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いばらの冠






 パタパタパタ……。

 時は夕刻。

 私は広い屋敷内の廊下を走る。

 開かれた扉から室内に駆け込んだ。

 細長いテーブルがあって椅子がいくつも並べられている。

 食事をとる部屋だけど、自分の食事はもう済ませてしまっていた。

 ああ……今日の食事もおいしかった。

 <アーティーチョークのサラダ>に<なすとトマトのスパゲティ>に<カポナータ>に……。

 デザートの<レモンとオレンジのシャーベット>も絶品だった。

 ……とっ、それどころじゃなかった。

 私は部屋の中にひとりぽつんと座ってエスプレッソを飲みながら新聞紙を広げているカルロさんを見つけた。

「カルロさんっ! あのっ……ちょっと、出かけてきてもよろしいでしょうかっ……」

 慌てて走ってきたせいで息が切れる。

 大きくスゥッと深呼吸して心を落ち着けた。

 カルロさんは新聞紙から顔を上げて、私のほうを見ると、きょとんとして言った。

「おはよう、アリス」

「あっ……おはようございます……」

 しまった、忘れていた。

 とはいえ、私はもうずっと前に起きていたので、無理からぬことなんだけど。

 カルロさんたち吸血樹は朝が遅いのだった。

 っていうか、夕方。

 とくにその中でもカルロさんは遅い。

 起きるのを待って急いで来たのにそんなことも忘れてた。

「すみません、私、焦っちゃってて……」

「いいよ。構わないさ。それで、どこに行くって?」

「えっと……街の本屋さんなんですけど……」

 『本屋?』とカルロさんが眉をひそめる。

「本なら書庫にたくさんあるんだけどね。いや、この屋敷のあちこちに。みんなも持っているだろうし、借りるんじゃ駄目なのかな、アリス?」

「あ、……そうですよね。でも、私が欲しいのは、今日発売の本で……」

 恥ずかしくてちょっと言いにくい。

 だって、私が欲しいのは……。

 それでも、私はカルロさんに近付いて、横から覗き込み、ちょうど広げられていた新聞紙の下のほうを指差した。

「あの、これ……」

 私の指を追ってカルロさんがそこを見る。

 そう、ファンタジー小説と言えばかっこいいけど、いわゆる少女小説。

 この年齢でって思われちゃうかな。

 予想通り『くっくっ』とカルロさんが肩を揺すって笑い出したけど、それは私の思っていた理由とは違うようだった。

 カルロさんは私ににこっと笑いかけて言う。

「ああ、なるほど。これは誰も持っていそうにないなぁ。いっそこれを理由にみんなの部屋を探ってみたいくらいだが。誰か面白いものを持っていないかどうか」

「カルロさんっ!」

「冗談だよ」

 青ざめた私にカルロさんはまた可笑しそうに笑う。

 ううっ、性質(たち)の悪い冗談……。

 これで本当に誰かの部屋から女の子の読むような恋愛小説が見つかったら。

 私が恨まれちゃいそうだよ。

 嫌な想像にドキドキしてしまう。

「ふーん……、街の本屋にね……。アリス、君ひとりでかい?」

「はい。……あの、やっぱり、いけないでしょうか……?」

 吸血樹たちはあまり人間との接触を好んでいない。

 私は人間だけど(体はもともとの私のものではないけれど)、それでも彼らの仲間としてここにいるのだから、何かがあったら彼らの迷惑になってしまう。

 私が他の人間と問題を起こしたら、否応なく彼らを巻き込んでしまうことになるから。

 カルロさんは憂いを隠さずに顔に出して、それでも軽い調子で言った。

「いや、別に、行くことは構わないよ。ただ、アリス、君ひとりとなるとね。……そんなに可愛い女の子をひとりで出歩かせるわけにはいかないよ。この屋敷には男が5人もいるんだからね。誰かについていかせよう」

