いばらの冠
それから数日が経った。
また街へ卵を売りに来ていた。
今日は鶏がよく卵を産んで余計にとれたのと、卵を買う予定だった家が断わりを入れに来て余ってしまったのとで。
たまにあることだから、もう慣れている。
それでも、今日は断ってきた家が多く、ずいぶん街で売らなくてはならない卵の数が多い。
……この分では全部売ることはできないかもしれない。
養母の怒りの顔を思い浮かべて暗澹とした気持ちになった。
……また叱られる。
暗く沈みこむが、けれど同時に、心の奥にふつふつと湧き上がる、何かを感じる。
ああ……苛々する。
人の話し声は大きくて、頭にキンキンと響くし、他人の臭いは強烈で、まとわりつくみたいだし、昼の光は眩しくて、逆に何も見えないんじゃないかってくらいだし。
なんだか日中は妙に眠いし……怠いし……。
食欲はまったくない。
ささいなことが刺さった棘を押すかのようにチクチクと神経に障る。
あんなことがあったから過敏になってるのか。
それにしたって……。
なんだか妙だ。
それでいて自分を取り巻く世界に興味を覚えない。
なんだか急になんでもかんでもどうでもよくなってしまった。
自分のこと以外は。
本当なら……以前なら……あのいつも声をかけてくれた人たちが死んだとういうなら、動揺もするし、それについて気になるはずだった。
何故死んだのか、どうして死んだのか、どうなっているのか。
疑問なんていくらでもある。
だが、どうでもいい。
……『どうでもいい』ってなんだ?
気にならない。
こんなことを冷静に不思議だと考えていられるくらい、今の世界が、人間が、自分から遠く離れている。
養母に叱られることは嫌だが、じゃあ養母の機嫌が気になるのかというと、正直どうでもいい。
どうでもいいことだらけなのに、放っておいてもらいたいのに、そっとしておいてほしいのに。
自分を取り巻く世界にイラつく。
気持ちが悪い。
それにしても、今日は全然卵が売れない。
いつも買いに来てくれる人々は本当にいなくなってしまったのだろうか。
今日はからかわれることすらない。
自分の周りがシンとしている。
なんだか取り残されたみたいだ。
ぽっかりと空いた穴をひとりで覗き込んでいるみたいだ。
遠くで人のささやく声がした。
そちらのほうを見れば、少し離れたところで、買い物途中らしいふたりの中年女性が自分のほうを薄気味悪そうに見て、ささやきかわしていた。
「あの子から卵を買ったそうよ……」
「卵が悪くなっていたんじゃないかって……」
……ああ。
これで卵の売れない理由がはっきりとした。
同時に、これを今日持って帰って、叱られることも。
苦いものが胸にこみ上げる。
女たちの話し声は続く。
「よく平気で売りに来るわね……」
「悪いと思ってないのかしら……」
……悪い?
顔を上げてはっきりと女たちを見てキッとにらみつけた。
……何もしてないのに……!!
卵が悪いなんてでたらめだ。
家でも出されていた。
自分も何も入れたりしていない。
他人を悪く言うことで責任を負わせて事を片付けてしまいだけだ。
人を陥れる汚い連中だ。
吐き気がする。
にらまれた女たちは、急に黙り、それどころかポーッとして、何かに魅入られて魂でも抜かれたかのようにふらふらと揃って歩き出した。
やがて水音が聞こえて、にわかに辺りが騒がしくなった。
「人がふたり川に落ちたぞ!!」
……まさか。
あのふたりではないはずだ。
ただの偶然だ。
それにしても、これじゃ本当に、今日は卵が売れない。
帰ろうかとした時だった。
(つづく)
+++++
スッ……。
自分の目の前に、ひとりの男が立っていた。
無表情で静かに自分を眺め、それからその男は目をやさしく細め、おだやかに明るく人懐っこい笑みを浮かべた。
「やぁ」
明るい茶色のふわりとしたゆるく波打つ髪に、同じく明るく澄んだ色の瞳をして、男は邪気の無さそうなこどものような笑顔でそこにいた。
一瞬、男を知り合いだと感じた。
よく知っている、昔からの馴染みだと。
だが、男の顔は記憶にない。
名前も、どんなに探しても覚えていない、知らない。
それでも、なんだかとても懐かしかった。
旧友に会えたかのような喜びと安堵が胸に広がる。
この孤独な世界で、ようやく仲間に巡り逢えたかのような。
……ひどくホッとする。
それは男の振る舞いからだろうか?
