。
 その思考に、我ながら、そしてこういう時だというのに、笑いがこぼれる。
 危なくないマフィア?
 そんなのいるもんか。
 マフィアは危ないもんだ。
 あたしの祖父だって殺された。
 絶対に許すもんか……!!
 ……でも、逃げる以外に、今のあたしに何ができる?
 倉庫に複数の皮靴の足音が聞こえる。
 ドカドカドカッ。
「ここに入ったことは間違いない!!」
「どこだ!! 捜せ!!」
「絶対に逃がすなっ……うわぁっ」
「あああぁぁぁあっ!!」
 身をすくめていたあたしは、突然の男たちの悲鳴に、何が起きたのかと、そっと樽から顔を出した。
 辺りに広がるのは血、血、血。それに人形の手足……いや、これは人の体……?
「ひっ……!!」
 しまった、思わず声を上げてしまった。
 血まみれの倉庫でスポットライトを浴びたかのようにそこだけ白い空間の真ん中に立ち、長い鞭のついた鋭い刃物のような武器をかまえていた少年が、ゆっくりとこちらを振り向く。
 あたしはもう死ぬんだと思って目を閉じた。
 すると、閉じたくても閉じられない耳に、大きなため息が聞こえた。
「あーあ……ったく、スキャッグス売らずに良かったぜ。こんなことに使われちゃたまらねぇからな。交渉決裂の腹いせか、こんな役にも立たねぇガキ追っかけ回しやがって。うるさくてかなわねぇ。汚ねぇ連中だ」
 やれやれと腰に手を当てて首を右に左に傾けている。それは本当に疲れたといった様子で。少年らしくて。
 ……でも、これ、彼がやったんだよね?
 引き寄せた武器が真っ赤だ。
 ……うっ……。
 武器を、引き寄せた、ということは。
「……あたしも、殺すの?」
 つい口に出してしまった。それから絶望する。
 当たり前だ。取り引きを見てしまっている。
 相手側の名前はなんとなく察しがつくけれど、この少年のバックはわからない。
 とはいえ、それがなんだっていうんだろう。
 マフィアにとってあたしたち一般市民なんて虫けら同然だ。
 少しでも邪魔なら命を奪われる。
 いや、いつも、いつでも、踏み潰されている身だ。
 この街ではそうだ。
 そういうものだ。
 ……でも。
 少年はじっとあたしを見た。
 そして、ふと、険しかった眉から力を抜いた。
「面白い問いだな。興味ねぇよ。殺すならとっくに殺してる」
 武器と己のスーツを見下ろして何やら顔をしかめている。
 ……血がついている。怪我でもしたんだろうか。
「あのっ……」
 手当てを、と駆け寄りかけて、途中でそれを止めた。
 ……ダメだ。彼には近寄っちゃいけない。なんだかそんな気がする。
 助けられたわけじゃない。思い上がるな。
 途中で足を止めて彼を黙ってじっと見据えるあたしに、彼は『へえ……』と唇の端を吊り上げてニィッと笑った。
「……おまえ、名は?」
「……ジェンマ」
「ジェンマか。俺はバジルだ。じゃあな」
 さっさと出口に向かって歩き出す彼……バジル。
 倉庫から出る直前に振り向いた。
「ああ、ジェンマ。おまえ、いい眼してるな。あと、勘もいい。これから何が起こるかわかるだろ?」
 ……それだけ言うと、クククと低く笑って、出て行った。
 残されたあたしは唾を飲む。
 ……わかってる。怯えて暮らすのには慣れている。
 あたしは自分の体を自分の腕で抱きしめた。
 鳥肌が立っている。
 追いかけてきた男たちより、あの少年の方が、ずっとずっと怖かった。





(おしまい)
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