「えっ、やっ、いいです!! 悪いです、そんなの! 私、ひとりで行けるしっ……、そんなの迷惑になるし! みんなにも都合があるだろうからっ……」

 カルロさんが不思議そうに慌てる私をしげしげと眺めて首を傾げた。

「……嫌なのか?」

「あっ……」

 しゅんとするカルロさん。

 なんだか嘆くみたいに首をゆるゆると横に振って。

 深刻そうな口ぶりで言う。

「そうか、嫌なのか……。アリスはみんなが嫌いなのか。見守られるのも嫌なほどか。問題だな。誰かが何かしたんだったら……」

 きゃあああっ。

「ち、ちちち、違いますーっ! そういうわけじゃっ……、わ、私はただっ……」

「そうかい?」

「そうですよ! 誰も困らないんなら、その、もちろんついてきてほしいですっ!!」

 カルロさんは急ににこーっと周囲にお花を飛ばして微笑んだ。

「それはよかった。では、誰かについていってもらおう。私はこれからやることがあるからね。誰でも好きな人を選ぶといい。ジョゼフでもシルヴィオでもウォルターでもアンディでも。命令して必ず遂行させるよ」

「えっと、あの……」

 汗、だらだら。

 はめられた……!

 誰かと一緒に行くことになってしまった。

 ……どうしよう?

 傍に立つ私を下から鋭い目でじっと見てカルロさんが問う。

「さて、誰がいい? アリス? 誰と一緒に行くかい?」

「……」

 困ったことになっちゃった……。





+++++





「お、アリス、どこかに行くのかー?」

 私がカルロさんの前で誰とも言えずに困っておろおろしていると、キッチンのほうからひょいとジョゼフさんが顔を覗かせた。

 おそらく夜中に営業している喫茶店に出すお菓子でも作っていたに違いない。

 先ほど食べたおいしい料理の匂いにまじって、ふわりと甘い匂いが漂ってくる。

 アップルパイかな、それも食べたいなー。

 ちなみに本人は味音痴なので本を見てレシピ通りに作っているらしい。

「あ、はい。本屋にちょっと……」

 ああ、とジョゼフさんはわかっていたように軽く2・3度うなずく。

 たぶんわかっていたんだろう。

 さっき食事をしていた時に新聞に大好きな小説の新刊が出てると騒いでいたから、そのとき傍にいたジョゼフさんには察しがついたんだろう。

 話が漏れ聞こえていて、救いの手を差し伸べてくれたことはわかった。

 私が困っていると思って。

 これがちっともわざとらしくないからすごい。

「俺はこれから喫茶店のほうに行っちまうし、シルヴィオの奴は今日は休みだけど、コニーが庭に遊びに来てるからなぁ。ウォルターかアンディが適任だろ」

「え、でも、じゃあ、そのふたりだって……」

「薔薇園を見に来てるんだ。案内に男3人もいらないだろ。そうだ、どうせなら5人で行くとか。コニーも買い物のほうが好きだろ」

 ……。

 コニー……ちゃんは……本屋が好きだろうか。

 誘っても大丈夫なのかな。

 本当のことを言うと、早く本が読みたいから、買ったらすぐに家に帰りたい。

 余計な買い物とかしたい気分じゃない。

 うーん、この気持ち、わかってくれるかな。

 私は提案になおさら困ってなんとなくへらっと微笑む。

 ジョゼフさんがこどもを学校に追い払う母親のようにぶらぶらと手を振って言った。

「ほら、考えてないで、聞いてみるんだな。まぁ、まず誰も断らねぇよ。大丈夫さ」

 そうじゃないんだけどな……。

 でも、私は迷うのをやめて、とにかく行くことに決めた。

 これはもう誰かひとりにしぼって『一緒に行って』って言うしかない。

「それじゃあ、カルロさん、行ってきますね! あ、何かお土産とか……」

 カルロさんは笑顔で手を振った。

「ああ、いいよ。気にしなくていい。そんなことより楽しんでおいで、アリス。行ってらっしゃい」

「はい、ありがとうございます」

 私はふっと思い出してジョゼフさんのほうを向いた。

「ジョゼフさんは何か買ってきてほしいものってありますか?」

 ジョゼフさんが苦笑いをして両手を広げて肩をすくめた。

「まぁ、ないが、そうだな。……今度は俺と遊びに行こう、アリス。たまにゃあな、おじさんだって若者と一緒に街を歩いてみたいな。若返ったみたいな気持ちになれるだろ?」

 私はぷっとふき出した。

「クスクス……。いいですよ、行きましょう!」

 老いることも死ぬこともなくなった吸血樹が『若返る』も何もない……とは思うけど。

 そういうジョゼフさん一流の冗談なんだろう。

 こういうところが好き。

 私が困ってばっかりだから笑わせてくれようとしたんだ。

 ありがとうございます。

「それじゃあ、行ってきます!」





+++++





 私は自分の部屋の大きな鏡の前でぼんやりとする。

 鏡には可愛い15歳の女の子が映っている。

 ゆるく波打つ長い金髪、はっとするような濃い紫の瞳、白い陶器のようななめらかな肌、ほんのりと赤い柔らかい曲線を描く頬、つやつやした赤い唇。

 今日はノースリーブのベビーピンクのワンピース……小さな白い薔薇の模様で、腰の横のところに大きな同色のリボンがついて、胸や襟や袖に細かいレースのついた……に、黒いレースのヘッドドレス、フリルつきの黒いソックス、首にはパールのネックレスといった格好で。