そうという答えしかない。
だが、もっと、それだけじゃなく親しみを感じる。
「……」
無言で大きく目を開いて男を呆然と見つめ続けると、男がにっこりと笑みを深くして、小首を傾げ、『それ』と籠を指差した。
「私が買ってあげよう、全部。そのかわり、ほんの少し、私に付き合ってほしい。わかるね? これは取り引きだよ。しかし、君に損はない。もちろん、私にも。どうだい?」
にこにこと笑いながら言われて、少しも考えずに、こくんとうなずく。
「……いいよ」
信用できるものではない、普通なら……しかし、男は信じられる、そう知っている。
……そう、信じられる相手であると、何故だかわかっていた。
返事に男は満足げにひとつうなずき、握手を求めるように手を差し出した。
「私はカルロ。……君の名前は?」
迷ったが、籠のほうを差し出し、男……カルロ……を見上げてぼそぼそと言う。
「ボクはアンディ。……卵買ってくれるんでしょ。今、この籠に入ってるのは……」
「あ」
戸惑いを見せて、カルロは困惑げに眉をひそめ、笑みを苦いものにした。
「アンディ。そう焦らないでくれ。卵はちゃんと全部買ってあげるから。なんなら籠ごと買ったっていい。ただ、私の話に付き合ってほしい。その後ならいくらでも」
「……」
ぽかんと口を開けて、目を半眼にしてカルロを見据え、無言で不満を表す。
……ああ、押し付けてしまいたかったのに、と。
金を受け取っておけば、万が一何かあった時、逃げればいいだけだし。
それを見透かしたようにカルロが笑って言う。
「ダメ、ダメ。そうは問屋がおろさないよ。それに、私の話を聞くことは、君の利益にもつながるから……って、アンディ。今現在この話を聞いているかい?」
すねて、フイとそっぽを向いてしまうと、カルロが笑顔を怖いものにして、ズイと迫ってくる。
「……」
ビクビクとして後退さるが、逃げられないことを悟って、覚悟しておずおずとうなずく。
カルロの笑顔が明るいものに戻った。
「よし。じゃあ、ついてきてくれるかな。君の身の安全は保障する。話さえ聞いてくれればいい。何もしない。約束しよう、君には指一本触れないよ。相当あやしいことを言っている自信があるが、その類の心配は無用だ。私は……君の見てきた『人』たちとは違うのでね」
ハッとして顔を上げる。
カルロは深刻とさえいえるほど真剣な顔をしていた。
思い浮かんだものに体が勝手に震え出す。
すると、カルロは柔らかい笑みを浮かべて、やさしく言った。
「……心配しなくていい。大丈夫だ。君はもうそんな目には遭わないよ。むしろ、まったく逆だ。そういう話をしに来た。さぁ、行こう。ここでは話せない」
自分たちの横をバタバタと人が駆けてゆく。
どうやら人が川に落ちたことでのようだ。
身内か何かか。
本当に落ち着いて話せない。
『ついておいで』と言って背中を向けて歩き出すカルロに続いて歩き出そうとした。
(つづく)
+++++
「……ああ、その前に」
ニ、三歩で足を止めてカルロが振り返る。
「アンディ、これをつけてくれ」
ポケットから取り出され、差し出されたものは、黒い眼帯だった。
驚きに目を丸くして、じっとそれを見て、それが見た通りのものであるとわかると、今度は疑問でいっぱいに見開かれた目でカルロを見上げる。
長い前髪の間からじっと見つめると、『そう、それだ』とカルロはどこか苦いものを含んだような口調で言った。
「右目にしなさい。私たち同類には影響がないが、人間には毒だ。君になんでも差し出したくなってしまう。我々吸血樹(ヴァンパイア)の中でも稀な能力だ。君に落ちた種の主から受け継いだんだね」
「……は?」
……やっぱり危ない人なんだろうか。
じりっと後ろに下がる。
危険を感じる。
このまま聞いていてはいけないような……。
……何故なら、それが真実であるが故に。
聞いてはいけない。
戻れなくなってしまう。
籠を持つ手が震える。
……何を言ってるんだ……?
『吸血樹』……!?
