いばらの冠
書斎に向かうカルロの耳はひとつの部屋で話し合う3人の男の声をとらえていた。
吸血樹の聴覚は人間の何倍も優れている。
耳だけでなく、目も鼻も、五感すべてが。
当然、同じ吸血樹である3人のほうもカルロの足音に気付くはずだが、話に夢中になっているのか、それとも聞かれてもいいと思っているのか、話し声は止まなかった。
「……しかし、だとしたらアンディは……」
「……俺は知らないが、その子のことは……」
「……にしたって、問題は菫さんが……」
カツカツと歩いていたカルロは足を緩めて、意味もなく肩をすくめて、笑みを顔にはりつけ、扉を開けて室内に踏み込んだ。
「やぁ、どうしたんだい? 3人揃って、こんなところで、何をしているのかな」
にこやかにそう言って、3人の顔を眺め回す。
さすがに3人はカルロが入ってきた瞬間に口を閉じていた。
だが、『聞こえる』ということを知っている以上、聞こえてしまったことは隠しようがない。
……というわけで、いくらカルロがとぼけてみせたって無意味だし、またいくら3人がごまかしたところでそれはカルロには無意味なのだが。
それでもカルロはにこにこと笑っていた。
「……『どうした』も何も……」
ハッとして口を閉じて、憮然として突然現れたカルロの顔を凝視していたウォルターが、うんざりといった様子で口を開いた。
ガリガリと後ろ頭をかきながら、投げつけるようにボソッと言う。
「ただの情報交換だよ」
気まずさ3割、憤り5割、残りは名前もつけられないようなごちゃごちゃした感情で。
カルロからスッと目を逸らす。
事実を話して、それが事実であるが故にそれ以上深く追及されまいとする、高度な技だ。
遠回しな拒絶だ。
それをわかってか、わからないでか、カルロは室内のソファーに近付き、優雅な物腰で腰を掛けると、満足そうにひとつうなずいて言った。
「そうか。……それはいいことだ。なによりだよ。関心を持ってくれてるということが。……それに」
おだやかな笑みを絶やさない。
「今ならちょうどアンディもいないし、『彼女』……菫さんもまだ起きていないからな。みんなで話ができる」
ウォルターを見上げて、にこりと笑いかけ、見透かしたように言った。
ウォルターが『チッ』と鋭く舌打ちする。
カルロにも聞かれたくない内緒話だったのに、と。
その理由は単純にカルロが信用できないからだ。
すべてではなくとも、こちらには不都合なことでも、平気でアンディに伝えかねない。
今のこの吸血樹の巣の主であるカルロは、次の主であるアンディを可愛がっていた。
それは他の者も同じだったが。
なんにしろアンディは特別なのだ。
ウォルターよりはよほど感情を表に出していなかったシルヴィオは、それでもぽかんと口を開けて、一時カルロのほうを見て呆然としていたが、驚きから返って自分を取り戻すと、眼鏡を直す手つきで顔を引き締める間をもたせ、完全に無表情になってから言った。
「あの、アンディは……」
「ああ、心配しなくてもいいよ。一緒じゃない。菫さんの部屋にいるから。見張りを代わってもらったんだ。安心していい。いくらなんでもあそこまで内容は聞こえやしないだろう」
笑顔のままで首を傾げて訊ねるようにカルロが言う。
一番その中では最初にカルロに気付いていたゆえに一番平静だったジョゼフが、軽く肩をすくめ、皮肉げに口元を笑みに歪めて言う。
「そりゃあよかった。一応、聞かれたくない話なんでね。女子供は抜きの男の秘密の打ち明け話さ。そうおいそれと誰にでも聞かせられるもんじゃないんでね。野郎が集まっての愚痴大会なんざ」
「……っていう、愚痴ですか?」
カルロがぽかんとしてジョゼフを見る。
「野郎が集まって愚痴をこぼしてたなんて話をわざわざ聞かせないでいただきたい。もうじゅうぶんにわかっているよ。この状況に対するみんなの不満や何かは。それは君たちには一言もなしに女性の魂を持ってきてアンディの姉の体に入れたんだからな。非難されてもしょうがない。しかし、これは君たちのためなんだから。……っていうか」
カルロは基本的にシルヴィオとウォルターに向けて話す。
「本当に誰ひとりとして浮かれてないな。せっかくアンディが長いことただ寝かせていた姉の体を使って繁殖に協力してもらおうと決心できたっていうのに。もっとも、それは菫さん次第だが」
思わしげに眉をひそめて、『やれやれ』といったため息を吐き、ふたりからふいと目を逸らして強く言い聞かせる口調で続けた。
「そんな話は今するべきじゃないだろう? そんな暇はないはずだ。最優先は菫さんのことだよ。彼女が目を覚ました時に気持ちよく過ごせるようにしてあげないとね。内輪もめしてる場合じゃないよ」
シルヴィオとウォルターが口を開く。
「いえ、別に、内輪もめはしていません」
「っていうか、内輪もめする気にもならないって話をしてる」
揃っての真顔での返しに、カルロは頭が痛むといったふうにしかめっ面をしてみせた。
「困ったな……」
もう一度深いため息を吐き、ゆるゆると首を横に振る。
「……ネックはアンディのことか」
返ってきた3人の沈黙がそれを肯定した。
「……」
ウォルターは細めた目で鋭く刺すようにカルロをじっと見据えて。
シルヴィオはわずかに眉をひそめて眼鏡の奥の瞳を伏せて深刻そうに。
ジョゼフはただ黙ってカルロの次の言葉を待つというふうに。
「……そうか」
カルロは3人の反応に、額を押さえ、憂鬱の色濃い目をして何か考え込んでいたが、やがて顔を上げると、にっこりと笑って階下の居間のほうを指差した。
「場所を変えようか? ここではまずい。アンディに聞かれたくないからな。万が一にでも。……念には念をということで」
どうかな? と首を傾げる。
それは、カルロが知っていることを話す、ということで。
3人に異存はなかった。
(つづく)