 ふわふわのお姫様風。

 これで白いハート型のバッグと、ピンクのエナメルの靴を合わせようと思っている。

 似合うかどうか確かめようと思って鏡の前に立ったわけだけど……。

 やっぱり何度見ても……。

 ……美少女。

 『ほう……』とため息が出てしまう。

 私の体じゃない。

 他人の体に私の魂が入っただけで。

 いつまで経っても今の自分の姿には慣れない。

 他人を見ているような感じで。

 でも、私が眉を寄せて、顔を赤くして、鏡をにらみつけるようにすると、やっぱり鏡の中の私も同じ顔をする。

 手をのばすと、向こうも手をのばす。

 ……うん。

 このことは今までにさんざん悩んだんだし。

 とりあえず今はこの服がこの体に似合っているというだけでいいや。

 本当は街に出るならもう少し地味な服がよかったんだけど、用意されている服が全部こういうものだから仕方がない。

 ……さて、問題は、誰を誘うかだ。

 カルロさんとジョゼフさんはなしになった。

 残るはシルヴィオさんとウォルターとアンディ。

 ……と、コニーちゃんもか。

 全員で行くのは困るから、誰かひとりにしないと。

「えっと……」

 私は思わず口に出す。

「誰に頼もうかな……」

 独り言だ。

 ハッと気付いて、私は恥ずかしくなって辺りを見回し、大きな天蓋つきのベッドの上で丸くなっている愛猫のダイナを発見して、そっちへ向かって話しかける。

 シルヴィオさんは……いつも夜間警備員の仕事に行っていて今日はせっかくの休みでコニーちゃんが遊びに来てる。

「……誘いにくいな」

 コニーちゃんは……屋敷に遊びに来てるわけだし、本当に買い物のほうがよくても、頼んで連れ出すのは他の人たちをがっかりさせちゃうかもしれないし。

「……仲良しだもんね。まだカルロさんやジョゼフさんにも会ってないんだろうし、私と一緒に街に行ってもらっちゃったら、なんだか申し訳ないよね……」

 ウォルターは……うっ、なんか『ダリぃ』とか言いそう?

「……それはなんか嫌だなぁ。ショック受けそう。わかっててもちょっと傷つくよ。言われたくないなぁ。いかにもな態度されたら余計に……ううっ」

 アンディは……アンディは。

「……っていうか、この体はアンディのお姉さんのものなんだから、アンディに頼むのが一番だよ。それもしないで他の人に『一緒に行って』って頼むなんて。もし断られるにしたって、まずアンディに言わないと! でもなぁ……」

 『嫌だ』とかきっぱり言われたら……!

 想像してちょっと落ち込む。

 がっくりとして行く気なくしちゃいそう。

 ジョゼフさんは『誰も断らない』って言ってたけど……。

 鏡に向き直り、自分をじっとにらみつける。

 こんな延々と鏡の前で迷っているわけにいかない。

 ……うん、よしっ、勇気出さなきゃ!





+++++





「アンディ!」

 アンディがきょとんとして振り向く。

 お屋敷の敷地内にある薔薇庭園……ローズガーデンっていうのかな……の中。

 白い薔薇のアーチの下をくぐり抜けて、濃い赤い薔薇の前に立っているアンディのところに駆け寄った。

 視界が開けてシルヴィオさんやウォルターやコニーちゃんの姿も目に入る。

 なにしろ薔薇が茂っていて、赤や黄色や白やピンクやオレンジや……色とりどりの花が咲いていて、このローズガーデンは広いこともあって、よく知らない人にとっては迷路みたいなものなのだ。