……そんなバカな。
そんなもの……。
カルロの言うことが理解できない。
でも、自分は知っている、……ような気がする。
カルロの言葉が真実であることが信じられる。
信じたくないのに、認めたくないのに。
……いや、疑ってはいる、と思うのに……。
そんなこと到底信じられることじゃないのに。
しかし興味をひかれてしょうがない。
「……」
この人は自分にとって危険かもしれない。
自分を見据えるカルロの目が細くなりギラリと鋭い光を放つ。
そして厳しい口調になった。
「右目に眼帯をつけなさい。道中、人を殺して歩く気はないよ。すんなりと家に着きたいのでね」
「……」
バカなことだ。
そう思うのに、言葉が見つからない。
ゆっくりと手をのばし、手のひらから眼帯を取った。
(つづく)
+++++
「入りなさい」
扉を開けて、カルロが言う。
キョロキョロと辺りを見回すのをやめて、扉の中を覗き込む。
外観同様、中も整っていて、立派な屋敷だった。
……街外れにこんな大きな家があるなんて知らなかった。
疑問を浮かべて見上げると、カルロがにっこりと笑う。
「ああ、この屋敷は、借りたものなんだ。ちょっと手を入れさせてもらってたけど。……さぁ、どうぞ。中に入ってくれ。怖がることはない」
何もかもわかったようにそう言われ、少しムッとして、ズカズカと無遠慮に踏み込む。
……別に怯えてるわけじゃない。
入ってすぐ横手の扉が開けられていた。
どうやら客間らしい。
躊躇わずに中に入り、そこにあった高級そうなソファーにどっかりと腰を下ろした。
座ったとたんに柔らかなソファーに深く沈み込み、卵の籠を抱えたまま、呆然とする。
……立ち上がれないかもしれない。
腰が埋まってしまった。
困惑に顔を赤らめて、硬直したまま、内心であたふたしていると、カルロが追い付いて入ってきた。
「済まないね。水さえ飲めばいいんで、あまり食べ物は置いてないんだ。お客様にお茶菓子もお出しできない。……私も君も必要だとは思わないが。冷めてしまっているが、紅茶はあるから、良かったら」
「そういうのはいいよ」
ティーセットに手をのばすカルロを言葉で止めて、深くソファーにはまりこんでしまっていたのをなんとか直して背中を丸め、にらみつけるようにしてぼそぼそと言う。
「それより、それ、説明してよ。……必要だと思わないってやつ」
「ああ」
きょとんとしていたカルロがぽんと手を打ち、明るい顔で近付いてくると、ひょいと手から籠を奪い、トンとテーブルに置いて、唖然として見ている隙にスタスタと歩いてどこかに行ってしまう。
おろおろとしていると、お金を手に戻ってきた。
「これだけあればじゅうぶんだろ」
「……こんなに要らないよ」
どういう金銭感覚をしてるんだか。
ぽんと手に乗せられた束に驚き呆れてしまう。
卵を宝石か何かと勘違いしてやしないだろうか。
だが、カルロはにこにことして、楽しそうにはずんだ声で言う。
優雅に向かい側のソファーに腰を下ろして。
前かがみの姿勢で、手指を組んで膝に置いて。
「それは支度金も含んでいる。準備がいるだろう? 旅をするとなると何かと。アンディは何も持ってないようだし……」
「え、ちょっと待って。なに……」
カルロの顔から笑みが消えた。
明るかった声の調子も変わり、低く、鋭くなる。
「……ここ数日、君のことを見張らせてもらった」
見張る……?