 私もちょっと見つけるのに時間がかかってしまった。

「どうしたの? アリス」

 意気込んで走ってきた私に驚いたように問うアンディ。

「あ、あのねっ……」

 私はさっそく『本屋に一緒に行って』とアンディに頼もうとした。

 と、その時、横から『きゃあああっ』という高い叫び声が上がる。

 振り向くと、真っ赤になった頬を両手で包んだコニーちゃんが、私を輝く目で見ていた。

「アリス、可愛い、そのワンピース! いいなー! すごく似合ってる!」

「……え、そう……かな、ありがとう……」

「本当に可愛いわよ!!」

 あわあわ。

 照れる……。

 コニーちゃんがアンディを押し退けてずいと近付いてくる。

 胸の前で手を合わせて、目をキラキラさせて、ぱぁっと喜びに顔を輝かせて。

 はずんだ声で嬉しそうに言う。

「その淡いピンクのワンピース、アリスに絶対に似合うと思ってたの。だって、ほら、肌の色が白いでしょ? 金髪にも合うし。とっても素敵よ!!」

「あ……そうか。コニーちゃんが選んでくれたんだっけ? 私の服って」

 買ってくれたのはシルヴィオさんだって聞いたけど……と視線をシルヴィオさんに移す。

 シルヴィオさんは無言でうなずいてカチャリと眼鏡を直した。

 アンディは唖然として突っ立って、ウォルターは腰に手を当てて苦笑して眺めている。

 えっと……。

 困ったな。

「コニーちゃんの趣味がいいんだよ」

 私がそう言うと、コニーちゃんががしっと私の両腕をつかむ。

「いいえ! このセットが可愛いの! アリスはセンスがいいと思うわ!!」

「え、そう……? ありがと」

 て、照れる……。

 頬が熱くてたまらない。

 言われたこともだけど、コニーちゃん可愛いから、じっと見つめられるとドキドキしてしまう。

 目を合わせていられなくてそっとうつむいた。

 そしてコニーちゃんの服に目が行く。

 うわっ……。

「コニーちゃんもそのワンピースすごく可愛い……!」

 いつもドレスみたいなフリルたっぷりの服を着ているコニーちゃんだけど、今日のワンピースもやっぱりそうで、だけどやっぱり可愛い。

 白い半袖のブラウスの上に着た若草色のワンピースはところどころに白い細いレースが縦に入っていて、胸のところに大きなフリルつきの白いリボンがついていて、その爽やかな感じが軽井沢とかの避暑地で見るお嬢様みたいな……。

 持っている日傘も若草色の白いフリルとレースつきのものだ。

 白いカゴバッグを持って、黒い厚底の靴を履いて。

 その格好がコニーちゃんのきらきらした銀色っぽい髪の毛と赤い瞳とその笑顔によく似合っている。

 コニーちゃんは、ふふふ、とくすぐったそうに笑った。

「よかった。男共はだーれも褒めてくれないんだもん。もっと気を利かせなさいよね」

 後半はシルヴィオさんやウォルターやアンディに向けて言う。

 腰に手を当てて、胸を逸らして、強気で。

 うーん。

 私はなんだか笑ってしまった。

 だってみんなが気まずそうな顔してるから。

 女の子同士のこういうのって男の人には入りにくいよね……。

 コニーちゃんは急に真面目な顔になって私に向き直った。

「ところで、アリス、どうしたの? なんだか慌ててたみたいだけど……。何かあったの?」

 私はハッとした。

「あっ、そうだ……! あの、私、買い物に行こうと思って……」

 ……あ、しまった。

 アンディに最初に言おうと思ってたんだった。

 ついうっかり……。

 私の発言で4人の目がいっせいに私に向けられる。

 あああああ。





+++++





「買い物……ひとりでですか?」

 そう訊ねてきたのはシルヴィオさん。

 いつも通りキリッとした顔をしているけれど、声は少し心配そう。

 少しだけ眉をひそめて私をじっと見ている。

 えっと……。

 アンディに『一緒に行って』ってまず頼もうと思っていたけど、この状況でアンディだけに声をかけるのって、なんか悪いな。

 ためらって何も言えないでいると、コニーちゃんが『はいはーい!』と手を挙げる。

「私も行くっ! ちょうどアリスと行きたいお店があったの! アンジェとかミルフルとかメルメリとか!! あ、リデルも行かなくちゃ!」

 パンと手を叩き合わせて、目をキラキラとさせて言う。

 アンジェとか、ミル……?

 ……よくわからないけど、たぶん、ゴスロリ服のお店かな。

 ひとつ確実なのは本屋じゃないこと。

 コニーちゃんがぎゅっと私の手を握る。

「渋谷か原宿あたりがいいわよね! 男共も連れて行きましょう! 荷物持ちとして!!」

 そのとたんにウォルターとアンディが死んだ魚のような目になった。

「ダリぃ」

「嫌だよ」

 口を揃えてきっぱりと言う。

 ああ、やっぱり……。

 私が行きたいのは本屋であって、一緒に行ってほしいだけで、荷物持ちとかそんなつもりはないけど、でもやっぱり、断られた気持ちになる。

 コニーちゃんが私の手を放して2人をビシィッと指差し、お説教を始めた。

 ひとり、真面目な顔をして黙っていたシルヴィオさんが、私のほうに疑惑の目を向ける。

「服を見に行きたいんですか? ……用意したもので、何か足りないものでも? だとしたら責任を持って買いに行ってきますが」

「あ、いえいえっ、そんなんじゃないんです」

 私は慌ててぶんぶんと手を横に振った。

 シルヴィオさんがじっと私を見つめる。

 本当かどうかと問うような目で。

「それならいいんですが……。アリス、あなたの衣装を用意するように言われたのは俺なので、もし何か不足や不満があったのなら遠慮せずに言ってください」

「いいえ、そんなっ……ないです! じゅうぶんですよ! ありがとうございます」

 ひええ。

 そんな真摯な目でじっと見つめられると……。

 もう照れるとかドキドキするとかその程度じゃ済まない。

 そんなに親切にしてくれちゃって……。

 たとえどんな裏があるにしても、これは自然にしてくれているわけだから、やっぱりみんないい人なんだなぁ。

 ……2人を除いて。

 私はなんとなくチラチラとウォルターとアンディのほうを横目に見ながら言う。

 アンディ気付いてくれないかな。

「あのっ、違うんです、そうじゃなくて。私、ちょっと本屋に用があって、それで……」

 コニーちゃんが残念そうに『えーっ』と言う。

 シルヴィオさんがそれをたしなめた。

「しょうがないでしょう、コニー、諦めなさい。だいたいもう5時を過ぎてますよ。店はたいてい7時には閉まるでしょう? 今から行ったところで大して見られるとは思えません」