……嫌な言葉だ。
一匹の蜻蛉(トンボ)が飛んできて、ツイ……とカルロの指に止まった。
カルロはそれを指を持ち上げて突き付けるようにこちらに差し出した。
「紹介しよう。私の使い魔の内の一匹だ。これは監視に使える」
「……」
カルロを見つめていた目のまぶたが下がり、半眼になり、自然と『はぁ』とため息が出た。
「……わかったよ。もういいからさ。どこの病院から抜け出してきたかだけ教えてよ」
「結構辛辣だな!!」
口をぱかっと開けて目をまん丸くして愕然とした様子でこちらを見つめてくるカルロ。
いかにもショックを受けましたというふうに。
ほんの少し頬が熱くなった。
しょんぼりと叱られたようにうなだれて、申し訳なさそうに目だけ上げて、相手を窺いながらぼそぼそと話す。
「だって、それは……。さっきからおかしなことばかり言うから。ボクの目が毒だとか、種が落ちたとか、『ワレワレハヴァンパイアダ』とか。カルロって頭おかしい人?」
目の前の男ががっくりと肩を落とした。
頭を両手で抱え、『いやいや』をするように首を横に振る。
「これで真剣なんだけどね……」
すごく残念そうに言う。
カルロはしばらくそうやって何か苦悶の表情を見せてから、『やれやれ』とため息を吐き、取り直すように言った。
(つづく)
+++++
「まぁ、それだけ覚えてくれているのならありがたい。話も短くて済む。そう、君の目は人間にとって毒だし、君には吸血樹の種が落ちたんだし、我々は吸血樹だ、おっと」
口を開いたところを手で制される。
カルロはなだめるような手つきをして言った。
にこやかな笑みを顔にはりつけて。
「とりあえず話を聞いてくれ、アンディ。吸血樹というものについてを」
口を閉じると、カルロがうなずいて、続ける。
「……吸血樹とは、人の血や死肉を養分にして生きる、植物だ。一生に一度繁殖をして、その魂は蝶の形の種になって飛び、人間の男の強くて若くて美しい死体を選んでそこに落ちて宿り、老いることもなければ、繁殖をしない限り、寿命が来るまでは死ぬこともない存在となる。そして体内には使い魔である虫を住まわせている。その虫が人間の血肉を持ってきてくれるから、何も夜な夜な美女の首から生き血を吸うようなこともない。しかし、それ以外では、水を飲めばいいというくらいで、人間のように食事は取らなくてもいい。とってもいいけどね。その必要がない。我々の生きる糧はあくまで人間の血や肉……」
バッとソファーから投げ出されたかのように立ち上がる。
体が震える。
全身から血の気が引き、たぶん怖いくらい顔が真っ青だ。
「……どうした?」
静かに訊ねられてなおさらがくがくと全身が震える。
人間の血や死肉を養分として……
……人間の死体に宿り……
老いることもなければ死ぬこともない……
カルロの言葉が頭の中で何度も繰り返される。
それを事実として植え付けようとするみたいに。
事実ではありえない、そう必死に否定する一方で。
その声を聴こうとしている自分がいる。
……それが事実だと。
事実だと?
とんでもない!!
……彼は何を言った?
何か、とても嫌なことを言わなかったか?
……道中、人殺しをして歩く気は……
……右目につけなさい……
……人間には毒だ……
能力。
吸血樹としての。
……人の血肉を養分として生きる……
人殺し。
人殺しの能力……!!
「そんなっ……」
悲鳴の高さに上ずった声が上がる。
否と弱々しく首を振り、ジリッ……と後退さって。
両手の拳で耳を押さえた。
「アンディ?」
不審そうなカルロのの声。
そんな。
ああそんな。
そんなものはまるで。
「そんなものはまるで化け物じゃないか……っ!!」
生きるために人を殺して食べる。
そんなものはもはや人間とは呼べない。
……ああ、それよりもっと重大なことは。
「アンディ。……君は気が付いているんじゃないのか? 自分の世界が違ってしまったことに。……もう、自分が人ではないことに。自分が一度死んだことに。それから……」
渡されてつけた黒い眼帯越しに目を押さえる。
ハッとして。
次々と現れ飛ぶように消えていく映像。
男、養父、手のひら、棚、花瓶、赤、黒、卵、人、目、目、目……『死んだ』、人、人、目、目、『死んだ』……。
……ダメだ、これ以上聞いていてはいけない……!!