 コニーちゃんがぶーっとふくれっ面をしてツンと横を向いた。

「何よぅ。7時過ぎても開いてるお店だってあるもん。行きたいの服屋だけじゃないし」

 私はおずおずと申し出る。

「あ、あの、コニーちゃん……。今度、一緒にそのお店、見に行こう? お昼からでも私なら大丈夫だから……」

「本当っ? 約束よ! 絶対だからね!!」

「うん」

 うなずくと、にこっとするコニーちゃんに、自然とこっちも笑顔になる。

「アリス、可愛い!」

「えっ?」

 急にコニーちゃんの手がのびてきて私の頬をつつく。

 つんつんと。

 クスクスッと笑って。

「え、あの、ちょっとっ……」

 私は大いに慌てる。

 どんな顔をしていいのやら。

 コニーちゃんは急にそれをやめてくるっと振り返った。

「アンディも笑えばいいのに!」

 急に矛先がアンディに向く。

 アンディはそっぽを向いてしまっていた。

 声をかけにくくなっちゃった……。

「じゃあ、みんなで本屋に行きましょうか!」

 またくるっとこっちを振り向いたコニーちゃん……元気だなぁ……は、笑顔でそう言って、私の手を握った。

「帰りにレストラン行きましょう! 評判のおいしいイタリアンのお店知ってるの! それからね、面白い居酒屋……は無理かな。あ、でも、カラオケなら大丈夫!?」

 うっ……。

 その強気なにこにこ笑顔は断わりにくいなー……。

 いいか、本屋には行くんだし、買ってすぐに読むのは諦めることにして……。

 なんかムズムズしちゃいそうだけど。

 私は小さくうなずいた。

「うん……そうだね、そうしようか。えっと、みんながいいなら……」

 私はシルヴィオさんとウォルターとアンディを順々に見る。

 まずウォルターが苦い顔をして『ダリィからパス』と短く言った。

 コニーちゃんが怖い顔をしてずいずいとウォルターに近付いて行く。

 おっとぉ。

「何? レディのお誘いを断るわけ? そんな理由で?」

「おい、ちょっ……」

 今にも襟首つかんで締め上げそうなコニーちゃんに、ウォルターがたじたじとなっている。

 アンディは黙って大きな片方の目でじっとそれを見つめている。

 シルヴィオさんが眼鏡を指で押さえつつ口を開いた。

「……ウォルターがついていくならば、自分は喫茶店の手伝いをしようかと」

 またコニーちゃんが不服げに『えーっ』と声を上げる。

「誰かが手伝ったほうがいいでしょう」

 まるで物分かりの悪いこどもに言い聞かせるお母さんみたいな調子でシルヴィオさんが言う。

 うーん、たま~に一応ウォルターが手伝うようになったけど、基本ジョゼフさんがひとりで切り盛りしてるんだよね、喫茶店。

 たまにはジョゼフさんも楽をしたいだろうし。

 やる気がなくて不真面目なウォルターは手伝ってるって言ってもそれほどじゃないし。

 重たいものとかも結構あるからシルヴィオさんが手伝うと助かるだろうな。

「じゃあこの4人で決定ね!」

 コニーちゃんがきっぱりと言う。

 抜け目なくがっしりと逃げられないようウォルターの腕をつかんで。

 ウォルターはげんなりと生気のない顔をしてぐったりしている。

 私は小さく微笑んでこくんとうなずいた。

 ……しょうがないかなぁ。





+++++





 すると、ずっと黙っていたアンディが、ぽつりと言った。

「ボクが行くよ」

 え?

 見ると、こちらを向いているアンディの、その口は閉じられている。

 ただ、じっと真っ直ぐに、私の顔を見つめて。

 今、『ボクが行くよ』って言ったような気がするんだけど……。

 ……聞き間違いだったのかも。

 でも何か言ったと思うんだけど。

 ウォルターとコニーちゃんもきょとんとしている。

 シルヴィオさんだけは普通の顔をして見ているけれど。

 私も含めて複数の目に見つめられて、アンディはちょっと首を傾げて、それから疲れたようなため息を吐いて、やれやれというように軽く首を横に振って、うつむいて言った。

「本屋、ボクがアリスと一緒に行く。ふたりだけで行くから。……ウォルターとコニーは来なくていいよ」

「えっ」

 ……あ、思わず声を上げてしまった。

 同時にウォルターとコニーちゃんも『はっ?』『なっ……!』と声を上げていたけれど。

 シルヴィオさんは『ええ』とその言葉を待っていたように短く言った。

 3人で口を大きく開けてぽかんとしてアンディを凝視する。

 まるで疑うような目で。

 アンディは怒られたみたいにちょっとムスッとして気まずそうに私たちを見つめ返してボソボソと低い声で言った。

「……何? だって、そのほうがいいでしょ。この4人で行くと目立つよ。ボクらだけだってじゅうぶん注目の的になるけどさ」

 ……そうだ。

 ここは日本だ。

 私は順番にみんなの頭を見る。

 金髪。赤い髪。銀色っぽい髪。

 目立つ……!!

 不自然じゃないのはシルヴィオさんくらい(って、言っても、やっぱり淡い茶色だから、目立つとは思うんだけど……)。

 今の私も金髪なんだった。

 それに……。

 私はじぃぃぃぃっと、アンディ、ウォルター、コニーちゃん、シルヴィオさんを見る。

 にらみつけるように、最低まで目を細めて、穴が開くほどその4人を。

 ……本当、なんなの、この美形揃い?

 こんな美形で外国人な方々が歩いていたら印籠を見せつけるよりもよっぽど効果的にみんなが退くよ。

 なんの撮影だよって感じで。

 遠巻きにされて、しかもジロジロと見られて、ひそひそ言われるに決まってる。

 モデル? それとも俳優? いやバンド? って……。

 そうしたら買い物どころじゃないかなぁ。

「うん……そうだね、目立つよね……」

 私は苦笑いしてこくんとうなずいた。

 アンディの言う通り、確かにこの4人では厳しいかもしれない。

 やっぱり、周囲が驚くほど美形って本人たちにはわからないのか、ウォルターとコニーちゃんは顔を見合わせて首を傾げている。

 そして不満そうにアンディを見て次々に口をとがらせて言う。

「何よ、いいじゃない、別に。人に見られるくらいー。そんなのなんでもないわよ」

「髪の毛だったら、帽子でも被りゃそんなに目立たねぇよ。っていうか、かえって4人のほうがいいんじゃねぇ? ほら、バンド仲間みたいで。そうすりゃ、それで済まされるだろ。いや、俺は行く気ないけど!!」