金を握りしめ、相手を上から見下ろすようにして、冷たく吐き捨てる。
「……どんな妄執を抱えてるのか知らないけどさ、迷惑なんだよ。そんなものに巻き込まれたら。いい加減にして。不愉快だ。ボクは帰る」
「……『帰る』?」
本当に不思議そうにカルロはきょとんとする。
「それは自由だが……あそこが君の帰る場所だというのなら。ただし、今も言った通り、もう君は違ってしまっているから……」
「ボクは人間だ」
遮ってきっぱりと言う。
「そんなおかしな化け物なんかじゃない。死んでないし、誰も殺してないし、第一どうやって一日でそんな何人もの人間を……」
「だから、それは吸血樹の力で……」
困惑したように言うのが腹立たしい。
まるでそちらが正しいように。
何故わかってくれないのかというように。
……わかるもんか。
そんなこと絶対にありえない、あるはずがない、あっていいわけがない。
「いい加減にしてって言ってるでしょ。ボクはそんな『吸血樹』なんてものじゃない。ボクは人間だ。人なんだ……!! 家に帰るよ。当たり前でしょ?」
カルロはふーっと息を吐いて、お手上げというように両手を広げ、どさっとソファーに深く沈み込んだ。
『やれやれ』といった体で、緩く首を横に振って言う。
(つづく)
+++++
「……悪かった。まぁ、考える時間も必要だろう。私たちと一緒に来ないかというつもりだったんだがね。あんなひどい環境に君が『帰りたい』というのであれば」
もう一度ゆるゆると首を振る。
「仕方がない。……だが、言わせてもらえば、アンディ」
見上げての問い。
「……人間って何かな?」
真顔で険しく訊ね、それからフッと顔を緩めて、首を傾げてにっこりと笑う。
「その気になったらいつでもおいで。私たちはいくつかの固体が集まって巣を作って暮らしている。私の巣に君を招待するよ、アンディ。君はとても優秀だし。私の巣の次の主になってほしい。ああ、念のために、私たちはむやみやたらと人を殺して回っているわけじゃない。ちゃんと考えて捕食をしている。だからこそ、今回のようなことは困るんだが。存在が知られては……」
「だから、妄言はやめてって言ってるだろ。ボクは何も知らない、何もわからない……!!」
強くキッと見据えてはっきりと。
「普通の人間だ」
足を扉のほうに向けた。
去ろうとした足を、かけられた声が止める。
「……その眼帯は取らないほうがいい。君が必要なく人を死なせたくないのなら。その右目は目を合わせた人間を君の思い通りにできる力を持っている。基本的に、吸血樹の能力は、捕食のためだ。そういう能力を持っているのはめずらしいんだけどね。君の死体に宿った魂の持っていた能力が君に受け継がれたんだ。それはとても優れた能力だが……いかんせん、強すぎる」
……何かと思えば、まだそんな、バカげたことを……。
振り返り、思い切りギロッとにらみつける。
カルロはやるせなく微笑んで言った。
「……大丈夫。右目だけだ。吸血樹としても特別なんだ、君は……」
「そんな変なものじゃないって言ってるでしょ……!!」
険しく吐き捨て、戻って、テーブルの上のナイフを取った。
「……右目だけなんだね?」
カルロに視線を向けて訊ね、すぐに逸らし、顔を上げて上を向き、持っていたナイフをその上に掲げて、そのまま右目めがけてナイフを振り下ろそうとした。
「アンディ……!!」
ガツッとその手がつかまれ、押さえられ、途中で止まる。
カルロが怖い顔をして横に立っていた。
眉を寄せて、悲愴な顔で、じっと見つめて。
「馬鹿な真似はよしなさい。そんなことをしても何もならないんだ。君が吸血樹になってしまったことは変わらないし、たとえ目を傷つけたってすぐに元に戻ってしまう。傷はすぐ治る。心当たりはないかい? 君は一度死んだはずだ。体はすぐ修復されて元通りになる。寿命が来なければ死ぬことはない。意味がない。やめなさい」
「……」
カチャンと手からナイフが落ちる。
ぎゅっと拳を握りしめた。
震えを堪えようとして。
「……その人はどこにいるの?」
「何?」
「その能力の元の持ち主とかってさ」
「死んだよ。もう繁殖を終えて。繁殖を終えたらすぐに吸血樹は死んでしまうんだ」
「……そう」
静かにうなずくのに、不審そうにカルロが訊ねる。
「生きていたらどうしていた?」
「恨み事を聞かせてやったさ」
「そう。……それは、とても人間らしいね」
気持ち悪いほどやさしげで温かい微笑が向けられた。
「……帰る」
パシッと手をはじいて、スタスタと歩き出す。
カルロがナイフを拾うカチャンという音がやけに響いた。
微かな音なのに。
「……アンディ」
静かな声に呼ばれる。
だが、足を止める気はない。
これ以上もう付き合いきれない。
こんなくだらない話には。
こっちがどうにかなってしまう。
そのまま足を止めずに扉を出て玄関に向かう。
追いかけてこないカルロの声が何故か耳に届いた。
「……罪の前に罰はない」
(つづく)
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