 アンディが唖然とする。

「バンド……」

 あ、それ、私も思ったんだよね。

 ウォルターと発想が一緒か。

 本人は口ではそんなことを言いながら嫌そうに髪の毛をつまんでじっと見ている。

 困った様子で。

 コニーちゃんは本当に平気そうで不服そうに頬をふくらましてツンとしている。

「……バンド……」

 アンディが繰り返しつぶやいてさっとうつむく。

「ど、どうしたの、アンディ?」

 驚いて問うと、額を手で押さえるようにして念入りに顔を隠したアンディが、ぷるぷると細かく震えている。

「どうもしない」

 ええっ?

 どう見てもどうかしてると思うけど。

 ショックだったの? それとも面白かったの? どっち!?

 わからないよう!!

 黙っていたシルヴィオさんがくるりと私のほうを向いて問う。

「アリス、どうしますか? 俺はアンディの言う通りだと思いますが……。それでも、4人で行くか、アンディとふたりで行くか、あなたが決めなさい」

「はっ……はい! すみませんっ、えっとっ……」

 ウォルターが目をつり上げて『アリス、俺は行く気ないんだって!!』とわめいている。

 コニーちゃんは半分あきらめているのかムスッとして『私もアリスと行きたいのになー』とぼやいている。

 うう。

 私はチラッと目を上げてアンディを窺う。

 ……ん?

 アンディ、『ボクらだけだって注目の的』って言った?

 あれ……。

 ちょっと不思議に思ったけど、考えてみれば、今の私はアンディの双子のお姉さん(の体)なんだった。

 さっき鏡で見た少女はアンディと外見がよく似ていた。

 双子はただでさえ目立つのに、このふたりで歩いていたらやっぱり目立つだろうな。

 ……でも……。

 ようやく顔を上げたアンディが、じっと刺すような目で私を見つめる。

「アリス、一緒に行くでしょ? ふたりで」

 ボソッとしているけど、強く、当たり前みたいに、決まっていることのように、自信ありげに。

 否は聞かないみたいな。

 ……いや、私の答えを最初からわかっていたような。

「……うん。私、アンディとふたりで行こうかな」

 ちょっと迷ったけど私はうなずいて言った。

 だって最初からそのつもりだったもの。

 私は首をすくめて照れ笑いを浮かべた。





+++++





 私の答えを聞いて、シルヴィオさんは無言でうなずいて、ウォルターは心配そうになって、コニーちゃんは『えーっ!!』とすねてしまった。

 コニーちゃんは『何よ、何よ』と言いながら薔薇の花を見に離れて行ってしまう。

 ウォルターは断ったことを後悔している様子だった。

「おいちょっと、ふたりだけって、大丈夫かよ……」

「「大丈夫」」

 きっぱり言うアンディと声が重なった。

 思わず顔を見合わせる。

 目が合うとすぐにアンディは逸らしてウォルターに向けて言った。

「……ボクがついてるから」

 ウォルターがハッとした顔をして、私のほうに身を傾けて小声で耳打ちしてくる。

「アリス。アンディに道案内させるなよ。絶対に間違ってるから!! あと、絶対に目を離すな!! アンディはほんの数秒のうちに消えるスキルを持っている!!」

「……どこの忍者ですか」

「ちょっと目を離すといないからな!! なんに興味持つかわからないし、方向オンチだし、迷子になられたら捜すの大変なんだぞ!!」

 ……。

 えーと。

 いつのまにかアンディがウォルターの背後に回っている。

 どんより……と不気味な黒い雲のようなオーラ(殺気?)がアンディから発されている。

「……ウォルター?」

 気付いたウォルターがびくっと跳ねて振り向いた。

 アンディの目が恐ろしく据わっている……。

 声が氷のように冷たい。

「ちょっと話があるんだけど……」

 私は首根っこつかまれてずるずると引きずられていくウォルターを見送った。

 声もかけられなかった。

 あのぅ……早くしてくれないと本屋が閉まるっていうか、実は本が売り切れちゃわないかなってずっと心配してるんだけど……。

 私ははぁと肩を落としてため息を吐く。

 ……言えるわけないかぁ。

 ぽんと肩に手が乗る。

 振り向くと胸の位置で、顔を上げて、相手を見上げる。

 シルヴィオさんだ。

「女性がこんな遅い時間に肩をむき出しで歩くのは感心しません。何か羽織るべきでしょう。取ってきます」

「あっ、すみません、自分で行きます……!」

「いいえ、アリス、あなたはここにいてください。待っていてください。すぐにあちらも終わるでしょうから」

 意味ありげに薔薇の葉の茂った向こう……アンディがウォルターを連れて行ったほう……を見るシルヴィオさん。

 ああ……。

 私は目を閉じる。

「……すみません、お願いします……」

 ペコリと頭を下げてハッとする。

「あっ、あの、ありがとうございます!」

 シルヴィオさんが微かに目を和ませて微笑んで『では』と言って去っていった。

 私はひとり残された。

 シルヴィオさん、気を遣ってくれたんだ、やさしいな……。

 そんなところにまで気付くなんて紳士だよね。

 ……はぁ。

 茂みの向こうからふたりと合流したらしいコニーちゃんの『毒ガス使う?』という楽しげな声が聞こえてくる。

 ……はい?




(つづく)








 迷子にならないようにアンディと手をつないで歩く。

 アンディが二歩くらい前に出て、後ろの私を引っ張るようにして。

 今日のアンディは黄色いシャツの上に、フードと袖の折り返し部分が赤のチェックの白い半袖パーカーを着て、下は深緑のショートパンツ、そして赤いスニーカーに、黒いバックパックを背負っている。

 前から見るとパーカーの胸のところに虹のワッペンがついていて可愛い。

 目立つことが嫌なのか青いキャップを被っている。

 それでもやっぱり、周りから時々『可愛いーっ』『双子かなぁ?』なんて声が聞こえる。

 どうしても目立つみたい。

 周囲を見られずにアンディの背中だけ見て歩く。

「……」

 なんだかずっと怒っているみたいで声をかけにくい。

 ……やっぱり、嫌々なんだろうか。

 当たり前だ。

 また迷惑をかけてしまって……。

 本屋に行きたいなんてわがままだと思われたかな。

「……ねぇ、アリス」

 不意にアンディが振り向いた。

「あ、はいっ……?」

 驚きに目を見開いて顔を上げる。

 知らず知らずのうちにうつむいてしまっていた。

 アンディはなんだかひどく冷たい目をして私を見ている。

 静かな怒りを秘めたみたいな目。

 怖い……。

「……」

 何かを言おうとして、それをやめて小さく息を吐いて、アンディは目を落とした。

 つないだ手に。

 そして、また顔を上げると、冷たさは消えていたけれど厳しい目で、私の顔をじっと見た。

 ……なんだろう?

 アンディが口を開く。

「……本当は、本を買ってすぐに読みたかったんでしょ? 服屋とか、レストランとか、行きたくなかったんでしょ? ちゃんと言わなくちゃ駄目だよ」

 無感情な声だけれど、ちゃんと気持ちはわかって。

 ……ああ、考えてくれていたんだ。

 たぶん、それは、自分の経験から来るものでもあるんだろうけど。

 私の気持ちを考えてくれて、ふたりで行くって、わざわざ言ってくれたんだ。

 あの時、少し困っていたことが、わかって。

 私はちょっと恥ずかしくなってうつむいた。

「……うん、ごめん」

 みっともないな……。

 ちゃんと言えなくって。

 優柔不断で、流されてて、気が弱くて。

 私、情けないな、駄目だな。

 顔が上げられない。

 真っ赤だ。

 じんわり涙まで出てくる。

 このうえ泣き虫とか。

 愛想つかされちゃう……。

「ごめっ……」

「別に」

 きっぱりと遮られた。

「君はみんなの気持ちを考えて言えなかっただけだろ。それが悪いとは言わない。……けど、ああいう時ははっきり言っていいんだよ。君がみんなのことを考えているように、みんなだって君のことを考えているんだから」

「え……」

 ……意外だ。

 ぽかんとしてアンディを見る。

 アンディの顔がみるみるうちに赤くなった。

 そしてぷいっとそっぽを向く。

 ぐいっと手を引っ張られた。

「ほら、早くしないと、お店閉まっちゃうよ」

「……うんっ!」

 私はにっこりと笑ってうなずいて、涙をぬぐって、早足でアンディの隣に並んだ。

 アンディはこっちを見ないようにしているけど、その耳がまだ赤いことに。

 私はまた少し笑った。





(おしまい)
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